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月面原子炉計画──宇宙エネルギー競争

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April 30, 2026
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 月面原子炉計画──宇宙エネルギー競争

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Atsushi Ishii

April 30, 2026

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  1. 石井 敦 | Atsushi Ishii クーガー CEO couger.co.jp 日本IBMを経て、楽天やライコスの大規模検索エンジン開発を担当。その後、 日米韓を横断したオンラインゲーム開発の統括、Amazon

    Robotics Challenge上位チームへの技術支援、ホンダへのAI学習シミュレーター提供、 NEDOクラウドロボティクス開発統括などを務める。現在、人型AIプラット フォーム「LUDENS」の開発を進めている。スタンフォード大学2018年AI 特別講義の講師。電気通信大学 元客員研究員。 2 自己紹介
  2. 現在地と前提条件 宇宙開発は到達から拠点構築へと転換している • 冷戦期は「先に月に到達すること」自体が目的だった • Apollo計画がその象徴であり、単発ミッションの成功が価値の中心だった • 国家の技術力や優位性を示す競争として位置づけられていた • 現在は月面に長期滞在することを前提としたフェーズに移行している

    • 一時的な到達ではなく、継続的に活動できる拠点の構築が求められている 月で生きるための基本条件 • 水:飲料だけでなく、冷却や燃料生成にも必要となる • 空気:酸素供給および居住環境の維持に不可欠 • エネルギー:すべてのシステムを動かす基盤
  3. エネルギーの意味 電力は活動可能領域を決める • 電力が供給できる範囲でのみ、人類の活動・移動・通信・資源利用が成立する • エネルギーの届く範囲が、そのまま行動可能な領域になる すべての機能が電力に依存する • 水や空気の生成・循環、温度制御、通信、移動などすべてが電力に依存する •

    生命維持、温度制御、通信、移動、資源利用のすべてが電力を前提とする • 電力がなければ、他のすべてのシステムも同時に停止する 最上位インフラである理由 • 輸送や通信は機能の一部に過ぎないが、電力はそれらすべてを支える基盤となる • 一度電力インフラが構築されると、その上にすべての活動が依存する
  4. エネルギーの環境制約と成立条件 月面は極端な環境条件を持つ • 約14日間の昼と約14日間の夜という長いサイクルが存在する • 夜の間は太陽光が完全に遮断され、発電が停止する 長時間のエネルギー断絶が発生する • 14日間にわたり外部からの電力供給が得られない •

    継続的なエネルギー供給手段がなければ活動は維持できない 温度環境も極端である • 昼は約+120℃、夜は約-170℃まで変化する • 温度制御にも常時エネルギーが必要となる 成立条件=「発電できるか」ではなく「昼夜を通して供給できるか」が基準になる
  5. 結論=原子炉 条件を満たす手段は限られる • 昼夜を通して安定的に電力を供給できる必要がある • 長期間の連続運転が前提となる 原子炉のみが成立する • 太陽光は夜間に完全停止する •

    バッテリーや燃料電池は長期間の維持に制約がある • 原子炉は外部環境に依存せず発電を継続できる 供給の安定性と出力を両立できる • 昼夜に関係なく一定の電力を供給できる • 基地運用に必要な出力を維持できる 条件を満たす手段は実質的に「原子炉」のみ
  6. プレイヤー全体動向 月面開発は複数の陣営によって進められている • 現在の月面開発は単独の国家ではなく、複数の国による競争構造になっている 大きく2つの陣営に分かれる • 米国を中心とした陣営 • 中国・ロシアを中心とした陣営 それぞれが独自のインフラ構築を進めている

    • 月面基地の建設 • 輸送手段の確立 • エネルギー供給システムの整備 競争の対象が変化している ・「どちらが先に到達するか」ではなく ・「どの陣営が電力インフラを先に構築するか」が焦点となる
  7. 米国 米国は月面インフラ構築を主導している • NASAを中心に月面開発が進められている • 国家主導で長期的な拠点構築を前提とした計画が設計されている Artemis計画を軸とする構想 • Artemis計画により月面への再到達と常駐化を目指している •

    単発ミッションではなく、継続的な輸送と滞在を前提とした構造になっている 原子炉の導入計画 • 月面での安定電力供給のため、小型原子炉の設置が計画されている • 2030年前後の実用化を目標としている 特徴 • 小型・分散型で確実に動く設計 • 段階的に拡張していくアプローチ
  8. 中国・ロシア 中国とロシアは共同で月面開発を進めている • International Lunar Research Station構想により協力体制を構築している • 単独ではなく、連携による月面拠点の構築を目指している 長期拠点を前提とした計画

    • 2035年前後の月面基地構築を目標としている • 継続的な滞在と運用を前提にしたインフラ設計 原子炉の導入を前提とする構想 • 月面での安定した電力供給のため、原子炉の利用を想定している • 拠点全体を支えるインフラとして組み込まれている 特徴 • 初期段階から拡張を前提とした設計 • 基地全体を一体的に構築するアプローチ
  9. 周辺プレイヤー 主要陣営以外にも複数のプレイヤーが関与している • 月面開発は二極構造を中心としながらも、多くの国や企業が関与している 米国側の中核プレイヤー • 日本のJAXAやEuropean Space Agencyは米国主導の枠組みに参加している •

    技術提供やミッション分担を通じてインフラ構築の一部を担う 独自路線のプレイヤー • Indian Space Research Organisationは低コストでの探査能力を背景に独自のポジションを維持 • 特定の陣営に依存しない動きも見られる 民間企業の役割 • SpaceXなどが輸送や技術実装を担う • 国家の構想を実際のシステムとして実現する役割を持つ
  10. 月面原子炉の原理 原子炉の基本原理はシンプル • 核分裂によって大量の熱エネルギーを生み出す • ウランなどの燃料が分裂し、継続的に熱が発生する エネルギー変換の流れ • 核分裂 →

    熱エネルギーを生成 • 熱エネルギー → 発電ユニットによって電気エネルギーへ変換 • このプロセスが連続的に維持されることで安定した電力供給が実現される 外部環境に依存しない特性 • 太陽光と異なり、外部環境に依存せず内部でエネルギーを生成できる • 昼夜や天候の影響を受けず、一定の出力を維持できる 原子炉は「熱を作り続ける装置」
  11. 月面原子炉の全体像(大きさ・形) 月面原子炉は分散した構造を持つ • 原子炉本体(コア) • 発電ユニット • ラジエーター(放熱装置)で構成される サイズと形の特徴 •

    全体は数m〜十数m規模の構造体 • 特に放熱用のラジエーターが大きく広がる形になる • コンパクトな発電機ではなく、外側に展開する構造になる 形を決める要因 • 発電性能ではなく、熱をどれだけ逃がせるかが形状を決める • ラジエーターの面積がそのまま性能制約になる
  12. 月面原子炉の発電量や用途 想定される発電出力 • 約40kW(連続出力)(NASAの設計想定) • 稼働中は常に同じ出力で電力を供給し続ける 地球でのスケール感 • 一般家庭:約3〜5kW →

    約10世帯(約30〜40人分)の電力 • コンビニ:約30〜50kW → ほぼ1店舗分の電力 月面での実際の使われ方 • 空気の生成(酸素供給) • 水の循環・処理 • 温度制御(極端な環境への対応) • 通信・機器・移動 人の生活だけでなく“環境そのもの”を維持するために使われる
  13. 発電の仕組み エネルギーはすべて“熱”から始まる • 原子炉内で核分裂が起き、継続的に熱エネルギーが生成される 熱を運ぶ • 冷却材(液体金属など)が熱を受け取り、発電ユニットへ運ぶ • 熱は配管内を循環し続ける 温度差で発電する

    • 高温(原子炉)と低温(ラジエーター)の差を利用する • 密閉されたガスが膨張・収縮を繰り返し、ピストンを動かす • この運動によって発電機が回転し電力が生まれる 熱を捨てる • 余分な熱はラジエーターから宇宙空間へ放出される • 冷却された冷却材が再び原子炉へ戻る 発電の本質は「温度差」と「熱の循環」
  14. 地球の原子炉との違い 原理は同じ、設計は大きく異なる • 核分裂 → 熱 → 発電という基本原理は地球と同じ • 違いは環境条件によって生じる

    最大の違いは冷却方法 • 地球:空気や水による対流で効率的に冷却できる • 月面:空気がなく、放射(赤外線)でしか熱を逃がせない → 放熱の難易度が桁違いに高い 設計への影響 • 地球:コンパクトに設計できる • 月面:巨大なラジエーターが必要になる • 形状やサイズは放熱によって決まる その他の違い • 重力:地球に比べて1/6 → 流体の挙動が異なる • メンテナンス:地球は可能、月面は極めて困難 • 運用:無人・遠隔・長期前提
  15. 米国 vs 中国・ロシアの違い 同じ原子炉でも設計思想は大きく異なる • 核分裂 → 熱 → 発電という原理は共通

    • 違いは「何を前提にするか」 米国:小型・分散・確実性重視 • まず確実に動く最小単位を構築する • 小型原子炉を分散配置する前提 • 段階的に拡張し、リスクを抑える → 「まず動かす → 後から広げる」 中国・ロシア:大型・集中・インフラ前提 • 初期から大規模インフラとして設計する • 基地全体を支える中核電源として配置 • 拡張を前提とした構造 → 「最初から完成形を作る」
  16. 月面原子炉の技術課題:放熱 月面では熱の扱いが最大の課題となる • 原子炉は継続的に熱を生み出し続ける装置である • そのため、余分な熱を確実に外部へ逃がし続ける必要がある 地球との決定的な違い • 地球では空気による対流で効率的に冷却できる •

    月面には空気が存在せず、対流による冷却ができない 唯一の冷却手段は放射である • 熱は赤外線として宇宙空間へ放出するしかない • 放射は効率が低く、大きな表面積が必要になる 設計への影響 • 巨大なラジエーター(放熱装置)が必要になる • 装置全体のサイズや形状は放熱によって決まる 発電ではなく“熱をどう逃がすか”が設計を支配する
  17. 月面原子炉の運用課題 長期運用が前提となる • 月面では数年単位での連続稼働が求められる • 停止や再起動が簡単にできる環境ではない メンテナンスの制約 • 人が常駐しない、または人数が限られる環境 •

    故障時に即座に修理できない可能性が高い • 部品交換や補修のためのリソースも制限される 遠隔運用の必要性 • 地球からの遠隔制御や自律運用が前提となる • 通信遅延や障害を考慮した設計が必要 冗長性と信頼性の確保 • 単一障害で停止しない設計が求められる • バックアップやフェイルセーフ機構が重要になる
  18. 月面原子炉の制度課題 原子力には国際的な規制が存在する • 核分裂を利用する以上、安全性や拡散防止に関するルールが不可欠 • 地球上では厳格な法規制のもとで運用されている 宇宙におけるルールは未整備な部分が多い • 月面での原子炉運用に関する具体的な国際ルールは発展途上 •

    各国の方針や基準が一致していない 安全基準の調整が必要となる • 打ち上げ時の安全性 • 月面での運用時のリスク管理 • 事故発生時の対応責任 政治的な影響も大きい • 原子力利用に対する各国のスタンスの違い • 技術だけでなく、外交・安全保障の問題とも直結する
  19. まとめ 月面開発の前提 • 極端な環境により、エネルギーの継続供給が不可欠となる • 昼夜サイクルを越えて電力を維持できるかが成立条件となる 技術的帰結 • 複数の選択肢の中で、条件を満たすのは原子炉のみである •

    原子炉は選択ではなく必然として導入される 競争の構造 • 米国と中国・ロシアがそれぞれ独自のインフラ構築を進めている • 宇宙開発はエネルギーインフラを巡る競争へと変化している 現実の課題 • 放熱、運用、輸送、制度など多くの制約が存在する • 「動かす」だけでなく「止まらずに維持する」ことが求められる