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2-1_四万十紅茶ケーススタディ.pdf

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Masahiko Sakakibara

June 10, 2019
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  3. ೔ຊͷߚ஡ͷมભ ▪国産紅茶 日本における国産紅茶の歴史は、 安政6年 (1859 年) に横浜港が開港され、 その年 181 トンの緑茶が輸出されたことに始まる。

    明治初期、 緑茶は生糸と並び最も重要な輸出品であった。 明治元年 (1868 年) には緑茶 の輸出量は 6,069 トンであり、 10 年で驚異的な躍進を遂げた。 これを受け、 明治政府は茶業振興に力を注ぐことになったが、 緑茶を嗜好するのはアメリカ のみで、 他国は中国風の紅茶を嗜好していた。 そこで、 世界に向けて緑茶よりも紅茶に希 望が持てることから、 紅茶生産の施策が打ち出された。 明治7年 (1874 年) 紅茶製法書を編集し、 各府県に配布、 紅茶の製造を推奨した。 翌年、 明治政府は中国から2人の技術者を招き、 九州、 四国の山茶の多くある地を選び、 熊本県 山鹿と大分県木浦などで中国式の紅茶製造に着手。 多田元吉を勧業寮 (改良を担当する組織。 後に観農寮と改名) に登用し、 政府派遣の紅 茶調査員として中国に出向いたが、 好評は得られず、 製法が不適当であることが判明し、 断念した。 勧業寮の富田冬三らが米国サンフランシスコへ渡航中、 東インド在留のイギリス領事よりイン ドの製法を知り、 多田元吉、 石川正竜、 梅浦精一の 3 名をインドに派遣。 翌年帰国した 3 名は、 インドより携帯した茶の種を静岡、 三重、 愛知、 滋賀、 京都、 高知などの府県に配布、 試植された。 明治10年 (1877 年)、 勧農局は多田元吉、 熊谷義一を高知県下に派遣、 山野自生の茶 葉を用い、 インド式製法により試製、 横浜市場及び英国に試売の結果、 大いに好評を得、 また各国での鑑定も概ね良好だったため、 その製法を全国の製造者に伝え、 増産すること を決定した。 明治 27 年 (1894 年) の日清戦争、 明治 37 年 (1904 年) の日露戦争の間に、 インド、 スリランカ、 ジャワなどの紅茶が日本の紅茶市場に参入。 日本の紅茶輸出は減少し、 生産 も減少した。 2
  4. ೔ຊͷߚ஡ͷมભ 昭和 29 年 (1954 年) 紅茶生産量は 7,210 トン、翌 30

    年には 8,525 トンに生産量が増加し、 そのうち 5,181 トンを輸出するまでに回復。 政府は昭和 34 年 (1959 年 ) に紅茶用品種茶園 10,000haの造成計画を立て、 紅茶の 100%自給を目指した。 しかし日本経済の高度成長 に伴い、 価格競争力を失いインドやスリランカなどの国際競争において価格面で不利が拡大。 紅茶産業推進は中止となり、 国内消費向けの緑茶生産に切り替えられた。 昭和 46 年 (1971) に紅茶の輸入自由化が行われ、 以降国産紅茶は地場消費用にごく少 量が生産されるだけとなった。 近年の紅茶葉の価格を見ると、 2008 年ごろから上昇を見せている。 高騰した要因としては、 インド、 スリランカ、 ケニアなどの紅茶生産主要国における干ばつが発生したが、 嗜好品と しての需要が堅調であったためと考えられる。 また、 茶畑の開墾には3年ほどかかるため、 2008 年からの 3 年間の価格は上昇したままとなっている。 全国的には、 鹿児島、 静岡、 佐賀が上位を占め、 全国で約 80 トンが生産されている ԭ ೄ ࣛ ࣇ ౡ ٶ ࡚ େ ෼ ۽ ຊ ௕ ࡚ ࠤ լ ෱ Ԭ ߴ ஌ Ԭ ࢁ ౡ ࠜ ࿨ Վ ࢁ ಸ ྑ ฌ ݿ ࣎ լ ࡾ ॏ Ѫ ஌ ذ ෞ ੩ Ԭ ౦ ژ ࡛ ۄ Ἒ ৓      ฏ੒  ೥෎ݝผߚ஡ੜ࢈ྔ 3
  5. ࠃ࢈ߚ஡ͷมભ 国内への紅茶葉の輸入量は 90 年代以降、 増加傾向にある。 4

  6. ࢛ສेͷߚ஡ͷมભ ▪四万十の紅茶の歴史 時代は明治初期。 インドを旅して作り方を学んだ 「日本の紅茶の父」 と呼ばれる多田元吉 氏は国の命令で、 高知県香美郡安丸町に 「紅茶試製場」 を高知県に作った。

    これは、 国 内で初めて作られた工場であり、 西日本各地から視察が押しかけたそう。 できあがった紅茶 は、 これまで国内で生産された紅茶よりもはるかに優れた香り高い紅茶ができ、 この製法が 日本中に広まり、 現在の国産紅茶のベースになったといわれている。 十和地域では、 当時主要作物であった木炭、 椎茸に加えて新たな産業を立ち上げようと、 1959 年に紅茶の苗木を 13 万本仕入れ、 紅茶工場を建設。 農家への紅茶振興を行い、 輸 出作物として紅茶が作られてきた。 しかし、 外国産紅茶の自由化もあり、 紅茶の価格は次 第煎低迷。 十和地域で作られた紅茶は、 当時人気も高かった緑茶の品種に全て切り替えら れた。 こうして、 四万十から紅茶の木は姿を消してしまった。 1965 年のことである。 5
  7. ͠·Μͱߚ஡ͷέʔεελσΟ ▪四万十ドラマの紅茶商品開発の流れ 2007 年~ 40 年ほど前に四万十で紅茶が作られてきたことがわかり、 かねてより 「しまんと紅茶復活」 の構想があった。 しかし、

    紅茶作りについては、 当時のノウハウもなく、 作り方がわからない 状況であった。 そうした中、 以前から付き合いのあった石川県在住の赤須治郎氏が、 なん と紅茶作りに精通していることが判明。 コピーライターという肩書きの傍ら、 全国地紅茶サミッ トのコーディネーターも務められている紅茶の専門家であった。 この赤須さんをアドバイザーと して四万十にお招きし、 様々なご協力を受け、 四万十の紅茶を復活させるに至る。 道の駅のオープンに合わせ、 四万十で紅茶が作りはじめられることとなった。 オープン当初は、 様子見をかねて 20kg を計り売りしたところ、 飛ぶように売れて、 わずか半日で完売。 「紅茶 は売れる」 という感触を確かにし、 この年に紅茶の茶葉、 紅茶ペットボトル商品が完成した。 2009 年~  道の駅で加工部が作られる。 加工部では、 しまんと地栗やしまんと紅茶を使ったスイーツの 開発・製造が行われた。その中で、試作を重ねてしまんとロール紅茶巻が完成。2010年のスー パーマーケット ・ トレードショーで初お披露目し、 バイヤーの感触も上々であった。 ここから販 路を広げ、 郵便局のチラシに掲載され、 高知新聞にも取り上げられたことで一気に高知県を 中心に人気が広まった。 ˙͠·Μͱߚ஡ʹ͍ͭͯ ɾೋ൪஡ͷ༗ޮ׆༻ ৽஡ΛఠΈऴ͑ɺמΓͳΒ͠Λ͠ɺ͔ͦ͜Β࠶ͼऔΕΔ͓஡Λೋ൪஡ͱ͍͍·͢ɻ࢛ສेͷߚ஡ ͸͜ͷೋ൪஡͔Β࡞ΒΕ·͢ɻՁ͕֨௿໎͕ͪ͠ͳ͜ͷೋ൪஡Λߚ஡ʹ͠ɺ ʮ͠·Μͱ 3&%ʯͱ ͍͏ϒϥϯυΛ্ཱͪ͛Δ͜ͱͰɺೋ൪஡ʹ΋Ձ஋Λ෇͚ΔࢼΈ͕ͳ͞Ε·ͨ͠ɻ  ೥લʹҰ౓ഇΕͨ͠·Μͱߚ஡͸ɺ஍Ҭʹ࡞Γํͷϊ΢ϋ΢΋ͳ͘ɺ ʮ࡞Γํ΋Α͏Θ͔ΒΜͷʹɺࠃ࢈ͷߚ஡ͳΜ͔࡞ͬͯΈͯϗϯϚʹചΕΔ͔͑ʁʯ ͱ͍͏ٙ໰͕ ১͑ͳ͔ͬͨͦ͏ɻͦ͏ͨ͠தͰɺੴ઒ݝࡏॅͷ੺ਢࢯΛ͓ݺͼ͠ɺ ߚ஡࡞ΓͷࢦಋΛͯ͠΋Β ͏͜ͱʹͳͬͨɻ࣮ࡍʹɺ࡞ͬͯΈͨͱ͜Ζ ʮͳ͔ͳ͔ΠέΔͶʯͱ͍͏ධՁΛ΋Β͍ɺ  ʮ͡Ό͋ ͪΐͬͱചΕΔ͘Β͍࡞ͬͯΈΑ͏͔ʯͱ͍͏͜ͱͰྔ࢈͕࢝·ͬͨɻ࡞Γํ͕෼͔Βͳ͍தɺ ઐ໳ՈͷਓʹධՁΛ΋Β͏͜ͱ͸ࣗ৴ʹͭͳ͕ͬͨͦ͏ɻ·ͨɺಓͷӺͰඈͿΑ͏ʹചΕΔߚ஡ Λݟͯɺ ʮ͜ΕͳΒΠέΔʯͱ͍͏֬৴Λಘͨͦ͏Ͱ͢ɻ 6
  8. ͠·Μͱߚ஡ͷέʔεελσΟ 上図からも分かる通り、 紅茶全体は販売開始から順調に売上を上げていき、 ピークの 2011 年には販売開始年の 2007 年の 527% にもなっている。

    2012 年に売上が下がった要因としては、 「加工品」 の中での 「しまんとロール紅茶巻」 「ロイヤルミルクティー」 の販売額が下がったた めである。 しまんとロール紅茶巻については、 加工スタッフの減少により、 生産力が落ちて しまったこと、 またミルクティーについては賞味期限の短さから (約 1 週間のみ)、 販売時期 を絞ったためである。  茶葉としては、 2009 年に売上が跳ね上がっているが、 これは道の駅オリジナルアイスを作っ たためである。 ಓͷӺ औҾઌ ࢛ສेυϥϚ ޿Ҫ஡ੜ࢈૊߹ מΓऔΓ Ճ޻ ੡඼Խ Է খചΓ ˕ߚ஡ͷग़ՙͷྲྀΕ Ճ޻඼ Ճ޻඼ͷ಺༁ 7
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  11. ͠·Μͱߚ஡ͷέʔεελσΟ ペットボトルは緑茶と同様に、 売上の柱となっているが、 緑茶に比べ茶葉やその他商品も健 闘している。 茶葉においては、 緑茶同様に依然として直販部門が売上の過半数を占める。 一方で、 加工品部門では 2011

    年の郵便局との大口取引 (しまんとロール紅茶巻き 売上 260 万円) が卸の割合を高めている。 主要取引先 成城石井 PET 四国リョーショク PET 日清商事 PET ▪しまんとロール紅茶巻き 道の駅加工部でのみ製造し、 全てが手づくりであるため、 量産に限界がある。 製造量は、 1 日に Max で 80 本ほどである。 また、 地栗のパウンドケーキやその他加工商品も同時に製 造しているため、 製造スケジュールも不安定になる。 今後の取引拡大、 特に卸の拡大のた めには、 製造量の増加と製造数の安定が求められるといえる。 ・ なぜ販売初年度から 500 万の売上が出せたか? 取引先別に考えると、 郵便局との取引の大きさがよくわかる。 また、 (株) クリーツとの取引 は通販情報誌サライの掲載と同義であり、 これを営業ツールとして利用できた。 しかし、 生 産力に限界があるため、 かなり絞った取引しか行っておらず、 通年を通して販売できたのは 道の駅 「四万十とおわ」 のみである。 サニーマート 茶葉 ・ ミルクティー ヤマトコレクト 茶葉 ・ ミルクティー 10
  12. 2014年1月20日改訂