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薄明~さおりんさん~

 薄明~さおりんさん~

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大久保 崇

August 17, 2025
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  1. 薄 明 © 2025 TakashiO.LLC,Onomari All Rights Reserved 薄明──。 日の出前や日没後の、空がうっすらと明るい時間。

    思わず写真に収めたくなるような淡い色が混じり合った美しい景色。 あなた自身、輪郭だけは掴めているのに、まだ言葉にならない想い。 それこそが、あなただけが内に秘めた、かけがえのない情景です。 わたしたちとの対話を通じて、その美しい情景を、 確かな言葉で「カタチ」にします。
  2. 私は自分の経歴を、淡々と話すのが得意なのだと思う。 たとえば、こんなふうに。 “フリーランス人事広報のさおりんです。大学卒業後はWeb広告代理店に入 社し、中途採用チームに配属されました。そこから、Web広告代理店・ POSレジ開発企業・マーケティングオートメーションツール開発企業の3社 で企業の中途採用人事を経験しています。 2024年に独立し、現在はフリー ランスとして活動中です” これが、私が作り上げてきた“自分説明パッケージ”。初対面の自己紹介で は、いつもこれを使う。丁寧に時系列を追い、聞き手が混乱しないように気

    をつける。感情よりも、事実。物語よりも、記録。エゴは出さず、客観的な 事実を過不足なく並べる。それが私の処世術。 あるとき、自己紹介のスライドをつくっていたら、「お行儀のいいスライド だね」と言われた。この“お行儀のいい”自己紹介を終えると、相手は決まっ て満足そうに頷き、「よく分かったよ、ありがとう」と言ってくれる。そし て会話は、当たり前のように、予定調和に進んでいく。 誰も、それ以上のことは気にしない。これが私なのだと、イメージが出来上 がる。 周りには「しっかりしている」「自立している」と映っているみたい。その せいか、周囲からよく言われる言葉がある。 もう少し、この“隙間”がどこから生まれるのか、その源泉について知っても らったほうがいいかもしれない。私の、ちょっと変わった世界の見え方の 話。 たとえば、こんな場面。イベントの途中で、「コミュニケーションの“ノ リ”が分からなくて、内心困ることがある」というテーマで、会場アンケー トが取られた。結果は、7割以上の人が「はい(困ることがある)」と回 答。それを見て、司会者が私に感想を求めた。 「この結果を見て、どう思いますか?」 おそらく、ここで期待されていた答えは「こんなに仲間がいて嬉しいです」 「私だけじゃなかったんですね」といった、共感や安堵の言葉だっただろ う。けれど、私の口からこぼれたのは、全く違う角度からの言葉だった。 「あなたは、ほっといても大丈夫だね」と。 一見、それは最大の褒め言葉。信頼されている証。 でも、それに寂しさを感じてしまう自分もいる。その言葉をもらうたびに、 私の周りから人がいなくなっていくような、そんな感覚。 だから本当は、もっと周りに伝えたいのかもしれない。心のどこかで、こ の“隙間”にずっと寂しさを覚えていた私は、きっとこの隙間を埋めたいのだ と、そう思う。 言葉の鎧と、心の隙間 私が見ている、少しだけ違う景色
  3. 「みんな、上手いな」。 私が感心したのは、共感者が多かったという事実そのものではない。「内心 では困っている」という本音を抱えながらも、それを表に出さずに日々のコ ミュニケーションを円滑にこなしているであろう、みんなの社会的な器用 さ。その事実に、私は素直に「上手だな」と感じてしまったのだ。 このように、私の捉え方は、時に人と違う角度から来るらしい。全体の流れ とは少し違う視点で物事を見てしまう。私はこれを「少数派の回答」と呼ん でいる。 この性質は、かつて社会の中で“普通”のレールから少しだけ外れて歩んでき た経験から来ているのかもしれない。

    新卒で正社員として働き始める。そんな当たり前のスタートラインに、自身 の体調という努力ではどうにもならない理由で立てなかったこと。自分の落 ち度ではないのに、キャリアの道を絶たれたあの日の不条理さ。 そうした人には見えない困難を抱えてきたからこそ、物事の光が当たらない 側面や、声なき声に、自然と耳を傾けてしまうのだろう。 周りから見える私と、本当の私の間には“隙間”がある。それはまるで、うっ すらとした明かりのような空間。その中で、もう一人の私が静かに息をして いる。 この、自分の中の「本当の姿」。長い間、無自覚だったわけではない。むし ろ自覚していたからこそ、私は「私自身」を、意図的に抑え続けてきた。 会社員の時代、私は仕事を自分の鏡として生きていた。評価される自分、上 司に認められる自分。私にとってキャリアとは「手の抜けないもの」「真剣 に考えなければならないもの」だった。 仕事のパフォーマンスを安定させなければ、というある種の脅迫観念から、 感情が動かないように、刺激を受けないように──。それが組織の人間とし て求められる姿であり、その環境で生き抜くために必要なことだと信じてい たから。 でも、フリーランスになった今、その考えは大きく変わった。「結果」だけ ではなく「過程」を重視するようになり、自分自身の感情の動きにも、よう やく向き合えるようになってきたと思う。「隙間を埋めたい」と感じる自分 に気づけたこと、それこそが今の私。 そして、「私自身」と向き合う中で、「自分が一番、心が動く瞬間って何だ ろう」とあらためて考えてみた。 私が最も心を揺さぶられるのは、誰かが「実は私も…」と、心の内に秘めて いた想いを打ち明けてくれる瞬間。それは、私がずっと大事にしてきた「人 の心に寄り添いたい」という願いが、思いがけず叶う瞬間でもある。思いが けない共鳴、孤独ではないという証明のように、その言葉は深く響く。 私が一番、心が動く瞬間
  4. なんで私は「実は私も…」という瞬間に、これほどまでに惹かれるのか。 それは、私自身が「2割の側」にいながらも、大多数の感覚も理解できる 「大衆の中にいる個性派」だからなのだと思う。 マジョリティとマイノリティ、双方の視点を持ち合わせているからこそ、両 方の世界を行き来し、橋渡しができる。困っている人の声に敏感なのも、新 入社員の不安や少数派の居心地の悪さが見えるのも、そんな視点があるか ら。 だからこそ、気づけたのだと思う。私がこの内なる葛藤やユニークな思考回 路をありのままにオープンにすること、それこそが、同じように感じている 誰かに「私だけじゃなかったんだ」という光を届け、結果的に私自身の心の

    隙間をも埋めていく唯一の道なのではないか、って。 もう、自分の見せ方を変える必要はない。伝え方を工夫すればいい。私の内 側から湧き上がる思考のプロセス──そのものにきっと価値があるのだか ら。 私は大勢の中にいながら、少し違った角度から物事を見ている。多くの人が 抽象から具体へと考える中で、私は具体的な事実から全体像を組み立ててい く。目指す場所は同じでも、たどり着く道筋が違うだけ。それは欠点でも間 違いでもなく、ただの、私という存在のかたち。 長い間、内側に秘めていた共感する力が、今、少しずつ表に出ようとしてい る。 隙間を埋める存在、大衆の中にいる個性派 これが、私がようやく見つけ始めた、私という球体の一つの側面。 大勢の中で静かに呼吸しながら、自分だけの視点で世界を見つめ、誰かの心 の隙間に、そっと光を灯していく。そんな自分であれたら──。 さおりん