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しかし、レヴィ・ストロースの解釈は異なる
自然哲学の体系として考えるとき、それ(witchcraft 妖術)には一つの因果理論が含まれている。すなわち、
不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである。ある男がアフリカ水牛の角でひっかけられるとか、穀物
倉の支柱が白蟻にむしばまれて倉が頭の上に崩れ落ちてくるとか、脳脊髄膜炎にかかるとかすれば、アゼンデ族
は、水牛や穀物倉や病気が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだと言うであろう。水牛
や穀物倉や病気はそれ自体で存在するものだから、妖術はそれの存在については責任がない。しかしながら、
それらの原因が、ある特定の個人に対して破壊的な関係に置かれたという特定の状況については妖術に責任があ
る。いずれにしても穀物倉は崩れ落ちたであろう。しかし、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというある
特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して
変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するところのものだからであ
る。(Evans-Pritchard クロード・レヴィ・ストロース『野生の思考』より、再引用 大橋保夫訳 )