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モヤLT_菅直人と福島第一原発事故.pdf
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Transcript
1 菅直人と福島第一原発事故 震災発生から菅退陣まで 2011(平成23)年3月~同年8月 2012.10.3最終更新
2 菅内閣の震災対応について 批判はつきない・・・・・・ 震災対応が一段落したものの・・・
3 菅の批判本
4 原発事故への官邸の対応は 確かに拙劣であった・・・ ⇒ 改めて見直してみると、そこから 危機管理に関する様々な教訓が 得られる 今回のテーマ
5 序章 菅直人のルーツ 序章 菅直人のルーツ 第1章 津波被害 第2章 原発被害 第3章 電力需給対策 第4章 震災をめぐる政局 終章 菅内閣に足りなかったもの
6 思想形成 ~権力に与せず~ 1946年 山口県生まれ 1965年 東工大に入学(学生運動全盛期) サークル「現代問題研究会」を立ち上げ ※ 菅の回想 「ゲバ棒は持たないが大学の 改革はやるべきだという方針」 → 菅は学生時代から
「権力批判」の流れの中にあった
7 思想形成 ~社会主義・共産主義に与せず~ ◦(ハックスリー「すばらしい新世界」について) 「僕はこの本を何度も読むんです。 この本にはマルクス主義批判も入っている。 ユートピアを人工的に作ろうとすると、非人間的な社会に なるということをなかなかおもしろく書いていて……」 ◦政治の役割とは「理想を語りユートピアを語る」 のでなく「不幸を最小化する仕事」
8 菅の政治思想 ・権力に与しないが、社会主義・共産主義にも与しない ・人工的ユートピアは作れない。 現実社会の枠組みの中で不幸を最小化する → 「資本主義を前提としつつ、資本主義の歪を修正していく」 つまり、社会民主主義の思想が早くから芽生えていた……
9 政治活動へ 大学卒業後、特許事務所に勤務する傍ら、 「よりよい住まいを求める市民の会」に参加 → 土地問題に関わる市民運動を開始 無所属で3回出馬するも落選
10 江田三郎との出会い 社会党の大物議員・江田三郎、 路線対立により社会党を離党 →「社会市民連合」を結成。 菅は江田とともにメンバー入り →「社会民主連合」と改称 江田三郎
11 菅の回想 「江田三郎さんが飛び出したときに、 社会党を解体するチャンスだと思ったんです。 社会党を解体して新しい野党第1党を作って、 それで自民党と戦って勝つというのが、 私の最初からの戦略でした」 → 自民党よりは社会党に共感しつつ、 社会党には不満を持つ「左の中の右寄り」
12 初当選 1980年 社民連から出馬し初当選(4度目) 長い野党生活が続く・・・・・・
13 初めての与党入り 1993年の政界再編 自民党から小沢らが離反し、8党連立政権が発足 → 社民連、初めての与党入り → 菅、社民連から新党さきがけに移籍 小沢一郎
14 初めての入閣 橋本内閣 橋本内閣で厚生大臣に抜擢 → 野党時代から薬害エイズ問題を ずっと追及してきた菅を、厚生省は警戒 橋本龍太郎
15 厚相としての活躍 薬害エイズ問題 官僚の抵抗を押し切り、調査プロジェクトチームを作る → 調査結果を記者会見で公表し、国の責任を認める O-157問題 カイワレ大根を食べるパフォーマンス
16 官僚への不信感 「こんなややこしいんだったら官僚に任せておかなきゃ 仕方がないなと思わせるための洗脳のセレモニー のように思えてきます」 「役所は重要なことはしばしば 金曜に持ってきて、我々が すぐには動けないように するのです」 官僚からのレクについて
17 民主党結成 「自民党VS新進党」という2大政党の構図の中、 鳩山由紀夫とともに民主党を結成し、再び野党生活へ → その後野党第1党の新進党が内部分裂したため、 自民党と対抗できる一大勢力に成長 鳩山由紀夫
18 民主党、与党へ 衆議院総選挙で民主党が政権奪取 鳩山内閣で副総理に 菅内閣成立 ※ 市民運動から首相になった唯一の例 2009年8月 2010年6月
19 菅の政治的原点 権力への不信感 菅にとって政府は、 「攻める対象」であって「守る対象」ではなかった・・・
20 権力を信用しない総理 権力への不信感に満ちた人物が権力の頂点に立った…… →「俺は指示しているのに周りが動かない」 →イライラして官僚を怒鳴りつけ、「イラ菅」のニックネーム →官僚は委縮し「悪い知らせ」を報告しない。 →「俺は聞いていない」とますます怒る
21 マイクロマネジメント 官僚は信用できない 官僚には任せておけない → 細かいことも全て報告させ、 指示を出すことこそが「政治主導」なのだ 菅の認識
トップが必要以上に細かいことに口出し する「マイクロマネジメント」が起こる
22 原発事故への対応 その背景には、 ◦ 民主党の党是である「政治主導」 ◦ 菅の政治的原点である権力への不信感 があったと言える 原発事故への首相官邸の対応ぶりは まさしく「マイクロマネジメント」であった・・・
23 第1章 津波被害 序章 菅直人のルーツ 第1章 津波被害 第2章 原発被害 第3章 電力需給対策 第4章 震災をめぐる政局 終章 菅内閣に足りなかったもの
24 過去に三陸地方を襲った津波 津波で死者・行方不明者2万2千人 津波で死者・行方不明者3千人 1896年 明治三陸地震 1933年 昭和三陸地震
25 津波てんでんこ 「津波が来たら、他人に構わずそれぞれてんでに逃げろ」 → 今回、その教訓は活かされなかった・・・ ※ 家族の救助などで家に戻ろうとした人が 津波に呑みこまれたケースが多い
26 地震発生 3月11日午後2時46分 三陸沖で震度7、マグニチュード9.0の地震発生
27 大津波襲来 高さ10メートル超の大津波襲来 ・死者15854人(90%以上は溺死) ・行方不明者3155人 ・負傷者26992人 ・避難者約47万人
28 自衛隊の活動 地震発生 東北方面総監部、災害派遣活動を指示 防衛大臣による派遣命令 14時46分 18時頃 防衛大臣 北澤俊美
29 菅首相の指示 自衛隊5万人派遣を指示 (阪神大震災時と同規模) 自衛隊10万人派遣を指示 ※ 自衛隊は総員23万人 3月13日 3月14日
30 自衛隊 災統合任務部隊 ・3月14日に編成され、7月1日に解組 ・10万人から成る (陸7万人弱、海2万人弱、空2万人弱) 指揮官:君塚栄治陸将 君塚栄治
31 自衛隊の活動 3月末までに約2万人を救助
32 米軍の活動 米軍1万8千人を動員 トモダチ作戦
33 警察 広域緊急援助隊 全国都道府県警察から約2万5千人を派遣 → 約3750人を救助 → 遺体約1万5千体を収容、検視、身元確認
34 消防 緊急消防援助隊 全国都道府県から約2万8千人を派遣 → 約3300人を救助
35 菅のリーダーシップは? 原発事故と政局の混乱に時間をとられていた・・・ → 津波被害の回復や被災者対応に、 リーダーシップを取った形跡みられず
36 第2章 原発被害 序章 菅直人のルーツ 第1章 津波被害 第2章 原発被害 第3章 電力需給対策 第4章 震災をめぐる政局 終章 菅内閣に足りなかったもの
37 2-1 原発大国への道
38 原子力発電の仕組み 核燃料の核分裂反応で 熱を発生 → 蒸気でタービンを 回して発電
39 核燃料の取扱い ・燃料棒は水に浸して冷却 ・燃料棒を原子炉の中に収納 ・原子炉を鋼鉄製の格納容器の 中に収納 ・格納容器を建屋の中に収納
40 冷却の必要性 ・核分裂中は大量の熱が発生 ・核分裂終了後も数年間は崩壊熱が発生 → 冷却し続ける必要あり ・使用済み核燃料は、燃料用プールで保管 → 冷却し続ける必要あり
41 緊急時の対応 ◦「止める、冷やす、閉じ込める」 核分裂を安全に停止し、冷却し、 放射性物質を原子炉内に閉じ込める
42 導入の経緯 国会で「原子炉製造費」2億3500万円の予算決定 プルトニウムの繰り返し利用(プルサーマル)によって 少量の資源で大容量の発電ができる → 「原子力発電は夢のエネルギー」 1954年3月
43 地球上の原子炉の数 アメリカ104基 フランス59基 日本54基 ロシア27基 韓国20基 イギリス19基 カナダ18基 ・・・・・・・・・
全432基
44 日本の原発 北海道電力(3基) 北海道 泊原発(3基) 東北電力(4基) 青森県 東通原発1基(青森県) 宮城県 女川原発3基(宮城県)
東京電力(17基) 福島県 福島第一原発6基 福島第二原発4基 新潟県 柏崎刈羽原発7基 日本原子力発電(3基) 茨城県 東海第二原発1基 福井県 敦賀原発2基(福井県) 中部電力(3基) 静岡県 浜岡原発3基 北陸電力(2基) 石川県 志賀原発2基 関西電力(11基) 福井県 美浜原発3基 大飯原発4基 高浜原発4基 中国電力(2基) 島根県 島根原発2基 四国電力(3基) 愛媛県 伊方原発3基 九州電力(6基) 佐賀県 玄海原発4基 鹿児島県 川内原発2基
45 これまでの原子力事故 1974年 原子力船「むつ」放射性物質漏れ事故 1979年 アメリカ・スリーマイル島原発事故(レベル5) 1986年 ソ連・チェルノブイリ原発事故 約30名死亡(レベル7) 1995年 もんじゅナトリウム漏れ事故(レベル1) 1999年 東海村臨界事故 2名死亡(レベル4)
46 民主党の原発への態度 鳩山政権、CO2排出量25%削減を声明 エネルギー基本計画第二次改定 ・温暖化対策のため2030年までに 原発依存度を26%から52%に ・現在54基ある原発を68基以上に」 2010年6月 菅内閣発足直後 2009年9月 鳩山内閣発足直後
47 組織体制 → 原発推進側の「資源エネルギー庁」も経済産業省の外局。 推進と規制が同一省庁にあることに批判も多い。 推進 規制 経済産業省原子力安全保安院 経済産業省資源エネルギー庁 内閣府原子力委員会
内閣府原子力安全委員会
48 東電の津波対策 2008年 土木学会「9メートルの津波来襲の可能性あり」 → 福島第一原発が対応できるのは5.7メートルまで → 東電、土木学会に影響評価を依頼
49 東電の対応の遅れ 2011年3月7日、東電の原発担当者ら保安院を訪問 「2008年のシミュレーション研究によると、 従来の想定を超える大津波が襲来する可能性あり。 2012年10月に対策を措置予定」
50 2-2 事故の経過
51 3月11日
52 地震発生 福島第一原発: 1~3号機が稼働中。 4~6号機は定期検査のため停止中。 福島第二原発: 1~4号機が稼働中。 → 地震により7基とも原子炉緊急停止(スクラム)
53 福島第一原発への津波襲来 午後3時27分 4メートルの津波 午後3時35分 15メートルの津波 → 外部電源全て、非常用ディーゼル発電機12台、 非常用電源盤が水没。6号機の非常用電源のみ稼働。 → 5号機と6号機は接続されているため、 非常用電源で冷却可。
→ 1~4号機は全電源喪失状態。
54 その他の原発への津波襲来 福島第二: 9メートルの津波来襲 → 非常用ディーゼル発電機9台が水没したものの、 外部電源が無事。 東海第二: 5.4メートルの津波来襲 → 外部電源喪失したものの、非常用電源が無事。
55 菅内閣の面々 首相 菅直人 官房長官 枝野幸男 経産相 海江田万里 首相補佐官 細野豪志
56 東電の首脳陣 勝俣恒久会長 東大経済学部卒。経団連副会長。東電では企画畑を歩む。 震災当時は北京訪問中。 清水正孝社長 慶応大経済学部卒。東電では資材部門を歩む。 震災当時は奈良観光中。 皷紀男副社長 早稲田大法学部卒。筆頭副社長。震災当時は北京訪問中
。 藤本孝副社長 慶応大工学部卒。電力流通本部長(送配電部門トップ)。 トップ3不在の東電本店で総指揮を執る。 武藤栄副社長 東大工学部卒。原子力・立地本部長(原子力部門トッ プ)。震災直後に福島第一原発に行き指揮を執る。 小森明生常務 原子力・立地副本部長(原子力部門ナンバー2)。 震災後は東電本店で指揮を執る。 武黒一郎フェロー 東大工学部卒。前原子力・立地本部長。 震災直後、連絡要員として官邸入り。 吉田昌郎福島第一原発所長 東京工大卒・原子核工学専攻。 発電所勤務の長い「現場派」。
57 福島第一原発所長・吉田昌郎 東京工大卒・原子核工学専攻。 発電所勤務の長い「現場派」。
58 全電源喪失 電源がない中で原子炉を冷却する手段は…… ・非常用復水器(IC) ・原子炉隔離時冷却系(RCIC) ・高圧注水系(HPCI) 1号機: 全ての冷却手段が喪失 2号機: 全ての冷却手段が喪失 (RCICが稼働していたことが後に判明) 3号機: RCICの稼働が確認
59 史上初の10条・15条通報 ・1号機、2号機の水位も確認できない 午後3時42分 10条通報「1~3号機が全電源喪失」 午後4時36分 15条通報「1~2号機が冷却手段なし」 ※ 原子力災害対策特別措置法 10条通報「原子力緊急事態が起きかねない状態」 15条通報「原子力緊急事態が起きている状態」
60 15条通報を国民に周知 午後4時57分 保安院・中村幸一郎審議官の記者会見中 飛び込んできた職員が 「東電から15条事態との連絡が入りました」 → 記者「15条って何だ」 職員「詳細は後ほど」
61 東電の対応 津波直後 吉田所長、所員に使えそうなホース、ポンプ、 発電機を集めるよう指示 午後5時7分 小森副本部長、電源車派遣に向けて 警察の先導を要請 午後5時半 吉田所長、注水のための消防車派遣を要請
62 海江田経産相の決断 午後4時半過ぎ、 海江田、対策本部会議を終えて経産省に戻る → 15条通報を知り、「原子力緊急事態宣言」を決断 → 午後5時42分、官邸に逆戻り 海江田経産相
63 その頃の官邸 午後4時55分 震災後発の菅首相会見 「原子力施設につきましては、一部の原子力発電所が 自動停止いたしましたが、これまでのところ外部への 放射性物質等の影響は確認されておりません」 ※ わずか2分19秒の会見 記者からの質問受け付けず
64 海江田、官邸に報告 首相への上申書 「原子力緊急事態を宣言し、避難区域を定めたい」 → 菅「どう宣言するのか。手続は?」 → 宣言のノウハウがなく、 関連法規の調査に時間を要する ※ 菅、枝野、海江田の間に、
保安院官僚への不信感が高まる・・・
65 原子力緊急事態宣言 午後7時3分 ようやく宣言 → 現場との連絡手段がなし 避難区域の検討、一向に進まず → 頼みの原子力安全委員会メンバーも 渋滞により官邸到着が遅れる
66 水位状況 通常時の水位は燃料棒の5メートル上 1号機の水位が落下して・・・ ・午後6時過ぎには燃料棒の先端露出 ・午後7時半頃には燃料棒が完全露出
67 避難呼びかけず 午後7時45分 枝野記者会見 「居住者や滞在者は現時点では直ちに特別な行動を 起こす必要はありません。 あわてて避難することなく、自宅や居場所で 待機してください」 枝野官房長官
68 福島県庁による避難指示 午後8時50分 佐藤福島県知事、 独自判断により福島第一原発から 2キロ圏に避難指示 福島県知事 佐藤雄平
69 検討開始 原子力安全委員会 斑目春樹委員長、官邸入り → 原子力安全委員会と原子力安全・保安院を 交えて検討開始 斑目春樹
70 斑目春樹 原子力安全委員会委員長・斑目春樹 東大工学部卒。東大工学科教授。専門は流体熱工学。 2007年2月 浜岡原発訴訟で中部電力側証人として出廷し、 「非常用発電機が起動できない場合どうする?」と問われ 「そのような事態は想定していない。 そんなことは割り切らなければ、設計なんかできない」 と答弁。
71 政府による避難指示 平岡英治保安院次長 「IAEAの予防的避難措置では3キロ圏」 → 午後9時23分 3キロ圏に避難指示。 3~10キロ圏に屋内退避指示 → 午後9時52分 枝野記者会見 「速やかに避難を始めていただきたい」 (15条通報から約5時間後)
72 官邸による電源復旧指示 ・自衛隊機による代替電源の空輸も検討 → サイズ的に不可能 ※ このとき、菅は自ら携帯電話で 「大きさは縦横何メートルか」「重さは」などと質問し、熱心にメモを 取っていた・・・ → 結局、69台の電源車が 陸路で福島に向かうことに
73 菅自身による行程管理 首相執務室にホワイトボードが運ばれ、 「何時にどこを何台出発」 「何時にどこを通過」などと一覧表を作成 電源車がどこに何台あるか教えろ
74 驚愕のFAX 午後9時15分 ・吉田所長から保安院に、驚愕のFAX 2号機の炉心損傷予想時刻: 午後10時20分頃 原子炉破損予想時刻: 午後11時50分頃
75 電源到着 午後9時過ぎ 1台目の電源車が福島第一に到着 → 接続プラグが合わない、電圧も合わない 吉田所長 「2号機建屋内の動力変圧器にケーブルでつなげ」
76 電源車作戦の失敗 瓦礫が散乱して近づけず、200メートルのケーブルが必要 →1トンを超えるケーブルを人力で敷設 →配電盤故障のため、ケーブル敷設しても電源回復せず
77 絶望的な報告 午後11時50分 「原子炉の内圧600キロパスカル」 ※ 設計上の最高使用圧力427キロパスカル
78 放射線は漏れていた 午後11時49分 「1号機タービン建屋内で放射線量が上昇中」 →地震と津波のどちらかが原因で配管が破損していた →既に1号機はメルトダウンしていた
79 3月12日
80 ベントへ・・・・・・ 午前0時 吉田所長、ベント準備指示
81 ベント(ガス抜き)とは ◦原子炉や原子炉格納容器の破裂を 防ぐため、大気中に蒸気を 吐きだし圧力を弱めること → 放射性物質が一部外に漏れる。 ※ベントせず原子炉が破裂した場合、 全放射性物質が漏出する。 → 午前1時半、菅と海江田、
ベント決断
82 ベントの対象は1号機か2号機か 水位計の故障により判断ミス 吉田、「2号機を先にベント」と指示 → 実際には1号機の水位が低かった → 午前2時55分、実際の水位に気付き 「1号機を先にベント」と指示変更
83 ベント発表 午前3時6分 海江田経産相と東電小森副本部長、 ベントを発表
84 SPEEDI 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム 6時間先までの風速・風向をもとに 放射能の影響を予測するもの
85 シミュレーション結果 午前3時53分 SPEEDIの予測結果は、内陸部に多大な影響 → 菅には伝わらず ※ 保安院、「仮定に基づく試算で 信頼性は低い」との意見を添付 結果的にSPEEDIの試算はその後の実測値と一致
86 なぜSPEEDI資料は菅に届かなかったのか ◦ 「イラ菅」が官僚をすぐ怒鳴る → 官僚が委縮していた ◦ 保安院「官邸に送ったのだから、 官邸スタッフが説明するだろう」 官邸「重要なことなら、保安院がやって来て説明するだろう」
87 保安院の出先機関、撤退 午前4時 福島第一原子力保安検査官事務所の保安官ら、 福島オフサイトセンターに退避 → 海江田経産相の指示で再び敷地内へ
88 ベント始まらず 午前3時過ぎに行うはずのベント、 午前5時になっても進まず → いらつく菅、現地視察を提案
89 現地視察をめぐって 絶対に後で政治的な 批判をされます 政治的に批判されるかどうかと、 この局面でちゃんと原発をコントロール できるのとどっちが大事なんだ!
90 避難指示の拡大 午前5時44分 ベントが始まらないため、 「原子炉爆発のおそれがあるのでは?」 → 避難指示の範囲を 3キロ圏から10キロ圏に拡大
91 菅の現地視察 午前6時14分 菅・斑目、ヘリコプターで福島へ ※ ヘリ機内で…… 菅「爆発する危険性はないのか」 斑目「水素は格納容器の中に逃げますが、 格納容器の中は窒素が充満しており
酸素はないので爆発することはありません」
92 海江田経産相の法的措置 午前6時50分 海江田、原子炉等規制法に基づくベント指示
93 吉田所長の怒り 午前7時前、東電本店との電話で・・・ 私が総理の対応をして、 どうなるんですか!?
94 菅の現地入り 午前7時11分 菅ら福島原発に到着
95 罵声 武藤副社長 ベントは本来遠隔で 行うものですが、 電源喪失のため、 弁を手動で開ける 必要があります。 しかし、線量が高くて 近づけません。
なんでベントをすぐ やらないんだ! そんな言い訳を聞くため に来たんじゃない!
96 「決死隊」 吉田所長 決死の覚悟で、 決死隊を作ってやります! 菅「吉田という所長はできる。あそこを軸にしてやるしかない」 下村内閣審議官「官邸にいる木偶の坊たちとは全然違う」 武藤副社長の返答にイライラしていた菅一行であったが・・・
97 現地視察終了 午前8時4分 菅ら退室 吉田の回想 「言い訳になるかもしれないけど、 菅総理が現場に来たことで、 そちらにばかり目がいってしまい、 2時間ほどベントなどの指示が出せなかった」
98 ベント 決死の指示 午前8時3分 吉田、1号機当直に指示 「被曝のおそれはあるが、 現場に行って手動で操作願いたい」
99 被曝線量の問題 作業員の許容限度は年間50ミリシーベルト (緊急時100ミリシーベルト) しかし建屋内は(午前4時時点で)毎時150ミリシーベルト → 40分間しかいられない
100 決死のベント作業(第1班) 2人1組、3班構成 午前9時4分 第1班出発 → 9時15分までに、MO弁の1つを25%開いた → 2人の被ばく線量は20~25ミリシーベルト
101 決死のベント作業(第2班) 第2班、AO弁の開放に出発するも線量が高すぎて断念 → 90ミリシーベルト以上の被曝 ※ うち1人は106ミリシーベルト被曝し、 頭痛を訴え病院に搬送 → 第3班の出発は中止に → 次なる作戦へ
102 清水社長の帰還 朝10時過ぎ 清水社長、東電本店に到着
103 清水社長の動向 その1 3月11日は奈良観光中。帰京手段なし。 ・飛行機では着陸手段がないが、ヘリコプターなら着陸できる ・名古屋空港からヘリコプターを出してもらえるかもしれない (名古屋空港に、東京電力・中部電力が 共同出資して設立した新日本ヘリコプター社がある)
104 清水社長の動向 その2 午後7時過ぎ、名古屋空港到着 新日本ヘリは夜間飛行の許可を持っていないと判明 → 航空自衛隊に依頼しよう 保安院を通して防衛省・桜井修一運用企画局長に依頼 → 承諾
105 清水社長の動向 その3 午後11時30分、清水を乗せ離陸 → 防衛省・井上一徳事態対処課長、 清水輸送の件を北澤俊美大臣に報告 → 北澤「まずは被災者の救助が最優先」 → 井上課長、小牧基地に連絡 「もう離陸しました」「じゃあ戻ってくれ」 →清水、名古屋空港に逆戻り
106 清水社長の動向 その4 清水社長、翌朝、新日本ヘリで東京入り → 朝10時過ぎに東電本店に到着
107 1号機ベント作業、続く 次なる作戦 遠隔によるAO弁の操作 午前10時17分~24分 残圧で弁を開けないか試行 → 断念
108 中村審議官発言の波紋 午後2時過ぎの会見で・・・ 炉心溶融がほぼ進んで いるのではないだろうか → 枝野、不快感を示す 「(新しい事実について)まず官邸に 知らせないとは何たることだ」
109 コンプレッサーの利用 コンプレッサー(空気圧縮機)を取り付けて弁を操作できないか 下請けからコンプレッサーを借り受け、クレーンで運搬 →午後2時半、コンプレッサーによる弁操作でようやくベント開始 →原子炉内圧は一時840キロパスカルを超えたが…… ・午後2時41分 610キロパスカル ・午後2時50分 580キロパスカル ・午後3時14分 530キロパスカル →原子炉の破裂は避けられた。
110 2号機への電源車作戦 2号機建屋内の動力変圧器を介した電源復旧を試行 → ホウ酸水注入の目途がつきかけていた
111 1号機爆発 午後3時36分 1号機建屋崩壊 → 作業員4人負傷
112 爆発の影響 ◦ 2号機の電源復旧のためのケーブルが損傷。 → 電源復旧作業が振り出しに。 ◦ 爆発直後、1号機建屋付近で毎時10シーベルト (36秒以上いると基準値を超過) → 吉田、現場退避と安否確認を指示 → 瓦礫をどかせなければ作業を再開できない 作業員の中には「帰らせてくれ」と叫ぶものもおり、 パニック状態に・・・
113 1号機爆発の詳細、判明せず 原子炉の爆発なのか、建屋だけの爆発なのか? 原子炉爆発だとしたら、チェルノブイリの再来 → 首都圏3千万人の避難が必要
114 その時の官邸 職員「日テレを見てください!」 下村内閣審議官 「斑目さん、今のは何ですか?」 菅「爆発は起きないって言ってたじゃないか」 → 斑目、「ああっ!」と頭を抱えたまま返事なし 菅・枝野らの斑目に対する不信感が募る・・・
115 後の斑目の弁明 爆発しないと言ったのは 原子炉のことであって、 建屋のことではない
116 無意味な記者会見 午後5時 枝野「何らかの爆発的事象が確認された」 後の回想 「あのときほど辛い記者会見はなかった」
117 避難指示 2度目の拡大 午後6時25分 避難指示 10キロ圏から20キロ圏に拡大
118 遅かった原因の発表 午後7時40分 放射線モニタリングデータから、 建屋の水素爆発と判明 午後8時過ぎ 保安院、「建屋の水素爆発」と発表
119 海水注入を開始 「1号機に注水が必要」 → 消防車のホースが損傷したので、消火栓の ホースを代用して消防車から海水注入しては? →午後7時4分、吉田の指示で1号機に海水注入開始
120 説明失敗 塩が入ってるんだぞ! その影響は考えたのか!? 再臨界の可能性はないのか? ゼロではありません 今から海水を注入したい 海江田経産相 菅首相 斑目委員長
じゃあ大変じゃないか! 海水注入が始まっていることを知らない官邸メンバー 東電・武黒フェロー 注入開始まで90分くらいかかります それまでに再臨界を防ぐ方法を検討しろ!
121 「ゼロではない」 この「ゼロではない」の意味を後に国会で問われ・・・ 限りなくゼロに近い という意味で申し上げた ※ 実際には、海水注入による危険はほとんどない
122 東電・武黒フェローの「おもんばかり」 菅が海水注入に反対の意向を示したため・・・ → 東電・武黒フェロー、本店に電話し 「官邸で検討中だから中止せよ」 武黒一郎
123 吉田所長の命令違背 午後7時25分 清水社長、吉田に注水中止を指示 → 吉田、指示を握りつぶし独断で注水を継続 無視して 海水注入を続けろ この独断は、結果的には正解だった・・・
124 後に政治問題化 「菅は『俺は聞いていない』と激怒して 注水中止を指示した」との噂広がる・・・ ※ 事実と異なる
125 斑目の真意 「総理は海水注入に反対している」 → 関係者、慌ただしく集まり検討開始 経産省 柳瀬総務課長 「斑目さん。あなたは海水注入に反対なのか?」 → 「直ちに海水注入が必要」との認識で一致 海水注入は必要と思っている。 ああ言われたんで、技術者としては ああ答えるしかなかった。
126 「菅対策」のための打合せ 経済産業省 柳瀬課長 「今度(総理への説明に)失敗したら大変なことになる」 → 首相説明の入念なリハーサルが行われる
127 再度の首相説明 「塩分の影響による再臨界の可能性は極めて低い一方、 海水注入の必要性は極めて高い」 → 菅、ようやく納得し、海水注入を承諾 → 武黒フェロー 「首相了解がやっと取れた。海水注入を開始せよ」
128 3月12日が終わった・・・ 1号機対応にかかりきりの1日だった…… → 翌13日は、3号機に危険が・・・
129 3月13日
130 3号機の危機は12日から始まっていた 12日午前11時36分 3号機の隔離時冷却系(RCIC)が停止 12日午後 0時35分 高圧注水系(HPCI)が自動起動 → 水位が上昇した後もHPCIを継続すると故障を招く
しかし水位が分からない
131 注水方法の変更 3月13日午前2時42分 当直長の了解を得て消火ポンプによる注水に 切り替えるため、HPCIを停止。 (吉田所長には報告せず) → ポンプ注水のための主蒸気逃し安全弁(SR弁) を開こうとするが、バッテリー切れで開かない → RCICとHPCIも二度と起動することはなかった……
132 3号機の15条通報 午前4時頃 吉田所長に報告が入る 午前5時10分 15条通報「3号機の冷却手段なし」
133 3号機ベントに向けて 午前5時頃 小型発電機によって電磁弁を強制的に励磁して開ける → 真っ暗闇、高温の中の作業でうまくいかない
134 保安院スポークスマンの変更 中村幸一郎審議官 → 根井寿規審議官 午前5時の記者会見で、根井 「やりたかないんですけれども、幹部からの指示で 私が会見させていただきます」 ◦ 根井の態度が国民の反感を買った ◦ 中村が降板させられたのは、「炉心溶融」発言の せいではないかと憶測が飛び交った・・・ → 根井も直ちに降板・・・
135 ベント成功 8時41分 手動で弁を開けベント開始 → しかし、SR弁を開放し消防車を確保しないと 放水ができない ※ 所内には消防車が3台あったが…… ・1台破損 ・1台は1号機対応中
・1台は5~6号機側にあり、瓦礫で出動できない
136 消防車確保 ◦瓦礫除去 ◦5~6号機用の消防車と 福島第二原発に派遣中の消防車、 あわせて2台を確保 → 吉田、海水注入を準備
137 海水でなく淡水を 東電本店から吉田に「淡水が残っているなら使え」 → 吉田、菅首相からの指示と受け止め、作戦変更
138 注水のためSR弁開放 バッテリー不足のため、 社員の自家用車のバッテリーを利用し、 主蒸気逃し安全弁(SR弁)を開く
139 注水開始 午前9時25分 消防車による淡水注水開始 → 正午過ぎ 淡水が枯渇 午後1時12分 海水注入開始 ※ 1時間の空白 「最初から海水注入した方が良かったのでは」との指摘
140 平行して2号機のベント 午前10時15分 吉田、2号機ベント指示 午前11時 2号機ベントに成功 ※ 本当に2号機ベントに成功したかどうかは 未だに議論中・・・ ベントに失敗して格納容器自体が爆発したとの説も
141 3号機ベントの困難 午前8時41分にベント開始したが、 2時間半後に弁が閉じた (空気圧を維持できず自動的に閉じてしまう) → 午後8時過ぎ、1号機と同様、コンプレッサーを クレーンで運搬し、圧縮空気で弁を開放 → その後も弁は開いたり閉じたりを繰り返す → 3号機のメルトダウン進む
142 水位上昇せず 海水注入を続けても3号機の水位が上昇しない
143 「ミスター保安院」の登場 根井審議官が降板し、 西山英彦審議官が会見 元々は通商政策局担当で、 原発とは何の関係もなかった・・・ → 保安院勤務経験がある上、報道室長の経験もあったため、 急遽選ばれた 夕方の記者会見
144 3月14日
145 3号機への注水、続く 午前1時 タンクが空になり注水停止 午前3時20分 タンクに補給し海水注入再開
146 3号機大爆発 午前11時1分 3号機建屋大爆発 11人負傷
147 発表 保安院、直ちに「建屋の水素爆発」と発表 「ミスター保安院」 西山審議官 枝野「格納容器は健全。放射性物質が 大量に飛び散っている可能性は低い」 枝野官房長官
148 3号機爆発の影響 ◦3号機はプルサーマル運転していた → プルトニウム飛散 ◦瓦礫により2号機注水用に用意していた消防車、 ホース、タンクが損傷 ◦爆発のショックで2号機の弁再び閉まる → ベントやり直しの必要あり
149 2号機の異常 2号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)が停止 →全ての冷却手段が喪失。 1号機や3号機と同じ状態に。 →午後1時25分 15条通報「2号機の冷却手段なし」
150 吉田の指示 ・3号機は引き続き注水 ・2号機に注水せよ →新たな注水ライン敷設に手間取る 吉田所長
151 保安官らの退避 保安官ら、オフサイトセンター (原発から5キロ)に再び退避
152 2号機注水 午後7時54分 2号機への注水開始 → しかしメルトダウンは始まっていた……
153 東電「撤退したい」 3号機爆発後、清水社長、海江田に 「社員を福島第一から撤退させたい」 →海江田と枝野に一蹴される 清水社長
154 「枝野 寝ろ」 不眠不休で記者会見を続ける枝野に対し、 ツイッターで 「枝野寝ろ」 という好意的なメッセージが広がる・・・ ※ 枝野は震災以降105時間 不眠だったとも言われる
155 3月15日
156 2号機対応、続く 午前0時2分 2号機再びベント開始
157 東電の撤退問題 午前3時 総理執務室 撤退なんてありえないぞ。この状況で ほっぽり出して、日本はどうなるんだ!
158 吉田所長の答え → 菅「社長を呼べ」 まだ頑張れます! 吉田所長 首相補佐官 細野豪志 撤退するつもりですか?
159 菅、清水を呼ぶ 午前4時過ぎ 清水社長官邸入り 菅「撤退なんてありえない」 「そっちに細野補佐官を常駐させる」 → 細野、清水と一緒に東電本店へ
160 政府・東電統合対策本部 午前5時26分 菅の記者会見 菅「政府と東電の対策統合本部を設ける」
161 菅の東電本店入り 午前5時35分 菅、東電本店に入る 菅、いきなり罵倒 「逃げても逃げられないぞ」 「このままでは日本が滅亡する」 「撤退はない。命懸けでやれ」 「情報が遅い。しかも不正確だ」 「60歳以上は現地に行け」
162 官邸VS東電 「東電本店は思ったより緊張感がなかった」 「質問しても東電は答えられなかった」 官邸側スタッフ 東電職員 「激励に来たと思ったら恫喝され、やる気をなくした」 → 8時45分まで3時間に渡るやり取り
163 撤退問題の謎 「撤退」とは全面撤退ではなく 一部の職員を残して退避する意味だった → しかし、菅・海江田・枝野・細野の4人が 全面撤退の意味に受け取ったということは、 清水の弁解が虚偽である可能性も 後の清水の弁によると
164 菅が東電本店で吠えていたころ・・・ 午前6時 爆発音 吉田、「2号機が爆発した」と判断 ※ 吉田のFAX 「作業に必要な要員を残して避難します」 → 650名の作業員中、約50名を残して 福島第二原発に退避
165 福島フィフティーズ 残った作業員50名は後に 「福島フィフティーズ」と称えられる 吉田の回想 「メルトダウンも進んでコントロール不能に なる。これで終わりかなと感じた」 「もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」
166 実は・・・ このとき爆発したのは2号機ではなく4号機
167 4号機爆発の謎 定期検査で停止中の4号機が なぜ爆発したのか
168 4号機の脅威 地震発生時、4号機は定期検査停止に入って間もない状態 → 使用済み核燃料の崩壊熱がまだ高い状態だった。 ※ 使用済み燃料プールは、格納容器がなく剥き出し状態 平時は40℃程度の水温が、震災後上昇していた……
169 あわや首都圏3千万人の避難 4号機は他と違い、遮蔽するものがない → 放射性物質は簡単に飛散する → 最悪の場合、首都圏3千万人が避難 もしかして、使用済み核燃料プールが 爆発したのか???
170 真相 → 4号機の建屋が水素爆発 3号機から4号機に水素が流入
171 避難指示 3度目の拡大 午前11時 20~30キロ圏に屋内退避指示
172 厚生労働省令改正 緊急時の作業員の被曝線量の限度を 「毎時100ミリシーベルト」から 「毎時250ミリシーベルト」に引き上げ ※ 施行日は3月14日
173 保安官らの退避 保安官ら、オフサイトセンターから 更に福島県庁まで退避 ※ 保安院からの「20キロ圏の住民に ヨウ素剤を配布せよ」との指示FAXに気付かず
174 2号機の謎 政府見解 「2号機は爆発していない」 → 建屋は爆発していないが、 格納容器の損傷は最も激しい 海外メディア 「4号機の爆発と前後し、 実は原子炉が爆発して いるのではないか」
175 3月16日 5時45分 4号機建屋の水素爆発の 影響で火災 8時半 3号機で白煙 → 3号機の使用済み燃料プールの 水が蒸発している
176 3月17日 未明 アメリカ政府、80キロ圏内に避難勧告 イギリス政府、東京以北からの 退避検討呼びかけ ※ どちらも4号機プールを危険と判断した結果
177 自衛隊、上空から放水 午前9時48分 自衛隊ヘリ、上空から3号機に放水
178 夜は地上からの放水 午後7時 警視庁機動隊、3号機に放水 午後7時35分 自衛隊の消防車、3号機に放水
179 3月18日 午後2時 自衛隊消防車、3号機に放水 午後2時45分 米軍消防車、3号機に放水
180 3月19日 午前0時30分 東京消防庁ハイパーレスキュー隊、 3号機に放水(~1時10分) 午後2時10分 放水再開
181 3月20日以降 自衛隊や消防が1~4号機に次々と放水 ※ 大阪市消防局や川崎市消防局も参加 → 収束に向かい始める
182 しかし・・・ 作業により、汚染水が大量に発生 処理方法がない → 4月4日 低濃度汚染水を海に放出 枝野「危険時の緊急措置として了承した」 (10日までに1万トン以上)
183 漁業被害 鹿野道彦農水相、 「事前連絡がなかった」 → 全国漁業組合連合会、東電に抗議 ※ 4月4~10日に1万トン以上放出され、 その後出荷制限も・・・
184 ようやく復旧 外部電源が復旧 → 冷却システム稼働 4月11日
185 レベル7 福島原発事故、チェルノブイリと 同じ「レベル7」に引き上げられる 4月12日
186 東電の拙劣な対応 その1 3月19日 小森明生常務が謝罪会見で落涙 → ・「泣きたいのは地元住民だ」 ・「社長や会長が会見すべき」 → 3月30日に社長が謝罪会見することと なったが・・・
187 東電の拙劣な対応 その2 3月29日 清水社長入院(4月7日退院) 3月30日 勝俣会長が謝罪会見 勝俣会長
188 東電の拙劣な対応 その3 清水社長、浪江町民の避難先を訪問し謝罪 5月5日
189 2-3 住民被曝
190 原発避難 3月11日午後8時50分 2キロ圏に避難指示(福島県庁による) 午後9時23分 3キロ圏に避難指示 10キロ圏に屋内退避指示 3月12日午前5時44分 10キロ圏に避難指示 午後3時36分 1号機水素爆発
午後6時25分 20キロ圏に避難指示 3月13日午後3時27分 3号機水素爆発 3月15日午前6時 4号機プール爆発 午前11時 20~30キロ圏に屋内退避指示 (4月22日解除)
191 区域分け ・警戒区域 ・計画的避難区域 ・緊急時避難準備区域
192 警戒区域とは 4月21日 20キロ圏を 「警戒区域」に設定し、 引き続き立入禁止。
193 計画的避難区域とは 4月22日 20キロ圏外でも線量の高い地域 (年間20ミリシーベルトが基準)を 「計画的避難区域」に指定し、 立入禁止に。 ※年間1ミリシーベルトが国際標準
194 飯舘村の不満 大部分が30キロ圏外だが、4月22日に 「計画的避難区域」に指定 → 「震災から1ヶ月も経ってから避難しろとは……」 村民の不信感募る
195 緊急時避難準備区域とは 4月22日 20~30キロ圏を 「緊急時避難準備区域」に指定。 居住可能だが、緊急時には 速やかな避難が求められる ・自力避難不可能な子供、高齢者、入院患者は立入禁止。 ・学校・養護老人ホームは閉鎖。病院は外来のみ。
196 避難区域設定上の問題点 同心円状の避難指示が 誤りだったのではないか? → 最初からSPEEDIのシミュレーションや 線量測定結果を使って区域設定するべきだった
197 「特定避難勧奨地点」の設定 ・7月に作られたスキーム ・地域レベルではなく住居ごとに避難を勧奨 ・年間20ミリシーベルトが基準 ・自治体から避難のための支援を受けられる →・なぜ「計画的避難区域」として立入禁止にしないのか ・なぜ地域レベルでなく住居ごとなのか。
補償額を減らす狙いではないか。 そして・・・「なぜ年間20ミリシーベルトなのか?」
198 「年間20ミリシーベルト」をめぐって その1 なぜ年間20ミリシーベルトなのか? これまでは「年間1ミリシーベルト」だったのを引上げ 国際放射線防護委員会(ICRP)は1970年に 「一般市民は年間1ミリシーベルト」 という基準を示している・・・ 「年間20ミリシーベルト」は原子力関係の作業者の基準値 それを、幼児を含む一般市民に適用して大丈夫なのか?
199 「年間20ミリシーベルト」をめぐって その2 なぜ年間20ミリシーベルトなのか? 年間100ミリシーベルト以下で、 健康への影響が出たというデータはない ※ 「年間1ミリシーベルトは厳しすぎ」との声も
200 「年間20ミリシーベルト」をめぐって その3 4月29日 小佐古敏荘東大教授、 内閣官房参与辞任を明かす 「暫定基準の20ミリシーベルトはとんでもない。 容認したら私の学者生命は終わり」 「年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」 → 8月26日に撤廃されることとなる 小佐古教授
201 内部被曝の恐怖 ・空気中の放射性物質を吸い込む ・汚染された食べ物・飲み物を飲食する → 体内に入ると、長期間臓器を破壊する
202 内部被曝に関連して ~出荷制限~ サンプル調査の結果、 ◦茨城・栃木・群馬のホウレンソウ ◦福島の原乳 から基準を超える放射性ヨウ素と セシウムを検出 → 4県に出荷を控えるよう要請 3月20日
203 内部被曝に関連して ~水中濃度~ 3月22日 海水検査の結果、 濃度基準を超過していたと発表 3月23日 東京都金町浄水場で乳児に対する 暫定規定値を超える放射性ヨウ素検出
204 「直ちに影響はない」 枝野官房長官の記者会見 7回に渡り「直ちに影響はない」 → 「長期的にはどうなのか」と不安の声
205 2-4 双葉病院の悲劇
206 双葉病院とは 福島第一から4.5km 統合失調症などの精神疾患や 高齢の認知症患者が多数 附設の老人ホームを含めて 入院者は435人 双葉病院
207 避難 第1陣 病院職員が町役場に行き、 避難車両の手配を依頼 3月12日午前8時 3月12日午後2時 大型観光バス5台が派遣され、 患者209名が避難 → 午後7時半 三春町の中学校に到着
208 残る226人の避難は? ◦自衛隊が来るが「寒いし生命に 責任を持てない」と断られる ◦警察官が来るが「今日は無理。 明日以降迎えに来る」 3月12日午後8時
209 避難 第2陣 132人を乗せたバスが出発 → 出発から10時間以上かかりいわき市に到着 ◦バス内で3人死亡 ◦翌日、体育館内で11人が死亡 3月14日午前9時
210 残る94人の避難は? 双葉警察署の副署長が来て 「入院患者は後で自衛隊が迎えに来るから 院長は今すぐ避難せよ」と指示 → 警察の指示で原発から 20kmの割山峠で自衛隊を待つことに 3月14日午後10時
211 避難 第3陣 自衛隊が院長とは合流せず病院に到着 残る94名を搬送 → 院長は自衛隊を待ち、割山峠で 待ちぼうけ 3月15日午後
212 県の発表 「双葉病院には病院関係者が一人も 残っておらず、患者の状態が 分からないまま救出した」 ※ 実際には院長はいなかったものの 病院職員はいた 3月17日夜 福島県発表
213 誤報 「双葉病院の職員は患者を置き去りに して自分たちだけ逃げ出した」 新聞各紙の報道
214 第3陣の死者 避難先で7人が死亡 → 第1~3陣をあわせて、 3月31日までに435人中50人が死亡 90人が2~3回に分けて避難
215 2-5 飯舘村の戦い
216 原発から30キロ離れた村 当初は原発避難民の 受け入れを行っていた…… ※ 人口6千人の村に千数百人が避難
217 放射線モニタリングの異常 3月15日 突然毎時15マイクロシーベルトに上昇 → 国に確認するも「避難の必要なし」
218 突然の全村避難指示 4月22日 村の全域が「計画的避難区域」に指定 → ・なぜ1ヶ月も経ってから避難なのか ・もっと値が高かったときに避難指示を 出してくれていたら逃げていた
219 菅野村長の取組 ・老人ホーム1施設を含む 9事業者について例外措置を要請 ・「2重の住民票」制度を要請 → いずれも認められる 菅野村長
220 「までいな希望プラン」 「2年以内に帰村」と時限設定 → 国に早期の除染作業を要請
221 2-6 原発補償の行方
222 原子力損害賠償法 原則として電力会社が(無過失でも)賠償責任 ・電力会社は国の保険に強制加入し、 1200億円までは保険でカバー ・ただし書 「損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱 によって生じたものであるときは、この限りでない」 → 「この限りでない」のみで、結局 誰が賠償するかは規定なし
223 「この限りでない」場合は誰が補償するのか 1961年 中曽根康弘科学技術庁長官の国会答弁 「そのときの情勢によって、 政府なり国会なりが決めることになるだろうと思います」
224 震災前の東電 ・銀行からの融資 2兆3千億円 ・社債 5兆2千億円 → ・「銀行からは、お付き合いで金を借りてやっている」 ・銀行は、頭を下げて「金を借りてください」
225 三井住友銀行・奥正之の決断 原賠法の「ただし書き」を見て、 「東電は免責されるだろう」 →東電に「融資したい」
226 融資 3月29日 三井住友 6千億円 →それを見た他銀行も、無担保で次々と融資 みずほ 5千億円 三菱東京UFJ 3千億円
227 エネ庁VS財務省 ・エネ庁の官僚ら、東電の 免責に向けて動き始める → 財務省、牽制に動く
228 古賀ペーパー 経産省の革新官僚・古賀茂明 独自の賠償案「古賀ペーパー」を作成し公表 ・東電を発電部門と送配電部門の2社に分割 ・発電部門を細分化し、参入したい事業者に売却 ・債権の弁済停止 → 銀行界が震撼
229 「経済被害対策室」立ち上げ 4月11日 内閣官房に経済被害対策室を設置 → 東電が賠償責任を負う趣旨の 立法作業を開始
230 東電の抵抗 4月25日 東電、政府に要望書提出 「弊社としては……原賠法3条1項ただし書きにいう 『異常に巨大な天災地変』に当たるとの解釈も十分 可能であると考えております」 ・東電が負担する賠償金額に上限を設けてほしいと訴える ・賠償主体として「原子力損害賠償支援機構」を設立してほしい ※ 同時に、「東電が電気料金16%値上げか」とのスクープ (朝日新聞)
→ 「虫がよすぎる」と非難を浴びる
231 枝野発言 4月27日記者会見 「ここまでしか補償しませんというのは とても考えられることではないし、 許されることではない」
232 勝俣会長の抵抗 4月28日 自宅前で記者に・・・ 青天井なんてあるわけないでしょう。 原賠法をよく見てよ。 勝俣会長 → 東電批判、更に強まる
233 東電の全面降伏 5月12日 ・東電の賠償金額に上限なし ・第三者委員会による経営財務の 実態調査を実施
234 2-7 原発事故のまとめ
235 批判ポイント ~事前措置~ ・土木学会が津波に関する研究結果を 発表していたのに、対策を東電任せにして 何の督促もしなかったこと
236 批判ポイント ~現場対応~ ・1号機ベントを間近に控えたタイミングで 現地視察に行ったこと ・東電に「撤退ありえない」と言ったのに 保安官らは撤退していたこと ・東電との連携が取れていなかったこと
237 批判ポイント ~住民対応~ ・最初の15条通報から避難指示まで5時間もかかった上、 途中で「特別な行動を起こす必要なし」とアナウンスしたこと ・1号機水素爆発後、すぐに状況を説明し避難指示すべきだった にもかかわらず、5時間近く何の説明も指示もしなかったこと ・避難指示を逐次的に行ったために避難が遅れたこと ・SPEEDIシミュレーション結果や実測値に基づく避難指示を 行わず、同心円状の避難にこだわったこと ・被曝限度「毎時1ミリシーベルト」を「毎時20ミリシーベルト」に
引き上げ、納得いく説明がなかったこと ・「直ちに影響はない」と曖昧な説明に終始したこと
238 評価ポイント ・東電撤退を一蹴したこと ※ 清水社長は「全面撤退」を意味したわけではなかった? ・東電との対策合同本部を立ち上げたこと ・東電からの国家賠償要望を拒否し、 東電を賠償主体としたこと ※ 真の責任は東電ではなく国ではないか?
239 吉田所長のその後 吉田所長、病気療養のため退任 病名は「食道がん」 東電の発表 「被曝線量は累計70ミリシーベルトであり、 被曝と病気の因果関係は極めて低い」 12月1日
240 第3章 電力需給対策 序章 菅直人のルーツ 第1章 津波被害 第2章 原発被害 第3章 電力需給対策 第4章 震災をめぐる政局 終章 菅内閣に足りなかったもの
241 3-1 計画停電の混乱
242 「電力供給が足りない」 3月13日 ・海江田経産相、経団連に大規模節電を要請 ・蓮舫を節電啓発担当大臣に 蓮舫
243 計画停電の発表 3月13日午後7時50分 菅の記者会見 「政府として了承した。苦渋の決断だ」
244 東電からの発表 午後8時過ぎ 清水社長 記者会見 「14日から1都8県を5つに分け、順番に電力供給を止める」 ・4月末まで続く ・午前6時20分から午後10時まで ・1グループ3時間程度
245 当初の予定 午後6時半から清水が記者会見する予定だった →「まず首相が国民に直接呼びかけたい」として 発表を遅らせたとの説も……
246 人工透析の問題 3月14日未明 大塚厚生労働副大臣、枝野に「死者が出るかも」 →枝野、急ぎ東電に「午前中だけでも停電をやめろ」 ※ 「殺人罪で告発するぞ」と迫ったとの説も…… →厚生労働省、各病院に非常用電源の有無を確認
247 計画停電の実施 3月14日(月)午前6時20分 計画停電見送り 東電「予想より電力需要が低かった」 → 結局、午後5時から実施 ※ 鉄道は独立した配電盤があるため、対象外
248 計画停電の期間 3月14~28日に実施
249 様々な混乱 ・ 非常用発電機のない病院に電源車を派遣 ・ 信号機の滅灯 → 主要交差点に約7千人の警察官を配置し手信号 しかし滅灯約2万箇所中、手信号は約3千箇所 滅灯交差点での交通事故死亡者2名 ・ 生産業への影響 → 精密機械工業は非常用発電が利用できない
250 3月17日の混乱 3月17日午後 海江田の緊急記者会見 「電力需要が上昇中であり、本日夕方から 予測不能な大規模停電のおそれ」 供給: 3350万kW 需要: 3292万kW → 会見後、需要が急速に減少し、辛くも乗り切る
251 計画停電の終了 3月28日(月) 計画停電最終日 その後は、停電の計画自体は なされても実施せずに終わった
252 夏場の電力不足の懸念 東電の発表 「4月以降、当面は計画停電不要」 「8月の電力需要は5千万kWであり、 場合によっては計画停電が必要」
253 夏場に向けて 供給対策 ・定期検査停止中の原発を再稼働 ・老朽化した火力発電所を立ち上げ、供給増強 需要対策 ・各需要家に徹底した節電を呼びかけ ・電力使用制限令の発動も検討
254 3-2 浜岡ショック
255 静岡県知事の懸念 浜岡原発: 3号機が定期検査のため停止中 川勝静岡県知事 「抜本的な津波対策が 講じられないと 運転再開は認められない」 川勝知事
256 海江田の視察 5月5日 海江田、浜岡原発視察 川勝、海江田に「浜岡の津波対策は付け焼き刃です」 → 海江田、帰京後に菅に「浜岡停止」を進言
257 発表方法をめぐって 海江田+経産官僚: 「他の原発は安全だが 地震発生確率87%の浜岡だけは別」 菅+内閣官房: 「脱原発を打ち出して支持率回復を狙いたい」 → 菅「重要なことなので自分が発表する」
258 記者会見 5月6日 菅の記者会見 「浜岡原子力発電所の全ての原子炉の 運転停止を中部電力に対して要請いたしました」 「30年以内にマグニチュード8程度の地震が 発生する可能性は87%」 →「他は安全」と強調しなかったため 「浜岡だけ例外」というニュアンスが薄らぐ
259 法的根拠なし 事故が起こっていない状況で、 政府が原発を止める法的権限はない → 要請のみ
260 批判 ・記者会見が8分間 ・記者からの質問は2つだけ受付 → 政治的パフォーマンスではないか
261 影響 内閣支持率: 21%→26% 62%が浜岡停止に賛成(朝日新聞)
262 海江田経産相の談話 6月18日 海江田経産相が会見 浜岡原発は「例外」であって 他の原発は安全である旨を強調
263 3-3 ストレステストと海江田の離反
264 佐賀県知事・古川康 ・実父が九州電力OBで原発推進派 ・玄海原発の2号機と3号機が 定期検査停止中のため、再稼働の 理由付けを欲しがっていた 古川知事
265 海江田の佐賀入り 6月29日 海江田、玄海町長及び佐賀県知事と会談 岸本玄海町長 「国がしっかり安全を保証するなら、再開容認」 古川知事 「疑問点は解消された」
266 海江田VS菅 海江田、菅に「玄海原発は運転再開できる」 との「朗報」を持ってきたが…… →菅「ストレステストを導入したい。 これが終わらないと再開は認められない」 →海江田、はしごを外される 6月30日
267 ストレステスト導入を発表 7月6日 衆議院予算委員会 ストレステスト導入を発表 → 古川知事・岸本町長「聞いてない」と激怒 → 岸本町長、原発再開容認を撤回
268 菅の回想 「浜岡は、経産大臣が止めましょうと持ってきた。 しかし玄海は、同じ経産省が今度はやりましょうと 持ってきた。それが国民的な理解が得られるとは 思わなかったので、私のところで止めた」
269 海江田の離反 7月7日 自民党の磯崎陽輔議員 「海江田さんが頑張っても、首相がひっくり返している」 「佐賀県の人に対して腹を切るべきじゃないですか」 海江田 「いずれ時期が来ましたら、 私も責任を取らせていただきます」 → 辞任を示唆、騒然となる
270 やらせメール問題 同じ7月6日 衆議院予算委員会 共産党・笠井議員の質疑 「九電HPに、原発再開を支持するメールを送るよう 九電経営陣が指示した」 →菅「事実だとしたら非常にけしからんことだ」 海江田「やっているとしたらしかるべき措置をとる」
271 九州電力の謝罪 同7月6日、九州電力社長の記者会見 九州電力社長・真部利応、事実を認め謝罪
272 国の関与が発覚 7月29日 保安院が各電力会社に やらせを指示していたことが発覚 → 海江田経産相が謝罪会見
273 海江田の落涙 7月29日 自民党・赤澤議員 「出処進退をひとたび口にしたのに、辞めないというのは、 価値を落としてますよ」 海江田「私は、自分の価値はどうでもいいですよ」 ・菅と自治体の板挟み ・菅にメンツをつぶされ 続けていた
274 3-4 電力使用制限令
275 法令制定 節電を義務付ける法令が必要 → 7月1日 電力使用制限令発動 (1974年のオイルショック以来) → 9月9日 解除
276 規制内容 ・東京・東北電力管内(被災地を除く)が対象 ・契約電力500kW以上の大口需要家が対象 ・昨年7~9月の最大使用電力から 15%節電を義務付け ・故意に違反した場合、罰金100万円
277 企業の対応 経団連: 節電計画ガイドラインを策定 自動車業界: 休日を木・金曜にずらす 鉄道: 間引き運転
278 東京・東北電力以外 中部・関西・九州電力でも節電要請 ※ 原発の再稼働ができなかったため
279 結果 ・冷夏のため、電力需要伸びず ・違反として起訴された事例なし
280 批判 「必要以上に大げさに節電を呼びかけ、 原発の必要性をアピールしたのでは」 との説も・・・
281 3-5 「脱原発」
282 退陣表明 6月2日 「一定の目途がついた段階で」 辞任する旨を表明(詳しくは後述)
283 再生可能エネルギーへのシフト 6月14日 菅、興石参議院議員会長に対し、 「再生可能エネルギー特別措置法を成立させたい」
284 法案へのこだわり 6月15日 菅「私の顔をもう見たくないという人がいるが、 それなら早くこの法案を通した方がいい」
285 「脱原発」声明 7月13日、菅の記者会見 ◦原子力政策の見直しを提起するのは、 その時代の首相としての責務 ◦これまでの安全確保の考え方だけでは、 もはや律することができない技術 ◦計画的、段階的に依存度を下げ、将来は 原発がなくてもやっていける社会を実現 → 「脱原発を旗印に政権延命を図っている」と批判
286 閣僚、火消しに動く 7月14日 玄葉国家戦略相 「徐々に減らしていくことはコンセンサスがある。 ただゼロにするかどうかは……」 枝野官房長官 「遠い将来の希望という首相の思いを語ったもの」
287 事実上の撤回 7月15日 菅 「私の考えを申し上げた」 → 脱原発は菅の個人的意見 → 内閣支持率、20%切る
288 再生可能エネルギー特別措置法 8月26日 法案成立 太陽光・風力・地熱などで発電された電力を、 電力会社は買い取らなければならない ※ 3月11日午前中の閣議で決定済みだった その際、菅は何ら関心を示していなかった
289 第4章 震災をめぐる政局 序章 菅直人のルーツ 第1章 津波被害 第2章 原発被害 第3章 電力需給対策 第4章 震災をめぐる政局 終章 菅内閣に足りなかったもの
290 4-1 入閣要請拒否
291 ねじれ国会の悲劇 衆議院: 与党311、野党169 参議院: 与党109、野党133 一大国難のさなか、 与党は参議院の過半数を制していなかった・・・
292 与野党党首会談 3月11日 午後6時12分 菅「協力をお願いしたい」 谷垣「全力で協力する」 → 政治休戦へ
293 震災さなかの閣僚人事 藤井裕久官房副長官、 老齢のため「震災対策に耐えられない」 → 藤井を首相補佐官に横滑りさせ、 仙谷由人を官房副長官に ※ 官房長官経験者が 官房副長官になる異例の事態
藤井裕久
294 自民党の批判 仙谷は、官房長官時代に参議院で 問責決議を受けたばかり → 「震災のドサクサに紛れた 国会軽視人事だ」との批判 仙谷由人
295 仙谷、動く 菅: 官僚を信用しない 仙谷: 官僚の力を最大限利用する →仙谷、 「被災者生活支援各府省連絡会議」として 各省事務次官級の会議を設置
296 閣僚増員構想 3月18日午後 与党「内閣法改正して閣僚3人増やしたい」 野党、「意味がない」と否定的
297 入閣要請 3月19日 菅から谷垣への電話 菅「副総理兼復興担当相として 入閣してほしい」 → 谷垣「唐突だ」と断ると、 「責任を共有する気がないのか」 自民党総裁 谷垣禎一
298 2011年度予算成立 3月29日 参議院本会議で否決されるも 「衆議院の優越」により成立 → 政府、補正予算の編成に着手
299 参与の乱立 3月23日までに5人の学者を 「内閣官房参与」に起用 ※ 全て菅の一本釣り 菅は、既存組織で起用済みの 学者を「御用学者」として信用しなかった
300 松本参与の失言 4月13日 麗澤大教授・松本健一参与が菅と会談 松本参与、記者に「菅はこう語った」と説明 「当面住めないだろう。 10年住めないのか20年住めないのか。 そういう人を内陸部に住まわせるエコタウンの ような都市を考えなければならない」 松本健一
301 反応 ◦福島県知事・佐藤雄平 「信じがたい」 ◦飯舘村村長・菅野典雄 「できるだけ早く帰れるようにするのが政治家の役目」 →松本参与、 「この言葉は首相でなく私が言ったもの」と訂正
302 4-2 自民党の攻勢
303 復興構想会議 4月14日 復興構想会議初会合 官僚を排除した運営 →佐藤知事「霞ヶ関の実務派を入れては」 →五百旗頭議長「復興は超党派で行うべき」 歴史学者・五百旗頭真議長
304 自民党の離反 4月14日 谷垣総裁記者会見 「20近くの組織の乱立、権限が不明確な閣僚、 内閣官房参与の存在が、情報を錯綜させ、 指揮命令系統を混乱させている。 首相自ら出処進退を判断する時期にきている」 → 倒閣を示唆
305 亀井代表の努力 4月18日 国民新党代表・亀井静香、 自民党に協力要請 亀井 「国民新党の立場ではなく、首相の名代として来た」 自民党大島幹事長 「亀井さんだから会った。菅さんの名代なら会いません」 亀井静香
306 超党派成らず 亀井、自民党の説得に失敗 → 5月13日、復興基本法が国会提出 野党説得に1ヶ月近く要した挙句失敗…
307 4-3 菅内閣最大の危機 ~間一髪の不信任案否決~
308 小沢の離反 4月16日 小沢一郎 「政府は原発事故で本当のことを言っていない。 いい加減だという評価になり、 二重に被害を広げている」
309 民主党内の菅おろし 4月26日 民主党内に 「震災に対応できる連立政権に向けた総調和の会」 が発足 → 小沢派と鳩山派が集結
310 西岡議長の離反 5月19日 西岡武夫参議院議長 「いまお辞めにならなければ、 重大な課題が解決できない」 「能力を超えた難題なら、 自ら首相の座を去るべきだ」 → 菅「現時点で退陣等の 選択は全く考えていない」
311 不信任案提出間近 5月28日 石破茂・自民党政調会長 「(不信任案を)出すことに 意味があるのではなく、 可決しなければならない」
312 造反への牽制 5月28日 岡田克也・民主党幹事長 「国が一つにならなければ いけないときに、党内で 不信任案に賛同する などということが 起こるはずがない」
313 ついに提出 6月1日 党首討論 谷垣総裁 「お辞めになってはいかがか。 あなたが辞めれば党派を超えて新しい体制を作れる」 → その夕方、自民党と公明党、不信任案を提出
314 造反への動き ◦小沢、事務所に若手を集め造反を指示 ◦鳩山、「賛成票を投じる」と表明した上で、 鳩山派議員には「自主投票」
315 票読み 民主党から78人造反すれば可決される ※ 小沢は既に70人集めている → 民主党執行部 「不信任案採決直前に党代議士会を開く」
316 運命の6月2日 午前9時 鳩山自宅前 記者「賛成の考えに変わりはないか」 鳩山「ない」 → 造反議員、90名との情報
317 民主党代議士会 正午過ぎ 菅の演説 「この大震災への取組に一定の目途がついた段階で、 私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に 色々な責任を引き継いでいただきたいと考えている。 この大震災、原発事故に一定の目途がつくまで、 ぜひとも私にその責任を果たさせていただきたい そのためにも、野党から出される内閣不信任決議案に 対し、一致団結して否決という対応をお願いする」
318 「退陣表明」と報道
319 鳩山の演説 「一定の仕事を果たした暁に、 職を辞していただきたいとお願い申し上げた。 国難のときだ。 ぜひ一致して行動できるよう、私からもお願いしたい」
320 小沢の判断 「今までなかったことを引き出したんだから、 自主的判断でいいだろう」 → 事態は一気に否決へ傾いた
321 不信任案採決 大島幹事長、冒頭演説で 「目途がつかないから辞めろと言っているのだ」 → 採決結果 賛成152票 反対293票
322 「一定の目途」とは 鳩山は と認識…… ⇒ しかし、菅の認識とは 大きな隔たりがあった…… 6月いっぱいくらいに目途がたつ
323 菅の記者会見 6月2日夜 「新しい社会づくりの方向性に一定の 目途がついた段階だ」 「原子力事故を、ステップ2の冷温停止、そして 放射性物質がほぼ出なくなるところまで持って いく」 → 工程表では、冷温停止は
10月中旬から翌年1月中旬
324 鳩山の怒り 6月3日 鳩山、側近に 「裏切られた。人間として最低、クズだ」 記者団に 「ペテン師まがいのことを首相がしてはならない」 「不信任案に賛成しておくべきだった」
325 4-4 「チームドラゴン」の失態
326 復興基本法成立 6月20日 復興基本法成立 復興担当相が設置され、松本龍が任命 → 松本、「チームドラゴン」を名乗る
327 復興への提言 6月25日 復興構想会議 「復興への提言 ~悲惨の中の希望~」 を取りまとめ、首相に提出。 ◦被害を最小限に抑える「減災」の考え方 ◦被災自治体への自由度の高い交付金 ◦農林水産業を高付加価値化、集約化 ◦復興財源のための臨時増税
◦エネルギー政策の見直し 歴史学者・五百旗頭真議長
328 退陣3条件 6月27日 菅、記者会見 ・赤字国債発行を認める特例公債法案 ・2011年度第二次補正予算案 ・再生可能エネルギー特別措置法案 「これらが成立すれば一つの目途になる」
329 松本復興相の失言 7月3日 松本復興相の発言 ◦「(岩手県知事に)知恵を出したところは助けるけど、 知恵を出さないやつは助けない」 ◦「九州の人間だから、何市がどこの県とか分からん」 ◦「(宮城県知事に)お客さんが来るときは、 自分が入ってから呼べ。いいか」 「(漁港整備について)県でコンセンサスを得ろよ。
そうしないと我々、何も知らんぞ」
330 松本復興相の失言 7月3日 松本復興相の発言 ◦「(記者団に)最後の言葉はオフレコです。 いいですか。書いたら、その社は終わりだから」
331 謝罪 「九州の人間ですから、 ちょっと語気が荒かったりして」 「私はB型で短絡的なところがあって」 → さらに批判強まる
332 松本の辞任 大臣室で目にしたテレビで…… 被災者「早く有能な大臣に変えてください」 ⇒松本、辞任を決意 ⇒平野達男復興担当副大臣が昇格
333 4-5 「退陣3条件」の履行
334 自民党の軟化 8月9日 3党幹事長会談 大島幹事長、退陣3条件を丸呑み 大島「我々はここまでやっている。 早く首相を辞めさせなければ」 岡田「分かっています」
335 ついに退陣表明 8月26日 「与えられた厳しい環境の下でやるべきことはやった」 「一定の達成感を感じているところ」 →記者から「居座りが政治空白を招いたのでは」と聞かれ 菅「この3ヶ月間は実り多い政策実行の期間であった」 例) 復興基本法、第二次補正予算、
原子力安全庁設置を閣議決定
336 新内閣発足 8月29日 野田佳彦が新代表に選出 8月31日 野田内閣発足
337 終章 菅内閣に足りなかったもの 序章 菅直人のルーツ 第1章 津波被害 第2章 原発被害 第3章 電力需給対策 第4章 震災をめぐる政局 終章 菅内閣に足りなかったもの
338 菅内閣の問題点 1 誤った「政治主導」 (a) 官僚の軽視 (b) マイクロマネジメント 2 与党経験不足 (a) 拙劣な野党対策
(b) 根回し不足 3 首相のパーソナリティ (a) 「イラ菅」 (b) 居直り
339 1(a) 官僚の軽視 震災対応には各省の連携が不可欠 例えば…… 厚労省「被災地の薬が足りない」 →警察庁、東北自動車道の交通規制を緩和 国交省、運輸業界に働きかけ
340 1(a) 官僚の軽視 しかし、政権交代以後…… 「政治主導」 政務三役会議を設けて官僚を排除 → 「官僚は政務に相談せずに 勝手に動いてはいけない」 ※ 日本最大のシンクタンクを「指示待ち集団」にした
341 1(a) 官僚の軽視 3月17日 仙谷、官房副長官に就任 → 「被災者生活支援各府省連絡会議」 週3回、各省事務次官が集まることに
342 1(b) マイクロマネジメント 細かいことに口を出したがる傾向 「電源車は今どこに何台いるのか」 「非常用電源をヘリコプターで運搬できないか?」 「非常用電源を配電盤にどうやってつなぐのか」 現地入りして「なぜベントをすぐやらないんだ」
343 1(b) マイクロマネジメント 2012.5.28 国会事故調査委員会 菅、震災翌日に原発を視察したことの意義を問われ・・・ 「現場の考え方や見方を知る上で、 顔と名前が一致したことは 極めて大きなことだった」 → 「現場責任者の顔と名前を一致させることに 何の意義があるのか」と批判
344 1(b) マイクロマネジメント 自衛隊の放水が遅れた? 3月15日 官邸にて 事務方「自衛隊による放水活動を要請しては?」 菅「ホウ酸は粉末で入れるのか液化して入れるのか」 事務方「……」 菅「答えられないのか。もっと勉強してから来い」 →「このせいで自衛隊出動要請が7時間遅れた」と官邸筋 ※ 真偽は不明
345 1(b) マイクロマネジメント 復水器の専門家である上原春男(元佐賀大学長)の弁 事故発生後、上原氏は冷却系回復の必要性を訴え、 原口一博議員を通して機械類の手配を進めていた・・・ 3月20日 官邸への電話 菅「あなたのレポートは読んだが、技術的に理解できない。 外部冷却装置はどこに付けるのか?」 上原「そんなことは首相が考えることではない。 技術的に分からずとも、やるやらないの決断はできる」
→ 菅は「何ぃ!」と激昂した・・・
346 1(b) マイクロマネジメント なぜマイクロマネジメントが行われたか 保安院、東電武黒フェロー、斑目委員長の拙劣な対応 ◦保安院 原子力緊急事態宣言のノウハウを知らず 慌てて六法全書をめくっていた ◦東電武黒フェロー ベントが進まない理由について説明がなかった ◦斑目委員長
1号機水素爆発のとき、頭を抱えるばかりで何もできなかった → 菅は彼らに不信を抱き「自分が動かなくては」と感じた
347 1(b) マイクロマネジメント なぜマイクロマネジメントが行われたか 保安院、東電武黒フェロー、斑目委員長の対応は 確かに拙劣であったが・・・ マイクロマネジメントが行われた背景には 菅首相の個人的資質や民主党の体質も 大いに影響していると考えられる ◦ 菅の政治的原点である「権力への不信感」 ◦ 民主党のスローガンである「政治主導」の曲解
348 2(a) 拙劣な野党対策 ねじれ国会の下で、野党対策は重要 しかも! 自民党側には、福田内閣時代に 全く協議に応じてくれなかった民主党への 恨みがある・・・
349 2(a) 拙劣な野党対策 谷垣総裁への入閣要請 谷垣に直接電話し、断られ逆ギレ 「責任を共有する気がないんですか」
350 2(a) 拙劣な野党対策 自民党への説得失敗 「復興会議に参加してほしい」との説得 → 1ヶ月もかかり結局失敗
351 2(b) 根回し不足 ・浜岡原発停止 ・ストレステスト導入 ・脱原発声明 → 十分な根回しの下に行われていれば、 もっと支持されたはずだった……
352 3(a) 「イラ菅」 「イラ菅」のニックネーム ・イライラしてすぐ怒鳴る ・議論をふっかけて勝ち誇る → 「首相には、余程理論武装してから説明にいかなくては」
353 3(a) 「イラ菅」 SPEEDI問題 誰も菅に説明したがらない…… 保安院 「官邸に送ったのだから、 官邸スタッフが説明するだろう」 官邸 「重要なことなら、保安院がやって来て 説明するだろう」
354 3(a) 「イラ菅」 東電との連携に失敗 東電の対応は確かに拙劣だったが…… → 菅の態度が、東電との連携を 悪化させ、情報共有を妨げたことは 否定できない
355 3(a) 「イラ菅」 海水注入をめぐって・・・ 貴重な時間を費やして、説明の リハーサルを行っていた・・・ → 菅の存在が障壁になっていた
356 3(a) 「イラ菅」 菅直人リスク(2012年2月15日衆議院予算委員会) 自民党・塩崎恭久議員 「原子力規制組織を見直す最大の目的は、菅直人リスクをなくす ことではないか」 「事件の翌朝に現場に行って大混乱をもたらす。専門的知識も ないのに、ベントをしろ、海水注入を止めろと言う・・・これを私は 菅直人リスクと言っているんです」 野田首相
菅さんの対応は…立場によって ご批判はあることは承知していますが、 その表現だけはちょっと おやめいただきたい
357 3(b) 居座り 批判され…… 「厳粛に受け止めている」 ではなく 「一定の評価はいただいている」 と答える……
358 3(b) 居座り 6月2日の退陣表明後に「脱原発」を打ち出す 「辞める首相が何を言っているのか」と批判 ※ ・退陣表明後の「脱原発」 ・菅がすばやく退陣して新内閣が打ち出す「脱原発」 → 明らかに重みが違った……
359 では、これらの問題は? ・避難指示の遅れ ・規制値の引き上げ ・「直ちに影響はない」という曖昧な説明 → 「他の首相なら対処できたのか?」 は未知数
360 問題点再考 ~今後どうすれば良いのか~ 1 誤った「政治主導」 (a) 官僚の軽視 (b) マイクロマネジメント 2 与党経験不足 (a) 拙劣な野党対策
(b) 根回し不足 3 首相のパーソナリティ (a) 「イラ菅」 (b) 居直り
361 1 誤った「政治主導」 官僚が既得権益の確保に必死になり、 改革に抵抗することは、ままある… しかし! → 官僚の全てを否定する姿勢で臨んだのは誤り
362 1 誤った「政治主導」 ・ 自民党時代にも、「政治主導」ができている大臣はいた ・ 民主党時代にも、官僚の決定を追認するだけの大臣もいる ◦官僚のレクを徹底的に受けて知識を増やし、 自分の頭で考えて決断することが真の「政治主導」 ◦官僚のレクを嫌がり外部有識者の話を聞くだけでは 真に必要な政策を実現できない
363 2 与党経験不足 自民党長期単独支配の弊害でもある 二大政党制が根付けば解決できる → 今後の民主党が二大政党制の 一翼を担う政党に成長できるか
364 3 首相のパーソナリティ ◦野党党首として合格でも与党党首として失格の場合がある ◦一時、波に乗った政治家でも首相にふさわしいかは分からない → 国民は安易なポピュリズムに 乗せられてはならない → 首相がどんな人間であっても それに振り回されない行政機構が必要
365 書籍紹介 大鹿靖明 「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故」 講談社 本体1600円+税 おすすめ度 ★★★★☆ 事故当時の官邸の様子などを 緊迫感溢れる筆致で伝えるドキュメント
366 参考文献 ◦津波関係 外岡秀俊「3・11 複合被災」岩波新書 井上和彦「東日本大震災秘録 自衛隊かく闘えり」双葉社 畑村洋太郎「未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ」講談社現代新書 日経新聞編「震災復興」日経新聞出版社 北澤俊美「日本に自衛隊が必要な理由」角川oneテーマ21 ◦原発関係 福島原発事故独立検証委員会「調査・検証報告書」ディスカバー社
水野倫之ほか「福島第一原発事故と放射線」NHK出版 大鹿靖明「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故」講談社 アーニー・ガンダーセン「福島第一原発 真相と展望」集英社新書 北村行孝ほか「日本の原子力施設全データ」講談社ブルーバックス 齊藤勝裕「知っておきたい放射能の基礎知識」ソフトバンククリエイティブ 田坂広志「官邸から見た原発事故の真実」光文社新書 石橋克彦「原発を終わらせる」岩波新書 千葉悦子ほか「飯舘村は負けない」岩波新書 久我勝利「2時間で学ぶ原発・電力の大問題」角川書店 福山哲郎「原発危機 官邸からの証言」ちくま新書 細野豪志「証言」講談社 木村英昭「官邸の一〇〇時間」岩波書店 ◦政局関係 読売新聞政治部「亡国の宰相 官邸機能停止の180日」新潮社 小林良彰「政権交代」空港新書 阿比留瑠比「総理、あなたこそ復興の障害です」PHP社 ◦菅直人関係 菅直人「大臣 増補版」岩波新書 五百旗頭真「90年代の証言 菅直人」朝日新聞出版