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避難グループ① あなたは学校の校長先生です。 地震が発生し、津波が30分で到着する予想です。 学校は海から少し離れており、地域の避難所に指定されているので、 地域の人が避難してくる可能性があります。 しかし今回の地震は規模が大きく、 学校まで津波が来ると言っている先生もいます。 あなたは学校の先生や生徒にどのような指示を出しますか?

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避難グループ② あなたは3ヶ月避難所で生活しています。 近所の知り合いや友達が同じまちにいますが、 同居している高齢の両親には長期の避難所生活は難しそうです。 また,親戚が被災していない地域に住んでいます。 あなたは知り合いのいる住み慣れたまちで避難生活を続けますか? それとも1日も早く生活を取り戻すために、 親戚のいる町外に移り住みますか?

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事前復興まちづくりグループ あなたはどちらの候補者に投票しますか。 候補者A いつ来るかわからない災害に備え, 高台移転や堤防整備などのインフラ 整備にお金をかけて安全なまちづく りを行います。 候補者B まちの商店街での賑わいづくりや教育無 償化など教育分野にお金を使い毎日の暮 らしをより豊かにします。

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事後復興まちづくりグループ あなたは被災した自治体Aの長です。 県知事の意見 人口が減っていく中で全ての被災地域を等しく復興させるのは財政的に も困難である。一定程度の人口がない自治体には復興の投資をせず、代 わりにその分人口集中地域に予算を使いたい。 県知事はあなたの自治体Aは人口が少ないので復興投資をし ないつもりです。あなたは県知事をどう説得しますか? 生まれ育っ たまちを離 れたくない 学校の友達 と離れたく ない 大きくて便利 なまちに引っ 越したい

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避難グループ1 事例 ・請戸小学校 ・大川小学校 ・門脇小学校 避難グループ2 事例 ・能登 ・陸前高田 ・熊本 復興グループ1 事例 ・美波町 ・黒潮町 ・釜石市唐丹町本郷 復興グループ2 事例 ・陸前高田 ・能登

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徳島県美波町の事前復興まちづくり 美波町は、市街地の大部分が津波 浸水想定区域とな っており、南海 トラフ巨大地震の津波によって大 規模な被害が想定されている。 このため、更なる住民の安全確保 や迅速な復旧・復興への備えに向 け、公共施設及び防災公園(応急仮 説住宅用地)を高台に移転・整備が 行われている。 https://www.town.minami.lg.jp/docs/794.html

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岩手県釜石市唐丹町本郷の 高台移転の歴史 釜石市唐丹本郷地区は、1933年の昭和三陸大 津波の被災を機に高台移転を実施しました。 一方その後、低地への居住も拡大した。 東日本大震災では,浸水域も昭和津波より広 いものであったが、被災率でみると人的被害 は0.9%、住宅被害も33.7%であり、昭和津波 の被災率を大幅に下回り、昭和移転地では浸 水被害は生じなかった。一方で、低地は壊滅 的な被害を受けた。 聞き取り調査において「海が見えなくなった から漁がしにくくなった」などの意見は得ら れず、「海外の近くに居住することでの有利 せはない」あるいは「不便に感じない」との 発言が複数得られている。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga/73/2/73_77/_pdf/-char/ja

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宮城県名取市閖上地区 閖上地区は震災で壊滅的な被害を受け、犠牲者は 701名で、名取市全体の約8割を占めた。 、人口が半減した閖上地区においては、外部から 新たな住民の誘導を検討していかなければ将来的 に閖上地区全体が衰退していく事が懸念された。 こうしたことから、水辺のあるまちの特徴を活か し、閖上地区全体の魅力向上やにぎわいの創出に 努めた。 具体的な計画として、海岸沿いには、市民生活や 地域農業を守る防潮林の復旧を図った。地盤の嵩 上げや施設の耐浪化を施すなど、きめ細かな対策 が行われた。 https://tohokukaranokoe.org/regions/yuriage/、 https://www.pacific.co.jp/service/93.html 東日本大震災直後

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請戸小学校 教員の迅速な判断と多くの地域の人々の 協力により、93名の児童全員が無事避難 することができた奇跡の学校として知ら れている。校長が学校から離れる判断を して、避難所として指定している裏山に 避難した。高学年の児童が自分たちの判 断で低学年の児童をうまく挟んで移動し たことによって、誰かが抜けてしまうこ となく全員で一緒に逃げることができた。 また、裏山に登る最中に後ろを振り返っ ても街の様子が見えなかったことから、 津波の被害の状況を一切知らずに避難す ることができたのも幸運であった。 https://www.atpress.ne.jp/news/348129 https://namie-ukedo.com/

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大川小学校 川の河口から約4kmの川沿いの位置する 大川小学校は、津波によって74人の児童 (全生徒数108人)が亡くなってしまっ た。発災後児童は一度校庭に避難したが、 普段避難訓練を行なっていなかったこと から、その後の避難先が想定されていな かった。学校のすぐ近くには児童が普段 から登っていた高い裏山があり、裏山へ 避難することを主張した児童もいたもの の、先生たちの話し合いの結果、揺れて いる中での避難の危険性から、教頭先生 は裏山ではなく、橋の近くの微高地に避 難するという判断を下した。その結果、 橋の近くへの移動中に津波に遭遇してし まった。 https://drr.miyakyo-u.ac.jp/memories/project/okawa/

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門脇小学校 津波と津波火災の被害があったのにも関 わらず、学校にいた児童や避難してきた 地域住民が全員助かった小学校。普段か ら津波を想定し裏山に避難する訓練を行 なっていたため児童は無事に裏山に避難 できた。地域住民の避難誘導や保護者と の連絡のため数人の教職員は校舎に残っ た。その後、津波火災が起こったため、 地域住民を含めて校舎にいた約40人は一 刻も早い脱出が必要となった。しかし2F の窓から裏山に逃げようとしたところ少 し距離があったので、教壇を橋の代わり として使うことで避難が可能となった。 https://www.fnn.jp/articles/-/159911 https://www.newssalt.com/35550

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東日本大震災でのみなし仮設と転出 東日本大震災では民間賃貸住宅を 活用した応急借り上げ住宅、いわ ゆるみなし仮設が大々的に採用さ れたが、みなし仮設の利用がその 後の居住地選択に大きく影響した ことが分かっている。宮城県七ヶ 浜町では町外でみなし仮設を利用 した世帯の3分の1強がそのまま町 外へ転出しており、この割合は建 設仮設や町内のみなし仮設を利用 した世帯よりも圧倒的に多い。 町外へ2次避難をするとそのまま 転出する人が多いと言えるだろう。 http://inforanger.tasukeaijapan.jp/area/miyagi/shichigahama/page/2/

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南阿蘇村の長期避難と相次ぐ転出 熊本地震で大きな被害を受けた南 阿蘇村立野地区では、長期避難世 帯認定が解除されライフラインが 仮復旧された1年後でも全体の3割 弱しか帰還できていない。住民ア ンケートで帰還を希望した世帯も 6割程度にとどまったという。帰 還するかどうかの判断に際して学 校や職場が村内にあったことが影 響を与えた世帯もあった。 地区内にあった阿蘇立野病院は、 発災から1年程度は使えず無床診 療所での代替を余儀なくされてい た。 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/461667/ https://k-ijishinpo.jp/old/article/2017/201703/003131.html

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能登半島地震での2次避難 能登半島地震では、奥能登にてラ イフラインが大規模に寸断された ため、金沢などへ長期的な2次避 難をした人も多かった。金沢以南、 または県外のホテル等への避難を 石川県が支援していることもこれ を後押ししている。「ライフライ ンが復旧したら戻りたい」との声 も聞かれるが、3月中旬時点の奥 能登ではまだ2割程度の人が帰還 できていない。なお、輪島市は同 じ地区に住んでいた被災者が同じ エリアの仮設住宅で暮らせるよう な配慮もしている。 https://www.yomiuri.co.jp/national/20240403-OYT1T50009/