記事より抜粋 為末大「努力は夢中に決してかなわない」 選手を競技に没頭させる指導 のヒント 米国の心理学者、ミハイ・チクセントミハイの「フロー体験」という本が あります。その本によると「フロー(Flow)」とは、周りが見えなくなる ほど、精神的に集中している感覚を意味するといいます。フロー状態にあ るとき、人間は時の流れを忘れ、言いようのない高揚感に浸れるというの です。フロー以外にもゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘 我状態などとも言いますね。 何かに夢中になると、ぐんと上達するというのです。ただ意図的にそうし ようとしても、なかなかできるものではありません。「しよう」と思って いる状態は、すでに自分を客観的に見ている状態です。例えば、目の前に 大好きな父親が立っていると、自然に走っていけるお子さんがいるとしま す。でも卒業式のようなたくさんの他人に見られる場所で歩くと、急にギ クシャクしてしまいます。人から見られていると意識をした途端、身体の 動きは自然ではなくなるのです。 たとえが良いかは分かりませんが、ラットにドーピング(※)の薬剤を投 与して運動させると筋肉の大きさが一定量大きくなるという話がありま す。その後、薬剤を取り除いてもう一度トレーニングしても、薬剤を投与 したときと同じ大きさの筋肉になる。一度、限界を突破すると、記憶して 再現できるようになると言われます。夢中で何かに取り組んで、技を再現 できるようになるのはこの現象に似ていますね。 本来、アスリートは自分の限界を突破するまでがかなり難しいのですが、 一度超えると、記憶して再現できるようになります。「努力」は没頭して いる状態ではないので、限界を突破するのが難しい。だからこそ、「夢 中」になることは選手の力を向上させるためには欠かせず、努力は夢中に は決してかなわないのです。 (指導者は選手を競技に没頭させるためには、どうすればいいのでしょうか。) それは義務から選手を解放することです。例えば、「勝たなければならない」 「より上の順位に行かなければならない」ということから、意識を解放させるこ とが大事です。漫画を読んでいると夢中になれるじゃないですか。それは読んで も評価されないからです。でも読書感想文を書くとなり、評価されるとなると急 に読む姿勢も変わってしまいます。 アスリートの場合、上に行けば行くほど、期待値は上がりますし、義務から自分 の心を解放するのは難しくなります。しかし「ここは絶対に勝つぞ!」と指導者 が言うと、選手は期待に応えなければならないと思い、そう思えば思うほど、夢 中からは遠ざかってしまいます。ちなみにチーム競技よりも、個人競技の方が義 務から解放する必要性が高い。チーム競技だと、組織の中でそれぞれ役割がある ので期待との向き合い方も少し違うからです。いずれにしても、周囲の期待や義 務との向き合い方を実践しながら、自分なりの向き合い方を定めていく必要があ ります。 指導者の場合は「選手にかける期待」を表現する時には注意が必要でしょう。 選手は指導者に失敗したのを見られると、心理的にショックを受けます。指導者 は、自分の視線が選手に与える影響を知り、上手に目線を外したり、戻してみた りしながら、選手がのびのびとしたり、きゅっと緊張したり、緩急をうまく扱え るようになるのが理想です。つまり、「見ない技術」を覚えることが重要です。 指導者は自分の身体が出しているメッセージ、首の角度でさえもどういう影響を 与えているのかを理解しながら、指導をしなければなりません。 ◆努力は夢中に叶わない ◆「義務」からの解放が夢中へとつながる