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下村寅太郎(1902-1995)
1902年(明治35)8月17日京都市に生まれる。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科
に入学。西田幾多郎、田辺元に師事する。ライプニッツ研究や、数学の哲学・科学哲学の分野で
研究を開始する。1943年(昭和18年)6月から8月にわたって「野々宮朔」というペンネームで雑誌
『知性』に「東郷平八郎」を連載。1945年(昭和20年)に東京文理科大学教授、1949年(昭和24年)
に東京教育大学文学部教授となる。1956年(昭和31年)後年に思想の転機となったと語る、はじ
めてのヨーロッパ旅行に出る。以後、レオナルド・ダ・ヴィンチやアッシジの聖フランシス、スウェー
デン女王クリスティナらの研究などを手がけ、ヨーロッパの「精神史研究」における業績を広げてゆ
く。1983年(昭和58年)に畢生の大著『ブルクハルトの世界』を上梓する。1995年(平成7年)死去
(享年92歳)。
下村が科学哲学の分野で研究を開始した当時は新カント派の全盛期であり、科学についての哲学の主要な問題も、科学的な
事実の超越論的基礎を解明するという、認識論上の問題が中心となっていた。日本におけるこうした関心からの研究として
は、田辺元の『科学概論』(1918年)や下村の『自然哲学』(1939年)があげられる。 しかし、やがて下村は、科学の存在が自
明な事実ではなく、科学の成立は近代ヨーロッパにおける「事件」であり、科学は歴史の内で成立したものであると考えるように
なる。
下村はこのような立場から、『科学史の哲学』(1941年)においてギリシア数学の成立過程をあきらかにし、ヨーロッパの学の理
念がどのように形成されてきたのかを考察する。 またつづく『無限論の形成と構造』(1944年)において近代数学の形成過程を
たどり、純粋数学の成立が、近代における機械の形成と類比的に理解されることを示した。
下村は近代数学の思惟のありかたを「記号的思惟」と特徴づけているが、その形成過程をたどることは同時に「機械を作った
精神」を理解することでもあった点にも留意すべきであるように思われる。
https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/japanese_philosophy/jp-shimomura_guidance/