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「遂行理論の未来」(松島斉教授最終講義記念セッションの発表資料)

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March 08, 2026

 「遂行理論の未来」(松島斉教授最終講義記念セッションの発表資料)

ゲーム理論ワークショップ2026(https://sites.google.com/view/gametheoryjapan/home )における松島斉教授最終講義記念セッションで、野田が発表するのに使用した資料です。

松島先生の最も著名な業績である Abreu-Matsushima mechanism の説明と、そこからの発展として遂行理論の実用可能性・行動経済学的な動機の活用について紹介しています。

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March 08, 2026
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Transcript

  1. 例: インフラ建設の是非  政府は、ある地域に新しい橋を建設するか(y)か否か(n)を決める ◼ 状態: 橋を建設すべきかどうか(Y or N) 

    政府は真の状態(Y or N)を知らない  状態を知っている技術評価者(agent)が3人いる ◼ 技術評価者らが状態を知っていることは衆知の事実  技術評価者らは、状態に関係なく橋を建設したい(y が選ばれると嬉しい)  政府は、技術評価者らから状態の情報を申告させ、状態の情報(Y or N)を得 て、それに合わせて橋を建設するか否か(y or n)を決めたい ◼ 真の状態に応じた意思決定 = 社会的選択関数(social choice function) ◼ 「Y のとき y, N のとき n」をすべての(or 唯一の)均衡で達成できるか?
  2. 今の設定では不可能 → 追加の仮定  現状の設定 → 状態が技術評価者の利得に影響を与えない ◼ 状態にかかわらず、技術評価者は政府に y

    を取らせたい  均衡の集合は状態に依存しない → 唯一の均衡として「Y のとき y, N のとき n」を達成することは不可能 ◼ 例えば、状態を申告させ、多数決を取る場合、 (N, N, N), (Y, Y, Y), (Y, Y, N), (Y, N, Y), (N, Y, Y) はすべてナッシュ均衡となる  追加の仮定 ◼ 政府は事後的に、低確率で真の状態を知ることができる ◼ ここでわかった情報に応じ、技術評価者に罰金を科すことができる → 真の状態が技術評価者の利得に影響を与えるチャンネル
  3. 罰金による解決と、残る課題  単純な解決: ◼ 状態を申告させ、多数決を取る ◼ 嘘がばれた場合には大きな罰金を科す → すべての技術評価者が真の状態を申告するインセンティブを持つ 残る課題:

     政府が真の状態を知れる確率が低いと、必要な罰金の額が大きくなる ◼ 嘘はめったにばれない → 罰金が相当に高くないと技術評価者は恐れない ◼ そのような罰金は実行困難 ◼ 罰金の額が小さいと、複数均衡が残る
  4. Abreu-Matsushima Mechanism(簡略版)  3人の技術評価者が、Y か N かを K 回、別の枠として申告する ◼

    それぞれの申告は独立で、いつでも・何度でも変更してよい  政府は K 個の申告プロファイルの中から1つをランダムに選ぶ ◼ その申告プロファイルに基づいて、多数決で y か n かを決定する  政府が事後に真の状態がわかった場合には、(もしいれば)最後に嘘をついた 人のみ、少額の罰金を科す 1回目 2回目 3回目 4回目 5回目 評価者A N N Y N N 評価者B N Y Y Y N 評価者C N N Y N N 真の状態が N の場合 評価者 B が少額の罰 金を科される
  5. Abreu-Matsushima Mechanism(簡略版)  罰金と政府が真の状態を割り出せる確率を踏まえ、十分に大きな K を取る → 特定の回が、多数決のために参照されることは稀  K回目の申告で嘘をつくような戦略は、支配される戦略となる

    ◼ 嘘をつくことにより、政府の決定が変わる確率は小さい ◼ 嘘をつけば罰金を支払うコストが発生する(Kによらない定数) → K回目の申告では誰も嘘をつかない  K回目の申告で嘘をつく戦略を消去すると、K-1回目の申告で嘘をつくような戦 略は支配される戦略となる ◼ K-1回目が、最後の嘘をつく機会と変わるから  支配される戦略の逐次消去 → すべての回で真の状態を申告する戦略だけが残る ◼ 唯一の均衡であり、均衡概念はナッシュ均衡よりも強い
  6. 適用条件の再検討  Abreu and Matsushima (1992) では(もちろん)もっと抽象的な環境・一般的な 条件で、社会的選択関数の遂行可能性(真の状態に応じた社会的な意思決定を、 唯一の均衡として達成することができるか?)を示している 

    Agent は3人以上いれば OK(人数が多くなっても問題なし)  「罰金を科せる」 「政府が低確率で真の状態を知れる」は、ほぼ代替可能 ◼ 罰金を科せる → 逸脱した agent を罰することができるような random allocation がある ◼ 政府が低確率で真の状態を知れる条件 → agent たちに真の状態を申告させることができる条件(次ページ) ◼ 低確率で狙っている社会的選択関数が指定するものとは異なる allocation rule を使う解決(社会的選択関数の ”virtual” implementation)
  7. 参照点として「真の状態」を申告させる方法  Random allocation が 𝑎, agent 𝑖’s type が

    𝜓𝑖 だったときの agent 𝑖 の utility を、 𝑢𝑖 𝑎, 𝜓𝑖 と書く ◼ 社会全体の状態(state): 𝜓 = 𝜓1 , … , 𝜓𝐼  補題: 各 type 𝜓𝑖 で、𝑢𝑖 が random allocation に対して異なる選好順序を表して いるのであれば、以下のような random allocation の選び方 𝑓𝑖 が存在 𝑢𝑖 𝑓𝑖 𝜓𝑖 , 𝜓𝑖 > 𝑢𝑖 𝑓𝑖 𝜓𝑖 ′ , 𝜓𝑖 for all distinct 𝜓𝑖 , 𝜓𝑖 ′ ∈ Ψ𝑖  𝐾回の状態 𝜓 の申告とは別に、1回 𝜓𝑖 を申告させる ◼ 低確率で agent 𝑖 に独裁させ、 𝑓𝑖 𝜓𝑖 を random allocation として選ぶ ◼ 𝐾回の 𝜓 の申告の部分で科す罰金のスケールを、𝜓𝑖 の申告から得られるイ ンセンティブより十分小さくしておけば、この申告で嘘をつく戦略はすべ て支配される戦略にできる → その後、この申告を「真の状態」とみなして先述のロジックを適用する
  8. これは画期的な結果  Abreu-Matsushima mechanism が使える(= virtual implementation が可能な) 前提条件は弱い ◼

    Exact implementation → 社会的選択関数がマスキン単調性を満たしていなけ ればナッシュ遂行は不可能 ◼ Abreu-Matsushima では社会的選択関数には一切の条件を科していない (※ utility のドメインには一定の仮定は入っている)  整数ゲームのナッシュ均衡の不存在に依存しない、Message space が有限でよ い、単なるナッシュ均衡ではなく支配されている戦略の逐次消去で残る唯一の 戦略プロファイルという強い均衡概念を満たすなど、他にも様々な強み  それでも Abreu-Matsushima(など)は実用されていない。なぜ?
  9. 実務的インプリケーション?  (complete information を緩めた研究もあるが)Abreu-Matsushima を含む遂行 理論の枠組みは「複数の agent が社会全体の状態を知っている」ことに依拠 ◼

    自分の選好を reveal させる設定のほうが現実的 → 主流の研究に  本当に遂行理論っぽい状況は実社会に存在しないか? 遂行理論 社会全体の状態 𝜃 Agent たち 既知 制度設計者 状態を知らない → agent たちから聞 き出して、唯一の均 衡として社会的選択 関数を実現したい (遂行理論でない)メカニズムデザイン 社会全体の状態 Agent たち 制度設計者 社会厚生最大化等の 強い構造が入った 目標を一つの均衡と して実現したい 𝜃1 𝜃2 𝜃3 自分の 選好・ 情報・ 能力を 申告
  10. 実は遂行理論は「使える」かもしれない  実はブロックチェーンにおける「オラクル問題(oracle problem)」は、とても 遂行理論的な問題  ブロックチェーン = 分散型の台帳 ◼

    特定の信頼できる管理者に頼らずに記録を管理する仕組み  暗号資産 = この台帳を使い、所持金の残高を管理する電子決済システム ◼ AさんがBさんに 100 coin 支払うときは、「Aさんの残高から 100 coin を減 らし、Bさんの残高に 100 coin を追加する」と(Aさんの署名をつけて)台 帳に書き込めばよい ◼ 銀行送金などの電子送金も本質的には似たような仕組み  暗号資産はこのような単純な送金だけではなく、条件をつけた複雑な送金にも 対応している(ものもある) → スマートコントラクト
  11. スマートコントラクトによるプットオプションの実装  スマートコントラクトはとても便利  プットオプション → 清算日に原資産(株式など)を行使価格 で売れる権利としての金融商品  スマートコントラクトで、

    ある株のプットオプションを作る方法: ◼ 契約日に売り手が行使価格をスマート コントラクトにデポジット ◼ 清算日にスマートコントラクトが max{行使価格 - 清算日の株価, 0} を 買い手に送金し、残りを売り手に送金  「清算日の株価」の情報はどこから取る? プットオプションのリターン (買い手の清算日のキャッシュフローが こうなればよい) 清算日における 原資産の価格 行使価格 45° キャッシュフロー Out of the money プットオプションを 行使せず、市場で 売ったほうがよい → プットオプション の価値はゼロ In the money プットオプションを 行使すると、高値で 原資産を売れる
  12. オラクル問題  「清算日の株価」は誰でも知っている情報(= 衆知の事実) ◼ 「Yahoo!ファイナンス」でも何でも見ればすぐわかる  株の取引はブロックチェーン外で行われるので、スマートコントラクトが直接 参照することはできない ◼

    特に、天気など物理的な情報は、どこまでいっても「外部データ」  外部のデータをどうやってブロックチェーンに取り込む?(オラクル問題) ◼ 技術的には誰でも簡単に入力できるが、誰もが嘘をつくかもしれない ◼ 信頼できる入力者に頼ることは分散性の否定なのでやりたくない  これは遂行理論の問題! ◼ Agent 間では衆知の事実を、唯一の均衡として正しく入力させる
  13. 通常の遂行理論の枠組みとのギャップ  では遂行理論の知見をそのまま適用してオラクル問題を解決できるか?  Abreu-Matsushima を使うには、真の状態を参照点として得るギミックが必要 ◼ 「政府が低確率で真の状態を知れる」「真の状態に応じて、agent が allocation

    から得る utility が異なる」など  これらはオラクル問題の解決には直接使えない ◼ Agent は報酬が欲しい、罰金が嫌いという好みを状態にかかわらず持ち、 「清算日の株価が〇〇円なのでこの allocation が好き」という好みはない  どうする? → 一つの解決策が behavioral mechanism design ◼ Agent が嘘をつくことに(小さな)心理的抵抗があれば、それをフルに活用 して唯一の均衡として真の状態を取得できる
  14. Honesty への選好に基づく遂行  松島先生はこのラインでも重要論文を書いている ◼ Matsushima (2008, JET) “Role of

    honesty in full implementation”  野田と書いたブロックチェーンの論文はその一つ ◼ Matsushima and Noda (WP) “Mechanism design with blockchain enforcement” → 遂行理論によるオラクル問題の解決を提案  技術的側面に焦点を当てた拡張 ◼ Matsushima (2022, GEB) “Epistemological implementation of social choice functions” ◼ Matsushima (2025, SCW) “Honesty and epistemological implementation of social choice functions with asymmetric information”
  15. Honesty を活用する制度設計 (1)  状態空間は {0, 1} (例: ある時点の株価が閾値より高いか否か) 

    Agent は2人以上、メカニズムから得られる報酬以外に利害関係はない  状態の実現は衆知の事実  各 agent は selfish か honest の behavioral type を持つ ◼ Selfish = material payoff(金銭的利得)しか気にしない ◼ Honest = 嘘をつくことにわずかな心理的抵抗を感じる  単純なメカニズム: 多数決 + 満場一致のときに報酬 ◼ 全員が selfish なときには明らかに複数均衡がある(例: 全員嘘をつく) ◼ Honest type が確率的に存在することを仮定しても、(i) 相手が honest であ る確率が十分に高い (ii) 心理的抵抗が十分強い が満たされないと複数均衡
  16. Honesty を活用する制度設計 (2)  提案メカニズム ◼ 真の状態は {0, 1} だが、message

    space は連続にする [0, 1] (心理的な抵抗は、申告が真の状態から離れれば離れるほど増すと仮定) ◼ ある agent の罰金は、その agent の申告と、他の agent の申告の平均の距 離の二乗により決まる(なるべく申告を一致させたい)  Honest は selfish よりも正直寄りのメッセージを申告しようとする 0 1 Selfish が全員このメッセージを申告するとしたら… 真の状態 偽りの状態 Honest はそれより少し真実に近い申告をしたい Selfish は Honest に合わせたいので、もう少し正直よりの申告をしたい
  17. Honesty を活用する制度設計 (2)  提案メカニズム ◼ 真の状態は {0, 1} だが、message

    space は連続にする [0, 1] (心理的な抵抗は、申告が真の状態から離れれば離れるほど増すと仮定) ◼ ある agent の罰金は、その agent の申告と、他の agent の申告の平均の距 離の二乗により決まる(なるべく申告を一致させたい)  Honest は selfish よりも正直寄りのメッセージを申告しようとする → Selfish はそれを見越し、honest に合わせるためにやや正直寄りの申告をする → Honest はそれよりも正直寄りの申告をする……… ◼ 真の状態を申告するのが支配されている戦略の逐次消去で残る唯一の戦略 となる
  18. Honesty を活用する制度設計 (3)  実現値として、すべての agent が selfish でも正直申告がなされる ◼

    各 agent は、他の agent が honest かもしれないと思っている  実は、すべての agent が「他の agent が honest かもしれないと思っている」こ とすら必要がない ◼ 「他の agent が『他の agent が honest かもしれない』と思っている」でも よい(higher-order belief)  Matsushima (2022, GEB) では、「『すべての agent が selfish』が衆知の事実 (common knowledge)でなければ、任意の社会的選択関数が唯一のベイジア ンナッシュ均衡として遂行可能」という結果を証明している ◼ Honesty が少しあると Abreu-Matsushima の utility に関する仮定は外せる
  19. オラクル問題の重要性  スマートコントラクトはブロックチェーンに書き込むと、後から約束を違える ことができない(条件が満たされれば自動執行される) ◼ 裁判所に頼らず、契約履行に対してコミットメントできる ◼ 取引相手による契約破りを心配しなくてよくなる  信頼できない主体でも疑似的な金融サービスを提供可能になる

    ◼ 外部データをブロックチェーンに取り込むオラクルは、分散型金融(DeFi, スマートコントラクトを活用した「信頼できない主体」による金融サービ ス)の最も重要なインフラ  既存サービスは、複数均衡や reputation への依存を解決しきれていない ◼ 遂行理論をもとに実務的な解決策を提案できれば商売にもなりうる?
  20. より一般的な契約の執行にも使える  スマートコントラクトは金融サービス以外にも応用できる  (ブロックチェーン外の活動も含む)任意の契約を考える  社会で使われるほとんどの契約は self-enforcing ではない ◼

    例: 物の売り買い → 商品や代金を持ち逃げするインセンティブ ◼ 裁判所がこうした契約破りを罰してくれるから契約を結べる  スマートコントラクトを使えば、裁判所に頼らずに逸脱者を罰することが可能 ◼ 契約前にスマートコントラクトに資金をデポジット ◼ 契約で定められた行動を取る → 契約関係者にとって、逸脱者が明らかに (ブロックチェーンから見て外部データとなる「状態」) ◼ 誰が逸脱者かを入力 → 逸脱者はデポジットを没収される(罰金)
  21. 「デジタル法廷」の社会的インパクト  「デジタル法廷」= 裁判所の代わりとなるスマートコントラクト ◼ 個々の契約に合わせてスマートコントラクトをデザインする必要はない  デジタル法廷を使えば、任意の立証可能な逸脱は処罰できる  状態の入力は契約関係者が自身で行える

    → 第三者の介入を必要としない ◼ 裁判所はおろか、仲介者等も原理的には必要がない  ポジティブな面 → 一定の状況下で、契約の執行コストを軽減できるかも  ネガティブな面 ◼ 従来、裁判所が執行を助けなかった、社会的に有害な契約もデジタル法廷 を使えば執行できてしまう
  22. まとめ  Abreu and Matsushima (1992) は、任意の社会的選択関数を、支配されている戦 略の逐次消去で残る唯一の戦略プロファイルとして「ほぼ」遂行できることを 示した(virtual implementation)

     実用のためのハードルの一つは、真の状態の手がかりとなる参照点の構築 ◼ 元論文が仮定していた、「異なる type → 異なる選好」がもっともらしくな い応用も多い ◼ Agent の behavioral な動機に期待する制度設計が研究されている  オラクル問題の解決は遂行理論の直接的な応用となるかもしれない ◼ Matsushima and Noda (WP) では理論的解決を示している ◼ ただし実用まではまだギャップがあると感じる