出せませんでした。」 あのとき、本音を引き出せなかったのは、医師としての力不足ではなく、 “余白”を失っていた自分自身のせいだったのだと、強く悔いました。 それ以来、私はずっと考え続けています。 忙しさや業務に追われる中でも、人と人として向き合う医療を取り戻す にはどうしたらいいのか。 この悔しさが、私たちの挑戦の原点です。 “心の余白”を失っていた 自分に気づいたとき 数年前、私はがん治療後の患者さんの主治医でした。 ある日の診察で、「調子はいかがですか?」と尋ねると、「大丈夫です」と答えました。 けれどその表情と口調に、わずかな迷いがあったのを、私は感じていました。 何かを言いたそうな空気。 けれど私は、その違和感に深入りせず、次の診療や書類の処理を優先し、 そのまま診察を終えてしまったのです。 数ヶ月後、彼のがんは再発していたことがわかりました。 そして、「本当は違和感があった。でも先生が忙しそうで、言えなかった」と 話してくれました。 本音を引き出せなかったのは、医師としての知識や技術ではなく、 “心の余白”を失っていた自分自身のせいだったのだと、強く悔いました。 それ以来、私はずっと考えています。 忙しさや業務に追われる中でも、人と人として向き合う医療をどうすれば取り戻せるのか。 この悔しさが、私たちの挑戦の原点です。 6