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雑草エンジニア しが あきとし(@akitoshiga) 2025/07/26 きのこカンファレンス in 関西 #kinokokansai 金なし学なし経験なしの自分は 今までどう生きのこってきたのか

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2 自己紹介 ● しが あきとし(@akitoshiga) ● 株式会社タイミー ○ Webエンジニア (Back End) ● 1992年生まれ( 33歳) ● 元ミュージシャン ● エンジニア 6年目 ● 東京から大阪に来て 2年目 ● 設計とRubyがすき

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3 はなすこと ● 自分のキャリアをふりかえる ● 生きのこるのに重要だったこと ● どうすればより生きのこれたか ● この先どう生きのこっていくのか ● まとめ

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4 はなすこと ● 自分のキャリアをふりかえる ● 生きのこるのに重要だったこと ● どうすればより生きのこれたか ● この先どう生きのこっていくのか ● まとめ

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5 エンジニア以前 ● 17歳で音楽の道を志しミュージシャンとして活動 ○ 高校時代はまともに勉強せず練習漬け ○ 大学も進学せず音楽活動とバイトの日々 ● バイクでの事故をきっかけに挫折 ● 26歳でイベントの制作ディレクターとして就職 ● 激務によって一年未満で体を壊して退職 ○ 一年未満なので失業手当も出ず ● 約半年ほど自分探しへ、、、

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6 エンジニア以前 ● やりたいことなんてなかった ● キャリアコンサルタントの友人に相談

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7 エンジニア以前 しが「Webのディレクターとか考えてるんだけど」 友人「しが君は手を動かす方も向いてるんじゃない?」

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8 エンジニア以前 ● Progateをやってみた ● おもしろい! ● プログラマーになりたい! ● そして就職活動へ

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9 プログラミングスクール行く行かない問題 ● 当時はプログラミングスクールが流行ってきた時代 ● 自分は行かない選択をした ● そもそもお金もなかった ○ 教育訓練給付金が使えるスクールは今ほど多くなかった ● 経験が重視される業界というのは認識していた ● スクールに行く分業界に早く入った方が良いと考えた

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10 ソフトハウス時代 ● 数十社に応募して運よく拾ってもらう ● 小さなソフトハウス ○ 社員数は当時 5名ほど ○ 受託開発と SESメイン ● 急拡大のタイミングで同期が 10人くらいいた

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11 ソフトハウス時代 ● 研修中にJava Goldの資格を取得 ○ 実務経験3年以上が対象の資格 ● めちゃくちゃ自信がついた ● 研修が終わり案件探しに

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12 生き残れないポイント① ● プログラミングとは程遠い案件しかない ○ リリース作業のダブルチェック ○ 事務作業 ○ PCのキッティング ○ 文書の翻訳 ○ and so on… ● ここで開発業務のハードルの高さを知る

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13 どう乗り越えたか ● コロナが流行して現場の受け入れ NGに ● 研修の成績上位者は自社の受託案件を手伝うことに ○ 受託なので会社的には損 ○ .NETでのGUI作成とWinMergeによる温かみのあるマージ ○ それでも全然良かった

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14 それも長くは続かない ● タイミング悪く大量に人を雇ってしまった ● みんなの現場が決まらない ● 給与の支払いが危うくなる ● そして退職

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15 SIer時代 ● 企業理念に一目惚れした会社に拾ってもらう ● DMして社長と意気投合 ● 都内にある SIer ○ 社員数は当時 50名ほど ○ 準委任で常駐もするがチーム単位 ○ 受託と自社開発もやる

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16 入社初日 「しが君、京都いかない?」

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17 突然の京都常駐 ● 京都の現場に開発部のリーダーが常駐している ○ 行けば直接教えてもらえるそう ● 二つ返事で京都に行くことに ● めちゃくちゃ希望を持ってた

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18 生きのこれないポイント② ● 自分が京都に行ってすぐに PMが蒸発 ● 穴埋めでCTOが東京から週 3で出張に ● CTOのヘルプで自分も PMOをやることに

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19 乗り越えられねえよ、、、 ● 業務がめちゃくちゃ大変 ○ クライアントとの関係修復に必死 ○ 夜中にミーティングが組まれることも ● 心が折れかける ● 忙殺される日々を過ごす中、ある日ターニングポイント が

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20 運命の日 ● ある日隣にいるリーダーとフルリモートで関東から働い ているプログラマー達がわいわいペアプロしているのを 目撃 ○ それはまさしく自分が理想としてた姿 ○ 一方自分は京都まできて開発者とクライアントとの板挟み ○ 歴は自分と同じくらいだけど、彼らはスクール卒業生 ● その結果

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21 つらすぎて帰り道の田んぼで泣く

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22 そして吹っ切れる

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23 なんとか乗り越えた ● 業務が終わった後毎日夜中まで勉強した ○ 現場で使っていたり今後必要になりそうな技術 ○ 現場での重要度に限らず自分が気になっているトピック ● リーダーに張り付きどんな小さな開発タスクでもやらせ てもらうようにお願いした ● 最終的には PMO一人月+αで開発タスクをするように

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24 突然の解放 ● 現場からの撤退が決まり東京に戻ることに ● 「これで自分も報われる」

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25 現実はうまくいかない ● その後アサインされる案件も開発とは程遠かった ● 一方新卒社員は自社開発の案件をやっていたりする ● 開発案件にアサインされるために様々な努力を続けた ○ 資格の取得 ○ 社内OSSのコントリビュート ● それでも現実は変わらない

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26 生きのこれないポイント③ ● アサインされる案件はどう頑張ってもコントロールできな い

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27 どう乗り越えたか ● 転職した ● 京都から戻った後もなんとか案件の中で開発タスクを 作って積み上げていた ○ スクレイピング ○ テスト・影響調査の自動化 ○ 影響調査の自動化 ● 日頃の努力によってなんとか経験主義の壁を突破した

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28 事業会社時代 ● とある事業会社に拾ってもらう ● 医療系グループの人材領域を扱う事業会社 ○ 社員数は当時 600名ほど(エンジニアは 80名くらい) ○ 自社や親会社で運営している多数のサービスを扱う ● ここでようやく開発業務ができるようになった ● ここまでで 2年半ほどかかった ● しかしまだ生きのこれないポイントが

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29 生きのこれないポイント④ ● 業務内容がめちゃくちゃ難しい ● いきなりフルスタックで新プロジェクトの立ち上げ ● 今までまともに開発したことなんてない ● 納期がある上に十分なサポートない状況だった

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30 どう乗り越えたか ● めちゃくちゃ頑張った ● 体を壊した時に自分の限界を知ったのでまだ頑張れた ● 今ではめちゃくちゃ感謝している

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31 努力が実を結び始めた ● 同僚は新卒からエンジニアをしてきた人ばかり ● 入社当時の実力は一番下の方 ● 地道に努力し続けた ● 技術的な広報活動やエンジニアの技術力の底上げをす る活動も任せてもらえるようになり、最終的にテックリー ドのチームにも参加した ● 約3年勤めた後に現職に Join

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32 はなすこと ● 自分のキャリアをふりかえる ● 生きのこるのに重要だったこと ● どうすればより生きのこれたか ● この先どう生きのこっていくのか ● まとめ

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33 ①常に準備して小さい実績を積み重ねた ● 経験主義のこの業界で生きのこるにはこれしかない ● 日頃から準備しておいてチャンスを見逃さない ○ どういう技術ならこの現場で使えそうか? ○ この技術はどういう現場で使えそうか?

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34 ②己によって環境を変え、環境によって己を変えた ● 一つ上のレベルに飛び込む勇気 ● 頑張れば大体なんとかなる ○ 「目は臆病、手は鬼」 ○ この6年でなんとかならなかったことは 1回だけ ● 「環境を変える」 → 必ずしも転職だけではない ○ 新しい業務に挑戦してみる ○ コミュニティに参加してみる

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35 ③足りない能力は時間を投下して補った ● アウトプット = 能力 × 時間 ● 高い目標の達成には相応の対価が必要

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36 ④熱意を持ち決してあきらめなかった ● キャリアにおける一番の変数 ● 全ての行動・意思決定に影響を及ぼす ● 少しずつでも続けさえすれば十分変わっていく ○ 「始めるのも辞めるのも簡単、続けるのが一番難しい」 ● 金なし学なし経験なしでもここまではたどり着けた ● 熱意が持てないなら、自分の中の内発的なモチベーショ ンの源を見つけてみる

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37 はなすこと ● 自分のキャリアをふりかえる ● 生きのこるのに重要だったこと ● どうすればより生きのこれたか ● この先どう生きのこっていくのか ● まとめ

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38 どうすればより生きのこれたか ● プログラミングスクールに通う ○ 自分は開発ができるまでに 2年半かかった ○ 補助金が出なかったとしてもペイして余りある ○ 京都時代のトラウマかも、、、 ● 横のつながりを作って色んな人に相談する ○ 自分なりにネットで調べても限界があった ○ 当時の自分はコミュニティの存在すら知らなかった

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39 はなすこと ● 自分のキャリアをふりかえる ● 生きのこるのに重要だったこと ● どうすればより生きのこれたか ● この先どう生きのこっていくのか ● まとめ

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40 この先どう生きのこっていくのか ● 自分の根底にある「好き」という気持ちをこれからも大事 にしたい ● 今まで通りのことをこれからもやっていく ○ 「少しずつでも確実に」 ○ 気づけばそれが大きな力になっている

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41 はなすこと ● 自分のキャリアをふりかえる ● 生きのこるのに重要だったこと ● どうすればより生きのこれたか ● この先どう生きのこっていくのか ● まとめ

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42 まとめ ● 金なし学なし経験なしでも生きのこっていける! ● 熱意こそがキャリアにおける一番の変数 ● チャンスを逃さないために日々努力をし続ける ● 雑草魂で生きのこれ!!!