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[7] 東証プライムに上場するインターネット関連企業。
「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」をビジョンに掲げ、デジタル化が進んでいない伝統的な産業にインターネットを持ち込み、産業構造の変革に挑戦している。
利根川が開発に携わった「ラクスル」は、印刷工場の非稼働時間と消費者のニーズをマッチングするサービス
[8] Scratch財団によって無料で提供される教育プログラミング言語及び世界最大の子ども向けコーディングコミュニティ
[9] いつでも誰でもどこでも1時間でプログラミング学習ができる教育教材サイト
[10] すべての生徒にコンピュータサイエンスを学ぶ機会を提供することを目的とした非営利団体。9,200万人の児童・生徒、270万人の先生が利用する
[11] 社会に変化を起こす目的で、政治家や国・自治体等の決定権を持つ人に対し、提言を行うこと
ちのラクスルCTOに教えてもらいながら、独学でラクスル
のコードを書いた。
2011年に大手デベロッパーを退職し、共同創業者兼1人目の
正社員としてラクスルに参画。学生やアルバイトと一緒
に、来る日も来る日もプログラムを書いた。当時のラクス
ルは、資金調達をして事業が加速していたものの、たくさ
んの人が入社しては辞めていった。組織が拡大する中で利
根川は、エンジニアと非エンジニアに距離ができてきたこ
とを課題に思い、1時間でプログラミングを楽しめる海外の
教材「Hour of Code」を使った社内向けワークショップを
開催した。その後、社員の子ども向けにも同様のワークシ
ョップを行い、大きな手応えを感じたことを機に、みんな
のコードを設立した(図2)
。2015年7月のことだった。
第1章 創業期
起業家精神の始まり
やプログラミング教室まで無数に存在していた。中でも、
中高生向けにブートキャンプ型のプログラムを提供するラ
イフイズテック株式会社の存在が目立っていた。
利根川は、いまからプログラミング学習領域でライフイズ
テック社と競うよりも、何か別の切り口はないか考え、ラ
クスルの社内ワークショップで利用した「Hour of code[9]」
を運営するCode.org[10]が非営利組織であることに注目し
た。非営利の目線で市場を眺めると、都会の教育に熱心な
家庭の子どもはプログラミング教室に通い、最先端の環境
と教育を受けることができるが、そうでない子どもは機会
を得ることができていない。プログラミング教室が大都市
圏に集中していたことも気になっていた。
さらに、これからは、資本主義的な成長を追い求めるだけ
でなく、社会課題の解決を中心に置いた多様な在り方・生
き方を志す人が増えるのではないかと考え、NPOを選択し
た。
利根川は、1985年に千葉県で生まれた。父は大手企業に勤
務し、母は専業主婦であった。テクノロジーとの接点は、
中学生の頃だった。リビングのパソコンを使って、ドット
絵で好きな鉄道を描いては、自前で作成したWebページに
公開した。新しいことをするのは好きだった。高校時代に
は、先生を説得して授業の様子を撮影して番組を作成した
り、大阪の街づくりコンペに参加するために夜行バスで現
地に入ったこともあった。
その後、慶應義塾大学経済学部に入学。写真を撮るが好き
だったため、カメラ部に入部した。大学3年次には、卒業ア
ルバム委員の編集長としてプロジェクトを取り仕切った。
4,000人の卒業生の個人写真や風景を撮影して、1冊15,000円
程度で販売。3,000万円ほどの収益規模だった。起業家気質
な仲間にも囲まれていた。カメラ部で佐俣 アンリ(現ANRI
株式会社代表パートナー)と出会い、ゼミには楓 博光(現
株式会社サポーターズ代表取締役)がいた。また、夏休み
には、スタンフォード大学が開催するサマースクールに参
加し、日本、台湾、中国の学生と共同生活を送った。この
とき、非営利組織の活動にも触れた。自分がNPOを立ち上
げるとは夢にも思っていなかった頃である。
ラクスル創業期
大学卒業後は大手デベロッパーに入社し、予算部に配属さ
れた。多忙な日々を送る中で、だんだんと気が滅入ってい
った。大学時代に交流した、好きな人生を歩んでいるよう
に見えたスタンフォード大学の学生の様子を思い返して
は、これでいいのだろうかという欠乏感を抱えていた。
新卒3年目のとき、大学時代の友人である佐俣からの紹介
で、松本 恭攝(現 ラクスル株式会社[7]取締役会長)に出会
った。昼は予算部で働き、夜はラクスルの創業を手伝う怒
涛の日々が始まった。システムをつくる人がいなかったた
め、利根川は書籍を購入し、プログラミングを始めた。の
図2 2014年に開催した親子イベントの様子
出典:みんなのコードより提供
非営利法人を選んだ理由
利根川が非営利法人を選択した理由は、プログラミング教
育の領域でインパクトを出すにはどうしたらいいかを考え
たからである。法人を設立した当時は、小学校のプログラ
ミング必修化が決まる前であり、民間事業者が提供するサ
ービスがメインであった。
「Scratch[8]」のような無料で公
開されているプログラミング教材から有料のロボット講座
みんなのコード創業とプログラミング教育の
機運
みんなのコードを設立した頃は、大きなインパクトをもた
らしたいというよりは、これまでの延長で、
「Hour of code」
を日本で広めようと活動を継続していた。定期的に開催し
ていたワークショップは100名規模のファミリーイベントに
広がり、意欲ある先生が学校の授業で教材を使ったりと、
徐々に規模が大きくなっていた。いっそのこと、Hour of
code Japanを設立しようと渡米し、Code.orgの代表を尋ね
た。このとき、アドボカシー[11]という言葉を初めて知っ
た。研修、教材、マーケティング、政策提言。みんなのコ
ードはこの4つをやろうと決めた。
日本では、ちょうどその頃、情報化やグローバル化といっ
た社会変化に応じる形で、学校教育も変化しようとしてい
た。スマートフォンの普及により、個人がインターネット
にアクセスできる環境が急速に広がり、インターネット利
用率を年齢階層別に見ると、6〜12歳が74.8%、13〜19歳が