人口減少と高齢化をテーマに「人や町の豊かさとは何か」を、地域で共有される知識や資源から読み解き、構想する、ビジョンデザインのプロジェクト。株式会社リ・パブリックと共催したフィールドワークで見つけた地域の豊かさから「地域の豊かさを生み出す仕掛け」を考察した内容をまとめた書籍です。
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CONTENTS004 ͡Ίʹ008 INTRODUCTIONਓொͷ๛͔͞ͱԿ͔010 PART 1ɹϑΟʔϧυϫʔΫਓޱݮগͷઌߦࣄྫͱͯ͠ͷํ๛͔ͳΒ͠ํΛࡧ͢ΔҠॅऀ࡚ݝӢઋࢢখொळాݝೆळా܊ޒொ͓ΛͬͨਓͨͪϑΟʔϧυϫʔΫͰݟ͚ͭͨҬͷ๛͔͞ҠॅऀʹΑΔʮΏΒ͗ʯ1 ҠॅऀʹΑͬͯىͬͨ͜ lΏΒ͗z ͕͋Δ2 Ҭͷ֎ʹΛ͚ͯɺͱ֎Λͭͳ͙ਓ͕͍Δ3 ֎͔Β͖ͬͯͨਓΛड͚ೖΕΔ4 ੜ׆ݍ͕ॏͳΓɺଟ༷ͳग़ձ͍͕ੜ·ΕΔ5 ͓ۚͷࢿຊ͔ΒҰઢΛըͨ͠ผͷܦࡁݍ͕ଘࡏ͢Δ6 ͪΐͬͱͻͱख͔͚ؒͯɺࣗͷࢥ͏ʮͪΐͬͱ͍͍Β͠ʯΛ࡞Δ7 ʮ͖ʯΑΓɺʮָͦ͠͏ɾ͋ͬͨํ͕ྑͦ͞͏ʯΛબͿϚΠϯυ͕͋Δ8 ʮͬͯΈͳΑɺΖ͏Αʯͱ͍͏ࣗવͳޙԡ͠ϑΟʔϧυͰؾ͍ͮͨੈͷதͷมԽҬͰڞ༗͢Δࢿ࢈Λ࣋ͭਓͱਓͷͭͳ͕Γ่ΕΏ͘ࢿຊओٛલఏͷࣾձ৽͍ࣾ͠ձΛ࡞ΔΧΪͱͳΔҬαεςΠφϏϦςΟ077 PART 2ɹ๛͔ͳொͷֻֻ͚͚1 ձ͕ੜ·ΕΔॴΛͭ͘Δֻ͚2 lاΈz ͷॴΛͭ͘Δֻ͚3 ҬͷΈΜͳ͕͑Δڞ༗Λͭ͘Δֻ͚4 ྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͙ͷΛͭ͘Δֻ͚5 ձਓͷಌΕΛͭ͘Δ098 PART 3ɹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦSCENARIO 1 اΈϙοϓΞοϓSCENARIO 2 ொຽԂSCENARIO 3 ࣗಈӡసλΫγʔ107 PART 4ɹ๛͔ͳொͷ͡Ί͔ͨ110 PART 5ɹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘খொฤޒொฤ148 ͋ͱ͕͖150 ڞ࠵ऀϓϩϑΟʔϧ
デザインリサーチの案件も多いKOELでは「独自の視点を持っていたい」「外部の方、学生の方と一緒に探索をすることで、視野を広げたい」などの想いがある。本プロジェクトは、2021年の「みらいのしごと after 50〜50代以降の働きかた、生きかたを、地域で創造的に暮らす高齢者に学び、構想する〜」プロジェクトの第2弾として実施した。今年は、地域創生に目を向け、持続可能な地域に必要不可欠な要素が何かを模索すべく、「生きるキャピタル 〜人やまちの豊かさとは何か 地域で共有される知識や資源から読み解き、構想する〜」として実施したフィールドワークを、「豊かな町のはじめかた」として考察した。共通のテーマとして、日本がこれから直面する、人口減少・高齢化という社会は、どういったものなのだろうか。その中で幸福感のある暮らしを持続していくには、何が大切なのだろうか。それを見つけたいという想いがある。今回も、いつも新しい視点で驚かせてくれる、株式会社リ・パブリックさんと、フィールドワークを共催した。両社の探究心を掛け合わせて、フィールドから汲み取った気づきをまとめたのが本書である。͡Ίʹڞ࠵「デザイン×コミュニケーションで社会の創造力を解放する」をミッションに、常識を超える新たなコミュニケーションを作ること、そして人や企業、その集合体である社会全体の創造力を解放することを使命とするNTTコミュニケーションのデザイン組織。ビジョン策定や事業の開発・改善からコミュニケーション・組織設計、人材育成まで幅広くデザインを手がけている。KOEL DESIGN STUDIO by NTT Communications持続的にイノベーションが起こる「生態系(=エコシステム)」を研究し(Think)、実践する(Do)、シンク・アンド・ドゥ・タンク。不確実性と複雑性がますます高まる社会・経済の中で、セクターを超えて協働し、それぞれの資源や技術、文化を編み上げ、新たな展開を生み出していく、ダイナミックな変化が世界各地で起こり始めている。こうした変化を生み出すプロジェクトを構想し、世界のフロンティアで挑戦する人たちと手を携えて、ともに実験と実践を繰り返す共同体を生み出す。ひとりの市民から、組織、地域、社会まで。—あらゆるスケールの視点を行き来しながら新たな可能性を紡ぎ上げ、パブリックを編み直す。גࣜձࣾϦɾύϒϦοΫ004 005
「地域創生」という言葉を聞くようになって久しい。地方の活性化は、国が力を入れて取り組んできた重要課題であるものの、成功事例はまだ少ないように見える。時には、言葉ばかりが先行し、大規模な都市開発や、巨大商業施設の建設など、都心部の一部を地方に移植するような創生プランも少なくない。今、地域が直面している問題は、大きく2点あると言われている。1つ目は、超高齢化・人口減少が進んでいく社会で、持続可能な都市・地域を形成しなくてはならないこと。2つ目は、地域産業を成長させ、地域内での雇用を創出することである。つまり、少ない人々で、地域社会を維持していくことができ、地域ならではの産業が定着することが求められており、そこに対しての現実的で継続が可能な、なんらかの施策が必要である。そして、持続可能な地域で一番大切なのは、その中で暮らす地域の人々が、「豊かさ」を感じる暮らしを送れることである。そのためには何が必要なのか。本プロジェクトでは、地域社会が培ってきた人々の営みや文化、自然とのつながり、脈々と続けられてきた生活の知恵を使うことで「豊かな」生活が営まれてきた地域で、「暮らし」をフィールドワークすることで、その中にある豊かさをひもとき、そこから作られる持続可能な地域に必要不可欠な要素について考えてみたい。そうすることで、昨今の気候変動や格差問題などにより、現代社会の資本主義的な生産性や効率性が疑問視される中で起こっている、豊かさのパラダイムシフトに目を向けることにつなげていきたい。ਓொͷ๛͔͞ͱԿ͔ҬͰڞ༗͞ΕΔࣝࢿݯ͔ΒಡΈղ͖ɺߏ͢ΔINTRODUCTION008
2022年・夏。フィールドワークで訪問したのは、九州と東北、遠く離れたこの2つの土地。移住者が増え新しい外の空気と地域の土着性が寄り合い始めている長崎県雲仙市小浜町と、「土着ベンチャー(ドチャベン)」と呼ばれる地域に根ざしたベンチャー起業家を支援している秋田県南秋田郡五城目町である。限られた滞在期間の中で、さまざまな場所に伺い、多くの方々に話を聞かせていただいた。ϑΟʔϧυϫʔΫPART 1011PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ010
20201920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 (年)(出典)総務省 人口統計102030405060708090100110120130140150(万人)秋田県1956年 135万人でピーク全国平均総人口/47(46)秋田県長崎県東京都全国平均 2008年でピーク(総人口1 2808万人)長崎県1960年 176万人でピーク東京都は現在も増加傾向日本の総人口がピークを迎えたのは、2008年。それ以降、人口減少・少子高齢化が日本社会の問題として捉えられるようになって久しい。日本の人口は、今後100年で100年前(明治後半)の水準に戻っていくと言われている。また、高齢化も進み、65歳以上の人口が現状は全体の約30%だが、今後約40%まで増えると見込まれる。それに伴い、いくつかの都市圏を除いた多くの地方自治体で人口減少に直面する。人口減少の進み方には地域差が大きい。全国的に人口が減少している近年でも、東京などの都心部の人々が実際に経験しているのは、人口増加の世界観である。一方、地方では、2008年以前から人口減少が続いている場所も多い。現在、人口減少率が全国1位の秋田県では、1956年に人口のピークを迎えて以降、70年近くもの間、人口が減少し続けており、人口減少の文脈では全国1位の先端地域である。こうした地域では、地域の持続性や復興などが問題になることもあり、これまでも多くの地域活性化のための施策が立てられてきた。施策の中には、商業施設の建設のように都会的要素を田舎に持ち込むものも多く、継続性が低いものもある。もっと地域に根差し、今後も続く人口減少の事実を受け入れ、土地の人々で継続していくことができる施策を考えるには、何を考慮すべきなのか、どんなポイントを押さえるべきなのか。その中で暮らす地域の人々が「豊かさ」を感じる暮らしを送るには、どんな要素が必要なのか。そのヒントを探るため、フィールドワークを実施した。ਓޱݮগͷઌߦࣄྫͱͯ͠ͷํ012 013PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
๛͔ͳΒ͠ํΛࡧ͢ΔҠॅऀ࡚ݝӢઋࢢখொळాݝೆळా܊ޒொそんな人口減少の進む地域で、移住組が中心となる新しい動きが起こっている地域がある。多様な移住者が、都会の生活で覚えた違和感や、そこで実現できなかった暮らし方を試しながら、豊かな暮らしを実践している。また、そうした移住者の新しい価値観、外からの視点が、もともと住んでいる住民にも影響を与え、地域全体が活性化している。今回のリサーチでは、「豊かな暮らし方を模索する移住者」の方々を中心にお話を伺い、人口減少・高齢化の時代を豊かに生きるために地方に求めたこと、新しい土地で見つけた「豊かさ」についてひもといてみた。フィールド先に選んだのは、それぞれユニークなやり方で、町の本質的な状態や価値を持続している2つの土地拠点である。その1つは、外から入ってきた新しい流れと中の土着性が寄り合い、独特の豊かさを形成している、長崎県雲仙市小浜町。2つ目は、地域の持続性を高めるために、スタートアップを支援する仕組み「ドチャベン」を成功させたりと、地域密着型を意識したビジネスの多い、秋田県南秋田郡五城目町。この2つの町で出会った、豊かな暮らしを実践する移住者の方々、移住者に影響を受けて価値観の変容を遂げた方々にお話を伺った。014 015PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
࡚ݝӢઋࢢখொ֎͔Βೖ͖ͬͯͨ৽͍͠ྲྀΕͱதͷணੑ͕دΓ߹͍ɺಠಛͷ๛͔͞Λܗ͍ͯ͠Δ面積:50.84 km2人口:8,948人高齢化率:約35%(平成27年データ)016 017PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
ळాݝೆळా܊ޒொҬͷ࣋ଓੑΛߴΊΔͨΊʹɺελʔτΞοϓΛࢧԉ͢ΔΈʮυνϟϕϯʯΛޭͤͨ͞ΓͱɺҬີணܕΛҙࣝͨ͠Ϗδωεͷଟ͍面積:214.9 km2人口:9,463人高齢化率:約42%019PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ018
ळాݝೆळా܊ޒொᬒ ߁Ӵ͞Μӑా ढ़ี͞Μӑా ߳͞Μീౢ ඒܙࢠ͞Μా ཧਓ͞Μࠤ౻ ༑྄͞Μ࡚ݝӢઋࢢখொࢁ㟒 ਸ͞Μࢁ౦ ߊେ͞Μݹঙ ༔ହ͞Μླ ͯΔΈ͞Μদඌ རത͞Μ ༗ඒࢠ͞Μ͓Λͬͨਓͨͪ͠ Ζ୩ͨ ʹߞ͜ ͏ੜͤ ͍͞Μ小浜町出身。高校卒業後、東京のデザインの専門学校に進学し、その後イタリアを拠点にヨーロッパでプロダクト・インテリアデザインを学ぶ。現在はヨーロッパで影響を受けた「古いものを大切にし、未来に継承していく」創作活動を小浜を拠点に国内外で実践。刈水地区の活性化プロジェクトでは、空き家の多かった地域を、作家やデザイナーの集まる地域へと変貌させた。খͰΒ͢ҙຯ小浜は気持ちよく暮らせる場所、肌に合う場所だと感じている。旅に出ても正直な気持ちで「この場所にもっと長くいたい」と思う場所はそう多くはなく、小浜はそのうちの一つと考えている。基本的には山や海、温泉や湧水など土地の力が強く、できるだけ他に依存しなくても生きていけると感じている。また、かつて住んでいた街とは違い、小浜はまだお金だけでなく、他者を受け入れる優しさから、物々交換、技術交換という人との交流から生まれる生きていく術も残っていて、自分の手と頭、周囲との関係から、自分に合った暮らしを作ることができる。それがその先にある「豊かに暮らす」ということにつながっているような気がしている。খͰͷΒ͠ํ単純に好きな小浜(土地)で、どう長くいられるかを考えている。そのためには年を重ねて、体が変化してきても、長く楽しく暮らして生きたい。その積み重ねが「豊かさ」を生むと思っていて、先住民から暮らしの経験を引き継ぎつつ、自分の実践を通して現代に編み直していく。また経済を回すのも大事で、自分が小浜で実践した暮らしの経験値、その一旦をデザインという手段で他者へおすそ分けすることで経済を作っている。個人の暮らしから始まり町に到るまで、公私関係なく、みんなと暮らしを考えていけたらと思う。ࢁ ·㟒͞ ͖͖ਸ͠ Ύ ͏͞Μ仕事 デザイナー今まで住んだところ 熊本県出身 福岡移住した年 2012年経歴 熊本県生まれ。福岡デザイン専門学校卒業後、福岡県の不動産会社に勤める。退職後、インテリアの専門学校に通っていたときに城谷さんに出会い、2012年に小浜に移住してStudio Shirotaniのスタッフになる。2019年に独立し、「目白工作」を設立。খொ࡚ݝӢઋࢢ020 021PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
ࢁ͞ Μ౦Ͳ ͏ߊ͋ ͖େͻ Ζ͞Μ仕事 自然エネルギー・地域経済研究者今まで住んだところ 兵庫県出身移住した年 大学院生のとき経歴 兵庫県生まれ。関西学院大学の大学院に在籍中に小浜へ移住。小浜温泉による地熱発電と洋上風力発電などの再生可能エネルギーによる、地域の経済付加価値を分析する研究を専門とする。খͰΒ͢ҙຯ小浜はとても暮らしやすい街。田舎だけど、温泉街はコンパクトなので徒歩圏内でほとんど揃う。また、豊富な食資源や温泉などの自然資源だけでなく、移住者を含めて多様な職種や背景を持つ人が同じ街に住んでいるのはとても魅力的です。また、小浜温泉は基本的に国道の中通りが南北に2本平行に並んでいる街なので、歩いていると必ず知り合いとすれ違います。他にも、行きつけのお店などに行き、お互いの近況を話すなど、人と人が近い街なのはとても魅力的。また、小浜は街が小さいので、普段出会えない人と会える。たとえば、2013年に小浜の発電所の実証事業を始めた際には、日本中から研究者や事業者などが視察に訪れ、知り合いになることができた。他にも、刈水やオーガニック直売所「タネト」関連でも小浜で知り合いになることも多く、東京にいてもなかなか会えない人たちに会えるのが、小浜のいいところだと感じている。খͰͷΒ͠ํ小浜に暮らしながらフルリモートで自然エネルギー関連の研究の仕事をしている。小浜に暮らしていると、地域の人と直接対話する機会が多い。自然エネルギーは、導入のために地域住民との協働が不可欠だが、小浜での地域の人との経験が生かされる場面が多くあった。また、研究と地域の両方の立場に身を置くことで、違った視点や人の意見から小浜を見ることができるため、結果的に小浜でやりたいことリストのアイディア数が830まで溜まっている。それらのアイディアの実現は徐々に進めている。ݹ; Δঙ͠ ΐ ͏༔Ώ ͏ହͩ ͍͞Μ仕事 デザイナー今まで住んだところ 福岡県出身移住した年 2013年経歴 福岡県生まれ。九州大学芸術工学部に在籍中、授業を通じて城谷さんと出会い、大学を卒業した2013年に「Studio Shirotani」で勤務開始。グラフィックデザインの他にStudio Shirotaniが運営するデザインショップ、「刈水庵」の店長を務める。2016年に喫茶を備えた事務所「景色デザイン室」を設立。খͰΒ͢ҙຯ小浜は小さな街なので、打ち合わせの時以外にもスーパーや銭湯などで仕事相手と出会う機会がある。仕事とプライベートがつながっているような、みんなで食卓を囲んで話を聞くような関係の中で本音を聞けたりする関係性のありかたが自身に合っていた。そういう仕事以外の関係から依頼される仕事も多い。খͰͷΒ͠ํ仕事とプライベートの区切りはつけず、混ざり合った生活をしている。自身の役回りとしては、あらゆる職種や世代をまたいでつながるハブだと捉えている。小浜とつながりながら関係性を広げていく役割を面白がり、住民の個性を引き出して、それらが混ざっている小浜を作っていきたいと考えている。022 023PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
দ· ͭඌ͓རͱ ͠തͻ Ζ͞Μླ͢ ͖ͣͯΔΈ͞Μ仕事 アイスソルベ専門店今まで住んだところ 小浜町出身 東京 大阪 神戸移住した年 30歳くらいのとき経歴 小浜町出身。諫早、東京、大阪、神戸でパティシエの修業後、30歳頃に小浜に戻り、実家のパン屋を経営。ケーキ屋として独立する予定だったが、移住者から刺激を受け、アイスソルベ専門店として独立した。仕事 草木染め作家今まで住んだところ 長崎市出身看護師や看護学校の先生として働いた後、草木染め作家の夢を小浜町刈水地区で叶える移住した年 2013年経歴 40代後半に草木染めを始めることを決意し、藍や綿を栽培できる場所を探している中、テレビで紹介されていた古庄さんをきっかけに小浜を知る。城谷さんの協力のもと、2013年に刈水でアイアカネ工房をオープン。খͰΒ͢ҙຯ小浜にUターンし、独立を考えているときに、古庄さんや山東さんなどの移住者たちとの交流を通じて「ここにしかない食材と、自分の技術を掛け合わせたかたち」を目指しアイスソルベ専門店として独立した。移住者からさまざまな情報やスキルを教えてもらおうとする柔軟な姿勢を持ち、UターンだけでなくIターンで小浜に移住した人も大事にして、みんなで仲良くやっていけば、もっと面白い町になると思っている。খͰΒ͢ҙຯ小浜は長崎と比べて水や土地が豊かで安かったので、小浜へ移住した。長崎はあまり土地がないので畑の確保が難しいのと、水の値段が全然高い。小浜では水道水だけでなく、湧水をポンプで上げて使っている。খͰͷΒ͠ํアイスソルベ以外にも、小浜の飲食店にオリジナルのデザートを提供している。また、月に一度家族のために休みを取るようにしていて、そのことをSNSで発信することで「お店の働き方はこうでないといけない」という固まった考えを崩そうとしている。খͰͷΒ͠ํ染めの体験教室や、自身の作品作りをしている。作品を売るだけでなく、古庄さんの依頼で旅館「伊勢屋」さんの暖簾や神社の御神木で染めた布でお守りを作ったりするなど、小浜のつながりの中でも染め物を提供している。また、綿の種を配り、栽培してもらうオーガニックコットンプロジェクトを通じて、食べ物の地産地消と同じく、布も地産地消できることを伝えている。024 025PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
͘ ͞ͷ༗ΏඒΈࢠ͜͞Μ仕事 老舗旅館の大女将今まで住んだところ 長崎県松浦市 出身移住した年 1980年頃経歴 結婚を機に、40年ほど前に小浜へ移住。小浜温泉の老舗旅館「伊勢屋」で女将となったのち、「若女将たちに何かあっても支えられるように」と考え、次世代を育てるために女将を譲り、現在は大女将として働く。খͰΒ͢ҙຯ小浜は昔から観光地で、ベタベタするわけではないけど、外の人を受け入れる雰囲気がある。古庄さんのような移住者のおかげで新しい雰囲気が生まれている。本来ならそのような下地を作るのには時間がかかるが、幸い小浜には既にその風土がある。小浜温泉には高齢者だけでなく、面白い若者がたくさんいる。খͰͷΒ͠ํ若い人たちの感性を活かすために、私のような発言力のある地元のおばちゃんが手伝うようにしている。息子や孫のように叱ったりもするが、若い人たちから刺激を受けて新しいことを取り入れている。これからも街のお母さんのような立場で、若者や移住者が小浜に溶け込めるようにして、小浜を元気にしたいと考えている。026 027PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
ӑ͏ ͠ాͩढ़͠ Ύ Μี͢ ͚͞ΜΘ ͨᬒͳ ߁͜ ͏Ӵ͑ ͍͞Μ仕事 シリアルアントレプレナー今まで住んだところ 東京移住した年 2014年の春経歴 大学在学中に公共施設を活用した、ちよだプラットフォームスクウェアの立ち上げに携わる。卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社に就職。退職後、2010年にハバタク株式会社を立ち上げ、代表取締役に。ゆかりのある千代田区から姉妹都市である五城目町に出会い、移住。解体されかけていた茅葺古民家と出会い、シェアビレッジ・プロジェクトを始める。仕事 酒蔵の16代目蔵元今まで住んだところ 五城目町出身 東京移住した年 2002年にUターン経歴 五城目出身。福禄寿酒造株式会社の16代目蔵元。東京農業大学醸造科卒業後すぐに、父親から会社の危機を知らされUターン。造り・火入れ・貯蔵・流通などにわたり思い切った社内改革を断行した。2004年、新しい門出の証として社名を「福禄寿酒造株式会社」に変更し代表取締役社長に就任。2006年に「一白水成」を完成させ全国新酒鑑評会金賞を獲得。ޒͰΒ͢ҙຯ東京とは異なる経済圏がある。資本主義からこぼれ落ちている潤沢な資源がそこらじゅうにある。「ただのあそび場ゴジョーメ」もボランタリーで回っている部分が多く、固定の支出はほとんどなしで運営できている。楽しく暮らしながら働けることが、五城目で仕事をするやりがいになっている。ޒͰΒ͢ҙຯ五城目の豊かさを生かす酒造りをしている。美味しい五城目の地下水を使ったり、五城目の農家と酒米を作ることで、天候などによるお米の状況を、直に酒造りに反映することができる。ޒͰͷΒ͠ํ東京と五城目を行き来しつつ、自分が興味のある分野や、楽しいと思うことを、プレイフルに地域住民と企て、活動に起こしながら生活をしている。今日すごく釣れそうだなと思った日は、川で釣りをしながら仕事をする。ޒͰͷΒ͠ํお酒よりも五城目の良さを広めることを意識している。フランスのワイナリーに研修に行った時に「この街が好きじゃないなら、うちのワインは飲まなくてもいい」というスタンスに刺激を受けた。そこから、五城目の文化や継承しているものが見える場となるカフェ「下タ町醸し室HIKOBE」や、移住者たちと地元温泉復活の挑戦も始めた。ޒொळాݝೆळా܊028 029PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
ീౢ͠ ·ඒΈܙ͑ࢠ͜͞Μӑ͏ ͠ా͔ͩ߳͢ Έ͞Μ仕事 コミュニティドクターをパートナーに持つ集落支援員今まで住んだところ アメリカシカゴ出身 千葉県育ち移住した年 2021年経歴 コミュニティドクターであり、シェアビレッジの “村民” である漆畑宗介さんと出会い、婚約とともに移住。2022年度から行政の取り組みである集落支援員として活動している。仕事 産後の母親支援組織の創設者など今まで住んだところ 秋田市出身 東京 神奈川 アメリカ移住した年 2014年の春経歴 大学卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社に就職し、現パートナーの丑田さんと出会う。子どもが生まれる頃に退職し、産後の母親たちを支援する一般社団法人ドゥーラ協会を助産師らと立ち上げる。2014年、一家で五城目に移住し、地域おこし協力隊に就任。現在は、廃校シェアオフィス「BABAMEBASE」を委託運営する一般社団法人ドチャベンジャーズで理事を務める。ޒͰΒ͢ҙຯ「お互い様」のつながりの中で生きていることを実感できる。五城目では暮らしと仕事を境目なく地域の人たちと共有している。たとえば、妊娠についても取り立てて報告するまでもなく、日々の関わりの中で自然に伝わっていくような関係性が心地よくありがたい。ޒͰΒ͢ҙຯ安心感のあるコミュニティがあるからこそ、支え合って、子育てをしながらもいろんなことに挑戦ができる。小さな子どもを連れてランチを食べにきている母親に対して、その場に居合わせた人々が抱っこを代わってくれる。東京では起こり得ないことが五城目では起こり得る。ޒͰͷΒ͠ํ自分にとっての心地よさを追求することで、関わってくださる方々の幸せにも自然とつながることを目指している。集落支援員としては、「特別な企画を」と意気込むのではなく、地域住民の輪の中で言語非言語のニーズに耳を傾け、それらを形にするサポートをしている。車を持っていない高齢者たちに頼まれ、遠い山や水族館に遊びに行ったりする。そのお返しにもらうのは、遊び方や料理などの知識である。ޒͰͷΒ͠ํ暮らしと子育てと仕事とやりたいことを掛け合わせて、バランスをとりながら暮らしている。五城目では、五城目での仕事や市民活動をメインとしながら、月1・2回程度は東京や県外と行き来し、母親支援組織の運営や審議会委員などの活動も行なっている。030 031PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
ࠤ͞౻ͱ ͏༑ͱ ྄͋ ͖͞Μ Μాͩཧ· ͞ਓͱ͞Μ仕事 3代目の木工職人今まで住んだところ 五城目町出身 宮城県移住した年 –経歴 工業高校出身で建築を専攻したのち、仙台の美容学校へ進学。その後、Uターンし昭和40年創業の「佐藤木材容器」の3代目となる。木工職人としてお盆やコースター、お皿などの生活に即した木材の容器を手掛ける。2019年から、東京や関西のデザイナーとともに、地元・五城目の秋田杉を使ったお皿「KACOMI」を作り始める。仕事 茅葺古民家の家守など今まで住んだところ 秋田県南秋田郡井川町出身群馬県 栃木県移住した年 2015年経歴 僻地医療に関わる人材を育てる大学で、人事担当として若手の医師を地方に送り込む仕事をしていた。地域医療などに興味を持っていたときに、丑田俊輔さんと出会い、シェアビレッジ・プロジェクトの “村民” に。2015年から “村民” 初の移住者として茅葺古民家の家守を担う。2020年に丑田さんが設立したシェアビレッジ株式会社でキュレーターとして利用者の伴走支援活動をしている。ޒͰΒ͢ҙຯ秋田杉を用いてものづくりをすることに意味を感じている。かつて盛んだった五城目の林業を通じて秋田杉を使っていくことで、本来の森に戻っていくことの手助けをしている。また、「KACOMI」を介して、秋田県で作家活動をしている人たちのつながりもでき、お互いの考えや悩みに触れ、刺激を得られる。ޒͰΒ͢ҙຯ僻地医療などに関わったことで芽生えた「地元で何かやりたい」という願いを、実践できている。仕掛けや見せ方が上手な人が始めたが、それを現場で運用する人がいなかった。“村民” であり地元の出身者である自分が移住することでシェアビレッジ・プロジェクトを動かせるようになった。ޒͰͷΒ͠ํ五城目の歴史を大切にしつつ、いろんな地域の人と関わりながらものづくりに没頭している。工房の隣にある店舗は、母の嫁入り道具のタンスや廃校からもらってきた椅子を展示台に再利用するなど、歴史が詰まった空間を作った。移住者や県外に出展したときに知り合った作家たちとのコラボレーション活動も多い。ޒͰͷΒ͠ํ交流を生む関係として、貢献している人にはお金というよりも活動で分配される仕組みづくりに取り組んでいる。体験として仕立てるよりも、コミュニティの人たちと四季を感じながら暮らしている。計画的なイベント企画も大切だが、庭の管理の手が足りないとか困りごとを発信して、「しょうがないな」と手伝ってくれる人を増やしたり、そう言ってくれる人たちを大切にしている。032 033PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
小浜町と五城目町で見た景色や出会った人々の暮らしの中に、「地域の豊かさ」の構成要素だと思われる8つの特徴を見つけた。おそらく、すべてを満たしている必要はない。でも、これらの特徴を1つでも多く満たし、それらが相互に関連し合っている環境が「地域の豊かさ」につながるのだと思われる。1 ҠॅऀʹΑͬͯىͬͨ͜lΏΒ͗z͕͋Δ2 Ҭͷ֎ʹΛ͚ͯɺͱ֎Λͭͳ͙ਓ͕͍Δ3 ֎͔Β͖ͬͯͨਓΛड͚ೖΕΔ4 ੜ׆ݍ͕ॏͳͬͯɺଟ༷ͳग़ձ͍͕ੜ·ΕΔ5 ͓ۚͷࢿຊ͔ΒҰઢΛըͨ͠ɺผͷܦࡁݍ͕ଘࡏ͢Δ6 ͪΐͬͱͻͱख͔͚ؒͯɺࣗͷࢥ͏ʮͪΐͬͱ͍͍Β͠ʯΛ࡞Δ7 ʮ͖ʯΑΓɺʮָͦ͠͏ɾ͋ͬͨํ͕ྑͦ͞͏ʯΛબͿϚΠϯυ͕͋Δ8 ʮͬͯΈͳΑɺΖ͏Αʯͱ͍͏ࣗવͳޙԡ͕͋͠ΔϑΟʔϧυϫʔΫͰݟ͚ͭͨҬͷ๛͔͞035PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ034
ΏΒ͗Λى࢝͜͠ΊͨਓʑΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε׆ಈ͢ΔਓʑΏΒ͗Λײ͡׆ಈʹ׆͔͢ਓʑҬॅຽҠॅऀʹΑΔʮΏΒ͗ʯ長崎県雲仙市小浜町、秋田県南秋田郡五城目町で、理想の暮らしを実践されている方々のお話を伺ってみると、移住者による新しい視点・新しい文化がやってきたときに、地域で今のような「豊かさ」を感じるようになったという共通点があった。それがきっかけとなり、「ゆらぎ」として伝わっていき、地域内に暮らしの変化が伝播していくような関係性が見えた。「ゆらぎ」を起こす移住者たちは、外の文化を持ち込むのではなく、地域社会の中で大事にされてきたことを守る視点を持ち、それを楽しんだり、継続したりする仕掛けをしていることがわかった。037PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ036
σβΠφʔ୩ߞੜ͞Μ6λʔϯכ෪ݹຽՈͷՈकాཧਓ͞Μ6λʔϯ౬॓ϚωʔδϟʔࢁԼߊً͞Μ6λʔϯΞΠειϧϕઐళদඌརത͞Μ6λʔϯฮཱྀؗͷେঁক༗ඒࢠ͞ΜҬॅຽಃܳՈࠤ౻लथ͞ΜҬॅຽόʔϚελʔࢰࢠౡ܆͞ΜҬॅຽછΊ࡞ՈླͯΔΈ͞Μ௨͏ਓΦʔΨχοΫചॴԞ࣐͞Μ௨͏ਓࢁ㟒ਸ͞ΜҠॅγΣϑݪ৻Ұ͞ΜҠॅσβΠφʔݹঙ༔ହ͞ΜҠॅࣗવΤωϧΪʔɾҬܦࡁݚڀऀࢁ౦ߊେ͞ΜҠॅΏΒ͗Λى࢝͜͠ΊͨਓʑΏΒ͗Λى࢝͜͠ΊͨਓʑʢॳҬ͓͜͠ڠྗୂʣΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε׆ಈ͢ΔਓʑΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε׆ಈ͢ΔਓʑΏΒ͗Λײ͡׆ಈʹ׆͔͢ਓʑΏΒ͗Λײ͡׆ಈʹ׆͔͢ਓʑҬॅຽҬॅຽूམࢧԉһീౢඒܙࢠ͞ΜҠॅγϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔӑాढ़ี͞ΜҠॅࢧԉ৫ͷઃऀӑా߳͞ΜҠॅҬ৯ಊͷྉཧਓੴؙܟক͞ΜҠॅ3 ͷ৬ਓࠤ౻༑྄͞Μ6λʔϯञଂͷ16 ଂݩᬒ߁Ӵ͞Μ6λʔϯσβΠφʔ୩ߞੜ͞Μ6λʔϯכ෪ݹຽՈͷՈकాཧਓ͞Μ6λʔϯ౬॓ϚωʔδϟʔࢁԼߊً͞Μ6λʔϯΞΠειϧϕઐళদඌརത͞Μ6λʔϯฮཱྀؗͷେঁক༗ඒࢠ͞ΜҬॅຽಃܳՈࠤ౻लथ͞ΜҬॅຽόʔϚελʔࢰࢠౡ܆͞ΜҬॅຽછΊ࡞ՈླͯΔΈ͞Μ௨͏ਓΦʔΨχοΫചॴԞ࣐͞Μ௨͏ਓࢁ㟒ਸ͞ΜҠॅγΣϑݪ৻Ұ͞ΜҠॅσβΠφʔݹঙ༔ହ͞ΜҠॅࣗવΤωϧΪʔɾҬܦࡁݚڀऀࢁ౦ߊେ͞ΜҠॅΏΒ͗Λى࢝͜͠ΊͨਓʑΏΒ͗Λى࢝͜͠ΊͨਓʑʢॳҬ͓͜͠ڠྗୂʣΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε׆ಈ͢ΔਓʑΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε׆ಈ͢ΔਓʑΏΒ͗Λײ͡׆ಈʹ׆͔͢ਓʑΏΒ͗Λײ͡׆ಈʹ׆͔͢ਓʑҬॅຽҬॅຽूམࢧԉһീౢඒܙࢠ͞ΜҠॅγϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔӑాढ़ี͞ΜҠॅࢧԉ৫ͷઃऀӑా߳͞ΜҠॅҬ৯ಊͷྉཧਓੴؙܟক͞ΜҠॅ3 ͷ৬ਓࠤ౻༑྄͞Μ6λʔϯञଂͷ16 ଂݩᬒ߁Ӵ͞Μ6λʔϯޒͷΏΒ͗খͷΏΒ͗小浜のゆらぎは、イタリアでデザイナーをされていた城谷さんがUターンして、小浜にスタジオを構えたことから始まった。城谷さんの取り組みに影響を受けた移住者が豊かな生き方を模索・実践していくうちに、その暮らしが地域住民を巻き込み、多くの新しい取り組みを生んだ。五城目のゆらぎは、秋田県が推進する事業創出プログラム「ドチャベン」の仕掛け人である、丑田俊輔さんが、ご自身の拠点を「BABAME BASE」に移動してきたことで、地域住民にとって「起業」が身近になり、やってみる人が増え、起業して自分の望む暮らしを作る活動が広がった。038 039PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
移住者がやり始めたことは、最初は地域の人に多少の違和感を抱かせる。でも今まで地域になかった刺激となって、地域住民や、Uターンして地域に帰ってきた人に影響を与える。これらはきっと、地域住民だけでは起こり得なかった変化で、その変化は、“ゆらぎ” を生み、波紋のように地域全体に伝播し連鎖していく。誰かが計画したわけでも、意図的に仕掛けたわけでもない、“ゆらぎ” が地域の多様な活動や挑戦につながっていく。高校の頃は「小浜はつまんない街だ」と思っていて、中退後は地元の飲食店や青果店などで働いていた。小浜でお店をやりたいと考えていたところ、古庄さんたちがいろいろやっているタイミングだった。最初は「小浜でそんなことやってもねぇ」と思って見ていたけど、少しずつ「面白そうだな。自分もちょっとやってみようかな」と思うようになった。ࢰࢠౡ ܆͞Μݩͷए͍ਓ͕ͨͪͱܹͯΛड͚ͯΔΜ͡Ỵͳ͍͔ͳỳͯớ͞ΜỜ࠷ॳủখͰͦΜͳ͜ͱỳͯͶựỨͱࢥỳͯݟ͍͚ͯͨͲỏগͣͭ͠ủ໘നͦ͏ͩͳỨͱࢥ͏Α͏ʹͳỳͨớࢰࢠౡ͞ΜỜόʔϚελʔ移住者の彼らが来たことで空気感が変わりました。古庄さんみたいな髪形の人はそれまで小浜にはおらんかった。(笑)それで見とったら「あの人は何してる人なんだろう」となって、会ってみたらデザイナーで。それで、うちの息子なんかと仲良くなって深い話をするようになって。地元の若い人たちがとても刺激を受けてるんじゃないかなって。とてもいいことだと思うんですよ。移住者によって何か “ゆらぎ” が生まれる。それで内発的で多様な挑戦が連鎖する。地域の次世代が育つ環境も生まれる。相乗効果を発揮して、良い土壌が耕されて、菌がのびのび発酵する環境のような「機運みたいなもの」が醸成されるんじゃないか、とはよく言ってます。きっと、ミクスチャーでこうなってくるんでしょうね。「起業家っていうのは一部の凄い人がやるのかなと思ったら、身近な人々が、あるものを活かして自然体で挑戦したり、当たり前のように複数事業を運営していたりする姿を見て、自分にもチャレンジや商品開発ができるかもしれないと思い始めた」と、地域の人がおっしゃってくださっていて。ӑా ߳͞Μࢧԉ৫ͷઃऀޒொখொ ༗ඒࢠ͞ΜฮཱྀؗͷେঁকখொҠॅऀʹΑͬͯىͬͨ͜ lΏΒ͗ z ͕͋Δ1040 041PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワーク先には、東京や他の地域を行き来しながら、地域と外の世界とをつなぐ人たちがいた。地域の活動を外に発信したり、外の情報を地域に馴染むかたちに翻訳して持ち込んだり、地域と外の人をつないだり。地域の外を意識することで、トレンドや都会の感度を保ちつつ、俯瞰的に見ることで長くいると見えにくい地域の良さにも気づく。彼らは地域に愛着があり、暮らしの拠点にはしているが、ずっと住むことを前提にはしていない人も多い。だからこその、地域を満喫し尽くす気概や、軽やかさと自由さがあるのかもしれない。フランスに研修に行ったときにワイナリーの話よりも地元自慢をする人々と出会い、「このまちが好きじゃないなら、うちのワイン飲まなくていい。」というスタンスに共感し、五城目のまちを意識するようになった。何が文化で、何を継承しているのか。五城目ってこうやっているんだよというのが目で見える場が必要だと思い「HIKOBE」を開業した。小浜温泉は、人と人が近く、多様な住民と業種が同居しているコンパクトな町なため、何かを始めるには最適な町だと思う。たとえば、Facebookも元々は大学内の遊びだったが、今は全世界で使われている。それと同じイメージ。小浜温泉でも、何かアイディアを思いついたら、周辺にいる多様な人たちの協力を得て、そのアイディアの実現のために小さな実験から始めることができる。今は「計画を綿密に考える」のではなく、とにかく「小さくてもやってみる」ことのサイクルが重視される。小浜温泉は、そのとにかくやってみるサイクルに適している町と言える。ࢁ౦ ߊେ͞ΜࣗવΤωϧΪʔɾҬܦࡁݚڀऀখொদඌ རത͞ΜΞΠειϧϕઐళ移住者の人が増え始めて、自分より10歳以上歳が違う移住者の人たちが、みんなすごい楽しそうにしていたんです。移住者の人たちは「この町がいい」と思って来てる。いいと思った通りに行動する。しがらみがない。ここ何年かで移住者の人が増えて、ガラッと町の様子が変わりました。খொᬒ ߁Ӵ͞Μञଂͷ16ଂݩޒொখʹΓ߹͍ଟ͍͠ଟ༷ͩ͠ỏԿ͔͋ỳͨΒ࢝Ί͍͢ớࢁ౦͞ΜỜ͜͜Կ͔ͰҠॅऀͷਓ͕૿͑ͯỏΨϥỽͱொͷ༷ࢠ͕มΘΓ·ͨ͠ớদඌ͞ΜỜҬͷ֎ʹΛ͚ͯɺͱ֎Λͭͳ͙ਓ͕͍Δ2042 043PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワークで訪問した地域には、「外の人間を受け入れる」という、歴史に裏打ちされた文化があった。古くから交通の要所として存在し、地域の外から多くの人が訪れ、地域に住む人たちは彼らと交流することを当たり前のように受け止めて暮らしてきた。外の人間を受け入れる文化や気質は、現在の移住者を受け入れる寛容さにつながっている。でも、ただそれだけではなく、これまでの移住者の営みや努力が、もともと地域にいる方々に認められた結果でもあるのではないだろうか。 僕の周りのコミュ二ティーでは、Iターン:Uターン:ずっと地元の比率は1:1:1くらいだと思う。もちろん、人口比で言うと、移住組はとても少ないけど、コミュニティーの中はあまり偏ってない。移住者だけでなんかカッコイイもの作ろうぜとも言わないし、地元の人だけで閉鎖的にやるということもなく、自然に入り混じっている。移住の数で言うと多くないからこそ目立つ。この人、何か始めるのかな、という注目はある。そういう混ざってるところも、自分的には小浜の気に入っているポイントではある。小浜は線引きをしない。受け入れる。苦手でもなんとなくつき合う。田舎って関係を断つのが都会ほど簡単でない。小浜って小さいから会うし、絶対どっかでつながってるから切れない。それを嫌う人もいるけど、それをメリットと思う人もいるんだと思う。私が「やりたい」と言ったら全力で応援してくれる環境がある。たとえば、私が呼んできた高校生を役場に紹介したら、「ふーん」と終わるんじゃなくて、町長まで話がいって、「関係人口って大切だから」とわざわざ町の日本酒まで持って来たりして。「ちゃんと活動の良さを感じてくれているんだ!なんてありがたいんだ!」と感じて泣きそうになった。それはたぶん、これまでの地域おこし協力隊の人が面白い変わった活動をしてきていて、「訳がわからない活動にも価値があるぞ」っていう実績をこの7年くらい作ってくれてきたからこそ、「訳わからない来訪者にも良くしておかなきゃ」というふうに思ってもらえているのかもしれない。わかった振りをするのではなく、ちゃんと信じて受け入れるとかがこれまでの方々の努力の賜物なのかもしれない。五城目って観光地ではないので、ただゲストハウスとかレストランとか開いても、わざわざ来ない。特に馬場目という地区は生活をしている人しか出入りがない。そういう街に人流を作る際に、観光地的にプロデュースしていくというよりは、「自分が作りたい、育みたい田舎みたいのを作らない?」といったお声がけをしている。それに共鳴した、都市部に住んでいて田舎暮らしやおばあちゃんちといった原風景などを知らない人たちと一緒に「じゃあ、“年貢” を納めてくれたらいいんですよ」「じゃあ “年貢” を納めるよ」というプロジェクトをしてきた。ീౢ ඒܙࢠ͞Μूམࢧԉһޒொా ཧਓ͞Μכ෪ݹຽՈͷՈकޒொݹঙ ༔ହ͞ΜσβΠφʔখொখઢҾ͖Λ͠ͳ͍Ốड͚ೖΕΔỐۤखͰͳΜͱͳ͖ͭ͘߹͏ớݹঙ͞ΜỜủ͕ࣗ࡞Γ͍ͨỏҭΈ͍ͨాࣷΈ͍ͨͷΛ࡞Βͳ͍ʁỨͱ͍ỳ͓͕͚ͨΛ͍ͯ͠Δớా͞ΜỜ֎͔Β͖ͬͯͨਓΛड͚ೖΕΔ3044 045PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワーク先には、地域住民が暮らしの中で訪れる場所があった。いつもの道でいつもの時間に顔を合わせる人同士で言葉を交わしたり、いつもの通る道に面した店をちょっと覗くと顔見知りを見つけることができたり、人々の交流が生まれている。多くの人が普通に生活している中で何度もすれ違い、ちょっとした会話が生まれ、コミュニティが重なる。それにより仕事と生活の境が曖昧になり、他者の良さや得意技が自然と見えてくる。他者の良さがわかる方が、一緒に仕事もしやすいし、きっと生きやすいだろう。小浜温泉はちょうどいい町の大きさで、いろいろなトライがしやすく、物事が決まるまでのスピードが速い。小浜は都会と人口が違うので同じ人に会う確率は高く、住民同士の関係性も見えやすい。たとえば、あの人はあそこのお店と仲がいいけど別の個々の飲食店とは仲悪い、とか。合意形成と聞くと難しく聞こえるが、結局はお互いを知って、楽しむこと。一緒にいるのが楽しくなったら話を聞いてくれる。従来のクラスター化されたものが、もうちょっと重なったりする意味でいいなと思ってるんだけど、無理にそれを “One五城目” 的に、みんなで一緒に仲良くやろうぜみたいなのにしすぎない状態が、気持いい感じがするんですよ。関与しすぎない。すべてを開示して合意形成を取り続けないといけないとなると、結構しんどいなーっていうのがあるんで、空気読みすぎないのが結構大事だなと思う。五城目だと絶対誰かに会うので、想像力を働かせたいときは「いちカフェ」や「HIKOBE」に来て作業する。すごく集中したり、めっちゃアウトプットしたいときはガストとか誰ともしゃべらない場所に行く。本を読んだり、落ち着いたりするときは家で、とか。小浜は一人がちょっとやると「町が良くなる」実感が得られる規模感だと思う。そんな狭さが小浜の豊かさじゃないかな。クライアントと共同浴場で会っちゃうこともあります。そんなときにじっくり話せたりするんですよね。どこに行っても顔見知りになっちゃうんで、ひとりになりたい時に行く定食屋があったりしますよ。(笑)ۭؾಡΈ͗͢ͳ͍ͷ͕݁ߏେࣄͩͳͱࢥ͏ớӑా͞ΜỜͪỶ͏Ͳ͍͍ொͷେ͖͞Ͱỏࣄ͕ܾ·Δ·Ͱͷεϐồυ͕͍ớࢁ౦͞ΜỜݹঙ ༔ହ͞ΜσβΠφʔখொീౢ ඒܙࢠ͞Μूམࢧԉһޒொӑాढ़ี͞ΜޒொγϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔࢁ౦ ߊେ͞ΜࣗવΤωϧΪʔɾҬܦࡁݚڀऀখொੜ׆ݍ͕ॏͳΓɺଟ༷ͳग़ձ͍͕ੜ·ΕΔ4046 047PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワーク先には、ほぼ無償で提供される潤沢な資源が溢れていた。居住地のすぐ近くにある海や山、川や、そこで得られるさまざまな幸。地域住民が暮らしの中で自由に利用することができる湧水や温泉。古くから受け継がれた家屋や施設。資源のかたちはさまざまだ。これらを利用・活用するために、必ずしもお金が必要、ということではなく、モノとモノ/モノと行為/行為と行為が交換される経済圏がそこにはあった。お金を介在させないことで、人との交流や、自然資源の活用が促されていること。暮らしの中のお返しも、お金で買える名店のお菓子よりも、自分で釣った魚などが好まれる。それはお金よりも、お互いを思う気持ち、お互いのために使う時間、お互いの関係性などの価値が高いことを意味する。で自分が海外や大学などで経験したことを話した。多い時は週に2回以上誰かの家でご飯をいただいていた。今は収入も安定したが、このときの暮らし方は今でも続いている。草を刈ってくれた隣のお爺さんに、東京に行ったときにとらやの羊羹でも買ってお礼に持っていくと、「買ったもので返すのはちょっとセンスがよくない」みたいなのを、爺さんたちにいろいろ育ててもらって。そのうち釣りにはまり始めて、釣った魚を持っていくという技を習得すると、すごく良くなってくる。ちっちゃく田んぼを借りてコミュニティーのみんなで野菜育てているみたいな感じで、自分の暮らしの実態の中にそういう別の経済圏みたいなのが入り込んできた中で、その面白さを理論っていうより、体感的に楽しんでいる。私たちが開発した Share Village のコミュニティコインはコミュニティ内でのみ利用できる独自通貨。換金はできず、6ヵ月で消滅する仕様になっている。報酬だと運営者と利用者が1:nの関係になりがちだが、“村民” みんなが感謝し合える贈与の機能としてコインを使っていきたい。ࣗͷΒ͠ͷதʹผͷܦࡁݍ͕ೖΓࠐΜͰ͖ͯỏͦͷ໘ന͞Λମײతʹָ͠ΜͰΔớӑా͞ΜỜੴؙ ܟক͞ΜҬ৯ಊͷྉཧਓɹ「ポコポコキッチン」でのみ使用できる通貨としてのポコポコ通貨。メンバーズカードを持っていれば、500ポコポコ/500円から購入することができる。「いつも来てくれる人に優しい価格設定にしたい」「ものづくりをしている人たちと物々交換がしたい」「お金って、もともとこんな感じだったんじゃない?を実践したい」という理由で、優しさがつながる経済圏としてポコポコ通貨を作った。ޒொ移住当初は年収100万円もなかったが、今、思い返しても小浜での暮らしは贅沢だったと感じる。当初住んでいた家は古い元民宿で、家賃1.5万円で天然の湧水と温泉は使い放題・入り放題だった。また食事についても、近所の人にB級品の野菜をもらい、公共の温泉蒸し釜で野菜や魚を蒸してワイングラス片手に食べていた。また、小浜の人の家でご飯をいただくことも多く、その際には、小浜のことを聞きながら、これまࢁ౦ ߊେ͞ΜࣗવΤωϧΪʔɾҬܦࡁݚڀऀখொӑాढ़ี͞ΜޒொγϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔా ཧਓ͞Μכ෪ݹຽՈͷՈकޒொ͓ۚͷࢿຊ͔ΒҰઢΛըͨ͠ผͷܦࡁݍ͕ଘࡏ͢Δ5048 049PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
コーヒーを淹れる水を湧水にしてみる。釣り中心の生活をする。土地に根ざした野菜を育てる。ちょっとなら、みんなが勝手に収穫していいハーブ園を持つ。お散歩のついでに小道の草を抜く。収穫物を周りに配ったり、交換したりする。より自然の恩恵を感じ、もともと豊かな自然を維持するためのひと手間を、地域に住む人々が自ら担い、それぞれにとって心地のいい景色を残している。大切なのは、そこに住む人がどうしたいか、どんな暮らしをしたいのかということ。そして、一人で実践するだけではなく、仲間内で「こんなことしたい、こんなふうにしたい」と語り合うことで、背中を押し合ったり一緒に実践したりする環境がある。地域で24時間365日止まらずに生きていくためには、どういうことが起こるのかを把握することが大事。何月に何が起こるのか/何が来そうか/自分の体が変わりそうかを察知して、それに合わせて準備していく。お金があれば都会に住めばいいし、お金がなければ自分の暮らしを作って、自分らしく生きていける場所に住めばいいと思っている。僕は後者の方が好きで、自分の身の回りで起こっていることを掬い取って判断できる暮らしをしたい。楽しく暮らしながら働く、それが一番ですかね。楽しいというのが大事ですね。今日はいい感じで釣れそうだな、という日は絶対に釣りに行きますね。いいシーズンは週3ぐらいで。仕事の内容にもよりますが、山を登ったり、釣りしながらzoomで打ち合わせもできる時代。源流域に行くと圏外になるので難しいですが。堤防だったら電波もあるし行けるぞとかね。暮らしと仕事が一緒くたになっている人、主体的に生きている人が多いと感じている。それはおそらく人とつながっているからだと思う。「赤ちゃんができました」とかの報告は、親や職場の課長に言うのが普通だと思っていたが、五城目だと関わる人が多すぎて言う相手がこんなにいっぱいいたんだと気づかされた。ごはんを持って来てくれるのでそんなに食べられないとか、遊びに誘ってくれるから赤ちゃんのこと言わなきゃとか。それってすごいことだな。親友というわけでもないけど、密接に関わり合う存在がいっぱいいる。ࣗͷͷճΓͰى͜ỳ͍ͯΔ͜ͱΛٟ͍औỳͯஅͰ͖ΔΒ͠Λ͍ͨ͠ớࢁ͞ΜỜ普段はお昼ご飯は家で食べるんです。事務所から自転車で数分なんで。途中で魚屋で刺身を買って帰ったり、昨日の残りを食べたり。これって無意識的に城谷さんの影響を受けているのかもしれないですね。自然とそういう暮らし方がいいなと思って、今も日常として続いているのかも。ݹঙ ༔ହ͞ΜσβΠφʔখொӑాढ़ี͞ΜޒொγϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔീౢ ඒܙࢠ͞Μूམࢧԉһࢁ㟒 ਸ͞ΜখொσβΠφʔޒொͪΐͬͱͻͱख͔͚ؒͯɺࣗͷࢥ͏ʮͪΐͬͱ͍͍Β͠ʯΛ࡞Δ6050 051PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
「地域や身の回りの課題解決をしよう」という肩肘張ったスタンスではなく、自分たちのできる範囲で暮らしをより良くしようとする手軽さや、「アイデアをやってみた」というハードルの低さ、そして「ちょっとやって上手くいかなければやめればいいじゃん」という気軽さ。そんなマインドをフィールドワーク先で見つけた。必要なことや、やるべきことという意識よりも、「あった方が楽しそう・面白そう」「自分たちが便利になりそう」という想いからスタートし、活動が生まれている。プレイフルドリブン(楽しみや遊びを大切にする考え方)な要素が暮らしの中にあるように感じられ、楽しい・便利を軸足にした豊かさを作っていた。旅館「伊勢屋」のコンセプトをリニューアルするときに、取締役や設計士が「新しいコンセプトだと女将世代の人が外れますけど大丈夫ですか」って聞くわけ。私は「あなたたち何言ってるの。私たちみたいなアクティブなおばあちゃんは、若者が行って楽しいところに行きたいの。私たちの世代が行ってよかった、っていうようなところには行きたいと思わないの。だから全く心配ない」って言ったの。ࢲͨͪΈ͍ͨͳΞΫςỹϒͳ͓͋ͪỴΜỏएऀ͕ߦỳָ͍ͯ͠ͱ͜Ζʹߦ͖͍ͨͷớ͞ΜỜͪỶỳͱେͦΕ͍ͯΔ͚ΕͲỏେ͖ͳεϩồΨϯΛܝ͛·ͨ͠ớӑా͞ΜỜ日本全国どこも少子高齢化。みんな同じように不安に思っている中で、「どう五城目を盛り上げるか」というよりは「どう自分が楽しく幸せに生きられるか」を追求していけば、自分も周りもハッピーになっていくというぐらいの気軽さで問題を捉えないといけないかも。問題として捉えると、どんどん問題は出てくるので。ീౢ ඒܙࢠ͞Μूམࢧԉһޒொ「城谷さんはこういう未来を見ていたのか!」と思う時がある。街の雰囲気を作っていくというか、「醸し出される」とか「熟成・発酵する」とか、そういう街の成長を感じる。計画性を持って作り上げていくというよりは、自然とそうなっていくというのが、まさに小浜で起こっていることだと思う。5年後とかに見ると、また新しい変化、また新しい文脈が見えてきたりしそう。ࢁ㟒 ਸ͞ΜখொσβΠφʔ田舎からのチャレンジをするときに、少子高齢化だから、日本で47都道府県中ワーストワンだから何かやるって、なんかすごい悲しいじゃないですか。そうじゃなくて、ハッピーなというか、ちょっと大それているけれど、大きな視野で活動しようということで、小さな町から世界を目指す「世界一子どもが育つまち」っていうスローガンを最初の頃に、地域おこし協力隊や初期に入った起業家らで掲げました。ӑా ߳͞Μࢧԉ৫ͷઃऀޒொ ༗ඒࢠ͞Μฮཱྀؗͷେঁকখொʮ͖ʯΑΓɺʮָͦ͠͏ɾ͋ͬͨํ͕ྑͦ͞͏ʯΛબͿϚΠϯυ͕͋Δ7052 053PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワーク先には「やってみなよ、やろうよ」のマインドが溢れていた。誰にとっても何かにチャレンジするハードルが低く、実際に行動に移す軽やかさがあった。何かにチャレンジしようと思ったときに、誰かに背中を押してもらえる。一人では難しいときには助けてもらえる。そんな仲間が見つかることが、チャレンジのハードルを下げて、やってみる人を増やしているのかもしれない。フィールドワークで出会った人の多くは、機動力がありチャレンジマインドの高い人たちだったが、地域に長く住む人を含め、周りの人たちは、それを拒絶せずに受け入れている。機動力のある人たちがいろんな挑戦をしていると、ちょっとくらいの失敗は目立たなくなり、いろんな人がどんどん挑戦しやすくなっているようだ。ؼল͢ΔͨͼʹޒʹΛԆ͢Α͏ʹͳΓݩͰԿ͔Γͨ͘ͳỳͨớా͞ΜỜ私の出身は隣の井川町。シェアビレッジプロジェクトが始まったときは栃木県の大学の職員をしていた。その当時、僻地医療に関わる人材を育てる自治医科大学にいた。そういう興味があったときに、「BABAME BASE」が始まって、その中の人と会ってみたいと思った。そこで年貢を納めて村民になって寄合に参加して、実際に活動している人に会って、丑田さんやメンバーにも出会った。それをきっかけに帰省するたびに五城目に足を延ばすようになり。「地元で何かやりたいです」と言ったときに「一緒に働こう」というふうになった。ླ ͯΔΈ͞ΜછΊ࡞Ո日本で収穫した綿を使って布を作り、モノを作るオーガニックコットンプロジェクトを始めた。そのために必要な大量の綿を確保するための取り組みとして、プロジェクト賛同者に綿花の種を配布して育ててもらい、綿花が咲いたら「アイアカネ工房」に送り返してもらう、それで作った商品を返礼品として返している。この取り組み自体、古庄さんに「やってみましょうよ」と背中を押されて始めたんです。খொアイデアはたくさんあるけど、無理矢理実行はしない。地域の人がやってみたことがあると言ってきたら、自分のアイデアを引っ張り出して、背中を押す感じ。委員会とか、かしこまった場所だとみんな意見を言いづらくて、結局、声の大きい人だけがしゃべって終わっちゃう。でも、一緒にご飯を食べているときに話すと、みんないろいろな意見を言ってくれる。ࢁ㟒 ਸ͞ΜখொσβΠφʔా ཧਓ͞Μכ෪ݹຽՈͷՈकޒொ東北の人間性の表現として「岩手=お前やるなら、俺応援するよ」「山形=お前やるなら、俺も頑張るよ」「秋田=お前やるなら、俺やめれ(足を引っ張るぞ)」というのがあるけど、五城目に関しては「お前やるなら、俺一緒にやるよ」という感じ。でも、それを昔から感じてたかというとそんなことはないし、なんとなく変わってきたなという感覚はある。ᬒ ߁Ӵ͞Μञଂͷ16ଂݩޒொʮͬͯΈͳΑɺΖ͏Αʯͱ͍͏ࣗવͳޙԡ͠8054 055PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
Ӣઋࢢখྺ࢙ࢿྉؗখொ057PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ056
ࢁ㟒͞Μͷྺ࢙ΛޠΔʑখொPART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ 059058
כ෪ࠜͷݹຽՈʮSHARE VILLAGEொଜʯޒொPART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ 061060
ੲͷேࢢͷهޒொޒͷݹॻళޒொणञޒொ062 063PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
ϑΟʔϧυͰؾ͍ͮͨੈͷதͷมԽフィールドワークではたくさんの人たちに出会い、さまざまな場所を訪れ、「地域の豊かさ」に触れることができた。現地で見た「豊かさ」のあり方には、現在の東京の暮らしでは感じにくい、新しい価値観や、新しい社会観のようなものが根底にあるように見えた。遠く離れた2つの町で、共通して感じられた実感は「世の中って今までと変わってきてるんじゃないだろうか」という気づきである。そんな新しい価値観や世の中の変化を、多くの人々が集まり動きの速い東京ではなく、小浜町や五城目町のような場所で強く感じられた理由は何なのだろうか。その理由を考えてみると、人口減少・高齢化が進んだ社会である地方だからこそ、顕著に見えやすくなっているのだと思えた。そして、その変化は、これからどんどん進んでいく人口減少と高齢化に伴い、日本全国に広がっていくと考えられる。ここからは4つの観点で、フィールドで気づいた世の中の変化について触れていきたい。ͪΐͬͱۭ͖ͨ͠Λ׆༻ͨ͠Ԃখொ064 065PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドでは、地域住民によって管理・運営され、地域住民が利用できる土地や施設が数多くあった。小浜では溢れる温泉を利用した、地域住民なら安価で入浴できる公衆浴場があり、無料で利用できる足湯にもなっている。また、その湯熱は蒸し釜にも活用されている。それらは地域住民の生活の中でなくてはならないものだった。また、少しなら誰でも収穫していい畑や、野菜などを洗うのに使っていい湧水など、みんなの共有物として利用されている土地や資源もあった。五城目にある「ただの遊び場ゴジョーメ」は、町の遊休施設をリノベーションして作られた。大人も子どもも無料で遊べるこの施設は、さまざまな人たちが集まる空間になっている。これらは、特定の誰かのものではなく “みんな” の場所になっていて、地域住民みんなが日常的に利用・管理している。これらの場所が暮らしの中に自然に存在し、活用できることが生活を支える、ある種のセーフティーネットの一部になっているように感じられた。これは、地域の暮らしの中に「ローカル・コモンズ」があるということではないだろうか。ҬͰڞ༗͢Δࢿ࢈Λ࣋ͭ「コモンズ」とは、元々は中世イギリスに起源を持ち、牧草地などの自然資源を地域コミュニティで共同管理する仕組みを指す言葉。1968年に発表されたギャレット・ハーディンの「コモンズの悲劇」論文で着目された。誰でも利用できる状態にあるコモンズは、適切な管理がされずに過剰摂取によって資源が枯渇してしまうというものである。「ローカル・コモンズ」はコモンズの一種で、「地域社会レベルで成立するコモンズ」のこと。土地や場所の管理を行政や企業に一任せずに、地域コミュニティの住民たちが実質的に所有・管理し、共同事業として相互利益に配慮しながら管理するため、アクセスを地域コミュニティのメンバーに限定して無償利用可能にしている。コモンズの悲劇が起こるのは、オープンアクセス(誰でも自由に利用できる)な場合であり、アクセスに制限があるローカル・コモンズでは、地域コミュニティの他メンバーの利益に配慮しながら利用され、フリーライダーやモラルハザードは抑制される。(Wikipedia「ローカル・コモンズ」のページより)ϩʔΧϧɾίϞϯζͱ066 067PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワーク先で出会った人たちの多くは、住む地域と働く地域が近く、暮らしと仕事のエリアがほぼ重なっていた。そのため、仕事仲間や依頼主などの仕事に関わる人と、飲食店などでばったり会うことは決して珍しくはないそうだ。逆に、飲み仲間や行きつけの店の店員との普段の会話から、ふとしたきっかけでお互いにやりたいことやできることを語り合い、それが新しい仕事や新たな試みにつながることもある。当人同士が出会う機会がなくても、「それならあの人に聞けば?」と、誰かを介して、住民同士が、スキルが、つながっていた。人と人のつながりが、暮らしの豊かさを作っているように感じたし、都会の暮らしの中にはない豊かさだとも思えた。都会だと、住む地域と働く地域が離れていることが多く、日常の人間関係が仕事に関与することが少ない。そのせいもあって、プライベートの人的ネットワークと、仕事の人的ネットワークが別のものとして存在し、重なる部分は少ない。フィールドワークで見られたような人と人のつながりや化学反応を、都会の暮らしの中で見つけることは難しく、暮らしのすぐ近くにある地域の人々の気配は感じられない。何かのルールに則り半ば強制的に結ばされるような関係性ではなく、個人個人の興味や情熱に基づいて自然につながっていく関係性。このような関係のことを、「社会関係資本」という。国際統合報告評議会(IIRC)の国際統合フレームワークでは、資本は財務資本/製造資本/知的資本/人的資本/社会関係資本/自然資本の6つに分類されており、今まで重要視されていたのは財務資本/製造資本/人的資本/知的資本の4つで、これらは「お金に変換できる資本」と考える。社会関係資本は自然資本と合わせて「お金に変換しづらい資本」と言える。このお金に変換しづらい社会関係資本が、地域の豊かな暮らしを作る上で大きな役割を担っているという現実は、世の中の変化を感じさせてくれた。ਓͱਓͷͭͳ͕Γ社会関係資本(ソーシャル・キャピタル: social capital)とは、社会学、政治学、経済学、経営学などにおいて用いられる概念。人々の協調行動が活発化することにより社会の効率性を高めることができるという考え方のもとで、社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念である。基本的な定義としては、人々が持つ信頼関係や人間関係(社会的ネットワーク)のこと、と言って良い。上下関係の厳しい垂直的人間関係でなく、平等主義的な、水平的人間関係を意味することが多い。しかし、この語には実に多様な定義がある。Portes(1998)の文献によれば、共同体や社会に関する全ての問題への万能薬のように使われている言葉である。1990年代終わりからは学会外でも社会的に有名な語となった。(Wikipedia「ソーシャル・キャピタル」のページより)ࣾձؔࢿຊ࣮͖ͪΜͱޠΒΕͯ͜ͳ͔ͬͨʮ֎෦ੑʯ͜Ε·Ͱͷܦࡁֶͷରࣗવࢿຊࣾձؔࢿຊࡒࢿຊਓతࢿຊࢿຊ తࢿຊ068 069PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
2013年に公刊された、経済学者トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』。15年の歳月を費やし、200年以上の膨大な資産や所得のデータを積み上げて分析している。ピケティ氏は本書の中で、クズネッツ曲線の矛盾を指摘している。クズネッツ曲線はアメリカの経済学者サイモン・クズネッツが1955年に提唱した概念で「資本主義経済の発展は社会の不平等を広げるが、その差はやがて自然に縮小され不平等が是正されるとする」としたもので、“資本主義が社会を幸せにする、富の不平等がなくなる” と信じられてきた根拠の1つとされている。しかし、この曲線が成り立っていたのは第1次世界大戦直後の局所的な時期だけで、1980年以降の米英では不平等が一気に進み、現在は日本を含む多くの国で富の不平等は拡大し、富の集中化が進んでおり、そもそもこの不平等の拡大は資本主義に内在する論理として、ピケティ氏は、資本主義というものは自由奔放にすると富が一部の人に集中する傾向を持っていることを指摘している。21ੈلͷࢿຊϐέςΟʹΑΔΫζωοπۂઢͷ൷ถࠃͷॴಘ֨ࠩ1910–2010ʢʣࠃຽॴಘʹΊΔτοϓेҐͷγΣΞ191025%30%35%40%45%50%1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010ࠓࣾձతෆฏϐʔΫ࣌ʹ͍ͬͯΔʂΫζωοπ͕ݟ͍ͯͨͷɺୈ̎࣍ੈքେઓޙͷΞϝϦΧग़ॴɿhttp://piketty.pse.ens.fr/capital21cΛࢀরフィールドでは、独自通貨についての話を聞くことができた。この独自通貨は、とあるお店で使える通貨で、コーヒーを飲んだり食事をする際に使えるもの。バスの回数券のように購入した本人が使うものだが、それ以外にちょっと違った使い方がされている。たとえば、たくさんのお裾分けをもらったときに、そのお返しとしてこの通貨を渡しているのだ。確かに、お礼にお金や購入したもので返すと「いやいや、いいよ!」となってしまいがちだが、「これでコーヒーでも飲んで」と独自通貨で返すことで、なめらかなやりとりと関係性を作ることができるのだそうだ。他にも、庭の草刈りをやってもらったお礼に何かを教えてもらったり、何かをもらったお返しに川で釣った魚をお裾分けしたり、知識や労働のような「その人ならでは」の価値でお返しする、という話を聞くことができた。これらは、いわゆる貨幣経済とは違う、独自の経済圏が暮らしの中にあるということではないだろうか。都会における「価値の交換」は、ほとんどの場合が貨幣もしくは貨幣で購入したものを使って行われている。貨幣経済を中心とした、いわゆる資本主義を前提とした社会では、より速く、より効率的に、できるだけ手間をかけないことを良しとする価値観がある。しかし、フィールドワーク先にあった独自の経済圏は、人の手を介したり、手間がかかっていたりするものに価値を置き、資本主義を前提とした社会とは違った豊かな暮らしを作っている。これは、資本主義を前提とした社会が、崩壊してきているということなのではないだろうか。同じようなことが、『21世紀の資本』(トマ・ピケティ著)でも述べられている。่ΕΏ͘ࢿຊओٛલఏͷࣾձトマ・ピケティ 著みすず書房/2014年12月8日https://www.msz.co.jp/book/detail/07876/070 071PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
2019年に出版された井上岳一氏の著書。日本の復活のために、山水という地域特性を活かすことの必要性を唱えている。日本の比較的平等な社会を築いてきた、公共事業を通じた地方と低所得層への再分配という「土建国家モデル」は、その前提に雇用があり、所得があることを前提に成立した社会保障システムと言える。土建国家モデルが破綻すると、地方と低所得者層への再分配が困難になり格差は拡大し、雇用の空洞化によって稼ぎをセーフティーネットにしてきた社会保障システム自体が機能しなくなった。コンクリートで埋め尽くされた国土、老朽化しても財源がないためメンテナンスされないインフラといった、土建国家モデルが破綻したあとに残された負の遺産へ向き合うためのカギとして、「山水郷」の重要性を示している。本書では、豊かな森と川や海や湖に恵まれ、人が古くから住んできた土地のことを「山水郷」と呼んでいる。田畑や森林の管理や手助けが必要な人のお世話など、山水郷には地域を美しく保ち、持続させるために必要な仕事がたくさんある。山水郷は、安心して暮らしていける基盤であり、セーフティーネットにもなる。しかし、現在の地方の経済基盤は貧弱であるため、これからの地域を持続可能にするには、その土地の記憶や風土、アイデンティティと深く結びつき、その土地に住むことの意味を再認識させる古来のテクノロジーの復権と、最低限のインフラを維持し、外から人を呼び込みつなぎ止めるための未来のテクノロジーの導入という双方を融合させ、次の社会を紡ぐための “はじまりの場所” として、山水郷を大いに活用していくべきだと語っている。ຊྻౡճ෮フィールドワーク先の2拠点で見つけた「共有資産」「人と人のつながり」「資本主義を前提としない社会」という3つの気づき。この3つがバラバラに在るのではなく、関係し合いながら存在していると感じられた。共有資産を中心にして人と人のつながりが生まれ、人と人のつながりが共有資産を維持する力になっている。この2つを活かす関係が循環することが、お金のあるなしに関係なく、地域の人々が安心して暮らしていけるセーフティーネットになっている。このセーフティーネットに支えられて、資本主義を前提としない、独自の経済圏が作られている。ここで、「フィールドワーク先と似たような地域は他にもあるが、両者を隔てているものはなんなのだろうか」という1つの疑問が湧いてきた。いわゆる “田舎” と呼ばれる地域は日本にたくさんあるが、人口減少・高齢化に合わせて少しずつ閉じようとしている。これらの地域の中にも、共有資産と人と人のつながりの2つを持ち合わせた地域は多い。にもかかわらず、地域の人々が安心して暮らしていける形になっていないのは、この2つを活かすための力、活かすための仕掛けが足りていないからではないだろうか。仕掛けがあるからこそ、昔ながらの生活を引き継いでいくだけでなく、新たに地域にやってきた人や今のテクノロジーを活用して、残っている従来の暮らしと融合した、新しい時代につながる文化や社会を生み出していくことができると感じさせてくれた。共有資産、人と人のつながり、この2つに支えられたセーフティーネットのある暮らしがある場所のことを、『日本列島回復論』(井上岳一 著)では山水郷と呼び、そして、山水郷に次の社会を作るカギがあるはずだと唱えている。৽͍ࣾ͠ձΛ࡞ΔΧΪͱͳΔҬ井上 岳一 著新潮社/ 2019年10月24日https://www.shinchosha.co.jp/book/603847/072 073PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
要約すると、「サステイナビリティとは、そのままを残すことではなく、本質的な価値を維持するために前を壊したり発展したりを繰り返しながら変化し続けること。異なる本質的な価値を持つ地域が関わり合うことで、新たな発想が生まれる」と言える。さらに、国や企業に任せるのではなく、地域が自らの手で自律的にこのような変化を起こそうとすることが大切なのだろう。「サステイナビリティとは何か」については、工藤先生の著書『私たちのサステイナビリティ』の中でも具体的な取り組みの紹介とともにわかりやすく解説されているので、ぜひ一読をお勧めする。● “サステイナビリティ” とは「将来世代にわたって、何を守り、つくり、つなげていきたいのか」を考え、行動すること。● “サステイナブルな状態” というのは、常に変化しながらも、本質的な状態や価値が持続されていること。● 発展には、前を壊して次に進む「直線的発展史観」と前を含んで展開する「空間的発展史観」の2種類がある。直線的発展史観だけだと勝ち負けが出てくる。どちらが正しいというわけではなく、2つの発展を行き来することが重要なのではないだろうか。● 空間的にそれぞれユニークに発展した主体がただ複数あり、それらが出会うことで新しい発想が生まれることを「トランスローカルな学び」という。● ある地域をその地域にしているものを「風土」と言う。風土とは、自然と人間の間の関係のことで、「風」は文化、「土」は土地・自然を表す。「土」の範囲で醸成される文化が「風」と言える。今回のフィールドワーク先では、地域の今を作り持続させていくことを、地域に住む人々が自律的に模索しているように思えた。国の施策や企業の誘致ありきで地域活性化を図るのではなく、地域住民の手でその地域らしさを中心にした暮らしを作っていたからだ。少し大袈裟かもしれないが、その暮らしを明日に、そしてその先の未来につなげていこうとする地域に住む人々の強い眼差しを感じられた。今回のフィールドワークの中で、ご一緒させていただいた工藤尚悟先生(国際教養大学国際教養学部グローバル・スタディズ領域准教授)から、地域の持続可能性についての面白い話を聞かせていただいた。以下に、工藤先生のお話の要点をまとめた。αεςΠφϏϦςΟ工藤 尚悟 著岩波書店/ 2022年2月18日https://www.iwanami.co.jp/book/b599126.html074 075PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
フィールドワークで見つけた「地域の豊かさ」を生み出す要素をじっくり見てみると、一見、どこにでもそれなりにありそうなものが多く、地域の活性化が進んでいる町にしか存在しないようなものばかりだという印象は少なかった。これは、ずっとそこにある「豊かさ」を享受するために、そこに向き合うマインドセット、雰囲気や環境が必要ということを意味しているように思えた。「地域の豊かさ」は自然にそこにあるだけで自然と享受できるものではなく、「豊かさを最大化したり、作り出したりする仕掛け」があって初めて享受できる。フィールドワーク中で見た場所や、お話を伺った方たちの言葉の中には、地域の中に巧妙に組み込まれた「豊かさを作る仕掛け」が見え隠れしていた。それらの仕掛けは、人々の手で意図的に仕掛けられたものもあれば、自然に/偶然的に形成されたものもあり、その成り立ちはさまざまだ。そこで考えたのは、これらの仕掛けを作っていくことが「豊かな暮らし」を実践するためにできることではないだろうか、ということだ。今回見つけた「豊かな街を作る仕掛け」を他の地域に持ち込むことで、その地域を豊かさが感じられる地域に変えていける可能性を秘めている。そんな「豊かな町のはじめかた」を、ここにまとめた。๛͔ͳொͷֻֻ͚͚1 ձ͕ੜ·ΕΔॴΛͭ͘Δֻ͚2 lاΈzͷॴΛͭ͘Δֻ͚3 ҬͷΈΜͳ͕͑Δڞ༗Λͭ͘Δֻ͚4 ྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͙ͷΛͭ͘Δֻ͚5 ձਓͷಌΕΛͭ͘ΔPART 2077PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚076
ֻ͚1人と人との関わりは、豊かさを生み出す一番大切な要素であるように思える。その一番基本的で、大切なものが、「会話」である。お互いに状況を確認したり、情報を交換したりすることで、人はつながっていく。暮らしの周りでその密度が上がってくると、地域に所属している実感が上がる。より多くの人たちと、より頻繁に会話できること、それが日々の暮らしの豊かさにつながる。人口減少が進む地域では、人手が足りず、社会生活に必要なサービスが行き届かないこともある。地域の活動を限られた人員で回していくためには、一人で何役も掛け持ちすることが求められるが、その配役が自然と決まると持続性が高まる。その役回りを決めるには、地域の困りごとや、地域の人々のスキル・興味が、多くの人と共有されている必要がある。仕事としているような際立ったスキルだけでなく、趣味や意外な経験から築いたスキルを知る有効的な手段が、「会話」である。改まった場所でというよりも、日常の中のいろいろなタイミング・状況で、いろいろな内容の会話が行われることで、多くのスキルが共有されていく。頻度の高いコミュニケーションで、共通の興味を見つけたり、ノリの合う仲間を発見できたりする会話の機会を増やすには、顔を合わせる場所、会話しやすい場所があると良い。そうした場所が、地域に根を張った活動の拠点となる。ձ͕ੜ·ΕΔॴΛͭ͘Δ ʮձͷੜ·ΕΔॴʯͷಛੑʮ୭͕͍ͯɺԿΛ͍ͯ͠Δͷ͔ʯ͕֎͔ΒΑ͘ݟ͑Δ୭Ͱग़ೖΓͯ͠Α͘ɺग़ೖΓ͍͢͠ৗੜ׆ʹ༹͚ࠐΈɺۙ͘ʹߦ͘͜ͱ͕ଟ͍ॴʹ͋Δ078 079PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
͍ͪΧϑΣ朝市通りに面する古い建物をリノベーションした、あたたかな雰囲気のカフェ。2階のイベントスペースではワークショップが開かれることもあり、若い人からお年寄りまで集まる交流の場所となっている。ܠ৭٤ࣨ小浜の中心にあるお洒落なカフェ。全面ガラス張りで、遠くからでも店内の様子がよくわかる。そのため「近くまで来たから立ち寄った」「中に人がいたから話しかけた」などのコミュニケーションが生まれやすい。ޒேࢢ毎月2、5、7、0のつく日の午前中に朝市通りで開かれる。地元の人も観光客もやってくる。決まった時間に決まった場所で開催することによって、人の密度が小さい地域でも、人との遭遇率を上げて、会話が生まれる場所になる。ΞʔϧαϯΫϑΝϛʔϢ地元食材を使ったアイスソルベ専門店。店主の松尾利博さんがいるカウンターの横に窓がある。入口から入ってくる人よりも、窓から声をかけるお客さんが多い印象。通りかかった知人が声かけしやすい造りになっている。খொখொ ޒொޒொ080 081PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
何かをやってみるとき、やる場所がない、相談できる人がいない、一緒にやる人がいない、が最初の障壁になることは多い。いつ行ってもいい場所、いつ行っても誰かいる場所があると、新しいことを始めるハードルは下がる。空き地や空き家を活用したり、廃校や元商店を利用するのも、個人宅の広いお庭の一角でも、場所の種類はなんでもよく、自由に使えることが約束された場所があるとよい。何かやりたい人が、とりあえず話せる、相談できる場所があると、企んだり、実行したりがしやすくなる。そして、そうした「企み」が多く、地域の人々で共有されていると、町の不具合が改善されることや、町のお楽しみが増えることが多くなり、町の豊かさが高められる。地域の人たちの中で生まれる「何かをやってみよう」。それは課題を解決したり、何かを改善したりするだけではなく、今あるものを大きく変える可能性も秘め、地域を停滞させず前に押し進める力になる。「面白そう」「やってみるといいかも」という、思いつきをエンジンに動き出した活動は、仲間を惹きつけ、“試み” というよりも、“企み”と表現した方がしっくりくる活動となる。lاΈzͷॴΛͭ͘Δ ʮاΈͷॴʯͷಛੑֻ͚2ؒΛืΕΔɺؒͰू͑Δҡ࣋අ͕͍҆͏ਓ͕ɺखΛೖΕΔ͜ͱΛڐ͞Ε͍ͯΔ082 083PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
ͨͩͷ͋ͦͼΰδϣʔϝまちの遊休不動産を地元住民がリノベーションして、地域の誰もが「ただで」遊びに来れる自由空間としてゆるく運営している。子どもも大人も誰でも使えるこの場所では、時には一緒に遊んだり、時には相談してみたり。何かが生まれるきっかけになっている。Obama Streetちょっとした企みを胸に秘めた町の有志が集う場所。そこに行けば誰かに会える、誰かと企みを話せる、誰かに後押ししてもらえる、誰かの企みに乗っかれる。そんな交流が日常的に生まれている場所。BABAME BASEͷΦϑΟεεϖʔε月2万円程度の安い賃料でオフィスを構えられるシェアオフィス。周りに起業家の多い場所で事業準備ができる、五城目の出島的存在になっている。ここ発信の新しい取り組みが増えたことで、チャレンジへのハードルが下がっている。מਫ҇築80年の古民家を3年がかりで改装したカフェ&デザインショップ。デザインの力で観光と生活とをつなぐ拠点になっている。コーヒーを飲みにくる地元住民だけでなく、全国のクリエイターがデザインマインドに触れるべく訪問する。খொখொ ޒொޒொ084 085PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
自然資源や、施設、設備など、地域の誰もが使える共有資産が多く、その恩恵を手軽に受けられると、暮らしの豊かさは向上する。湧水や作物のような食を支えるものだったり、足湯や公共施設のような場所だったり、傘や自転車のような道具だったりと、共有物にもいろいろあるが、こうしたものを手軽に使えることで、利用する人たちの生活コストが下がり、生きることの不安材料が減る。誰にとっても、生活を支えてくれるライフラインがあることの安心感は、大きな豊かさにつながる。何か新しいことにチャレンジする人にとってはなおさらだ。新しい事業を立ち上げると、軌道に乗せるまでは現金資本が心もとないのが現実である。そのため、暮らしていけるだけのある程度のお金がないと、新たにチャレンジするのが難しい。そんな中で、共有物が生活を支えてくれると、少ない資本であっても、新しい企みを試してみやすくなる。ҬͷΈΜͳ͕͑Δڞ༗Λͭ͘Δ ʮҬͷΈΜͳ͕͑Δڞ༗ࢿ࢈ʯͷಛੑֻ͚3Ҭͷਓ͕ɺཧɾӡӦ͍ͯ͠ΔҬͷਓ͕ɺखܰʹ҆ՁͰԸܙΛड͚ΒΕΔదʹख͕ೖΔ͜ͱͰ॥ɾܧଓ͍ͯ͠Δ086 087PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
ࢁͷܙΈ地域のシンボルでもある森山は、昔から林業が盛んでもあった。木材は地域の産業を支え、肥沃な土壌は農作物を育て、森山の恵みが暮らしの礎になっている。105ˆͷԹઘͱৠؾৠ͠湧き出た温泉は小浜の町を通り、海に流れ出る。その蒸気を利用した無料の蒸気蒸し釜は、食材さえあれば観光客でも誰でも利用できる。温泉を利用した共同浴場は150円で利用でき、老若男女の日常を支えている。ΜͩਫͷܙΈ長い年月を経て大地に濾過され、森山から湧き出た地下水が、五城目の米を育て、美味しい酒を造る。ヤマメなどの川魚がたくさんすむ馬場目川上流は、週末だけでなく仕事の合間でも少し足を延ばせば渓流釣りが楽しめる場所。ۭ͖Ԃ町の中に点々と存在する使われていない空き地。使いたい人が所有者の許可を得て借り受けて、ちょっとした農園として使っている。収穫された作物は、住民の間でお裾分けされたり、物々交換されたり。地元の恵みが日々の食卓に並ぶ。খொখொ ޒொޒொ088 089PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
古くから人が住み、暮らし続けてきた地域には、気候条件や地域の特色に合った歴史と文化がある。こうして伝承されてきた文化を、今、担っているのが自分たちであり、何百年も前からの先人の営みの先に自分たちの生活があると思うと、土地に対して敬意が湧く。日常生活の中で、脈々と受け継がれてきた歴史を感じることは、豊かさにつながる。地域ならではの魅力とは、長い年月をかけて地域の風土に寄り添って形成されていくものである。地域に古くから伝わる風習をただ引き継ぐだけでなく、今の視点や生活に合わせて手を加えて、育み、発展していくことで、新たな歴史が紡がれて、町が更新していく。こうした営みから、この地域にしか存在しない味わいが生み出される。それは、真新しいものを良いとする価値観が主軸にある、都会ではなかなか見つけられないものだったりする。時が育んだ地域ならではの魅力は、地域で暮らす人々の誇りと愛着を生み、こうした気持ちで管理運営がされる地域は、ますます豊かさを増していくのである。ྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͙ͷΛͭ͘Δ ʮྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͍ͩͷʯͷಛੑֻ͚4Ҭͷྺ࢙ʹ͍͍ࠜͮͯΔҬͷࢿݯͰ࡞ΒΕ͍ͯΔҬͷؾީڥʹ߹͍ͬͯΔ090 091PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
SHARE VILLAGEொଜ間取りは8LDK。取り壊し予定だった築140年の茅葺屋根の古民家。その古民家を改装し、家を “村” に、来訪者を “村民” に見立てコミュニティーを立ち上げた。みんなのイメージする「何処にでもありそうで何処にもない田舎」を提供している。Թઘ֗小浜は『肥前国風土記』(713年)にも記されている古湯で1900年代から湯治場として利用される温泉地。放熱量(湧出量×湯温)は日本一を誇る。その温泉を生かした地熱発電が2013年から稼働している。ேࢢͱேࢢplus+室町時代から約500年以上も続く「五城目朝市」。その形態を残しながら、新たに朝市の未来を拓く場として2015年から開催している「ごじょうめ朝市plus+」。歴史ある街の中で、新旧2つの朝市が開かれることによって、新たな歴史が紡がれている。ݹ͍ಓ͕Δॅ֗坂の多い街並みや、車が通れない細い道。利便性だけで考えたら不便かもしれないが、それらを残しつつ、昔からある家屋に手を入れてできあがった町の景観が、その地域にしかない、その地域の暮らしを生み出している。খொখொ ޒொޒொ092 093PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
地方の人が都会に憧れるところがあるように、都会の人も地方に憧れる。畑と食卓の近さだったり、釣りをすることだったり、自然資源に関わる営みや、地産のものを消費したりすることであったりする。大地の恩恵を受けたり、地域の人々のスキルを活かして「ここでしかできないこと、ここだからできること」として実現することは、資源がない都会では難しい。都会ではできないことを、身近なもの・日常のものとして実現できることが、地域で暮らすことに特別感を生み、都会人の憧れの存在になる。こうした都会人の憧れは、地域から見ると当たり前すぎてそれが特別なことだと気づくのは難しい。だからこそ、地域を客観的に見られる、移住者やUターンの目線が重要になる。「地域の視点」と「都会の視点」を併せ持った移住者やUターンの目線を通して掘り出されたもの、その価値を言語化したものが、「都会人の憧れ」になりうる可能性を秘めている。都会の人たちが憧れ、求め、来訪し、賛美することで、地域に住む人たちだけでは気がつかなかった土地の魅力を、再発見・再認識し、自分たちの町に誇りを抱くようになる。すると、地域に暮らしていることの豊かさに気がつくのである。ձਓͷಌΕΛͭ͘Δ ʮձਓͷಌΕʯͷಛੑֻ͚5قઅɺ෩ɺࣗવͱͷؔΘΓΛײ͡ΒΕΔਓͷखΛհͨ͠ࣄ͕ײ͡ΒΕΔޮॏࢹͰͳ͍ɺਓͱͷͭͳ͕ΓΛײ͡ΒΕΔ094 095PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
Լ༦ொৢࣨ͠HIKOBE1688年創業の五城目の酒蔵・福禄寿酒造。そこに隣接して建てられた、福禄寿酒造の日本酒と五城目の風土を味わうことができる交流型カフェ。洗練された店内は、朝市や森山の眺望などの観光情報を求めて訪れる観光客と、コーヒーを飲みにくる地元の方で賑わう。λωτ雲仙市千々石町にある、オーガニック野菜専門の直売所。近隣の多品種・小規模な農家さんが育てた新鮮な無農薬・無化学肥料の農産物が店内に並ぶ。生産者に近い直売所は、きっと都会ではできない。美味しい野菜を求め、遠方からもお客さんがやってくる。ࡾԹ༼五城目町で開窯して約40年になる三温窯。一貫して自らの手仕事にこだわり、五城目の土地で掘り出した粘土を使い、地元の植物から釉薬を作り、陶芸家自ら作った登り窯で器を焼く。時間をかけてできあがった器は、素朴で毎日使っても飽きない美しさをまとう。ాதڕళ一見どこの街にでもありそうな魚屋さん。一歩足を踏み入れると、たくさんの新鮮な魚介類で溢れ返っている。近海の橘湾で取れた魚介類のみを取り扱っているのがこの店の自慢。四季折々、その時しか捕れない旬の海の幸は、都会にはない豊かさを感じさせる。খொখொ ޒொޒொ096 097PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷֻ͚
๛͔ͳொͷֻ͚Λ͢Δ͜ͱͰɺொͷ๛͔͕͞Ͳ͏͕͍ͬͯ͘ͷ͔Λɺ̏ͭͷγφϦΦΛ௨ͯ͠ඳ͖·ͨ͠ɻΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦPART 3098 099PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
かつては賑わったバスターミナルがあったが、人口が減り、利用者も減ってきたので、規模を縮小することになった。町の中心部にありアクセスの良い場所だけに、空いた部分を地域で活用できないかと町の住民で話し合い、待合室として使われていた1階の部分を、ポップアップストアとして活用することにした。ポップアップストアは、企画を申し込んで採用されれば、誰でも使用できる。使用期間も短く選べるため、本業としてやるにはまだ自信のないビジネスを始めてみる場所、毎日はできないけれど継続して行いたいこと、イベント的に行いたいことなど、地域のみんなの企みの場所として使われる。たとえば、体力的に毎日仕事をするのが辛くなって長年営んだ小料理屋を閉店したおばあちゃんが、期間限定のお弁当屋さんを開いて、久しぶりにお客さんの顔を見たり、社会との接点を持つことによって、張り合いが出たりする。地元のパン屋さんが、1日だけケーキを振る舞う喫茶店を開いて、お店の新しい方向性を探ったり、新メニューを試したりする場所として使ってみる。酒屋さんが、おすすめのお酒を試し飲みできる立ち飲み屋さんをイベント的に開催し、新しいお客さんの開拓や、地元のお酒の美味しさをみんなで共有し楽しむ。土曜日には、近隣の農家さんが直売マーケットを開いて、こだわりの生産物を希望価格で販売し、こだわりを理解してくれるお客さんに出会ったり、野菜を通じた新たなコミュニケーションが生まれたりする。など、ハードルの低い試みの場所として事業者を支援するだけでなく、地域内で新たなつながりを作ったり、情報やアイデアが交換される場所、町に変化を生み出す場所として、寂れた雰囲気が出ていたバスターミナルに再び賑わいを取り戻すことができた。地域の人が集まるようになってくると、バスでのアクセスの良さから、近隣の地域から人が来ることも増えた。地域の名所となり、訪問者が立ち寄ることも多い。多種多様なイベントで住民が頻繁に集まることによって、より多くの会話が生まれ、それぞれの特技が共有されたり、悩みを共有したりして、新しい企みがここから生まれることもある。こうして町の人々がつながり、新しいことを試すこと、それを後押しする文化が広がっていくことで、町の豊かさが向上していく。SCENARIO 1اΈϙοϓΞοϓ100 101PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
地域の農家さんも高齢化が進み、人手の足りなさから、畑を放棄したり、縮小したりする人も増えてきた。使われなくなった畑は、コミュニティー農園として、地域住民の共有のものとした。農地は小さく区切られて「町民農園」として地域の人に貸し出されることになった。これまで農業に関わっていなかった人も、小さな区画を借りることで、農業を始めてみることができるようになった。農地には共用農具庫があり、一般的な農具を借りて使うこともできたし、複数の農地契約者の意見が集まれば、希望の機械を共同購入することもできた。そうして、耕作のハードルを下げることで、それぞれの区画で、自家用のお野菜を育てたい、無農薬栽培をやりたい、土地の歴史をひもといて在来の作物を育てたいなどの想いを持った、複業としての農家が多く生まれてきた。農業の難しさは、作物の育て方だけでなく、売り方にもある。自治体では、どんな売り先・売り方をするとこだわりを買ってくれる人とつながれるのかの相談ができたり、区画での農地運営から卒業して事業として展開することを相談できる窓口がある。そこで、有識者と一緒に事業計画を立てられたり、地域内外の専門家や、同じ目標を持っている人たちと情報交換したり、都市部の売り先とつながったりできるようになった。そして、趣味の農園から持続可能なビジネスとしての農業へ発展させることができる人も生まれた。こうした経験からの知見が地域内でも共有されることで、農地を借りたい人も増え、耕作放棄地の活用が増えてきたのも、町の活性化へとつながった。大きな収益を上げるというよりも、自分の想いを込めて作ったものを、自分が思う価格で販売し、それを買ってくれる人とつながる。小規模農園を複業として楽しむという選択肢が、町での暮らしの豊かさを向上させてくれている。ொຽԂSCENARIO 2102 103PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
過疎が進んだこの地域では、市営バスの撤退が決まり、住民の移動のサポートとして、自動運転のタクシーが導入された。地域の住民なら、誰でも格安で、アプリからタクシーを呼ぶことができる。どうしても忙しい日に親御さんが子どものお迎えに利用したり、飲み会の行き帰りに安心して利用できたり、お年寄りが「歩くとちょっと大変な、坂の上の友達の家に遊びにいく」ということが気軽にできるようになった。また、タクシーの経路や目的地によっては、乗合として対応されることもある。自動運転タクシーの運営を始めると、特に高齢者には、乗合の人気が高いことがわかった。普段、社会との接点や、会話の機会が少ない人には、乗合の移動時間がおしゃべりを楽しめる大切な時間となっているようだ。そこで、病院やスーパーマーケットなどの日常的によく行く行き先は、巡回ルートとして乗合で対応するようにした。乗車時間は長くなるが、巡回で普段通らないみちの景色を眺めたり、乗り合わせた友達と長くお喋りができたりして、時間にゆとりのある方には、好意的に受け止めてもらえることが多かった。巡回ルートを導入してから、友達と誘い合わせて買い出しに行く高齢者も増えてきた。これまで以上に地域の人との接点が増えて、生活に張り合いがでたり、友達と会うために身だしなみを整えたりすることで、イキイキする人も多い。このサービスを開始してから、外出する住民が増えた。車を運転できない人たちも、自分で移動できることで、行動範囲が広がった。一人で暮らす高齢者の方々の暮らしも、みんなで見守り、何か異変があったらすぐ気がつくことができる安心感もある。一見、効率化が目的と思える移動の自動化も、人手がかからないからこその、かかる時間の長さも、サービスを利用する時間帯も気にしない、ゆったりとした運用で、地域の人々のつながりに貢献している。ࣗಈӡసλΫγʔSCENARIO 3104 105PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
地域創生の事例を見て時々感じる違和感は、移住などの人を呼んで人口を増やしたい、関係人口を増やして資金の流れを作りたい、など、外の人々に希望を託すようなことに目が向きすぎているように見えていたからだと思う。移住者を呼び込むにも、地域と関係を持ちたいと思われるにも、まずは、地域が魅力的であることが最初の一歩であるべきだ。地域の人々が「楽しそう」だったり「幸せそう」であることが、どんな施設、仕組みや制度よりも、外の人を惹きつける。今回のフィールドワークで訪問した2拠点には、東京在住の私たちの日常にはない、大きく分けて2つの「豊かさ資源」があった。1つ目は、自然資源である。湧き上がる温泉、簡単にできる釣り、収穫量の多い家庭菜園、お裾分け文化、土地が余っている故の安い家賃、など、お金を追い求めなくても、自然資源が与えてくれる、生活のセーフティーネットがあった。2つ目の「豊かさ資源」は、強いコミュニティーである。日常的に関わりを持ち、大きな家族のようなつながりを持っているようにも見えた。地域の子どもの面倒をみんなで見る、収穫物を分ける、それぞれの得意分野を活かし協力する、など、カジュアルに支え合うのは当然だと感じ合っているような関係性があるように見えた。そして、町のみんなで、何かをやってみることで、自分たちの場所を良くしていけることに実感を持っていた。それ๛͔ͳொͷ͡Ί͔ͨPART 4106 107PART 4 ᴹ๛͔ͳொͷ͡Ί͔ͨ
故の、何かをやりたい時に仲間を探し出せる自信があり、何かをやりたい人を支える意志があった。こうした、たくさんお金がなくても暮らせること、信頼のおけるご近所さんに囲まれていることが、地域の人の日々の楽しさを生み出していて、それが「豊かさ」の根源になっているように見えた。私たちのような訪問者にも寛容で、その楽しさを見せてくれた。そうすることで、外から来た人たちが、「楽しそうだから参加したい」と考え、移住を検討したり、関係人口的なつながり方を模索したりすることにつながる。つまりは、豊かな町を作ることが、地域創生の第一歩なのである。自然資源による豊かさは、人が作り出せるものではないが、強いコミュニティー作りは、人の力で変えていくことができる。今回のフィールドワークで見つけた、「豊かな町の仕掛け」は、コミュニティーによる「豊かさ」を醸成するために、人が始められることなのではないかと思っている。言葉だけで説明するのは難しいところも多い。機会があれば、ぜひ、長崎県雲仙市小浜町、秋田県南秋田郡五城目町に足を運んでいただきたい。イキイキと暮らす町の人々から「豊かさ」を感じてもらえると、本書で語っている内容が、より実感を持ってご理解いただけると思う。108 109PART 4 ᴹ๛͔ͳொͷ͡Ί͔ͨ
Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘খொฤ私たちが小浜町へ行ったのは、2022年6月。梅雨らしい、変わりやすいお天気の中、見ても変わらない天気予報を何度も確認しながら、早朝の羽田空港から長崎県へ向かう。長崎空港に到着し、車が運転できない私たちはタクシーに乗り込み、小浜方面に向かう。車の中で、地元出身の運転手さんに、長崎の歴史の手ほどきを受けながら、車窓に流れる国道の風景を眺める。農地が目立ってきた頃、お昼ごはん処として目をつけていた、最初の目的地であるタネトさんに到着した。タネトさんは小浜町の隣町、雲仙市千々石町にある “オーガニック専門直売所” で、日本の有機農業を支えつなげる場として、在来種野菜を守り継ぐ拠点として、オーガニックベースの奥津さんが経営されている素敵なお店だ。地元で採れた新鮮な季節の野菜PART 5111PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘110
が新聞紙で作った箱に入って陳列され、作家さんによる器が置かれ、お店の奥にはちぢわ書店という古本コーナーもある。千々石町がぎゅっと詰まったような印象のある、良質で正直な商品が並ぶ、楽しい場所だ。お店の一角にあるイートインのコーナーに座り、ランチにすることに。メニューは、40年無農薬栽培を続けている岩崎さんの育てるオーガニック野菜のかきあげ丼定食か、獣害対策で捕らえた鹿や猪を高い技術でさばく代々さんからのお肉を使ったジビエ丼定食の2種類。生産者の名前がわかるだけでなく、生産者が近い。素材の美味しさを満喫できる最高の丼定食で、良い旅の始まりを感じた。昔、鉄道が走っていた痕跡を眺めながら、緑のトンネルを抜けると小浜町に着く。まず、景色喫茶室に立ち寄り、湧水で淹れたコーヒーでひと休みするのがおすすめ。喫茶室の古庄さんは、地元でデザイナーをされて近くには、草木染めのアイアカネ工房がある。庭で育てた藍や綿、工房周辺の豊かな自然からの恵みを使った作品が並ぶ。染めるだけでなく「食べる藍」や、種を配って育ててもらったオーガニックの綿を実用品にする「環り綿」など、ユニークなプロジェクトや商品がとても興味深い。温泉街を散策し、明治初期から作られている銘菓「湯せんぺい」を味見してもよし、地元のおじいちゃんたちと一緒に日本一長い全長105メートルの足湯に入るのもよし、防波堤を散歩するのも、ORANGE GELATOで小浜塩ミルクジェラートを食べるのも、夕いる、小浜住民。小浜で見たいところ、やりたいことを相談すれば、小浜を完璧に楽しむご提案をいただけるはず。喫茶室に置いてある『OBAMA MEETUP GUIDE』を手にすれば、さらに濃厚な小浜体験ができる。景色喫茶室を出て、路地裏でボコボコと音を立てながら自然湧出する炭酸泉・刈水鉱泉を通り過ぎ、築80年の、大工の棟梁の元屋敷を改装したショップ、刈水庵に向かう。野良猫の多い細い路地を歩き、よく手入れされた家庭菜園を眺め、車の通れない坂道を鶏の声を聴きながら上ったところに、雰囲気のあるその古民家がある。中には、小浜出身でイタリアからUターンして活動されていた城谷さんがデザインした小物や、味わいのある生活雑貨が並ぶ。2階の喫茶から眺める瓦屋根越しの海の景色が素晴らしい。日の広場で景観を楽しむのも、温泉地らしい楽しみ方。小浜の町は、端から端まで歩いても、20分程度。歩いているからこそ、お店にふらっと入ったり、地元の方と遭遇したり、わざと細い路地に入ってみたりと、散策の楽しさがある。車の窓からでも、小浜の街並みがと橘湾が一望できる小麦粉と砂糖と卵と温泉水を練って焼き上げ、ほのかな甘さと香ばしさがある小浜銘菓の「湯せんぺい」○○○○◎○○○○●○○○○◎○○○○●○○○○◎○○○○●○○○○◎○○○○●○道がわからなくても、路地にある案内板を頼りに歩けば、素敵な場所を巡ることができる「炭酸泉」は温泉街の路地裏にある広場でひっそりと湧き出ているখͷಛ海沿いに広がる小浜温泉は、端から端まで真っ直ぐ歩くと20分程度とコンパクト。それゆえ、ぶらぶら歩き、気になるスポットで立ち止まるのが楽しいところ。歩いて移動するからこそ、地元の人同士の遭遇率が高いのも特徴。͔Β·Ͱెา20坂の多い街並みや、車が通れない細い道。利便性だけで考えたら不便かもしれないが、それらを残しつつ、昔からある家屋に手を入れてできあがった町の景観が、その地域にしかないその地域の暮らしを生み出している。ݹ͍ಓ͕Δॅ֗খͷಛ小浜は『肥前国風土記』(713年)にも記されている古湯で1900年代から湯治場として利用されている温泉地。放熱量(湧出量×湯温)は日本一を誇る。その温泉を活かした地熱発電が2013年から稼働している。ੲͳ͕ΒͷԹઘ֗112 113
明るいうちにやっておきたいことのひとつに、食材の調達がある。自分で調理できる、105度の源泉を利用した温泉蒸し料理を楽しむためだ。地元のスーパー大門やAコープでの買い物も楽しいが、千々石のタネトさんの野菜、田中鮮魚店で地元の新鮮な魚を入手できれば完璧。塩分を多く含む源泉が、良い塩梅に味つけもしてくれて、素材の美味しさを堪能できる。地元の老舗旅館の伊勢屋さんオリジナルのポン酢や本多木蝋工業所さんのごま油を用意すれば、味変も楽しめる。蒸気屋さんに宿泊していれば、宿のキッチンも蒸気窯も使わせてもらえる。小浜は温泉の湯量が多く、源泉の約7割は海に流すほど。それもあって、町の温泉はどこでも、源泉掛け流し。他の温泉地ではあまり見かけない、硫黄の香りでむせ返る熱い源泉を利用した天然の蒸しサウナもあり、身体を芯から温めてくれる。豊かなお湯でゆっくり温まった後は、R CINQ FAMILLE(アールサンクファミーユ)で、ポップなアイスソルベの種類の多さに悩むのも、焼き菓子でひと休みするのも良い。暗くなったら、町中に湧き上がる湯煙を眺めて海沿いを散歩するのも心地いい。裏通りのスナックのネオンが作る、昼間と違った町の夜の顔を楽しむのもまた面白い。一杯飲みたくなったら、地元出身の獅子島さんのバー、Lion Jに寄りたい。地元の人も、観光客もやってくるこのお店で、地元食材を使ったカクテルと、地元食材で臨機応変に作ってくれる料理、獅子島さんのトークで小浜を深く満喫できる。訪問者も大らかに受け入れてくださる小浜町の雰囲気に包まれて、数日も過ごすと、自分の感じる時間の流れが小浜に馴染んでくる気がした。次回、訪問する時には、今回は予約できなかった、東京からやってきたシェフ原川さんがタネトさんの野菜を料理するレストランBEARDに行ってみたいな、小浜内の浴場を梯子したいな、などと、やりたいことが湧き上がる。用事がなくても行きたい、行ったら長めに滞在したい、そんな小浜町だった。「田中鮮魚店」の店先には、橘湾でその日獲れた新鮮な魚介類が並ぶ誰でも好きなものを持ち込んで、蒸したホカホカを味わえる蒸し釜ݩ࢈ͷ৽ͳࡊڕΛԹઘͰৠ͢খͷಛ小浜温泉には約30カ所の源泉がある。湧き出た温泉は小浜の町を通り、海に流れ出る。その蒸気を利用した無料の蒸気蒸し釜は、食材さえあれば誰でも利用可能。温泉を利用した公衆浴場は150円で利用できる。105ˆͷԹઘͱৠؾৠ͠খͷಛ雲仙で種採り農家をされている岩崎政利さんが、生命力溢れる野菜を栽培されている。岩崎さんの取り組みに惚れ込み、東京から移住した奥津一家の営む、オーガニック直売所「タネト」がある。岩崎さんのお野菜に圧倒され、原川シェフが移住して、小浜にレストランを開いた。予約の取れない人気店だ。農家さん、八百屋さん、シェフ、料理人、バーテンダー、パティシエがそれぞれ地産の恵みを料理する。地域で一緒にイベントをやったりと、食のコミュニティーが熱いのも小浜の特徴にみえる。৯ͷίϛϡχςΟʔ114 115PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
খொϚοϓɹ3ɹ5ɹ 7ɹ6ɹ2ɹ出典:国土地理院ウェブサイト4ɹ1ɹ116 117PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
খொݟͲ͜Ζמਫ҇築80年の古民家を3年がかりで改装したカフェ&デザインショップ。デザインの力で観光や生活とつなぐ拠点になっている。コーヒーを飲みにくる地元住民だけでなく、全国のクリエイターがデザインマインドに触れるべく訪問する。刈水地区全体を会場として、全国から手作りのもの、こだわりの食、ワークショップなどが集まる刈水デザインマーケットや、刈水デザインキャンプなどのイベントも多数主催している。BEARD「野菜が美味しい」という理由でオーナーシェフが始めた、野菜が主役のレストラン。雲仙の在来野菜と小浜の温泉を使った料理を求める人が長崎県外、全国からもやってくる。༙ਫ小浜の町を流れる湧水は、住民の生活を支える。野菜を冷やしたり、洗い物に使われたり、子どもたちの遊び場になったり。上の川湧水は人々の交わるハブ的役割も持つ。ాதڕళ近海の橘湾で取れた魚介類のみを取り扱っている。安く新鮮なことから、地元の人たちだけでなく、温泉蒸しの具材を探しにくる観光客も訪れる。手作りカマボコも評判が高い。ΞʔϧαϯΫϑΝϛʔϢパティシエ松尾さんが作る、地元食材を使ったアイスソルベ屋さんのR CINQ FAMILLE。四季の魅力を詰め込んだポップでカラフルなアイスソルベは人気が高い。訪れる季節を変えて、新しい味に出会うのが楽しみになる店だ。ۭ͖Ԃ町の中にある使われていない空き地は、住民のちょっとした農園として使われている。収穫された作物は住民の間でお裾分けされ、日々の食卓に並ぶ。ܠ৭٤ࣨ小浜の中心にある、全面ガラス張りのお洒落なカフェ。店主の古庄さんに小浜のことを教えてもらうと街歩きの楽しさが倍増。『OBAMA MEETUP GUIDE』を見れば小浜温泉街の魅力的な人たちへのインタビューを読むことができる。1ɹ 4ɹ5ɹ67ɹ2ɹ3ɹ118 119PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
ݩͷਓ͕ܜ͏ઍʑੴւ؛খொ120 121PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
ͷখʹ্ཱͪΔ౬Ԏখொ122 123PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
னؒͱҧ͏إΛݟͤΔͷ࿏ཪখொ124 PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘ 125
খԹઘ ౬୨খொ127PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘126
ޒொฤ東京から秋田まで、新幹線で一本。蒸し暑い7月の都会の車窓が、だんだん清々しさを帯びた田園風景に変わっていくのを眺めながら、4時間の長い乗車だからこそのゆったりとした時間を楽しみ、お昼くらいに秋田駅に到着した。秋田駅で稲庭うどんをすすり、レンタカーに乗り込んで、五城目町に向かった。車幅の広い道路を走っていくと、大きなイオンに迎えられ、五城目周辺の町に入っていく。最初に訪問したのは佐藤木材容器さん。工房に併設する小さなショップを覗くと、漂う木の香りと、可愛らしい手仕事のオブジェに心を奪われた。代表の佐藤さんにお話を伺いながら、秋田杉を使ったオリジナルのお皿「KACOMI」の木目を念入りに拝見する。杉のお皿はサラッとした手触りと、陶器の約1/5ほどと驚く軽さで、手に取った瞬間から感動がある。続いて、地元の窯元である「三温窯」さんへ。少し人里離れた工房には薪が積み上げられ、手作りの登り窯の周りには釉薬用に用意した地元の植物の灰が並んでいる。焼きもの作りのすべてがここで完結するのだ128 129PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
という、ものづくりの雰囲気が強く感じられる場だ。おそらく、雪に覆われる冬の間も、ここでひっそりと制作が続けられるのだろうことを想起させられた。工房内のショップで、脱サラで陶芸家になられたという佐藤さんのお話を伺った。釉薬の色、登り窯独特の焼き味などを吟味しながら、心の通じる器を探すのも心地よい。こうした北国の工芸の素晴らしさも五城目の魅力ではあるが、五城目町を訪れた理由 円の他、ポコポコ通貨という独自の通貨が使える。農作業を手伝った子どもたちがポコポコでおやつを買えたり、地域の人同士の「ありがとう」を可視化できている。こうした、人と人をつなげる仕掛け作りをする人が多いのも、五城目の特徴と言える。五城目に行ったら立ち寄りたい場所は、やはり、「朝市通り」だろう。室町時代から続く朝市が、今でも定期的に開催されている。近隣でとれた魚や野菜などが売られ、東京では見かけないものもあったり、買い物をするといろいろなおまけをつけてくれたりは他にもある。地域資源を活用した起業による移住を支援することを目的とした、地域に根差した起業・移住支援事業 “ドチャベン” が行われていたりと、地域発の事業が多い。さっそく、こうした新規事業者の拠点となる「五城目町地域活性化支援センター」(愛称:BABAME BASE)という、秋田県五城目町の廃校シェアオフィスへ向かった。教室改め事業支援室は19室あり、利用料は2万円。新しいチャレンジに取り組む多様な方が、この建物を拠点としている。広い廊下、大きな窓、交流を生みやすい開かれた建物の構造が、元・学校であることの利点に見えた。BABAME BASEの1階の元給食室だったところに、「ポコポコキッチン」というカフェがある。“食べること” を通じて交流できるスペースとして運営されていて、固定メニューはなく、ポコポコファームで育てた野菜や、ご近所からお裾分けしていただいたものなどを中心に日常食として提供している、ほっこりなカフェ。ここでは、日本と、お店の方々との交流も楽しい。地元のおばちゃん同士の会話を盗み聞きしてみても、方言が強くて、まったくわからないのも面白い。朝市通りには、大人も子どもものびのびと遊べる、遊休不動産をリノベーションして作った「ただのあそび場ゴジョーメ」もある。その隣には、ゆったりとした時間の流れる「いちカフェ」もある。少し歩くと、一白水成という日本酒で有名な福五城目の恵まれた自然の中に佇む「三温窯」さんの工房「ポコポコキッチン」でいただいたカレーはポコポコファームで採れた野菜をふんだんに使って彩り豊か廊下にある大きな窓から部屋の様子が見える「BABAME BASE」ࣨொ࣌ࠓɺொͷத৺ʮேࢢ௨Γʯ葉っぱの形をしたポコポコ通貨ޒொᴷҬͱͯ͠ͷಛɾ໘ന͞地域のシンボルである森山は、昔から林業が盛んでもあった。木材は地域の産業を支え、肥沃な土壌は農作物を育て、湧き出た水が、五城目の米を育て、美味しい酒を造る。森山の恵みが暮らしの礎になっている。๛͔ͳࢁͷܙΈ2015年秋から、地域の暮らしを楽しみながらアドベンチャーする人たちが、ともに学び、挑戦を支え合うためのプログラム「ドチャベン」を実施している。自治体の支援もあり、起業しやすい仕組みを持つ。ʮυνϟϕϯʯ=ணϕϯνϟʔ ͕͋ΔޒொᴷҬͱͯ͠ͷಛɾ໘ന͞室町時代から続く朝市。その形態は残しつつ、新たに朝市の未来を拓く場として開催されている、ごじょうめ朝市plus+。新旧2つの朝市が開かれることによって、新たな歴史が紡がれている。ேࢢͱேࢢ plus+130 131PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
禄寿酒造さんが経営する、「下タ町醸し室HIKOBE」というカフェも。ここでは、日本酒を仕込むのと同じ地下水を使ってコーヒーを淹れたり、麹を使ったデザートがあったりと、お酒が好きな人もお酒が飲めない人も、五城目の日本酒を楽しむことができる。五城目の歴史については、朝市通りにある「小川古書店」の小川さんに、お話を聞いてみるのもいいけれど、「五城目森林資料館」に行くのもいい。山の上にある資料館からは、五城目一帯がよく見渡せる。森から来る川が合流する地点に栄えた町であることが見て取れるし、資料館で説明されている林業の発展コーナーも興味深い。田 舎 ら し い 田 舎 を 体 験 し た い の な ら、SHARE VILLAGE 町村を覗いてみるのもいい。茅葺屋根の古民家を、多くの人で維持する仕組みを作り「村づくり」に見立て、“年貢” という年会費を納めた” 村民” が自分の第2・第3の故郷として里帰りできる。築100年超えの貫禄ある古民家に宿泊するのも、そこで家の仕事を手伝うのもいい。都会では味わえない五城目ならではの自然との共存、共同生活の極意を感じさせてくれる。五城目町を車で走っていると、本当に田んぼが多い。そんな米どころで脈々と培われていた朝市のような文化と、新しさの溢れる「ドチャベン」的新規事業が混じり合う雰囲気が面白い。いろいろな新しい試みが常にいろんな規模で起こっていて、仕掛けている人たちのワクワクした笑顔が印象に残る。雪に包まれる厳しい冬には、どんな仕掛けをしているのかも見てみたい気がする場所だった。茅葺屋根の古民家の前に置かれた素敵な看板が「SHARE VILLAGE町村」の目印五城目の稲田地域文化を発信する場所としても、町内外の老若男女が自由に集う「下タ町醸し室HIKOBE」ޒொᴷҬͱͯ͠ͷಛɾ໘ന͞五城目町を流れる馬場目川上流にはヤマメやイワナがたくさんすんでいる。週末だけでなく、仕事の合間でもちょっと足を延ばせば森の中での渓流釣りが楽しめる。അͷܙΈお米の生産量全国2位の秋田県にある五城目町では、耕地面積の90%以上が水田である。車で走っていても、車窓から見える田んぼが印象的な町。300年以上続く福禄寿酒造では地元のお米と湧き水で、こだわりの日本酒を造っている。ञඒຯ͍͠ɺถͲ͜Ζ132 PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘ 133
ޒொϚοϓɹ出典:国土地理院ウェブサイト1ɹ3ɹ7ɹ6ɹ2ɹ4ɾ5134 135PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
ޒொݟͲ͜ΖSHARE VILLAGE ொଜ取り壊し予定だった茅葺屋根の古民家を再生したゲストハウス。間取りは8LDK。家を“村” に、来訪者を “村民” に見立て、みんなのイメージする「何処にでもありそうで何処にもない田舎」を提供している。“年貢”(年会費)を納めれば誰でも宿泊できる。ͨͩͷ͋ͦͼ ΰδϣʔϝ街の遊休不動産を地元の人々でリノベーションして、地域の誰もが「ただで」遊びに来れる自由空間としてゆるく運営している。子どもも大人も誰でも使えるこの場所では、時には一緒に遊んだり、時には相談してみたり。何かが生まれるきっかけになっている。BABAME BASE五城目町地域活性化支援センターのこと。廃校になった小学校校舎を活用したシェアオフィス。複数あるオフィススペースの廊下に面した壁はガラス張りで、廊下から中の様子がよく見える。事業内容や作業風景が共有されることによって会話が生まれやすい。ࡾԹ༼佐藤秀樹さんが立ち上げた窯元。五城目の土地の土を使い、地元の植物の灰から釉薬を作り、佐藤さん自ら作った登り窯で器を焼く。工房内のショップでは、食器や茶器などを中心に販売も行っている。自然釉ならではの一つひとつ色の異なる器から、好みの色を発見する楽しみも。Լ༦ொৢࣨ͠ HIKOBE福禄寿酒造の酒蔵に隣接する交流型カフェ。朝市や森山の眺望などの観光情報を求めて訪れる観光客とコーヒーを飲みにくる地元の方で賑わう。ϙίϙίΩονϯ「BABAME BASE」の一角にある元給食室を使った「食べること」を通じて交流できる紹介制カフェ。ポコポコファームで育てた野菜を中心に日常食にした “今週のまかない” が週替わりである。ޒேࢢʢேࢢ௨ΓͰ։࠵ʣ毎月2、5、7、0のつく日の午前中に開かれる朝市。五城目町下タ町通り(通称:朝市通り)に、地元の人も観光客もやってくる。決まった時間に決まった場所で開催することによって、人の密度が小さい地域でも、人との遭遇率を上げて、会話が生まれる場所になる。1ɹ 5ɹ62ɹ3ɹ4ɹ7136 137PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
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BABAME BASEޒொ140 141PART 5 ᴹΒ͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
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幸運にも、今年もデザインスタジオKOELとして行う未来洞察型リサーチを行えることになった。2年目の今年は、地域創生を意識したテーマを選んだ。前年の「みらいのしごと」では、人口減少・高齢化時代の「働き方」に目を向けたので、今回は、人口減少・高齢化時代の「暮らし方」を見てみたいと思った。大量生産・大量消費をベースにしてきた社会が限界を迎えている今、価値観が多様化していることを、自分自身の暮らしの周辺で感じることも多い。「豊かさ」の要素がお金的なものと離れてきているという実感もある。この変化がもっと進んだ先の社会では、どんなことが「豊かさ」として共通認識されるのだろう、人々はどのような「豊かさ」を目指していくのだろう。そんな漠然とした疑問を持って、今回のリサーチに取り組んだところがある。本リサーチのフィールドワークのタイトルを、「生きるためのキャピタル」としていたのも、そうした背景がある。実際にフィールドに出てみると、「豊かさ」というものが、地域内での価値観だけに閉じているものではないことが見えた部分もある。「地域性」や「ご当地の」概念なども、考えてみると、外と比べてみて初めて見えてくる、他地域との差分から生み出されていることも多い。この差分である、地域ならではの特徴に「豊かさ」を感じると、その土地がぐっと豊かに見えてくる。地域創生の営みに大事なところは、そうした視点を持つことや、豊かさを帯びた特徴を、地域の人と一緒に見つけること、それ自体にあるような気がした。もうひとつ思うのは、豊かさ発見のミラクルが、必ずしも、場所に紐づいていないことである。よほど過酷な自然環境だったり僻地だったりしない限り、地域の人々と、自分自身の人々との関わり方で享受できる豊かさは大きく変わってくる。場所そのものが、暮らしの豊かさに直結しない実感は、移住を繰り返した自分の人生の中でも実感する場面が多かった。どんな人たちと、何を体験するのか。それによって、暮らしの「豊かさ」は大きくすることも小さくすることもできる。「豊かさ」は時に、羨望を生む。価値観の多様化が進んで、こうした羨ましさをお金の物差しで測るものでなくなった今、人との距離感が近い地域にこそ、地方にこそ、「豊かさ」において勝ち目があるように思う。私たちが考えた「豊かな町のはじめかた」が、この本を読んでくださった皆さまに、これからの日本、これからの社会で、どのように幸せを感じて生きていけるのか、を考えるきっかけになると嬉しいです。最後に、リサーチのまとめを二人三脚で走ってくれた山本さん、ありがとうございました。いつも視点を引っ張り上げてくれる、田村さん、市川さん、ありがとうございました。ワークショップ時間外でも、小浜と雲仙の素晴らしさを余すところなく紹介してくれた、古庄さんとのふれあいなしには、ここまで解像度の高い地域の視点を得られなかったと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。フィールドワークの実施、その後のいろいろでお世話になったチームメンバーの、細谷さん、廣瀬さん、阿部さん、ありがとうございました。フィールドワークの実施は、今村さんのお陰だと思っています。地理学という観点で現場を見せてくれた児玉さん、現地の記録でもお世話になった奕屏さん、あおいさん、ありがとうございました。ビジョンデザインやリサーチの営みを支えてくださる、KOELの福田さん、土岐さん、金さんはじめ、メンバーの皆さま、いつもありがとうございます。今年のプロジェクトにも、素敵なビジュアルで花を添えてくれた小田中さん、稲生さん、ありがとうございました。ワークショップに参加してくださった、九州大学・長崎大学・高知大学・国際教養大学・秋田公立美術大学の皆さまをはじめ、地域の魅力を紹介しフィールドワークの運営にもご協力いただいた、小浜の皆さま、このほしさんをはじめとする五城目の皆さま、ありがとうございました。その他、ここに書き切れないほどの多くの皆さまからご教示いただき、支えられて、今年のリサーチをまとめることができました。皆さまの支えに、心から感謝しています。2023年 田中 友美子͋ͱ͕͖148 149
ڞ࠵ऀϓϩϑΟʔϧాଜ େᴹͨΉΒɾͻΖ͠ ాத ༑ඒࢠᴹͨͳ͔ɾΏΈ͜ࢢ จࢠᴹ͍͔ͪΘɾ;Έ͜ ࢁຊ ݈ޗᴹ·ͱɾ͚Μ͝神奈川県出身。株式会社リ・パブリック共同代表。東京大学文学部心理学科卒業、同大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。1994年博報堂 に入社。以降、デジタルメディアの研究・事業開発等を経て、イノベーションラボに参加。同ラボ上席研究員を経て2013年に退職、株式会社リ・パブリックを設立。2009年、東京大学工学系研究科の堀井秀之教授とともに、イノベーションリーダーを育成する学際教育プログラム・ 東京大学i.school(アイ・スクール)を発足。2013 年4月に、i.schoolエグゼクティブ・フェローに就任。現在、九州大学と北陸先端科学技術大学院大学にて客員教授を兼任。著書に『東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた』(2010,早川書房)等、多数。東京都出身。英国 ロイヤル・カレッジ・オブ・アート インタラクション・デザイン科修了。ロンドンとサンフランシスコを拠点に、Hasbro、Nokia、Sonyなどの企業でデバイス・サービス・デジタルプロダクトのデザインに携わり、デザインファーム Methodでデザイン戦略を経験した後、NTTコミュニケーションズのデザイン部門「KOEL」のHead of Experience Designとして、愛される社会インフラをデザインしている。広島県出身。株式会社リ・パブリック共同代表。慶應義塾大学大学院修士課程修了。当時まだ珍しかった人間中心デザインの職を求め、通信系メーカーのノキアに入社。以後10年にわたり、世界80カ国をまたぐデザインリサーチを行うなど、さまざまな製品やサービスの開発に従事。2010年、博報堂イノベーションラボ研究員を経て、2013年、株式会社リ・パブリックを創設。監訳に『シリアルイノベーター〜非シリコンバレー型イノベーションの流儀』。2019年よりサーキュラーデザインカンパニーfog取締役を兼務。宮崎県出身。筑波大学第三学群情報学類卒業。2003年OA機器メーカーのリコーに入社。複数の新規事業開発プロジェクトに携わり、さまざまな製品やサービスの開発に従事。ワークスペースや工場、教育現場など多くのフィールドでリサーチを行う。ベンチャー企業でのUXデザイナーを経て、2020年よりNTTコミュニケーションズのデザイン部門「KOEL」にデザインリサーチャーとして参画。150 151