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豊かな町のはじめかた(書籍版)

 豊かな町のはじめかた(書籍版)

人口減少と高齢化をテーマに「人や町の豊かさとは何か」を、地域で共有される知識や資源から読み解き、構想する、ビジョンデザインのプロジェクト。株式会社リ・パブリックと共催したフィールドワークで見つけた地域の豊かさから「地域の豊かさを生み出す仕掛け」を考察した内容をまとめた書籍です。

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Transcript

  1. CONTENTS 004 ͸͡Ίʹ 008 INTRODUCTION ਓ΍ொͷ๛͔͞ͱ͸Կ͔ 010 PART 1ɹϑΟʔϧυϫʔΫ ਓޱݮগͷઌߦࣄྫͱͯ͠ͷ஍ํ

    ๛͔ͳ฻Β͠ํΛ໛ࡧ͢ΔҠॅऀ ௕࡚ݝӢઋࢢখ඿ொ ळాݝೆळా܊ޒ৓໨ொ ͓࿩Λ࢕ͬͨਓͨͪ ϑΟʔϧυϫʔΫͰݟ͚ͭͨ஍Ҭͷ๛͔͞ ҠॅऀʹΑΔ ʮΏΒ͗ʯ 1 ҠॅऀʹΑͬͯىͬͨ͜ lΏΒ͗z ͕͋Δ 2 ஍Ҭͷ֎ʹ໨Λ޲͚ͯɺ ಺ͱ֎Λͭͳ͙ਓ͕͍Δ 3 ֎͔Β΍͖ͬͯͨਓΛड͚ೖΕΔ 4 ੜ׆ݍ͕ॏͳΓɺ ଟ༷ͳग़ձ͍͕ੜ·ΕΔ 5 ͓ۚͷࢿຊ͔ΒҰઢΛըͨ͠ผͷܦࡁݍ͕ଘࡏ͢Δ 6 ͪΐͬͱͻͱख͔͚ؒͯɺ ࣗ෼ͷࢥ͏ ʮͪΐͬͱ͍͍฻Β͠ʯ Λ࡞Δ 7 ʮ΂͖ʯ ΑΓ΋ɺ ʮָͦ͠͏ ɾ ͋ͬͨํ͕ྑͦ͞͏ʯ ΛબͿϚΠϯυ͕͋Δ 8 ʮ΍ͬͯΈͳΑɺ ΍Ζ͏Αʯ ͱ͍͏ࣗવͳޙԡ͠ ϑΟʔϧυͰؾ͍ͮͨੈͷதͷมԽ ஍ҬͰڞ༗͢Δࢿ࢈Λ࣋ͭ ਓͱਓͷͭͳ͕Γ ่ΕΏ͘ࢿຊओٛલఏͷࣾձ ৽͍ࣾ͠ձΛ࡞ΔΧΪͱͳΔ஍Ҭ αεςΠφϏϦςΟ 077 PART 2ɹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚ ࢓ֻ͚1 ձ࿩͕ੜ·ΕΔ৔ॴΛͭ͘Δ ࢓ֻ͚2 lاΈz ͷ৔ॴΛͭ͘Δ ࢓ֻ͚3 ஍ҬͷΈΜͳ͕࢖͑Δڞ༗෺Λͭ͘Δ ࢓ֻ͚4 ྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͙΋ͷΛͭ͘Δ ࢓ֻ͚5 ౎ձਓͷಌΕΛͭ͘Δ 098 PART 3ɹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ SCENARIO 1 اΈϙο ϓΞο ϓ SCENARIO 2 ொຽ೶Ԃ SCENARIO 3 ࣗಈӡసλΫγʔ 107 PART 4ɹ๛͔ͳொͷ͸͡Ί͔ͨ 110 PART 5ɹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘ খ඿ொฤ ޒ৓໨ொฤ 148 ͋ͱ͕͖ 150 ڞ࠵ऀϓϩϑΟʔϧ
  2. デザインリサーチの案件も多いKOELでは「独自の視点を 持っていたい」 「外部の方、学生の方と一緒に探索をする ことで、視野を広げたい」などの想いがある。本プロジェ クトは、2021年の「みらいのしごと after 50〜50代以降の 働きかた、生きかたを、地域で創造的に暮らす高齢者に学 び、構想する〜」プロジェクトの第2弾として実施した。 今年は、地域創生に目を向け、持続可能な地域に必要不可

    欠な要素が何かを模索すべく、 「生きるキャピタル 〜人 やまちの豊かさとは何か 地域で共有される知識や資源 から読み解き、構想する〜」として実施したフィールド ワークを、 「豊かな町のはじめかた」として考察した。共 通のテーマとして、日本がこれから直面する、人口減少・ 高齢化という社会は、どういったものなのだろうか。そ の中で幸福感のある暮らしを持続していくには、何が大 切なのだろうか。それを見つけたいという想いがある。 今回も、いつも新しい視点で驚かせてくれる、株式会社 リ・パブリックさんと、フィールドワークを共催した。両 社の探究心を掛け合わせて、フィールドから汲み取った 気づきをまとめたのが本書である。 ͸͡Ίʹ ڞ࠵ 「デザイン×コミュニケーションで社会の創造力を解放する」をミッ ションに、常識を超える新たなコミュニケーションを作ること、そし て人や企業、その集合体である社会全体の創造力を解放することを使 命とするNTTコミュニケーションのデザイン組織。ビジョン策定や事 業の開発・改善からコミュニケーション・組織設計、人材育成まで幅 広くデザインを手がけている。 KOEL DESIGN STUDIO by NTT Communications 持続的にイノベーションが起こる「生態系(=エコシステム) 」を研究 し(Think) 、実践する(Do) 、シンク・アンド・ドゥ・タンク。不確 実性と複雑性がますます高まる社会・経済の中で、セクターを超えて 協働し、それぞれの資源や技術、文化を編み上げ、新たな展開を生み 出していく、ダイナミックな変化が世界各地で起こり始めている。こ うした変化を生み出すプロジェクトを構想し、世界のフロンティアで 挑戦する人たちと手を携えて、ともに実験と実践を繰り返す共同体を 生み出す。ひとりの市民から、組織、地域、社会まで。—あらゆるス ケールの視点を行き来しながら新たな可能性を紡ぎ上げ、パブリック を編み直す。 גࣜձࣾϦɾύϒϦοΫ 004 005
  3. 「地域創生」という言葉を聞くようになって久しい。 地方の活性化は、国が力を入れて取り組んできた重要課題であるものの、成功 事例はまだ少ないように見える。時には、言葉ばかりが先行し、大規模な都市 開発や、巨大商業施設の建設など、都心部の一部を地方に移植するような創生 プランも少なくない。 今、地域が直面している問題は、大きく2点あると言われている。 1つ目は、超高齢化・人口減少が進んでいく社会で、持続可能な都市・地域を 形成しなくてはならないこと。2つ目は、地域産業を成長させ、地域内での雇 用を創出することである。つまり、少ない人々で、地域社会を維持していくこ とができ、地域ならではの産業が定着することが求められており、そこに対し

    ての現実的で継続が可能な、なんらかの施策が必要である。 そして、持続可能な地域で一番大切なのは、その中で暮らす地域の人々が、 「豊 かさ」を感じる暮らしを送れることである。 そのためには何が必要なのか。 本プロジェクトでは、地域社会が培ってきた人々の営みや文化、自然とのつな がり、脈々と続けられてきた生活の知恵を使うことで「豊かな」生活が営まれ てきた地域で、 「暮らし」をフィールドワークすることで、その中にある豊か さをひもとき、そこから作られる持続可能な地域に必要不可欠な要素について 考えてみたい。そうすることで、昨今の気候変動や格差問題などにより、現代 社会の資本主義的な生産性や効率性が疑問視される中で起こっている、豊かさ のパラダイムシフトに目を向けることにつなげていきたい。 ਓ΍ொͷ๛͔͞ͱ͸Կ͔ ஍ҬͰڞ༗͞ΕΔ஌ࣝ΍ࢿݯ͔ΒಡΈղ͖ɺ ߏ૝͢Δ INTRODUCTION 008
  4. 2020 1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000

    2010 (年) (出典) 総務省 人口統計 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100 110 120 130 140 150 (万人) 秋田県 1956年 135万人でピーク 全国平均 総人口/47(46) 秋田県 長崎県 東京都 全国平均 2008年でピーク (総人口1 2808万人) 長崎県 1960年 176万人でピーク 東京都は現在も 増加傾向 日本の総人口がピークを迎えたのは、 2008 年。それ以降、人口減少・少子高齢化が 日本社会の問題として捉えられるように なって久しい。日本の人口は、今後100年 で100年前(明治後半)の水準に戻ってい くと言われている。また、高齢化も進み、 65歳以上の人口が現状は全体の約30%だ が、今後約40%まで増えると見込まれる。 それに伴い、いくつかの都市圏を除いた 多くの地方自治体で人口減少に直面する。 人口減少の進み方には地域差が大きい。 全国的に人口が減少している近年でも、 東 京などの都心部の人々が実際に経験して いるのは、人口増加の世界観である。一 方、地方では、2008年以前から人口減少 が続いている場所も多い。現在、人口減 少率が全国1位の秋田県では、1956年に 人口のピークを迎えて以降、70年近くも の間、人口が減少し続けており、人口減 少の文脈では全国1位の先端地域である。 こうした地域では、地域の持続性や復興 などが問題になることもあり、これまで も多くの地域活性化のための施策が立て られてきた。施策の中には、商業施設の 建設のように都会的要素を田舎に持ち込 むものも多く、継続性が低いものもある。 もっと地域に根差し、今後も続く人口減 少の事実を受け入れ、土地の人々で継続 していくことができる施策を考えるには、 何を考慮すべきなのか、どんなポイント を押さえるべきなのか。その中で暮らす 地域の人々が「豊かさ」を感じる暮らし を送るには、どんな要素が必要なのか。 そのヒントを探るため、フィールドワー クを実施した。 ਓޱݮগͷઌߦࣄྫͱͯ͠ͷ஍ํ 012 013 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  5. ๛͔ͳ฻Β͠ํΛ໛ࡧ͢ΔҠॅऀ ௕࡚ݝӢઋࢢ খ඿ொ ळాݝೆळా܊ ޒ৓໨ொ そんな人口減少の進む地域で、 移住組が中 心となる新しい動きが起こっている地域 がある。多様な移住者が、都会の生活で 覚えた違和感や、そこで実現できなかっ

    た暮らし方を試しながら、豊かな暮らし を実践している。また、そうした移住者 の新しい価値観、外からの視点が、もと もと住んでいる住民にも影響を与え、地 域全体が活性化している。 今回のリサーチでは、 「豊かな暮らし方を 模索する移住者」の方々を中心にお話を 伺い、人口減少・高齢化の時代を豊かに 生きるために地方に求めたこと、新しい 土地で見つけた「豊かさ」についてひも といてみた。 フィールド先に選んだのは、それぞれユ ニークなやり方で、町の本質的な状態や 価値を持続している2つの土地拠点であ る。その1つは、外から入ってきた新し い流れと中の土着性が寄り合い、独特の 豊かさを形成している、長崎県雲仙市小 浜町。2つ目は、地域の持続性を高める ために、スタートアップを支援する仕組 み「ドチャベン」を成功させたりと、地 域密着型を意識したビジネスの多い、秋 田県南秋田郡五城目町。 この2つの町で出会った、豊かな暮らし を実践する移住者の方々、移住者に影響 を受けて価値観の変容を遂げた方々にお 話を伺った。 014 015 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  6. ळాݝೆळా܊ޒ৓໨ொ ౉ᬒ ߁Ӵ͞Μ ӑా ढ़ี͞Μ ӑా ߳੅͞Μ ീౢ ඒܙࢠ͞Μ ൒ా

    ཧਓ͞Μ ࠤ౻ ༑྄͞Μ ௕࡚ݝӢઋࢢখ඿ொ ࢁ㟒 ௒ਸ͞Μ ࢁ౦ ߊେ͞Μ ݹঙ ༔ହ͞Μ ླ໦ ͯΔΈ͞Μ দඌ རത͞Μ ૲໺ ༗ඒࢠ͞Μ ͓࿩Λ࢕ͬͨਓͨͪ ৓ ͠ Ζ ୩ ͨ ʹ ߞ ͜ ͏ ੜ ͤ ͍ ͞Μ 小浜町出身。 高校卒業後、 東京のデザインの専門学校 に進学し、その後イタリアを拠点にヨーロッパでプ ロダクト・インテリアデザインを学ぶ。現在はヨー ロッパで影響を受けた「古いものを大切にし、未来 に継承していく」創作活動を小浜を拠点に国内外で 実践。刈水地区の活性化プロジェクトでは、空き家 の多かった地域を、作家やデザイナーの集まる地域 へと変貌させた。 খ඿Ͱ฻Β͢ҙຯ 小浜は気持ちよく暮らせる場所、肌に合う場所だ と感じている。旅に出ても正直な気持ちで「この 場所にもっと長くいたい」と思う場所はそう多く はなく、小浜はそのうちの一つと考えている。 基本的には山や海、温泉や湧水など土地の力が強 く、 できるだけ他に依存しなくても生きていけると 感じている。また、かつて住んでいた街とは違い、 小浜はまだお金だけでなく、他者を受け入れる優 しさから、物々交換、技術交換という人との交流 から生まれる生きていく術も残っていて、自分の 手と頭、周囲との関係から、自分に合った暮らし を作ることができる。それがその先にある「豊か に暮らす」ということにつながっているような気 がしている。 খ඿Ͱͷ฻Β͠ํ 単純に好きな小浜(土地)で、どう長くいられるか を考えている。そのためには年を重ねて、体が変 化してきても、長く楽しく暮らして生きたい。そ の積み重ねが「豊かさ」を生むと思っていて、先 住民から暮らしの経験を引き継ぎつつ、自分の実 践を通して現代に編み直していく。また経済を回 すのも大事で、自分が小浜で実践した暮らしの経 験値、その一旦をデザインという手段で他者へお すそ分けすることで経済を作っている。個人の暮 らしから始まり町に到るまで、公私関係なく、み んなと暮らしを考えていけたらと思う。 ࢁ ΍ · 㟒 ͞ ͖ ௒ ͖ ਸ ͠ Ύ ͏ ͞Μ 仕事 デザイナー 今まで住んだところ 熊本県出身 福岡 移住した年 2012年 経歴 熊本県生まれ。福岡デザイン専門 学校卒業後、福岡県の不動産会社 に勤める。退職後、インテリアの 専門学校に通っていたときに城谷 さんに出会い、2012年に小浜に移 住してStudio Shirotaniのスタッ フになる。2019年に独立し、 「目 白工作」を設立。 খ඿ொ ௕࡚ݝӢઋࢢ 020 021 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  7. ࢁ ͞ Μ ౦ Ͳ ͏ ߊ ͋ ͖ େ

    ͻ Ζ ͞Μ 仕事 自然エネルギー・地域経済研究者 今まで住んだところ 兵庫県出身 移住した年 大学院生のとき 経歴 兵庫県生まれ。関西学院大学の大 学院に在籍中に小浜へ移住。小浜 温泉による地熱発電と洋上風力発 電などの再生可能エネルギーによ る、地域の経済付加価値を分析す る研究を専門とする。 খ඿Ͱ฻Β͢ҙຯ 小浜はとても暮らしやすい街。田舎だけど、 温泉街 はコンパクトなので徒歩圏内でほとんど揃う。ま た、豊富な食資源や温泉などの自然資源だけでな く、移住者を含めて多様な職種や背景を持つ人が 同じ街に住んでいるのはとても魅力的です。また、 小浜温泉は基本的に国道の中通りが南北に2本平 行に並んでいる街なので、歩いていると必ず知り 合いとすれ違います。他にも、行きつけのお店な どに行き、お互いの近況を話すなど、人と人が近 い街なのはとても魅力的。 また、小浜は街が小さいので、普段出会えない人と 会える。たとえば、2013年に小浜の発電所の実証 事業を始めた際には、日本中から研究者や事業者 などが視察に訪れ、知り合いになることができた。 他にも、刈水やオーガニック直売所「タネト」関 連でも小浜で知り合いになることも多く、東京に いてもなかなか会えない人たちに会えるのが、小 浜のいいところだと感じている。 খ඿Ͱͷ฻Β͠ํ 小浜に暮らしながらフルリモートで自然エネルギー 関連の研究の仕事をしている。小浜に暮らしてい ると、地域の人と直接対話する機会が多い。自然 エネルギーは、導入のために地域住民との協働が 不可欠だが、小浜での地域の人との経験が生かさ れる場面が多くあった。また、研究と地域の両方 の立場に身を置くことで、違った視点や人の意見 から小浜を見ることができるため、結果的に小浜 でやりたいことリストのアイディア数が830まで溜 まっている。それらのアイディアの実現は徐々に 進めている。 ݹ ; Δ ঙ ͠ ΐ ͏ ༔ Ώ ͏ ହ ͩ ͍ ͞Μ 仕事 デザイナー 今まで住んだところ 福岡県出身 移住した年 2013年 経歴 福岡県生まれ。九州大学芸術工学 部に在籍中、授業を通じて城谷さ んと出会い、大学を卒業した2013 年に 「Studio Shirotani」 で勤務開 始。グラフィックデザインの他に Studio Shirotaniが運営するデザ インショップ、 「刈水庵」の店長を 務める。2016年に喫茶を備えた事 務所「景色デザイン室」を設立。 খ඿Ͱ฻Β͢ҙຯ 小浜は小さな街なので、打ち合わせの時以外にも スーパーや銭湯などで仕事相手と出会う機会がある。 仕事とプライベートがつながっているような、みん なで食卓を囲んで話を聞くような関係の中で本音を 聞けたりする関係性のありかたが自身に合っていた。 そういう仕事以外の関係から依頼される仕事も多い。 খ඿Ͱͷ฻Β͠ํ 仕事とプライベートの区切りはつけず、 混ざり合っ た生活をしている。自身の役回りとしては、あら ゆる職種や世代をまたいでつながるハブだと捉え ている。小浜とつながりながら関係性を広げてい く役割を面白がり、住民の個性を引き出して、そ れらが混ざっている小浜を作っていきたいと考え ている。 022 023 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  8. দ · ͭ ඌ ͓ ར ͱ ͠ ത ͻ

    Ζ ͞Μ ླ ͢ ͣ ໦ ͖ ͯΔΈ͞Μ 仕事 アイスソルベ専門店 今まで住んだところ 小浜町出身 東京 大阪 神戸 移住した年 30歳くらいのとき 経歴 小浜町出身。諫早、東京、大阪、 神戸でパティシエの修業後、30歳 頃に小浜に戻り、実家のパン屋を 経営。ケーキ屋として独立する予 定だったが、移住者から刺激を受 け、アイスソルベ専門店として独 立した。 仕事 草木染め作家 今まで住んだところ 長崎市出身 看護師や看護学校の先生として働 いた後、草木染め作家の夢を小浜 町刈水地区で叶える 移住した年 2013年 経歴 40代後半に草木染めを始めること を決意し、藍や綿を栽培できる場 所を探している中、テレビで紹介 されていた古庄さんをきっかけに 小浜を知る。城谷さんの協力のも と、2013年に刈水でアイアカネ工 房をオープン。 খ඿Ͱ฻Β͢ҙຯ 小浜にUターンし、独立を考えているときに、古 庄さんや山東さんなどの移住者たちとの交流を通 じて「ここにしかない食材と、自分の技術を掛け 合わせたかたち」を目指しアイスソルベ専門店と して独立した。 移住者からさまざまな情報やスキルを教えてもら おうとする柔軟な姿勢を持ち、Uターンだけでな くIターンで小浜に移住した人も大事にして、みん なで仲良くやっていけば、もっと面白い町になる と思っている。 খ඿Ͱ฻Β͢ҙຯ 小浜は長崎と比べて水や土地が豊かで安かったの で、 小浜へ移住した。長崎はあまり土地がないので 畑の確保が難しいのと、水の値段が全然高い。小 浜では水道水だけでなく、湧水をポンプで上げて 使っている。 খ඿Ͱͷ฻Β͠ํ アイスソルベ以外にも、小浜の飲食店にオリジナ ルのデザートを提供している。また、月に一度家 族のために休みを取るようにしていて、そのこと をSNSで発信することで「お店の働き方はこうで ないといけない」という固まった考えを崩そうと している。 খ඿Ͱͷ฻Β͠ํ 染めの体験教室や、 自身の作品作りをしている。作 品を売るだけでなく、古庄さんの依頼で旅館「伊 勢屋」さんの暖簾や神社の御神木で染めた布でお 守りを作ったりするなど、小浜のつながりの中で も染め物を提供している。 また、綿の種を配り、栽培してもらうオーガニッ クコットンプロジェクトを通じて、食べ物の地産 地消と同じく、布も地産地消できることを伝えて いる。 024 025 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  9. ૲ ͘ ͞ ໺ ͷ ༗ Ώ ඒ Έ ࢠ

    ͜ ͞Μ 仕事 老舗旅館の大女将 今まで住んだところ 長崎県松浦市 出身 移住した年 1980年頃 経歴 結婚を機に、40年ほど前に小浜へ 移住。小浜温泉の老舗旅館「伊勢 屋」で女将となったのち、 「若女将 たちに何かあっても支えられるよ うに」と考え、次世代を育てるた めに女将を譲り、現在は大女将と して働く。 খ඿Ͱ฻Β͢ҙຯ 小浜は昔から観光地で、ベタベタするわけではな いけど、外の人を受け入れる雰囲気がある。古庄 さんのような移住者のおかげで新しい雰囲気が生 まれている。本来ならそのような下地を作るのに は時間がかかるが、幸い小浜には既にその風土が ある。小浜温泉には高齢者だけでなく、面白い若 者がたくさんいる。 খ඿Ͱͷ฻Β͠ํ 若い人たちの感性を活かすために、 私のような発言 力のある地元のおばちゃんが手伝うようにしてい る。息子や孫のように叱ったりもするが、若い人 たちから刺激を受けて新しいことを取り入れてい る。これからも街のお母さんのような立場で、若 者や移住者が小浜に溶け込めるようにして、小浜 を元気にしたいと考えている。 026 027 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  10. ӑ ͏ ͠ ా ͩ ढ़ ͠ Ύ Μ ี

    ͢ ͚ ͞Μ ౉ Θ ͨ ᬒ ͳ ΂ ߁ ͜ ͏ Ӵ ͑ ͍ ͞Μ 仕事 シリアルアントレプレナー 今まで住んだところ 東京 移住した年 2014年の春 経歴 大学在学中に公共施設を活用し た、ちよだプラットフォームスク ウェアの立ち上げに携わる。卒業 後、日本アイ・ビー・エム株式会 社に就職。退職後、2010年にハバ タク株式会社を立ち上げ、代表取 締役に。ゆかりのある千代田区か ら姉妹都市である五城目町に出会 い、移住。解体されかけていた茅 葺古民家と出会い、シェアビレッ ジ・プロジェクトを始める。 仕事 酒蔵の16代目蔵元 今まで住んだところ 五城目町出身 東京 移住した年 2002年にUターン 経歴 五城目出身。福禄寿酒造株式会社 の16代目蔵元。東京農業大学醸造 科卒業後すぐに、父親から会社の 危機を知らされUターン。造り・ 火入れ・貯蔵・流通などにわたり 思い切った社内改革を断行した。 2004年、新しい門出の証として社 名を「福禄寿酒造株式会社」に変 更し代表取締役社長に就任。2006 年に「一白水成」を完成させ全国 新酒鑑評会金賞を獲得。 ޒ৓໨Ͱ฻Β͢ҙຯ 東京とは異なる経済圏がある。 資本主義からこぼれ 落ちている潤沢な資源がそこらじゅうにある。 「た だのあそび場ゴジョーメ」もボランタリーで回っ ている部分が多く、固定の支出はほとんどなしで 運営できている。楽しく暮らしながら働けること が、五城目で仕事をするやりがいになっている。 ޒ৓໨Ͱ฻Β͢ҙຯ 五城目の豊かさを生かす酒造りをしている。美味 しい五城目の地下水を使ったり、五城目の農家と 酒米を作ることで、天候などによるお米の状況を、 直に酒造りに反映することができる。 ޒ৓໨Ͱͷ฻Β͠ํ 東京と五城目を行き来しつつ、自分が興味のある 分野や、楽しいと思うことを、プレイフルに地域 住民と企て、活動に起こしながら生活をしている。 今日すごく釣れそうだなと思った日は、川で釣り をしながら仕事をする。 ޒ৓໨Ͱͷ฻Β͠ํ お酒よりも五城目の良さを広めることを意識して いる。フランスのワイナリーに研修に行った時に 「この街が好きじゃないなら、うちのワインは飲ま なくてもいい」というスタンスに刺激を受けた。そ こから、五城目の文化や継承しているものが見え る場となるカフェ「下タ町醸し室HIKOBE」や、移 住者たちと地元温泉復活の挑戦も始めた。 ޒ৓໨ொ ळాݝೆळా܊ 028 029 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  11. ീ ΍ ౢ ͠ · ඒ Έ ܙ ͑ ࢠ

    ͜ ͞Μ ӑ ͏ ͠ ా ͩ ߳ ͔ ੅ ͢ Έ ͞Μ 仕事 コミュニティドクターを パートナーに持つ集落支援員 今まで住んだところ アメリカシカゴ出身 千葉県育ち 移住した年 2021年 経歴 コミュニティドクターであり、 シェ アビレッジの “村民” である漆畑 宗介さんと出会い、婚約とともに 移住。2022年度から行政の取り組 みである集落支援員として活動し ている。 仕事 産後の母親支援組織の創設者など 今まで住んだところ 秋田市出身 東京  神奈川 アメリカ 移住した年 2014年の春 経歴 大学卒業後、 日本アイ・ビー・エム 株式会社に就職し、現パートナー の丑田さんと出会う。子どもが生 まれる頃に退職し、産後の母親た ちを支援する一般社団法人ドゥー ラ協会を助産師らと立ち上げる。 2014年、一家で五城目に移住し、 地域おこし協力隊に就任。 現在は、 廃校シェアオフィス「BABAME BASE」 を委託運営する一般社団法 人ドチャベンジャーズで理事を務 める。 ޒ৓໨Ͱ฻Β͢ҙຯ 「お互い様」のつながりの中で生きていることを実 感できる。五城目では暮らしと仕事を境目なく地 域の人たちと共有している。たとえば、妊娠につ いても取り立てて報告するまでもなく、日々の関 わりの中で自然に伝わっていくような関係性が心 地よくありがたい。 ޒ৓໨Ͱ฻Β͢ҙຯ 安心感のあるコミュニティがあるからこそ、支え 合って、子育てをしながらもいろんなことに挑戦 ができる。 小さな子どもを連れてランチを食べにきている母 親に対して、その場に居合わせた人々が抱っこを 代わってくれる。東京では起こり得ないことが五 城目では起こり得る。 ޒ৓໨Ͱͷ฻Β͠ํ 自分にとっての心地よさを追求することで、 関わっ てくださる方々の幸せにも自然とつながることを 目指している。集落支援員としては、 「特別な企画 を」と意気込むのではなく、地域住民の輪の中で 言語非言語のニーズに耳を傾け、それらを形にす るサポートをしている。車を持っていない高齢者 たちに頼まれ、遠い山や水族館に遊びに行ったり する。そのお返しにもらうのは、遊び方や料理な どの知識である。 ޒ৓໨Ͱͷ฻Β͠ํ 暮らしと子育てと仕事とやりたいことを掛け合わせ て、バランスをとりながら暮らしている。五城目 では、 五城目での仕事や市民活動をメインとしなが ら、月1・2回程度は東京や県外と行き来し、母親 支援組織の運営や審議会委員などの活動も行なっ ている。 030 031 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  12. ࠤ ͞ ౻ ͱ ͏ ༑ ͱ ΋ ྄ ͋

    ͖ ͞Μ ൒ ͸ Μ ా ͩ ཧ · ͞ ਓ ͱ ͞Μ 仕事 3代目の木工職人 今まで住んだところ 五城目町出身 宮城県 移住した年 – 経歴 工業高校出身で建築を専攻したの ち、仙台の美容学校へ進学。その 後、 Uターンし昭和40年創業の 「佐 藤木材容器」の3代目となる。木 工職人としてお盆やコースター、 お皿などの生活に即した木材の容 器を手掛ける。 2019年から、東京や関西のデザイ ナーとともに、地元・五城目の秋 田杉を使ったお皿「KACOMI」を 作り始める。 仕事 茅葺古民家の家守など 今まで住んだところ 秋田県南秋田郡井川町出身 群馬県 栃木県 移住した年 2015年 経歴 僻地医療に関わる人材を育てる大 学で、人事担当として若手の医師 を地方に送り込む仕事をしてい た。地域医療などに興味を持って いたときに、丑田俊輔さんと出会 い、シェアビレッジ・プロジェク トの “村民” に。2015年から “村 民” 初の移住者として茅葺古民家 の家守を担う。2020年に丑田さん が設立したシェアビレッジ株式会 社でキュレーターとして利用者の 伴走支援活動をしている。 ޒ৓໨Ͱ฻Β͢ҙຯ 秋田杉を用いてものづくりをすることに意味を感 じている。かつて盛んだった五城目の林業を通じ て秋田杉を使っていくことで、本来の森に戻って いくことの手助けをしている。また、 「KACOMI」 を介して、秋田県で作家活動をしている人たちの つながりもでき、お互いの考えや悩みに触れ、刺 激を得られる。 ޒ৓໨Ͱ฻Β͢ҙຯ 僻地医療などに関わったことで芽生えた 「地元で何 かやりたい」という願いを、実践できている。仕 掛けや見せ方が上手な人が始めたが、それを現場 で運用する人がいなかった。“村民” であり地元の 出身者である自分が移住することでシェアビレッ ジ・プロジェクトを動かせるようになった。 ޒ৓໨Ͱͷ฻Β͠ํ 五城目の歴史を大切にしつつ、いろんな地域の人 と関わりながらものづくりに没頭している。 工房の隣にある店舗は、母の嫁入り道具のタンス や廃校からもらってきた椅子を展示台に再利用す るなど、歴史が詰まった空間を作った。移住者や 県外に出展したときに知り合った作家たちとのコ ラボレーション活動も多い。 ޒ৓໨Ͱͷ฻Β͠ํ 交流を生む関係として、 貢献している人にはお金と いうよりも活動で分配される仕組みづくりに取り 組んでいる。体験として仕立てるよりも、コミュ ニティの人たちと四季を感じながら暮らしている。 計画的なイベント企画も大切だが、 庭の管理の手が 足りないとか困りごとを発信して、 「しょうがない な」と手伝ってくれる人を増やしたり、そう言っ てくれる人たちを大切にしている。 032 033 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  13. 小浜町と五城目町で見た景色や出会った人々の暮らしの中に、 「地域の豊かさ」の構成要素だと思われる8つの特徴を見つけた。 おそらく、すべてを満たしている必要はない。 でも、これらの特徴を1つでも多く満たし、 それらが相互に関連し合っている環境が 「地域の豊かさ」につながるのだと思われる。 1 ҠॅऀʹΑͬͯىͬͨ͜lΏΒ͗z͕͋Δ 2 ஍Ҭͷ֎ʹ໨Λ޲͚ͯɺ

    ಺ͱ֎Λͭͳ͙ਓ͕͍Δ 3 ֎͔Β΍͖ͬͯͨਓΛड͚ೖΕΔ 4 ੜ׆ݍ͕ॏͳͬͯɺ ଟ༷ͳग़ձ͍͕ੜ·ΕΔ 5 ͓ۚͷࢿຊ͔ΒҰઢΛըͨ͠ɺ ผͷܦࡁݍ͕ଘࡏ͢Δ 6 ͪΐͬͱͻͱख͔͚ؒͯɺ ࣗ෼ͷࢥ͏ ʮͪΐͬͱ͍͍฻Β͠ʯ Λ࡞Δ 7 ʮ΂͖ʯ ΑΓ΋ɺ ʮָͦ͠͏ ɾ ͋ͬͨํ͕ྑͦ͞͏ʯ ΛબͿϚΠϯυ͕͋Δ 8 ʮ΍ͬͯΈͳΑɺ ΍Ζ͏Αʯ ͱ͍͏ࣗવͳޙԡ͕͋͠Δ ϑΟʔϧυϫʔΫͰ ݟ͚ͭͨ஍Ҭͷ๛͔͞ 035 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ 034
  14. ΏΒ͗Λ ى࢝͜͠Ίͨਓʑ ΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε ׆ಈ͢Δਓʑ ΏΒ͗Λײ͡ ׆ಈʹ׆͔͢ਓʑ ஍Ҭॅຽ ҠॅऀʹΑΔ ʮΏΒ͗ʯ 長崎県雲仙市小浜町、秋田県南秋田郡五

    城目町で、 理想の暮らしを実践されている 方々のお話を伺ってみると、移住者によ る新しい視点・新しい文化がやってきた ときに、地域で今のような「豊かさ」を 感じるようになったという共通点があっ た。それがきっかけとなり、 「ゆらぎ」と して伝わっていき、地域内に暮らしの変 化が伝播していくような関係性が見えた。 「ゆらぎ」を起こす移住者たちは、外の文 化を持ち込むのではなく、地域社会の中 で大事にされてきたことを守る視点を持 ち、それを楽しんだり、継続したりする 仕掛けをしていることがわかった。 037 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ 036
  15. σβΠφʔ ৓୩ߞੜ͞Μ 6λʔϯ כ෪ݹຽՈͷՈक ൒ాཧਓ͞Μ 6λʔϯ ౬॓Ϛωʔδϟʔ ࢁԼߊً͞Μ 6λʔϯ ΞΠειϧϕઐ໳ళ

    দඌརത͞Μ 6λʔϯ ࿝ฮཱྀؗͷେঁক ૲໺༗ඒࢠ͞Μ ஍Ҭॅຽ ಃܳՈ ࠤ౻लथ͞Μ ஍Ҭॅຽ όʔϚελʔ ࢰࢠౡ܆͞Μ ஍Ҭॅຽ ૲໦છΊ࡞Ո ླ໦ͯΔΈ͞Μ ௨͏ਓ ΦʔΨχοΫ௚ചॴ Ԟ௡࣐͞Μ ௨͏ਓ ࢁ㟒௒ਸ͞Μ Ҡॅ γΣϑ ݪ઒৻Ұ࿠͞Μ Ҡॅ σβΠφʔ ݹঙ༔ହ͞Μ Ҡॅ ࣗવΤωϧΪʔɾ ஍Ҭܦࡁݚڀऀ ࢁ౦ߊେ͞Μ Ҡॅ ΏΒ͗Λ ى࢝͜͠Ίͨ ਓʑ ΏΒ͗Λ ى࢝͜͠Ίͨਓʑ ʢॳ୅஍Ҭ͓͜͠ڠྗୂʣ ΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε ׆ಈ͢Δਓʑ ΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε ׆ಈ͢Δਓʑ ΏΒ͗Λײ͡ ׆ಈʹ׆͔͢ਓʑ ΏΒ͗Λײ͡ ׆ಈʹ׆͔͢ਓʑ ஍Ҭॅຽ ஍Ҭॅຽ ूམࢧԉһ ീౢඒܙࢠ͞Μ Ҡॅ γϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔ ӑాढ़ี͞Μ Ҡॅ ฼਌ࢧԉ૊৫ͷ૑ઃऀ ӑా߳੅͞Μ Ҡॅ ஍Ҭ৯ಊͷྉཧਓ ੴؙܟক͞Μ Ҡॅ 3 ୅໨ͷ໦޻৬ਓ ࠤ౻༑྄͞Μ 6λʔϯ ञଂͷ16 ୅໨ଂݩ ౉ᬒ߁Ӵ͞Μ 6λʔϯ σβΠφʔ ৓୩ߞੜ͞Μ 6λʔϯ כ෪ݹຽՈͷՈक ൒ాཧਓ͞Μ 6λʔϯ ౬॓Ϛωʔδϟʔ ࢁԼߊً͞Μ 6λʔϯ ΞΠειϧϕઐ໳ళ দඌརത͞Μ 6λʔϯ ࿝ฮཱྀؗͷେঁক ૲໺༗ඒࢠ͞Μ ஍Ҭॅຽ ಃܳՈ ࠤ౻लथ͞Μ ஍Ҭॅຽ όʔϚελʔ ࢰࢠౡ܆͞Μ ஍Ҭॅຽ ૲໦છΊ࡞Ո ླ໦ͯΔΈ͞Μ ௨͏ਓ ΦʔΨχοΫ௚ചॴ Ԟ௡࣐͞Μ ௨͏ਓ ࢁ㟒௒ਸ͞Μ Ҡॅ γΣϑ ݪ઒৻Ұ࿠͞Μ Ҡॅ σβΠφʔ ݹঙ༔ହ͞Μ Ҡॅ ࣗવΤωϧΪʔɾ ஍Ҭܦࡁݚڀऀ ࢁ౦ߊେ͞Μ Ҡॅ ΏΒ͗Λ ى࢝͜͠Ίͨ ਓʑ ΏΒ͗Λ ى࢝͜͠Ίͨਓʑ ʢॳ୅஍Ҭ͓͜͠ڠྗୂʣ ΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε ׆ಈ͢Δਓʑ ΏΒ͗ʹӨڹ͞Ε ׆ಈ͢Δਓʑ ΏΒ͗Λײ͡ ׆ಈʹ׆͔͢ਓʑ ΏΒ͗Λײ͡ ׆ಈʹ׆͔͢ਓʑ ஍Ҭॅຽ ஍Ҭॅຽ ूམࢧԉһ ീౢඒܙࢠ͞Μ Ҡॅ γϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔ ӑాढ़ี͞Μ Ҡॅ ฼਌ࢧԉ૊৫ͷ૑ઃऀ ӑా߳੅͞Μ Ҡॅ ஍Ҭ৯ಊͷྉཧਓ ੴؙܟক͞Μ Ҡॅ 3 ୅໨ͷ໦޻৬ਓ ࠤ౻༑྄͞Μ 6λʔϯ ञଂͷ16 ୅໨ଂݩ ౉ᬒ߁Ӵ͞Μ 6λʔϯ ޒ৓໨ͷΏΒ͗ খ඿ͷΏΒ͗ 小浜のゆらぎは、イタリアでデザイナーをされて いた城谷さんがUターンして、小浜にスタジオを 構えたことから始まった。城谷さんの取り組みに 影響を受けた移住者が豊かな生き方を模索・実践 していくうちに、その暮らしが地域住民を巻き込 み、多くの新しい取り組みを生んだ。 五城目のゆらぎは、 秋田県が推進する事業創出プロ グラム「ドチャベン」の仕掛け人である、丑田俊 輔さんが、ご自身の拠点を「BABAME BASE」に移 動してきたことで、地域住民にとって「起業」が 身近になり、やってみる人が増え、起業して自分 の望む暮らしを作る活動が広がった。 038 039 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  16. 移住者がやり始めたことは、最初は地域 の人に多少の違和感を抱かせる。でも今 まで地域になかった刺激となって、地域 住民や、Uターンして地域に帰ってきた 人に影響を与える。これらはきっと、地 域住民だけでは起こり得なかった変化で、 その変化は、“ゆらぎ” を生み、波紋のよ うに地域全体に伝播し連鎖していく。 誰かが計画したわけでも、意図的に仕掛

    けたわけでもない、“ゆらぎ” が地域の多 様な活動や挑戦につながっていく。 高校の頃は「小浜はつまんない街だ」と思っ ていて、中退後は地元の飲食店や青果店など で働いていた。小浜でお店をやりたいと考え ていたところ、古庄さんたちがいろいろやっ ているタイミングだった。最初は「小浜でそ んなことやってもねぇ」と思って見ていたけ ど、少しずつ「面白そうだな。自分もちょっ とやってみようかな」と思うようになった。 ࢰࢠౡ ܆͞Μ ஍ ݩ ͷ ए ͍ ਓ ͨ ͪ ͕ ͱ ͯ ΋ ࢗ ܹ Λ ड ͚ ͯ Δ Μ ͡ Ỵ ͳ ͍ ͔ ͳ ỳ ͯ ớ ૲ ໺ ͞ Μ Ờ ࠷ ॳ ͸ ủ খ ඿ Ͱ ͦ Μ ͳ ͜ ͱ ΍ ỳ ͯ ΋ Ͷ ự Ứ ͱ ࢥ ỳ ͯ ݟ ͯ ͍ ͨ ͚ Ͳ ỏ গ ͠ ͣ ͭ ủ ໘ ന ͦ ͏ ͩ ͳ Ứ ͱ ࢥ ͏ Α ͏ ʹ ͳ ỳ ͨ ớ ࢰ ࢠ ౡ ͞ Μ Ờ όʔϚελʔ 移住者の彼らが来たことで空気感が変わりま した。古庄さんみたいな髪形の人はそれまで 小浜にはおらんかった。 (笑)それで見とった ら「あの人は何してる人なんだろう」となっ て、会ってみたらデザイナーで。それで、う ちの息子なんかと仲良くなって深い話をする ようになって。 地元の若い人たちがとても刺激を受けてるん じゃないかなって。とてもいいことだと思う んですよ。 移住者によって何か “ゆらぎ” が生まれる。そ れで内発的で多様な挑戦が連鎖する。地域の 次世代が育つ環境も生まれる。 相乗効果を発揮して、 良い土壌が耕されて、 菌 がのびのび発酵する環境のような「機運みた いなもの」が醸成されるんじゃないか、とは よく言ってます。 きっと、ミクスチャーでこうなってくるんで しょうね。 「起業家っていうのは一部の凄い人がやるの かなと思ったら、身近な人々が、あるものを 活かして自然体で挑戦したり、当たり前のよ うに複数事業を運営していたりする姿を見て、 自分にもチャレンジや商品開発ができるかも しれないと思い始めた」と、地域の人がおっ しゃってくださっていて。 ӑా ߳੅͞Μ ฼਌ࢧԉ૊৫ͷ૑ઃऀ ޒ৓໨ொ খ඿ொ ૲໺ ༗ඒࢠ͞Μ ࿝ฮཱྀؗͷେঁক খ඿ொ ҠॅऀʹΑͬͯىͬͨ͜ lΏΒ͗ z ͕͋Δ 1 040 041 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  17. フィールドワーク先には、東京や他の地 域を行き来しながら、地域と外の世界と をつなぐ人たちがいた。 地域の活動を外に発信したり、外の情報 を地域に馴染むかたちに翻訳して持ち込 んだり、地域と外の人をつないだり。 地域の外を意識することで、トレンドや 都会の感度を保ちつつ、俯瞰的に見るこ とで長くいると見えにくい地域の良さに も気づく。

    彼らは地域に愛着があり、暮らしの拠点 にはしているが、ずっと住むことを前提 にはしていない人も多い。だからこその、 地域を満喫し尽くす気概や、軽やかさと 自由さがあるのかもしれない。 フランスに研修に行ったときにワイナリーの 話よりも地元自慢をする人々と出会い、 「この まちが好きじゃないなら、うちのワイン飲ま なくていい。 」というスタンスに共感し、五城 目のまちを意識するようになった。 何が文化で、 何を継承しているのか。五城目っ てこうやっているんだよというのが目で見え る場が必要だと思い「HIKOBE」を開業した。 小浜温泉は、人と人が近く、多様な住民と業 種が同居しているコンパクトな町なため、何 かを始めるには最適な町だと思う。 たとえば、Facebookも元々は大学内の遊び だったが、今は全世界で使われている。それ と同じイメージ。小浜温泉でも、 何かアイディ アを思いついたら、周辺にいる多様な人たち の協力を得て、そのアイディアの実現のため に小さな実験から始めることができる。今は 「計画を綿密に考える」のではなく、とにかく 「小さくてもやってみる」ことのサイクルが重 視される。小浜温泉は、そのとにかくやって みるサイクルに適している町と言える。 ࢁ౦ ߊେ͞Μ ࣗવΤωϧΪʔɾ஍Ҭܦࡁݚڀऀ খ඿ொ দඌ རത͞Μ ΞΠειϧϕઐ໳ళ 移住者の人が増え始めて、自分より10歳以上 歳が違う移住者の人たちが、みんなすごい楽 しそうにしていたんです。移住者の人たちは 「この町がいい」と思って来てる。いいと思っ た通りに行動する。しがらみがない。ここ何 年かで移住者の人が増えて、ガラッと町の様 子が変わりました。 খ඿ொ ౉ᬒ ߁Ӵ͞Μ ञଂͷ16୅໨ଂݩ ޒ৓໨ொ খ ඿ ʹ ͸ ஌ Γ ߹ ͍ ΋ ଟ ͍ ͠ ଟ ༷ ͩ ͠ ỏ Կ ͔ ͋ ỳ ͨ Β ࢝ Ί ΍ ͢ ͍ ớ ࢁ ౦ ͞ Μ Ờ ͜ ͜ Կ ೥ ͔ Ͱ Ҡ ॅ ऀ ͷ ਓ ͕ ૿ ͑ ͯ ỏ Ψ ϥ ỽ ͱ ொ ͷ ༷ ࢠ ͕ ม Θ Γ · ͠ ͨ ớ দ ඌ ͞ Μ Ờ ஍Ҭͷ֎ʹ໨Λ޲͚ͯɺ ಺ͱ֎Λͭͳ͙ਓ͕͍Δ 2 042 043 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  18. フィールドワークで訪問した地域には、 「外 の人間を受け入れる」という、歴史に裏 打ちされた文化があった。古くから交通 の要所として存在し、地域の外から多く の人が訪れ、地域に住む人たちは彼らと 交流することを当たり前のように受け止 めて暮らしてきた。 外の人間を受け入れる文化や気質は、 現在

    の移住者を受け入れる寛容さにつながっ ている。 でも、ただそれだけではなく、これまで の移住者の営みや努力が、もともと地域 にいる方々に認められた結果でもあるの ではないだろうか。 僕の周りのコミュ二ティーでは、Iターン:U ターン:ずっと地元の比率は1:1:1くら いだと思う。もちろん、人口比で言うと、移 住組はとても少ないけど、コミュニティーの 中はあまり偏ってない。移住者だけでなんか カッコイイもの作ろうぜとも言わないし、地 元の人だけで閉鎖的にやるということもなく、 自然に入り混じっている。 移住の数で言うと多くないからこそ目立つ。 こ の人、何か始めるのかな、という注目はある。 そういう混ざってるところも、自分的には小 浜の気に入っているポイントではある。 小浜は線引きをしない。受け入れる。苦手で もなんとなくつき合う。 田舎って関係を断つのが都会ほど簡単でない。 小浜って小さいから会うし、絶対どっかでつ ながってるから切れない。それを嫌う人もい るけど、それをメリットと思う人もいるんだ と思う。 私が「やりたい」と言ったら全力で応援して くれる環境がある。たとえば、私が呼んでき た高校生を役場に紹介したら、 「ふーん」と終 わるんじゃなくて、町長まで話がいって、 「関 係人口って大切だから」とわざわざ町の日本 酒まで持って来たりして。 「ちゃんと活動の良 さを感じてくれているんだ!なんてありがた いんだ!」と感じて泣きそうになった。 それはたぶん、 これまでの地域おこし協力隊の 人が面白い変わった活動をしてきていて、 「訳 がわからない活動にも価値があるぞ」ってい う実績をこの7年くらい作ってくれてきたか らこそ、 「訳わからない来訪者にも良くしてお かなきゃ」というふうに思ってもらえている のかもしれない。わかった振りをするのでは なく、ちゃんと信じて受け入れるとかがこれ までの方々の努力の賜物なのかもしれない。 五城目って観光地ではないので、ただゲスト ハウスとかレストランとか開いても、わざわ ざ来ない。特に馬場目という地区は生活をし ている人しか出入りがない。 そういう街に人流を作る際に、観光地的にプ ロデュースしていくというよりは、 「自分が作 りたい、育みたい田舎みたいのを作らない?」 といったお声がけをしている。それに共鳴し た、都市部に住んでいて田舎暮らしやおばあ ちゃんちといった原風景などを知らない人た ちと一緒に「じゃあ、“年貢” を納めてくれた らいいんですよ」 「じゃあ “年貢” を納めるよ」 というプロジェクトをしてきた。 ീౢ ඒܙࢠ͞Μ ूམࢧԉһ ޒ৓໨ொ ൒ా ཧਓ͞Μ כ෪ݹຽՈͷՈक ޒ৓໨ொ ݹঙ ༔ହ͞Μ σβΠφʔ খ඿ொ খ ඿ ͸ ઢ Ҿ ͖ Λ ͠ ͳ ͍ Ố ड ͚ ೖ Ε Δ Ố ۤ ख Ͱ ΋ ͳ Μ ͱ ͳ ͘ ͭ ͖ ߹ ͏ ớ ݹ ঙ ͞ Μ Ờ ủ ࣗ ෼ ͕ ࡞ Γ ͨ ͍ ỏ ҭ Έ ͨ ͍ ా ࣷ Έ ͨ ͍ ͷ Λ ࡞ Β ͳ ͍ ʁ Ứ ͱ ͍ ỳ ͨ ͓ ੠ ͕ ͚ Λ ͠ ͯ ͍ Δ ớ ൒ ా ͞ Μ Ờ ֎͔Β΍͖ͬͯͨਓΛड͚ೖΕΔ 3 044 045 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  19. フィールドワーク先には、地域住民が暮 らしの中で訪れる場所があった。いつも の道でいつもの時間に顔を合わせる人同 士で言葉を交わしたり、いつもの通る道 に面した店をちょっと覗くと顔見知りを 見つけることができたり、人々の交流が 生まれている。 多くの人が普通に生活している中で何度 もすれ違い、ちょっとした会話が生まれ、 コミュニティが重なる。それにより仕事

    と生活の境が曖昧になり、他者の良さや 得意技が自然と見えてくる。他者の良さ がわかる方が、一緒に仕事もしやすいし、 きっと生きやすいだろう。 小浜温泉はちょうどいい町の大きさで、いろ いろなトライがしやすく、物事が決まるまで のスピードが速い。 小浜は都会と人口が違うので同じ人に会う確 率は高く、 住民同士の関係性も見えやすい。た とえば、あの人はあそこのお店と仲がいいけ ど別の個々の飲食店とは仲悪い、とか。合意 形成と聞くと難しく聞こえるが、結局はお互 いを知って、楽しむこと。一緒にいるのが楽 しくなったら話を聞いてくれる。 従来のクラスター化されたものが、 もうちょっ と重なったりする意味でいいなと思ってるん だけど、無理にそれを “One五城目” 的に、み んなで一緒に仲良くやろうぜみたいなのにし すぎない状態が、気持いい感じがするんです よ。関与しすぎない。 すべてを開示して合意形成を取り続けないと いけないとなると、結構しんどいなーってい うのがあるんで、空気読みすぎないのが結構 大事だなと思う。 五城目だと絶対誰かに会うので、想像力を働 かせたいときは「いちカフェ」や「HIKOBE」 に来て作業する。すごく集中したり、 めっちゃ アウトプットしたいときはガストとか誰とも しゃべらない場所に行く。本を読んだり、落 ち着いたりするときは家で、とか。 小浜は一人がちょっとやると「町が良くなる」 実感が得られる規模感だと思う。そんな狭さ が小浜の豊かさじゃないかな。 クライアントと共同浴場で会っちゃうこともあ ります。そんなときにじっくり話せたりする んですよね。どこに行っても顔見知りになっ ちゃうんで、ひとりになりたい時に行く定食 屋があったりしますよ。 (笑) ۭ ؾ ಡ Έ ͢ ͗ ͳ ͍ ͷ ͕ ݁ ߏ େ ࣄ ͩ ͳ ͱ ࢥ ͏ ớ ӑ ా ͞ Μ Ờ ͪ Ỷ ͏ Ͳ ͍ ͍ ொ ͷ େ ͖ ͞ Ͱ ỏ ෺ ࣄ ͕ ܾ · Δ · Ͱ ͷ ε ϐ ồ υ ͕ ଎ ͍ ớ ࢁ ౦ ͞ Μ Ờ ݹঙ ༔ହ͞Μ σβΠφʔ খ඿ொ ീౢ ඒܙࢠ͞Μ ूམࢧԉһ ޒ৓໨ொ ӑాढ़ี͞Μ ޒ৓໨ொ γϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔ ࢁ౦ ߊେ͞Μ ࣗવΤωϧΪʔɾ஍Ҭܦࡁݚڀऀ খ඿ொ ੜ׆ݍ͕ॏͳΓɺ ଟ༷ͳग़ձ͍͕ੜ·ΕΔ 4 046 047 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  20. フィールドワーク先には、ほぼ無償で提 供される潤沢な資源が溢れていた。 居住地のすぐ近くにある海や山、川や、そ こで得られるさまざまな幸。地域住民が 暮らしの中で自由に利用することができ る湧水や温泉。古くから受け継がれた家 屋や施設。資源のかたちはさまざまだ。 これらを利用・活用するために、必ずしも お金が必要、ということではなく、モノ とモノ/モノと行為/行為と行為が交換

    される経済圏がそこにはあった。お金を 介在させないことで、人との交流や、自 然資源の活用が促されていること。 暮らしの中のお返しも、お金で買える名 店のお菓子よりも、自分で釣った魚など が好まれる。それはお金よりも、お互い を思う気持ち、お互いのために使う時間、 お互いの関係性などの価値が高いことを 意味する。 で自分が海外や大学などで経験したことを話 した。 多い時は週に2回以上誰かの家でご飯をいた だいていた。 今は収入も安定したが、このときの暮らし方 は今でも続いている。 草を刈ってくれた隣のお爺さんに、 東京に行っ たときにとらやの羊羹でも買ってお礼に持っ ていくと、 「買ったもので返すのはちょっとセ ンスがよくない」みたいなのを、爺さんたち にいろいろ育ててもらって。そのうち釣りに はまり始めて、釣った魚を持っていくという 技を習得すると、すごく良くなってくる。 ちっちゃく田んぼを借りてコミュニティーのみ んなで野菜育てているみたいな感じで、自分 の暮らしの実態の中にそういう別の経済圏み たいなのが入り込んできた中で、その面白さ を理論っていうより、体感的に楽しんでいる。 私たちが開発した Share Village のコミュニ ティコインはコミュニティ内でのみ利用でき る独自通貨。換金はできず、6ヵ月で消滅す る仕様になっている。 報酬だと運営者と利用者が1:nの関係になり がちだが、“村民” みんなが感謝し合える贈与 の機能としてコインを使っていきたい。 ࣗ ෼ ͷ ฻ Β ͠ ͷ த ʹ ผ ͷ ܦ ࡁ ݍ ͕ ೖ Γ ࠐ Μ Ͱ ͖ ͯ ỏ ͦ ͷ ໘ ന ͞ Λ ମ ײ త ʹ ָ ͠ Μ Ͱ Δ ớ ӑ ా ͞ Μ Ờ ੴؙ ܟক͞Μ ஍Ҭ৯ಊͷྉཧਓɹ 「ポコポコキッチン」でのみ使用できる通貨と してのポコポコ通貨。メンバーズカードを持っ ていれば、500ポコポコ/500円から購入する ことができる。 「いつも来てくれる人に優しい価格設定にした い」 「ものづくりをしている人たちと物々交換 がしたい」 「お金って、もともとこんな感じ だったんじゃない?を実践したい」という理 由で、優しさがつながる経済圏としてポコポ コ通貨を作った。 ޒ৓໨ொ 移住当初は年収100万円もなかったが、今、思 い返しても小浜での暮らしは贅沢だったと感 じる。当初住んでいた家は古い元民宿で、家 賃1.5万円で天然の湧水と温泉は使い放題・入 り放題だった。 また食事についても、近所の人にB級品の野 菜をもらい、公共の温泉蒸し釜で野菜や魚を 蒸してワイングラス片手に食べていた。また、 小浜の人の家でご飯をいただくことも多く、 そ の際には、小浜のことを聞きながら、これま ࢁ౦ ߊେ͞Μ ࣗવΤωϧΪʔɾ஍Ҭܦࡁݚڀऀ খ඿ொ ӑాढ़ี͞Μ ޒ৓໨ொ γϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔ ൒ా ཧਓ͞Μ כ෪ݹຽՈͷՈक ޒ৓໨ொ ͓ۚͷࢿຊ͔ΒҰઢΛըͨ͠ ผͷܦࡁݍ͕ଘࡏ͢Δ 5 048 049 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  21. コーヒーを淹れる水を湧水にしてみる。 釣り中心の生活をする。土地に根ざした 野菜を育てる。ちょっとなら、みんなが 勝手に収穫していいハーブ園を持つ。お 散歩のついでに小道の草を抜く。収穫物 を周りに配ったり、交換したりする。 より自然の恩恵を感じ、もともと豊かな 自然を維持するためのひと手間を、地域 に住む人々が自ら担い、それぞれにとっ て心地のいい景色を残している。

    大切なのは、そこに住む人がどうしたい か、どんな暮らしをしたいのかというこ と。 そして、一人で実践するだけではなく、 仲間内で「こんなことしたい、こんなふ うにしたい」と語り合うことで、背中を 押し合ったり一緒に実践したりする環境 がある。 地域で24時間365日止まらずに生きていくた めには、どういうことが起こるのかを把握す ることが大事。何月に何が起こるのか/何が 来そうか/自分の体が変わりそうかを察知し て、それに合わせて準備していく。 お金があれば都会に住めばいいし、 お金がなけ れば自分の暮らしを作って、自分らしく生き ていける場所に住めばいいと思っている。僕は 後者の方が好きで、自分の身の回りで起こっ ていることを掬い取って判断できる暮らしを したい。 楽しく暮らしながら働く、それが一番ですか ね。楽しいというのが大事ですね。今日はい い感じで釣れそうだな、という日は絶対に釣 りに行きますね。いいシーズンは週3ぐらい で。 仕事の内容にもよりますが、山を登ったり、釣 りしながらzoomで打ち合わせもできる時代。 源流域に行くと圏外になるので難しいですが。 堤防だったら電波もあるし行けるぞとかね。 暮らしと仕事が一緒くたになっている人、 主体 的に生きている人が多いと感じている。それ はおそらく人とつながっているからだと思う。 「赤ちゃんができました」とかの報告は、親や 職場の課長に言うのが普通だと思っていたが、 五城目だと関わる人が多すぎて言う相手がこ んなにいっぱいいたんだと気づかされた。ご はんを持って来てくれるのでそんなに食べら れないとか、遊びに誘ってくれるから赤ちゃ んのこと言わなきゃとか。それってすごいこ とだな。親友というわけでもないけど、密接 に関わり合う存在がいっぱいいる。 ࣗ ෼ ͷ ਎ ͷ ճ Γ Ͱ ى ͜ ỳ ͯ ͍ Δ ͜ ͱ Λ ٟ ͍ औ ỳ ͯ ൑ அ Ͱ ͖ Δ ฻ Β ͠ Λ ͠ ͨ ͍ ớ ࢁ ⃻ ͞ Μ Ờ 普段はお昼ご飯は家で食べるんです。事務所 から自転車で数分なんで。途中で魚屋で刺身 を買って帰ったり、昨日の残りを食べたり。 これって無意識的に城谷さんの影響を受けて いるのかもしれないですね。自然とそういう 暮らし方がいいなと思って、今も日常として 続いているのかも。 ݹঙ ༔ହ͞Μ σβΠφʔ খ඿ொ ӑాढ़ี͞Μ ޒ৓໨ொ γϦΞϧΞϯτϨϓϨφʔ ീౢ ඒܙࢠ͞Μ ूམࢧԉһ ࢁ㟒 ௒ਸ͞Μ খ඿ொ σβΠφʔ ޒ৓໨ொ ͪΐͬͱͻͱख͔͚ؒͯɺ ࣗ෼ͷࢥ͏ ʮͪΐͬͱ͍͍฻Β͠ʯ Λ࡞Δ 6 050 051 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  22. 「地域や身の回りの課題解決をしよう」と いう肩肘張ったスタンスではなく、 自分た ちのできる範囲で暮らしをより良くしよう とする手軽さや、 「アイデアをやってみた」 というハードルの低さ、そして「ちょっ とやって上手くいかなければやめればい いじゃん」という気軽さ。そんなマイン ドをフィールドワーク先で見つけた。

    必要なことや、 やるべきことという意識よ りも、 「あった方が楽しそう・面白そう」 「自分たちが便利になりそう」という想い からスタートし、活動が生まれている。 プレイフルドリブン(楽しみや遊びを大 切にする考え方)な要素が暮らしの中に あるように感じられ、楽しい・便利を軸 足にした豊かさを作っていた。 旅館「伊勢屋」のコンセプトをリニューアル するときに、取締役や設計士が「新しいコン セプトだと女将世代の人が外れますけど大丈 夫ですか」って聞くわけ。私は「あなたたち 何言ってるの。私たちみたいなアクティブな おばあちゃんは、若者が行って楽しいところ に行きたいの。私たちの世代が行ってよかっ た、っていうようなところには行きたいと思わ ないの。だから全く心配ない」って言ったの。 ࢲ ͨ ͪ Έ ͨ ͍ ͳ Ξ Ϋ ς ỹ ϒ ͳ ͓ ͹ ͋ ͪ Ỵ Μ ͸ ỏ ए ऀ ͕ ߦ ỳ ͯ ָ ͠ ͍ ͱ ͜ Ζ ʹ ߦ ͖ ͨ ͍ ͷ ớ ૲ ໺ ͞ Μ Ờ ͪ Ỷ ỳ ͱ େ ͦ Ε ͯ ͍ Δ ͚ Ε Ͳ ỏ େ ͖ ͳ ε ϩ ồ Ψ ϯ Λ ܝ ͛ · ͠ ͨ ớ ӑ ా ͞ Μ Ờ 日本全国どこも少子高齢化。みんな同じよう に不安に思っている中で、 「どう五城目を盛り 上げるか」というよりは「どう自分が楽しく 幸せに生きられるか」を追求していけば、自 分も周りもハッピーになっていくというぐら いの気軽さで問題を捉えないといけないかも。 問題として捉えると、どんどん問題は出てく るので。 ീౢ ඒܙࢠ͞Μ ूམࢧԉһ ޒ৓໨ொ 「城谷さんはこういう未来を見ていたのか!」 と思う時がある。街の雰囲気を作っていくと いうか、 「醸し出される」とか「熟成・発酵す る」とか、そういう街の成長を感じる。計画 性を持って作り上げていくというよりは、自 然とそうなっていくというのが、まさに小浜 で起こっていることだと思う。5年後とかに 見ると、また新しい変化、また新しい文脈が 見えてきたりしそう。 ࢁ㟒 ௒ਸ͞Μ খ඿ொ σβΠφʔ 田舎からのチャレンジをするときに、少子高 齢化だから、日本で47都道府県中ワーストワ ンだから何かやるって、なんかすごい悲しい じゃないですか。そうじゃなくて、ハッピー なというか、ちょっと大それているけれど、大 きな視野で活動しようということで、小さな 町から世界を目指す「世界一子どもが育つま ち」っていうスローガンを最初の頃に、地域 おこし協力隊や初期に入った起業家らで掲げ ました。 ӑా ߳੅͞Μ ฼਌ࢧԉ૊৫ͷ૑ઃऀ ޒ৓໨ொ ૲໺ ༗ඒࢠ͞Μ ࿝ฮཱྀؗͷେঁক খ඿ொ ʮ΂͖ʯ ΑΓ΋ɺ ʮָͦ͠͏ ɾ ͋ͬͨํ͕ྑͦ͞͏ʯ ΛબͿϚΠϯυ͕͋Δ 7 052 053 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  23. フィールドワーク先には「やってみなよ、 やろうよ」のマインドが溢れていた。誰 にとっても何かにチャレンジするハード ルが低く、実際に行動に移す軽やかさが あった。 何かにチャレンジしようと思ったときに、 誰かに背中を押してもらえる。一人では難 しいときには助けてもらえる。そんな仲 間が見つかることが、チャレンジのハー ドルを下げて、やってみる人を増やして

    いるのかもしれない。 フィールドワークで出会った人の多くは、 機動力がありチャレンジマインドの高い 人たちだったが、地域に長く住む人を含 め、周りの人たちは、それを拒絶せずに 受け入れている。 機動力のある人たちがいろんな挑戦をし ていると、ちょっとくらいの失敗は目立 たなくなり、いろんな人がどんどん挑戦 しやすくなっているようだ。 ؼ ল ͢ Δ ͨ ͼ ʹ ޒ ৓ ໨ ʹ ଍ Λ Ԇ ͹ ͢ Α ͏ ʹ ͳ Γ ஍ ݩ Ͱ Կ ͔ ΍ Γ ͨ ͘ ͳ ỳ ͨ ớ ൒ ా ͞ Μ Ờ 私の出身は隣の井川町。シェアビレッジプロ ジェクトが始まったときは栃木県の大学の職 員をしていた。その当時、僻地医療に関わる 人材を育てる自治医科大学にいた。そういう 興味があったときに、 「BABAME BASE」が始 まって、その中の人と会ってみたいと思った。 そこで年貢を納めて村民になって寄合に参加 して、実際に活動している人に会って、丑田 さんやメンバーにも出会った。それをきっか けに帰省するたびに五城目に足を延ばすよう になり。 「地元で何かやりたいです」と言った ときに「一緒に働こう」というふうになった。 ླ໦ ͯΔΈ͞Μ ૲໦છΊ࡞Ո 日本で収穫した綿を使って布を作り、モノを 作るオーガニックコットンプロジェクトを始 めた。そのために必要な大量の綿を確保する ための取り組みとして、 プロジェクト賛同者に 綿花の種を配布して育ててもらい、綿花が咲 いたら「アイアカネ工房」に送り返してもら う、それで作った商品を返礼品として返して いる。この取り組み自体、古庄さんに「やっ てみましょうよ」と背中を押されて始めたん です。 খ඿ொ アイデアはたくさんあるけど、無理矢理実行 はしない。 地域の人がやってみたことがあると言ってき たら、自分のアイデアを引っ張り出して、背 中を押す感じ。 委員会とか、かしこまった場所だとみんな意 見を言いづらくて、結局、声の大きい人だけ がしゃべって終わっちゃう。でも、一緒にご 飯を食べているときに話すと、みんないろい ろな意見を言ってくれる。 ࢁ㟒 ௒ਸ͞Μ খ඿ொ σβΠφʔ ൒ా ཧਓ͞Μ כ෪ݹຽՈͷՈक ޒ৓໨ொ 東北の人間性の表現として 「岩手=お前やるな ら、俺応援するよ」 「山形=お前やるなら、俺 も頑張るよ」 「秋田=お前やるなら、俺やめれ (足を引っ張るぞ) 」というのがあるけど、五 城目に関しては「お前やるなら、俺一緒にや るよ」という感じ。 でも、それを昔から感じてたかというとそん なことはないし、なんとなく変わってきたな という感覚はある。 ౉ᬒ ߁Ӵ͞Μ ञଂͷ16୅໨ଂݩ ޒ৓໨ொ ʮ΍ͬͯΈͳΑɺ ΍Ζ͏Αʯ ͱ͍͏ࣗવͳޙԡ͠ 8 054 055 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  24. ϑ ΟʔϧυͰؾ͍ͮͨੈͷதͷมԽ フィールドワークではたくさんの人たち に出会い、さまざまな場所を訪れ、 「地域 の豊かさ」に触れることができた。 現地で見た「豊かさ」のあり方には、現 在の東京の暮らしでは感じにくい、新し い価値観や、新しい社会観のようなもの が根底にあるように見えた。

    遠く離れた2つの町で、 共通して感じられ た実感は 「世の中って今までと変わってき てるんじゃないだろうか」という気づき である。そんな新しい価値観や世の中の 変化を、多くの人々が集まり動きの速い 東京ではなく、小浜町や五城目町のよう な場所で強く感じられた理由は何なのだ ろうか。その理由を考えてみると、人口 減少・高齢化が進んだ社会である地方だ からこそ、顕著に見えやすくなっている のだと思えた。そして、その変化は、こ れからどんどん進んでいく人口減少と高 齢化に伴い、日本全国に広がっていくと 考えられる。 ここからは4つの観点で、フィールドで 気づいた世の中の変化について触れてい きたい。 ͪΐͬͱ ۭ͖ͨ͠஍Λ׆༻ͨ͠೶Ԃ খ඿ொ 064 065 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  25. フィールドでは、地域住民によって管理・ 運営され、地域住民が利用できる土地や 施設が数多くあった。 小浜では溢れる温泉を利用した、地域住 民なら安価で入浴できる公衆浴場があり、 無料で利用できる足湯にもなっている。ま た、その湯熱は蒸し釜にも活用されてい る。それらは地域住民の生活の中でなく てはならないものだった。また、少しな ら誰でも収穫していい畑や、野菜などを

    洗うのに使っていい湧水など、みんなの 共有物として利用されている土地や資源 もあった。 五城目にある「ただの遊び場ゴジョーメ」 は、町の遊休施設をリノベーションして 作られた。大人も子どもも無料で遊べる この施設は、さまざまな人たちが集まる 空間になっている。 これらは、特定の誰かのものではなく “み んな” の場所になっていて、地域住民み んなが日常的に利用・管理している。こ れらの場所が暮らしの中に自然に存在し、 活用できることが生活を支える、ある種 のセーフティーネットの一部になってい るように感じられた。 これは、地域の暮らしの中に「ローカル・ コモンズ」があるということではないだ ろうか。 ஍ҬͰڞ༗͢Δࢿ࢈Λ࣋ͭ 「コモンズ」とは、元々は中世イギリスに起源を持ち、牧草地などの 自然資源を地域コミュニティで共同管理する仕組みを指す言葉。1968 年に発表されたギャレット・ハーディンの「コモンズの悲劇」論文で 着目された。誰でも利用できる状態にあるコモンズは、適切な管理が されずに過剰摂取によって資源が枯渇してしまうというものである。 「ローカル・コモンズ」はコモンズの一種で、 「地域社会レベルで成立 するコモンズ」のこと。土地や場所の管理を行政や企業に一任せずに、 地域コミュニティの住民たちが実質的に所有・管理し、共同事業とし て相互利益に配慮しながら管理するため、アクセスを地域コミュニ ティのメンバーに限定して無償利用可能にしている。 コモンズの悲劇が起こるのは、オープンアクセス(誰でも自由に利用 できる)な場合であり、アクセスに制限があるローカル・コモンズで は、地域コミュニティの他メンバーの利益に配慮しながら利用され、 フリーライダーやモラルハザードは抑制される。 (Wikipedia「ローカル・コモンズ」のページより) ϩʔΧϧ ɾ ίϞϯζͱ͸ 066 067 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  26. フィールドワーク先で出会った人たちの 多くは、住む地域と働く地域が近く、暮 らしと仕事のエリアがほぼ重なっていた。 そのため、仕事仲間や依頼主などの仕事 に関わる人と、飲食店などでばったり会 うことは決して珍しくはないそうだ。逆 に、飲み仲間や行きつけの店の店員との 普段の会話から、ふとしたきっかけでお 互いにやりたいことやできることを語り 合い、それが新しい仕事や新たな試みに

    つながることもある。当人同士が出会う 機会がなくても、 「それならあの人に聞け ば?」と、誰かを介して、住民同士が、ス キルが、つながっていた。 人と人のつながりが、暮らしの豊かさを 作っているように感じたし、都会の暮ら しの中にはない豊かさだとも思えた。 都会だと、 住む地域と働く地域が離れてい ることが多く、日常の人間関係が仕事に 関与することが少ない。そのせいもあっ て、プライベートの人的ネットワークと、 仕事の人的ネットワークが別のものとし て存在し、重なる部分は少ない。フィー ルドワークで見られたような人と人のつ ながりや化学反応を、都会の暮らしの中 で見つけることは難しく、暮らしのすぐ 近くにある地域の人々の気配は感じられ ない。 何かのルールに則り半ば強制的に結ばされ るような関係性ではなく、個人個人の興 味や情熱に基づいて自然につながってい く関係性。このような関係のことを、 「社 会関係資本」という。国際統合報告評議 会(IIRC)の国際統合フレームワークでは、 資本は財務資本/製造資本/知的資本/ 人的資本/社会関係資本/自然資本の6 つに分類されており、今まで重要視され ていたのは財務資本/製造資本/人的資 本/知的資本の4つで、これらは「お金 に変換できる資本」と考える。社会関係 資本は自然資本と合わせて「お金に変換 しづらい資本」と言える。このお金に変 換しづらい社会関係資本が、地域の豊か な暮らしを作る上で大きな役割を担って いるという現実は、世の中の変化を感じ させてくれた。 ਓͱਓͷͭͳ͕Γ 社会関係資本(ソーシャル・キャピタル: social capital)とは、社会 学、政治学、経済学、経営学などにおいて用いられる概念。人々の協 調行動が活発化することにより社会の効率性を高めることができると いう考え方のもとで、社会の信頼関係、規範、ネットワークといった 社会組織の重要性を説く概念である。 基本的な定義としては、人々が持つ信頼関係や人間関係(社会的ネッ トワーク)のこと、と言って良い。上下関係の厳しい垂直的人間関係 でなく、平等主義的な、水平的人間関係を意味することが多い。しか し、この語には実に多様な定義がある。Portes (1998) の文献によれ ば、共同体や社会に関する全ての問題への万能薬のように使われてい る言葉である。1990年代終わりからは学会外でも社会的に有名な語 となった。 (Wikipedia「ソーシャル・キャピタル」のページより) ࣾձؔ܎ࢿຊ ࣮͸͖ͪΜͱޠΒΕͯ͜ͳ͔ͬͨ ʮ֎෦ੑʯ ͜Ε·Ͱͷܦࡁֶͷର৅ ࣗવࢿຊ ࣾձؔ܎ ࢿຊ ࡒ຿ࢿຊ ਓతࢿຊ ੡଄ࢿຊ ஌తࢿຊ 068 069 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  27. 2013年に公刊された、経済学者トマ・ピケティの著書『21世紀の資 本』 。15年の歳月を費やし、200年以上の膨大な資産や所得のデータ を積み上げて分析している。 ピケティ氏は本書の中で、クズネッツ曲線の矛盾を指摘している。ク ズネッツ曲線はアメリカの経済学者サイモン・クズネッツが1955年 に提唱した概念で「資本主義経済の発展は社会の不平等を広げるが、 その差はやがて自然に縮小され不平等が是正されるとする」としたも ので、“資本主義が社会を幸せにする、富の不平等がなくなる” と信

    じられてきた根拠の1つとされている。しかし、この曲線が成り立っ ていたのは第1次世界大戦直後の局所的な時期だけで、1980年以降 の米英では不平等が一気に進み、現在は日本を含む多くの国で富の不 平等は拡大し、富の集中化が進んでおり、そもそもこの不平等の拡大 は資本主義に内在する論理として、ピケティ氏は、資本主義というも のは自由奔放にすると富が一部の人に集中する傾向を持っていること を指摘している。 21ੈلͷࢿຊ ϐέςΟʹΑΔΫζωοπۂઢ΁ͷ൷൑ ถࠃͷॴಘ֨ࠩ1910–2010೥ ʢ೥ʣ ࠃຽॴಘʹ઎ΊΔτοϓे෼ҐͷγΣΞ 1910 25% 30% 35% 40% 45% 50% 1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 ࠓ΍ࣾձతෆฏ౳͸ ϐʔΫ࣌ʹ໭͍ͬͯΔ ʂ Ϋζωοπ͕ݟ͍ͯͨͷ͸ɺ ୈ̎࣍ੈքେઓޙͷΞϝϦΧ ग़ॴɿhttp://piketty.pse.ens.fr/capital21cΛࢀর フィールドでは、 独自通貨についての話を 聞くことができた。この独自通貨は、と あるお店で使える通貨で、コーヒーを飲 んだり食事をする際に使えるもの。バス の回数券のように購入した本人が使うも のだが、それ以外にちょっと違った使い 方がされている。たとえば、たくさんの お裾分けをもらったときに、そのお返し としてこの通貨を渡しているのだ。確か に、お礼にお金や購入したもので返すと 「いやいや、いいよ!」となってしまいが ちだが、 「これでコーヒーでも飲んで」と 独自通貨で返すことで、なめらかなやり とりと関係性を作ることができるのだそ うだ。 他にも、庭の草刈りをやってもらったお 礼に何かを教えてもらったり、何かをも らったお返しに川で釣った魚をお裾分け したり、知識や労働のような「その人な らでは」の価値でお返しする、という話 を聞くことができた。 これらは、いわゆる貨幣経済とは違う、独 自の経済圏が暮らしの中にあるということ ではないだろうか。都会における「価値 の交換」は、ほとんどの場合が貨幣もし くは貨幣で購入したものを使って行われ ている。貨幣経済を中心とした、いわゆ る資本主義を前提とした社会では、より 速く、より効率的に、できるだけ手間を かけないことを良しとする価値観がある。 しかし、フィールドワーク先にあった独 自の経済圏は、人の手を介したり、手間 がかかっていたりするものに価値を置き、 資本主義を前提とした社会とは違った豊 かな暮らしを作っている。 これは、資本主義を前提とした社会が、崩 壊してきているということなのではない だろうか。同じようなことが、 『21世紀の 資本』 (トマ・ピケティ著)でも述べられ ている。 ่ΕΏ͘ࢿຊओٛલఏͷࣾձ トマ・ピケティ 著 みすず書房/2014年12月8日 https://www.msz.co.jp/book/ detail/07876/ 070 071 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  28. 2019年に出版された井上岳一氏の著書。日本の復活のために、山水 という地域特性を活かすことの必要性を唱えている。 日本の比較的平等な社会を築いてきた、公共事業を通じた地方と低所 得層への再分配という「土建国家モデル」は、その前提に雇用があり、 所得があることを前提に成立した社会保障システムと言える。土建国 家モデルが破綻すると、地方と低所得者層への再分配が困難になり格 差は拡大し、雇用の空洞化によって稼ぎをセーフティーネットにして きた社会保障システム自体が機能しなくなった。 コンクリートで埋め尽くされた国土、老朽化しても財源がないためメ ンテナンスされないインフラといった、土建国家モデルが破綻したあ

    とに残された負の遺産へ向き合うためのカギとして、 「山水郷」の重 要性を示している。 本書では、豊かな森と川や海や湖に恵まれ、人が古くから住んできた 土地のことを「山水郷」と呼んでいる。田畑や森林の管理や手助けが 必要な人のお世話など、山水郷には地域を美しく保ち、持続させるた めに必要な仕事がたくさんある。山水郷は、安心して暮らしていける 基盤であり、セーフティーネットにもなる。 しかし、現在の地方の経済基盤は貧弱であるため、これからの地域を 持続可能にするには、その土地の記憶や風土、アイデンティティと深 く結びつき、その土地に住むことの意味を再認識させる古来のテクノ ロジーの復権と、最低限のインフラを維持し、外から人を呼び込みつ なぎ止めるための未来のテクノロジーの導入という双方を融合させ、 次の社会を紡ぐための “はじまりの場所” として、山水郷を大いに活 用していくべきだと語っている。 ೔ຊྻౡճ෮࿦ フィールドワーク先の2拠点で見つけた 「共有資産」 「人と人のつながり」 「資本主 義を前提としない社会」という3つの気 づき。この3つがバラバラに在るのでは なく、関係し合いながら存在していると 感じられた。共有資産を中心にして人と 人のつながりが生まれ、人と人のつなが りが共有資産を維持する力になっている。 この2つを活かす関係が循環することが、 お金のあるなしに関係なく、地域の人々 が安心して暮らしていけるセーフティー ネットになっている。このセーフティー ネットに支えられて、資本主義を前提と しない、独自の経済圏が作られている。 ここで、 「フィールドワーク先と似たよう な地域は他にもあるが、 両者を隔てている ものはなんなのだろうか」という1つの 疑問が湧いてきた。いわゆる “田舎” と呼 ばれる地域は日本にたくさんあるが、人 口減少・高齢化に合わせて少しずつ閉じ ようとしている。これらの地域の中にも、 共有資産と人と人のつながりの2つを持 ち合わせた地域は多い。にもかかわらず、 地域の人々が安心して暮らしていける形 になっていないのは、この2つを活かす ための力、活かすための仕掛けが足りて いないからではないだろうか。仕掛けが あるからこそ、昔ながらの生活を引き継 いでいくだけでなく、新たに地域にやっ てきた人や今のテクノロジーを活用して、 残っている従来の暮らしと融合した、 新し い時代につながる文化や社会を生み出し ていくことができると感じさせてくれた。 共有資産、人と人のつながり、この2つに 支えられたセーフティーネットのある暮 らしがある場所のことを、 『日本列島回復 論』 (井上岳一 著)では山水郷と呼び、そ して、山水郷に次の社会を作るカギがあ るはずだと唱えている。 ৽͍ࣾ͠ձΛ࡞ΔΧΪͱͳΔ஍Ҭ 井上 岳一 著 新潮社/ 2019年10月24日 https://www.shinchosha.co.jp/ book/603847/ 072 073 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  29. 要約すると、 「サステイナビリティとは、 そのままを残すことではなく、本質的な 価値を維持するために前を壊したり発展 したりを繰り返しながら変化し続けるこ と。異なる本質的な価値を持つ地域が関 わり合うことで、新たな発想が生まれる」 と言える。さらに、国や企業に任せるの ではなく、地域が自らの手で自律的にこ のような変化を起こそうとすることが大

    切なのだろう。 「サステイナビリティとは何か」について は、工藤先生の著書『私たちのサステイ ナビリティ』の中でも具体的な取り組み の紹介とともにわかりやすく解説されて いるので、ぜひ一読をお勧めする。 • “サステイナビリティ” とは「将来世代にわたって、何を守り、つくり、 つなげていきたいのか」を考え、行動すること。 • “サステイナブルな状態” というのは、常に変化しながらも、本質的な状 態や価値が持続されていること。 • 発展には、前を壊して次に進む「直線的発展史観」と前を含んで展開す る「空間的発展史観」の2種類がある。直線的発展史観だけだと勝ち負 けが出てくる。どちらが正しいというわけではなく、2つの発展を行き 来することが重要なのではないだろうか。 • 空間的にそれぞれユニークに発展した主体がただ複数あり、それらが出 会うことで新しい発想が生まれることを「トランスローカルな学び」と いう。 • ある地域をその地域にしているものを「風土」と言う。風土とは、自然と 人間の間の関係のことで、 「風」は文化、 「土」は土地・自然を表す。 「土」 の範囲で醸成される文化が「風」と言える。 今回のフィールドワーク先では、 地域の今 を作り持続させていくことを、地域に住 む人々が自律的に模索しているように思 えた。国の施策や企業の誘致ありきで地 域活性化を図るのではなく、地域住民の 手でその地域らしさを中心にした暮らし を作っていたからだ。少し大袈裟かもし れないが、その暮らしを明日に、そして その先の未来につなげていこうとする地 域に住む人々の強い眼差しを感じられた。 今回のフィールドワークの中で、 ご一緒さ せていただいた工藤尚悟先生(国際教養 大学国際教養学部グローバル・スタディ ズ領域准教授)から、地域の持続可能性 についての面白い話を聞かせていただい た。以下に、工藤先生のお話の要点をま とめた。 αεςΠφϏϦςΟ 工藤 尚悟 著 岩波書店/ 2022年2月18日 https://www.iwanami.co.jp/ book/b599126.html 074 075 PART 1 ᴹϑΟʔϧυϫʔΫ
  30. フィールドワークで見つけた「地域の豊 かさ」を生み出す要素をじっくり見てみ ると、一見、どこにでもそれなりにあり そうなものが多く、地域の活性化が進ん でいる町にしか存在しないようなものば かりだという印象は少なかった。これは、 ずっとそこにある「豊かさ」を享受する ために、そこに向き合うマインドセット、 雰囲気や環境が必要ということを意味し ているように思えた。

    「地域の豊かさ」は自然にそこにあるだけ で自然と享受できるものではなく、 「豊か さを最大化したり、作り出したりする仕 掛け」があって初めて享受できる。 フィールドワーク中で見た場所や、お話 を伺った方たちの言葉の中には、地域の 中に巧妙に組み込まれた「豊かさを作る 仕掛け」が見え隠れしていた。 それらの仕掛けは、 人々の手で意図的に仕 掛けられたものもあれば、自然に/偶然 的に形成されたものもあり、その成り立 ちはさまざまだ。そこで考えたのは、こ れらの仕掛けを作っていくことが「豊か な暮らし」を実践するためにできること ではないだろうか、ということだ。 今回見つけた「豊かな街を作る仕掛け」を 他の地域に持ち込むことで、その地域を 豊かさが感じられる地域に変えていける 可能性を秘めている。 そんな「豊かな町のはじめかた」を、こ こにまとめた。 ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚ ࢓ֻ͚1 ձ࿩͕ੜ·ΕΔ৔ॴΛͭ͘ Δ ࢓ֻ͚2 lاΈzͷ৔ॴΛͭ͘ Δ ࢓ֻ͚3 ஍ҬͷΈΜͳ͕࢖͑Δڞ༗෺Λͭ͘ Δ ࢓ֻ͚4 ྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͙΋ͷΛͭ͘ Δ ࢓ֻ͚5 ౎ձਓͷಌΕΛͭ͘ Δ PART 2 077 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚ 076
  31. ࢓ֻ͚1 人と人との関わりは、豊かさを生み出す 一番大切な要素であるように思える。 その一番基本的で、大切なものが、 「会話」 である。 お互いに状況を確認したり、情報を交換 したりすることで、人はつながっていく。 暮らしの周りでその密度が上がってくる と、地域に所属している実感が上がる。よ

    り多くの人たちと、より頻繁に会話でき ること、それが日々の暮らしの豊かさに つながる。 人口減少が進む地域では、人手が足りず、 社会生活に必要なサービスが行き届かな いこともある。地域の活動を限られた人員 で回していくためには、一人で何役も掛 け持ちすることが求められるが、その配 役が自然と決まると持続性が高まる。そ の役回りを決めるには、地域の困りごと や、地域の人々のスキル・興味が、多く の人と共有されている必要がある。仕事 としているような際立ったスキルだけで なく、趣味や意外な経験から築いたスキ ルを知る有効的な手段が、 「会話」である。 改まった場所でというよりも、日常の中 のいろいろなタイミング・状況で、いろ いろな内容の会話が行われることで、多 くのスキルが共有されていく。 頻度の高いコミュニケーションで、共通 の興味を見つけたり、ノリの合う仲間を 発見できたりする会話の機会を増やすに は、顔を合わせる場所、会話しやすい場 所があると良い。そうした場所が、地域 に根を張った活動の拠点となる。 ձ࿩͕ੜ·ΕΔ৔ॴΛͭ͘Δ ʮձ࿩ͷੜ·ΕΔ৔ॴʯ ͷಛੑ ʮ୭͕͍ͯɺ ԿΛ͠ ͍ͯΔͷ͔ʯ ͕֎͔ΒΑ ͘ݟ͑Δ ୭Ͱ΋ग़ೖΓ ͠ ͯΑ ͘ɺ ग़ೖΓ ͠΍͍͢ ೔ৗੜ׆ʹ༹͚ࠐΈɺ ۙ͘ ʹߦ͘ ͜ͱ͕ଟ͍৔ॴʹ͋Δ 078 079 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  32. ͍ͪΧϑΣ 朝市通りに面する古い建物をリノベーションした、あたたかな雰囲気のカフェ。 2階のイベントスペースではワークショップが開かれることもあり、若い人から お年寄りまで集まる交流の場所となっている。 ܠ৭٤஡ࣨ 小浜の中心にあるお洒落なカフェ。全面ガラス張りで、遠くからでも店内の様子 がよくわかる。そのため「近くまで来たから立ち寄った」 「中に人がいたから話 しかけた」などのコミュニケーションが生まれやすい。 ޒ৓໨ேࢢ

    毎月2、5、7、0のつく日の午前中に朝市通りで開かれる。地元の人も観光客 もやってくる。決まった時間に決まった場所で開催することによって、人の密度 が小さい地域でも、人との遭遇率を上げて、会話が生まれる場所になる。 ΞʔϧαϯΫ ϑΝ ϛʔϢ 地元食材を使ったアイスソルベ専門店。店主の松尾利博さんがいるカウンターの 横に窓がある。入口から入ってくる人よりも、窓から声をかけるお客さんが多い 印象。通りかかった知人が声かけしやすい造りになっている。 খ඿ொ খ඿ொ ޒ৓໨ொ ޒ৓໨ொ 080 081 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  33. 何かをやってみるとき、やる場所がない、 相談できる人がいない、一緒にやる人が いない、が最初の障壁になることは多い。 いつ行ってもいい場所、いつ行っても誰 かいる場所があると、新しいことを始め るハードルは下がる。 空き地や空き家を活用したり、廃校や元 商店を利用するのも、個人宅の広いお庭 の一角でも、場所の種類はなんでもよく、 自由に使えることが約束された場所があ

    るとよい。何かやりたい人が、とりあえ ず話せる、相談できる場所があると、企 んだり、実行したりがしやすくなる。そ して、そうした「企み」が多く、地域の 人々で共有されていると、町の不具合が 改善されることや、町のお楽しみが増え ることが多くなり、町の豊かさが高めら れる。 地域の人たちの中で生まれる 「何かをやっ てみよう」 。 それは課題を解決したり、 何かを改善した りするだけではなく、今あるものを大き く変える可能性も秘め、地域を停滞させ ず前に押し進める力になる。 「面白そう」 「やってみるといいかも」という、思いつ きをエンジンに動き出した活動は、 仲間を 惹きつけ、“試み” というよりも、“企み” と表現した方がしっくりくる活動となる。 lاΈzͷ৔ॴΛͭ͘Δ ʮاΈͷ৔ॴʯ ͷಛੑ ࢓ֻ͚2 ஥ؒΛืΕΔɺ ஥ؒͰू͑Δ ҡ࣋අ͕͍҆ ࢖͏ਓ͕ɺ खΛೖΕΔ͜ͱ Λڐ͞Ε͍ͯΔ 082 083 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  34. ͨͩͷ͋ͦͼ৔ ΰδϣʔϝ まちの遊休不動産を地元住民がリノベーションして、地域の誰もが「ただで」遊 びに来れる自由空間としてゆるく運営している。子どもも大人も誰でも使えるこ の場所では、時には一緒に遊んだり、時には相談してみたり。何かが生まれる きっかけになっている。 Obama Street ちょっとした企みを胸に秘めた町の有志が集う場所。そこに行けば誰かに会える、 誰かと企みを話せる、誰かに後押ししてもらえる、誰かの企みに乗っかれる。そ

    んな交流が日常的に生まれている場所。 BABAME BASEͷ Φϑ Ο εεϖʔε 月2万円程度の安い賃料でオフィスを構えられるシェアオフィス。周りに起 業家の多い場所で事業準備ができる、五城目の出島的存在になっている。こ こ発信の新しい取り組みが増えたことで、チャレンジへのハードルが下がっ ている。 מਫ҇ 築80年の古民家を3年がかりで改装したカフェ&デザインショップ。デザイン の力で観光と生活とをつなぐ拠点になっている。コーヒーを飲みにくる地元住民 だけでなく、全国のクリエイターがデザインマインドに触れるべく訪問する。 খ඿ொ খ඿ொ ޒ৓໨ொ ޒ৓໨ொ 084 085 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  35. 自然資源や、施設、設備など、地域の誰 もが使える共有資産が多く、その恩恵を 手軽に受けられると、暮らしの豊かさは 向上する。 湧水や作物のような食を支えるものだっ たり、足湯や公共施設のような場所だっ たり、傘や自転車のような道具だったり と、共有物にもいろいろあるが、こうし たものを手軽に使えることで、利用する 人たちの生活コストが下がり、生きるこ

    との不安材料が減る。誰にとっても、生 活を支えてくれるライフラインがあるこ との安心感は、大きな豊かさにつながる。 何か新しいことにチャレンジする人にとっ てはなおさらだ。新しい事業を立ち上げ ると、軌道に乗せるまでは現金資本が心 もとないのが現実である。そのため、暮 らしていけるだけのある程度のお金がな いと、新たにチャレンジするのが難しい。 そんな中で、共有物が生活を支えてくれ ると、少ない資本であっても、新しい企 みを試してみやすくなる。 ஍ҬͷΈΜͳ͕࢖͑Δڞ༗෺Λͭ͘Δ ʮ஍ҬͷΈΜͳ͕࢖͑Δڞ༗ࢿ࢈ʯ ͷಛੑ ࢓ֻ͚3 ஍Ҭͷਓ͕ɺ ؅ཧ ɾ ӡӦ͠ ͍ͯΔ ஍Ҭͷਓ͕ɺ खܰʹ҆ՁͰԸܙΛड͚ΒΕΔ ద੾ʹख͕ೖΔ͜ͱͰ॥؀ ɾ ܧଓ͠ ͍ͯΔ 086 087 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  36. ৿ࢁͷܙΈ 地域のシンボルでもある森山は、昔から林業が盛んでもあった。木材は地域の産 業を支え、肥沃な土壌は農作物を育て、森山の恵みが暮らしの礎になっている。 105ˆͷԹઘͱ ৠؾৠ͠ 湧き出た温泉は小浜の町を通り、海に流れ出る。その蒸気を利用した無料の蒸気 蒸し釜は、食材さえあれば観光客でも誰でも利用できる。温泉を利用した共同浴 場は150円で利用でき、老若男女の日常を支えている。 ੅ΜͩਫͷܙΈ 長い年月を経て大地に濾過され、森山から湧き出た地下水が、五城目の米を育て、

    美味しい酒を造る。ヤマメなどの川魚がたくさんすむ馬場目川上流は、週末だけ でなく仕事の合間でも少し足を延ばせば渓流釣りが楽しめる場所。 ۭ͖஍೶Ԃ 町の中に点々と存在する使われていない空き地。使いたい人が所有者の許可を得 て借り受けて、ちょっとした農園として使っている。収穫された作物は、住民の 間でお裾分けされたり、物々交換されたり。地元の恵みが日々の食卓に並ぶ。 খ඿ொ খ඿ொ ޒ৓໨ொ ޒ৓໨ொ 088 089 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  37. 古くから人が住み、 暮らし続けてきた地域 には、気候条件や地域の特色に合った歴 史と文化がある。こうして伝承されてき た文化を、今、担っているのが自分たち であり、何百年も前からの先人の営みの 先に自分たちの生活があると思うと、土 地に対して敬意が湧く。日常生活の中で、 脈々と受け継がれてきた歴史を感じるこ とは、豊かさにつながる。

    地域ならではの魅力とは、 長い年月をかけ て地域の風土に寄り添って形成されてい くものである。地域に古くから伝わる風 習をただ引き継ぐだけでなく、今の視点 や生活に合わせて手を加えて、育み、発 展していくことで、新たな歴史が紡がれ て、町が更新していく。こうした営みから、 この地域にしか存在しない味わいが生み 出される。それは、真新しいものを良い とする価値観が主軸にある、都会ではな かなか見つけられないものだったりする。 時が育んだ地域ならではの魅力は、 地域で 暮らす人々の誇りと愛着を生み、こうし た気持ちで管理運営がされる地域は、ま すます豊かさを増していくのである。 ྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͙΋ͷΛͭ͘Δ ʮྺ࢙͔ΒҾ͖ܧ͍ͩ΋ͷʯ ͷಛੑ ࢓ֻ͚4 ஍Ҭͷྺ࢙ʹ͍͍ࠜͮͯΔ ஍ҬͷࢿݯͰ࡞ΒΕ͍ͯΔ ஍Ҭͷؾީ؀ڥʹ߹ͬ ͍ͯΔ 090 091 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  38. SHARE VILLAGE ொଜ 間取りは8LDK。取り壊し予定だった築140年の茅葺屋根の古民家。その古民家を改 装し、家を “村” に、来訪者を “村民” に見立てコミュニティーを立ち上げた。み んなのイメージする「何処にでもありそうで何処にもない田舎」を提供している。

    Թઘ֗ 小浜は『肥前国風土記』 (713年)にも記されている古湯で1900年代から湯治場 として利用される温泉地。放熱量(湧出量×湯温)は日本一を誇る。その温泉を 生かした地熱発電が2013年から稼働している。 ேࢢͱேࢢplus+ 室町時代から約500年以上も続く「五城目朝市」 。その形態を残しながら、新たに朝 市の未来を拓く場として2015年から開催している「ごじょうめ朝市plus+」 。歴史あ る街の中で、新旧2つの朝市が開かれることによって、新たな歴史が紡がれている。 ݹ͍ಓ͕࢒Δ ॅ୐֗ 坂の多い街並みや、車が通れない細い道。利便性だけで考えたら不便かもしれな いが、それらを残しつつ、昔からある家屋に手を入れてできあがった町の景観が、 その地域にしかない、その地域の暮らしを生み出している。 খ඿ொ খ඿ொ ޒ৓໨ொ ޒ৓໨ொ 092 093 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  39. 地方の人が都会に憧れるところがあるよ うに、都会の人も地方に憧れる。畑と食 卓の近さだったり、釣りをすることだっ たり、自然資源に関わる営みや、地産の ものを消費したりすることであったりす る。大地の恩恵を受けたり、 地域の人々の スキルを活かして「ここでしかできない こと、ここだからできること」として実 現することは、資源がない都会では難し

    い。都会ではできないことを、身近なも の・日常のものとして実現できることが、 地域で暮らすことに特別感を生み、都会 人の憧れの存在になる。 こうした都会人の憧れは、地域から見る と当たり前すぎてそれが特別なことだと 気づくのは難しい。だからこそ、地域を 客観的に見られる、移住者やUターンの 目線が重要になる。 「地域の視点」と「都 会の視点」を併せ持った移住者やUター ンの目線を通して掘り出されたもの、そ の価値を言語化したものが、 「都会人の憧 れ」になりうる可能性を秘めている。 都会の人たちが憧れ、求め、来訪し、賛 美することで、地域に住む人たちだけで は気がつかなかった土地の魅力を、再発 見・再認識し、自分たちの町に誇りを抱 くようになる。すると、地域に暮らして いることの豊かさに気がつくのである。 ౎ձਓͷಌΕΛͭ͘Δ ʮ౎ձਓͷಌΕʯ ͷಛੑ ࢓ֻ͚5 قઅɺ ෩౔΍ɺ ࣗવͱͷؔΘΓΛײ͡ΒΕΔ ਓͷखΛհͨ͠࢓ࣄ͕ײ͡ΒΕΔ ޮ཰ॏࢹͰ͸ͳ͍ɺ ਓͱͷͭͳ͕ΓΛײ͡ΒΕΔ 094 095 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  40. Լ༦ொৢࣨ͠ HIKOBE 1688年創業の五城目の酒蔵・福禄寿酒造。そこに隣接して建てられた、福禄寿 酒造の日本酒と五城目の風土を味わうことができる交流型カフェ。洗練された店 内は、朝市や森山の眺望などの観光情報を求めて訪れる観光客と、コーヒーを飲 みにくる地元の方で賑わう。 λωτ 雲仙市千々石町にある、オーガニック野菜専門の直売所。近隣の多品種・小規模 な農家さんが育てた新鮮な無農薬・無化学肥料の農産物が店内に並ぶ。生産者に 近い直売所は、きっと都会ではできない。美味しい野菜を求め、遠方からもお客

    さんがやってくる。 ࡾԹ༼ 五城目町で開窯して約40年になる三温窯。一貫して自らの手仕事にこだわり、五 城目の土地で掘り出した粘土を使い、地元の植物から釉薬を作り、陶芸家自ら 作った登り窯で器を焼く。時間をかけてできあがった器は、素朴で毎日使っても 飽きない美しさをまとう。 ాத઱ڕళ 一見どこの街にでもありそうな魚屋さん。一歩足を踏み入れると、たくさんの新 鮮な魚介類で溢れ返っている。近海の橘湾で取れた魚介類のみを取り扱っている のがこの店の自慢。四季折々、その時しか捕れない旬の海の幸は、都会にはない 豊かさを感じさせる。 খ඿ொ খ඿ொ ޒ৓໨ொ ޒ৓໨ொ 096 097 PART 2 ᴹ๛͔ͳொͷ࢓ֻ͚
  41. かつては賑わったバスターミナルがあっ たが、人口が減り、利用者も減ってき たので、規模を縮小することになった。 町の中心部にありアクセスの良い場所だ けに、 空いた部分を地域で活用できない かと町の住民で話し合い、 待合室として 使われていた1階の部分を、ポップアッ プストアとして活用することにした。

    ポップアップストアは、企画を申し込 んで採用されれば、誰でも使用できる。 使用期間も短く選べるため、本業とし てやるにはまだ自信のないビジネスを 始めてみる場所、毎日はできないけれ ど継続して行いたいこと、イベント的 に行いたいことなど、地域のみんなの 企みの場所として使われる。 たとえば、 体力的に毎日仕事をするのが 辛くなって長年営んだ小料理屋を閉店 したおばあちゃんが、期間限定のお弁 当屋さんを開いて、久しぶりにお客さ んの顔を見たり、社会との接点を持つ ことによって、張り合いが出たりする。 地元のパン屋さんが、1日だけケーキ を振る舞う喫茶店を開いて、お店の新 しい方向性を探ったり、新メニューを 試したりする場所として使ってみる。 酒屋さんが、 おすすめのお酒を試し飲み できる立ち飲み屋さんをイベント的に開 催し、新しいお客さんの開拓や、地元の お酒の美味しさをみんなで共有し楽しむ。 土曜日には、 近隣の農家さんが直売マー ケットを開いて、こだわりの生産物を 希望価格で販売し、こだわりを理解し てくれるお客さんに出会ったり、野菜 を通じた新たなコミュニケーションが 生まれたりする。 など、ハードルの低い試みの場所とし て事業者を支援するだけでなく、地域 内で新たなつながりを作ったり、情報 やアイデアが交換される場所、町に変 化を生み出す場所として、寂れた雰囲 気が出ていたバスターミナルに再び賑 わいを取り戻すことができた。 地域の人が集まるようになってくると、 バスでのアクセスの良さから、近隣の地 域から人が来ることも増えた。地域の名 所となり、 訪問者が立ち寄ることも多い。 多種多様なイベントで住民が頻繁に集 まることによって、より多くの会話が生 まれ、それぞれの特技が共有されたり、 悩みを共有したりして、新しい企みがこ こから生まれることもある。こうして町 の人々がつながり、新しいことを試すこ と、 それを後押しする文化が広がってい くことで、町の豊かさが向上していく。 SCENARIO 1 اΈϙοϓΞοϓ 100 101 PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
  42. 地域の農家さんも高齢化が進み、 人手の 足りなさから、畑を放棄したり、縮小し たりする人も増えてきた。使われなく なった畑は、コミュニティー農園として、 地域住民の共有のものとした。農地は 小さく区切られて「町民農園」として 地域の人に貸し出されることになった。 これまで農業に関わっていなかった人 も、小さな区画を借りることで、農業

    を始めてみることができるようになっ た。農地には共用農具庫があり、一般 的な農具を借りて使うこともできたし、 複数の農地契約者の意見が集まれば、 希 望の機械を共同購入することもできた。 そうして、耕作のハードルを下げるこ とで、それぞれの区画で、自家用のお 野菜を育てたい、無農薬栽培をやりた い、土地の歴史をひもといて在来の作 物を育てたいなどの想いを持った、複 業としての農家が多く生まれてきた。 農業の難しさは、 作物の育て方だけでな く、売り方にもある。自治体では、どん な売り先・売り方をするとこだわりを 買ってくれる人とつながれるのかの相談 ができたり、 区画での農地運営から卒業 して事業として展開することを相談でき る窓口がある。そこで、有識者と一緒に 事業計画を立てられたり、 地域内外の専 門家や、 同じ目標を持っている人たちと 情報交換したり、 都市部の売り先とつな がったりできるようになった。そして、 趣味の農園から持続可能なビジネスとし ての農業へ発展させることができる人も 生まれた。こうした経験からの知見が地 域内でも共有されることで、 農地を借り たい人も増え、 耕作放棄地の活用が増え てきたのも、町の活性化へとつながった。 大きな収益を上げるというよりも、自分 の想いを込めて作ったものを、自分が 思う価格で販売し、それを買ってくれ る人とつながる。小規模農園を複業と して楽しむという選択肢が、町での暮 らしの豊かさを向上させてくれている。 ொຽ೶Ԃ SCENARIO 2 102 103 PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
  43. 過疎が進んだこの地域では、 市営バスの 撤退が決まり、住民の移動のサポート として、自動運転のタクシーが導入さ れた。地域の住民なら、誰でも格安で、 アプリからタクシーを呼ぶことができる。 どうしても忙しい日に親御さんが子ども のお迎えに利用したり、 飲み会の行き帰 りに安心して利用できたり、

    お年寄りが 「歩くとちょっと大変な、坂の上の友達 の家に遊びにいく」ということが気軽に できるようになった。また、タクシー の経路や目的地によっては、乗合とし て対応されることもある。 自動運転タクシーの運営を始めると、 特 に高齢者には、 乗合の人気が高いことが わかった。普段、社会との接点や、会 話の機会が少ない人には、乗合の移動 時間がおしゃべりを楽しめる大切な時 間となっているようだ。 そこで、病院やスーパーマーケットなど の日常的によく行く行き先は、 巡回ルー トとして乗合で対応するようにした。乗 車時間は長くなるが、巡回で普段通ら ないみちの景色を眺めたり、乗り合わ せた友達と長くお喋りができたりして、 時間にゆとりのある方には、 好意的に受 け止めてもらえることが多かった。巡回 ルートを導入してから、友達と誘い合 わせて買い出しに行く高齢者も増えて きた。これまで以上に地域の人との接 点が増えて、生活に張り合いがでたり、 友達と会うために身だしなみを整えた りすることで、イキイキする人も多い。 このサービスを開始してから、外出す る住民が増えた。車を運転できない人 たちも、自分で移動できることで、行 動範囲が広がった。一人で暮らす高齢 者の方々の暮らしも、みんなで見守り、 何か異変があったらすぐ気がつくこと ができる安心感もある。一見、効率化 が目的と思える移動の自動化も、人手 がかからないからこその、かかる時間 の長さも、サービスを利用する時間帯 も気にしない、ゆったりとした運用で、 地域の人々のつながりに貢献している。 ࣗಈӡసλΫγʔ SCENARIO 3 104 105 PART3 ᴹΈΒ͍ͷ๛͔ͳொγφϦΦ
  44. 地域創生の事例を見て時々感じる違和感は、 移住などの人 を呼んで人口を増やしたい、関係人口を増やして資金の 流れを作りたい、など、外の人々に希望を託すようなこ とに目が向きすぎているように見えていたからだと思う。 移住者を呼び込むにも、地域と関係を持ちたいと思われ るにも、まずは、地域が魅力的であることが最初の一歩 であるべきだ。地域の人々が「楽しそう」だったり「幸 せそう」であることが、どんな施設、仕組みや制度より も、外の人を惹きつける。

    今回のフィールドワークで訪問した2拠点には、東京在住 の私たちの日常にはない、大きく分けて2つの「豊かさ 資源」があった。1つ目は、自然資源である。湧き上が る温泉、簡単にできる釣り、収穫量の多い家庭菜園、お 裾分け文化、土地が余っている故の安い家賃、など、お 金を追い求めなくても、自然資源が与えてくれる、生活 のセーフティーネットがあった。 2つ目の「豊かさ資源」は、強いコミュニティーである。 日常的に関わりを持ち、大きな家族のようなつながりを 持っているようにも見えた。地域の子どもの面倒をみん なで見る、収穫物を分ける、それぞれの得意分野を活か し協力する、など、カジュアルに支え合うのは当然だと 感じ合っているような関係性があるように見えた。そし て、町のみんなで、何かをやってみることで、自分たち の場所を良くしていけることに実感を持っていた。それ ๛͔ͳொͷ͸͡Ί͔ͨ PART 4 106 107 PART 4 ᴹ๛͔ͳொͷ͸͡Ί͔ͨ
  45. 故の、何かをやりたい時に仲間を探し出せる自信があり、 何かをやりたい人を支える意志があった。 こうした、たくさんお金がなくても暮らせること、信頼 のおけるご近所さんに囲まれていることが、地域の人の 日々の楽しさを生み出していて、それが「豊かさ」の根 源になっているように見えた。 私たちのような訪問者にも寛容で、その楽しさを見せて くれた。そうすることで、外から来た人たちが、 「楽しそ うだから参加したい」と考え、移住を検討したり、関係

    人口的なつながり方を模索したりすることにつながる。 つまりは、豊かな町を作ることが、地域創生の第一歩な のである。 自然資源による豊かさは、人が作り出せるものではないが、 強いコミュニティー作りは、人の力で変えていくことがで きる。今回のフィールドワークで見つけた、 「豊かな町の 仕掛け」は、コミュニティーによる「豊かさ」を醸成する ために、人が始められることなのではないかと思っている。 言葉だけで説明するのは難しいところも多い。機会があ れば、ぜひ、長崎県雲仙市小浜町、秋田県南秋田郡五城 目町に足を運んでいただきたい。イキイキと暮らす町の 人々から「豊かさ」を感じてもらえると、本書で語って いる内容が、より実感を持ってご理解いただけると思う。 108 109 PART 4 ᴹ๛͔ͳொͷ͸͡Ί͔ͨ
  46. ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘ খ඿ொฤ 私たちが小浜町へ行ったのは、2022年6月。 梅雨らしい、変わりやすいお天気の中、見 ても変わらない天気予報を何度も確認しな がら、早朝の羽田空港から長崎県へ向かう。 長崎空港に到着し、車が運転できない私た ちはタクシーに乗り込み、小浜方面に向か う。車の中で、 地元出身の運転手さんに、

    長 崎の歴史の手ほどきを受けながら、車窓に 流れる国道の風景を眺める。農地が目立っ てきた頃、お昼ごはん処として目をつけて いた、最初の目的地であるタネトさんに到 着した。 タネトさんは小浜町の隣町、雲仙市千々石 町にある “オーガニック専門直売所” で、日 本の有機農業を支えつなげる場として、 在来 種野菜を守り継ぐ拠点として、オーガニッ クベースの奥津さんが経営されている素敵 なお店だ。地元で採れた新鮮な季節の野菜 PART 5 111 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘ 110
  47. が新聞紙で作った箱に入って陳列され、作 家さんによる器が置かれ、お店の奥にはち ぢわ書店という古本コーナーもある。千々 石町がぎゅっと詰まったような印象のある、 良質で正直な商品が並ぶ、楽しい場所だ。 お店の一角にあるイートインのコーナーに 座り、ランチにすることに。メニューは、 40年無農薬栽培を続けている岩崎さんの育 てるオーガニック野菜のかきあげ丼定食か、 獣害対策で捕らえた鹿や猪を高い技術でさ

    ばく代々さんからのお肉を使ったジビエ丼 定食の2種類。生産者の名前がわかるだけ でなく、生産者が近い。素材の美味しさを 満喫できる最高の丼定食で、良い旅の始ま りを感じた。 昔、 鉄道が走っていた痕跡を眺めながら、 緑 のトンネルを抜けると小浜町に着く。まず、 景色喫茶室に立ち寄り、湧水で淹れたコー ヒーでひと休みするのがおすすめ。喫茶室 の古庄さんは、地元でデザイナーをされて 近くには、草木染めのアイアカネ工房があ る。庭で育てた藍や綿、工房周辺の豊かな 自然からの恵みを使った作品が並ぶ。染め るだけでなく 「食べる藍」 や、種を配って育 ててもらったオーガニックの綿を実用品に する「環り綿」など、ユニークなプロジェ クトや商品がとても興味深い。 温泉街を散策し、明治初期から作られてい る銘菓 「湯せんぺい」 を味見してもよし、 地 元のおじいちゃんたちと一緒に日本一長い 全長105メートルの足湯に入るのもよし、 防 波堤を散歩するのも、ORANGE GELATOで 小浜塩ミルクジェラートを食べるのも、夕 いる、小浜住民。小浜で見たいところ、や りたいことを相談すれば、小浜を完璧に楽 しむご提案をいただけるはず。喫茶室に置 いてある『OBAMA MEETUP GUIDE』を手 にすれば、さらに濃厚な小浜体験ができる。 景色喫茶室を出て、路地裏でボコボコと音 を立てながら自然湧出する炭酸泉・刈水鉱 泉を通り過ぎ、築80年の、大工の棟梁の元 屋敷を改装したショップ、刈水庵に向かう。 野良猫の多い細い路地を歩き、よく手入れ された家庭菜園を眺め、車の通れない坂道 を鶏の声を聴きながら上ったところに、 雰囲 気のあるその古民家がある。中には、小浜 出身でイタリアからUターンして活動されて いた城谷さんがデザインした小物や、味わ いのある生活雑貨が並ぶ。2階の喫茶から 眺める瓦屋根越しの海の景色が素晴らしい。 日の広場で景観を楽しむのも、温泉地らし い楽しみ方。小浜の町は、端から端まで歩 いても、20分程度。歩いているからこそ、 お店にふらっと入ったり、地元の方と遭遇 したり、わざと細い路地に入ってみたりと、 散策の楽しさがある。 車の窓からでも、小浜の街並みがと橘湾が一望できる 小麦粉と砂糖と卵と温泉水を練って 焼き上げ、ほのかな甘さと香ばしさが ある小浜銘菓の「湯せんぺい」 ◦◦◦◦◎◦◦◦◦•◦◦◦◦◎◦◦◦◦•◦◦ ◦◦◎◦◦◦◦•◦◦◦◦◎◦◦◦◦•◦ 道がわからなくても、路地にある案内板を頼りに歩け ば、素敵な場所を巡ることができる 「炭酸泉」は温泉街の路地裏にある広場でひっそりと 湧き出ている খ඿ͷಛ௃ 海沿いに広がる小浜温泉は、 端から端まで真っ直 ぐ歩くと20分程度とコンパクト。それゆえ、ぶ らぶら歩き、気になるスポットで立ち止まるの が楽しいところ。歩いて移動するからこそ、地 元の人同士の遭遇率が高いのも特徴。 ୺͔Β୺·Ͱెา20෼ 坂の多い街並みや、車が通れない細い道。利便 性だけで考えたら不便かもしれないが、それら を残しつつ、昔からある家屋に手を入れてでき あがった町の景観が、その地域にしかないその 地域の暮らしを生み出している。 ݹ͍ಓ͕࢒Δॅ୐֗ খ඿ͷಛ௃ 小浜は『肥前国風土記』 (713年)にも記されて いる古湯で1900年代から湯治場として利用され ている温泉地。放熱量(湧出量×湯温)は日本 一を誇る。その温泉を活かした地熱発電が2013 年から稼働している。 ੲͳ͕ΒͷԹઘ֗ 112 113
  48. 明るいうちにやっておきたいことのひとつ に、食材の調達がある。自分で調理できる、 105度の源泉を利用した温泉蒸し料理を楽 しむためだ。地元のスーパー大門やAコー プでの買い物も楽しいが、千々石のタネト さんの野菜、田中鮮魚店で地元の新鮮な魚 を入手できれば完璧。塩分を多く含む源泉 が、良い塩梅に味つけもしてくれて、素材 の美味しさを堪能できる。地元の老舗旅館 の伊勢屋さんオリジナルのポン酢や本多木

    蝋工業所さんのごま油を用意すれば、味変 も楽しめる。蒸気屋さんに宿泊していれば、 宿のキッチンも蒸気窯も使わせてもらえる。 小浜は温泉の湯量が多く、源泉の約7割は 海に流すほど。それもあって、町の温泉は どこでも、源泉掛け流し。他の温泉地では あまり見かけない、硫黄の香りでむせ返る 熱い源泉を利用した天然の蒸しサウナもあ り、 身体を芯から温めてくれる。豊かなお湯 でゆっくり温まった後は、R CINQ FAMILLE (アールサンクファミーユ)で、ポップなア イスソルベの種類の多さに悩むのも、焼き 菓子でひと休みするのも良い。 暗くなったら、町中に湧き上がる湯煙を眺 めて海沿いを散歩するのも心地いい。裏通 りのスナックのネオンが作る、昼間と違っ た町の夜の顔を楽しむのもまた面白い。一 杯飲みたくなったら、地元出身の獅子島さ んのバー、Lion Jに寄りたい。地元の人も、 観光客もやってくるこのお店で、地元食材 を使ったカクテルと、地元食材で臨機応変 に作ってくれる料理、獅子島さんのトーク で小浜を深く満喫できる。 訪問者も大らかに受け入れてくださる小浜 町の雰囲気に包まれて、 数日も過ごすと、 自 分の感じる時間の流れが小浜に馴染んでく る気がした。次回、訪問する時には、今回 は予約できなかった、東京からやってきた シェフ原川さんがタネトさんの野菜を料理 するレストランBEARDに行ってみたいな、 小浜内の浴場を梯子したいな、などと、や りたいことが湧き上がる。用事がなくても 行きたい、行ったら長めに滞在したい、そ んな小浜町だった。 「田中鮮魚店」の店先には、橘湾でその日獲れた新鮮 な魚介類が並ぶ 誰でも好きなものを持ち込んで、蒸したホカホカを味 わえる蒸し釜 ஍ݩ࢈ͷ৽઱ͳ ໺ࡊ΍ڕΛ ԹઘͰৠ͢ খ඿ͷಛ௃ 小浜温泉には約30カ所の源泉がある。湧き出た 温泉は小浜の町を通り、海に流れ出る。その蒸 気を利用した無料の蒸気蒸し釜は、食材さえあ れば誰でも利用可能。温泉を利用した公衆浴場 は150円で利用できる。 105ˆͷԹઘͱৠؾৠ͠ খ඿ͷಛ௃ 雲仙で種採り農家をされている岩崎政利さんが、 生命力溢れる野菜を栽培されている。 岩崎さんの取り組みに惚れ込み、 東京から移住し た奥津一家の営む、オーガニック直売所「タネ ト」がある。岩崎さんのお野菜に圧倒され、原 川シェフが移住して、小浜にレストランを開い た。予約の取れない人気店だ。 農家さん、八百屋さん、シェフ、料理人、バー テンダー、パティシエがそれぞれ地産の恵みを 料理する。地域で一緒にイベントをやったりと、 食のコミュニティーが熱いのも小浜の特徴にみ える。 ৯ͷίϛϡχςΟʔ 114 115 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
  49. খ඿ொݟͲ͜Ζ מਫ҇ 築80年の古民家を3年がかりで改装したカ フェ&デザインショップ。デザインの力で観 光や生活とつなぐ拠点になっている。コー ヒーを飲みにくる地元住民だけでなく、全国 のクリエイターがデザインマインドに触れる べく訪問する。 刈水地区全体を会場として、 全国から手作り

    のもの、こだわりの食、ワークショップなど が集まる刈水デザインマーケットや、刈水デ ザインキャンプなどのイベントも多数主催し ている。 BEARD 「野菜が美味しい」 という理由でオーナーシェ フが始めた、野菜が主役のレストラン。雲仙 の在来野菜と小浜の温泉を使った料理を求 める人が長崎県外、全国からもやってくる。 ༙ਫ 小浜の町を流れる湧水は、住民の生活を支え る。野菜を冷やしたり、洗い物に使われたり、 子どもたちの遊び場になったり。上の川湧水 は人々の交わるハブ的役割も持つ。 ాத઱ڕళ 近海の橘湾で取れた魚介類のみを取り扱って いる。安く新鮮なことから、地元の人たちだ けでなく、温泉蒸しの具材を探しにくる観光 客も訪れる。手作りカマボコも評判が高い。 ΞʔϧαϯΫϑΝ ϛʔϢ パティシエ松尾さんが作る、地元食材を使っ たアイスソルベ屋さんのR CINQ FAMILLE。 四 季の魅力を詰め込んだポップでカラフルなア イスソルベは人気が高い。訪れる季節を変え て、新しい味に出会うのが楽しみになる店だ。 ۭ͖஍೶Ԃ 町の中にある使われていない空き地は、住 民のちょっとした農園として使われている。 収穫された作物は住民の間でお裾分けされ、 日々の食卓に並ぶ。 ܠ৭٤஡ࣨ 小浜の中心にある、全面ガラス張りのお洒落 なカフェ。店主の古庄さんに小浜のことを教 えてもらうと街歩きの楽しさが倍増。 『OBAMA MEETUP GUIDE』を見れば小浜温 泉街の魅力的な人たちへのインタビューを読 むことができる。 1ɹ 4ɹ 5ɹ 6 7ɹ 2ɹ 3ɹ 118 119 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
  50. ޒ৓໨ொฤ 東京から秋田まで、 新幹線で一本。 蒸し暑い 7月の都会の車窓が、だんだん清々しさを 帯びた田園風景に変わっていくのを眺めな がら、4時間の長い乗車だからこそのゆっ たりとした時間を楽しみ、お昼くらいに秋 田駅に到着した。秋田駅で稲庭うどんをす すり、レンタカーに乗り込んで、五城目町

    に向かった。 車幅の広い道路を走っていくと、大きなイ オンに迎えられ、五城目周辺の町に入って いく。最初に訪問したのは佐藤木材容器さ ん。工房に併設する小さなショップを覗く と、漂う木の香りと、可愛らしい手仕事の オブジェに心を奪われた。代表の佐藤さん にお話を伺いながら、秋田杉を使ったオリ ジナルのお皿「KACOMI」の木目を念入り に拝見する。杉のお皿はサラッとした手触 りと、陶器の約1/5ほどと驚く軽さで、手に 取った瞬間から感動がある。 続いて、地元の窯元である「三温窯」さん へ。少し人里離れた工房には薪が積み上げ られ、手作りの登り窯の周りには釉薬用に 用意した地元の植物の灰が並んでいる。焼 きもの作りのすべてがここで完結するのだ 128 129 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
  51. という、 ものづくりの雰囲気が強く感じられ る場だ。おそらく、雪に覆われる冬の間も、 ここでひっそりと制作が続けられるのだろ うことを想起させられた。工房内のショッ プで、脱サラで陶芸家になられたという佐 藤さんのお話を伺った。釉薬の色、登り窯 独特の焼き味などを吟味しながら、心の通 じる器を探すのも心地よい。 こうした北国の工芸の素晴らしさも五城目

    の魅力ではあるが、五城目町を訪れた理由 円の他、ポコポコ通貨という独自の通貨が 使える。農作業を手伝った子どもたちがポ コポコでおやつを買えたり、地域の人同士 の「ありがとう」を可視化できている。こ うした、人と人をつなげる仕掛け作りをす る人が多いのも、五城目の特徴と言える。 五城目に行ったら立ち寄りたい場所は、や はり、 「朝市通り」だろう。室町時代から続 く朝市が、今でも定期的に開催されている。 近隣でとれた魚や野菜などが売られ、東京 では見かけないものもあったり、買い物を するといろいろなおまけをつけてくれたり は他にもある。地域資源を活用した起業に よる移住を支援することを目的とした、地 域に根差した起業・移住支援事業 “ドチャ ベン” が行われていたりと、地域発の事業 が多い。さっそく、こうした新規事業者の 拠点となる「五城目町地域活性化支援セン ター」 (愛称:BABAME BASE) という、秋田 県五城目町の廃校シェアオフィスへ向かっ た。教室改め事業支援室は19室あり、利用 料は2万円。新しいチャレンジに取り組む 多様な方が、 この建物を拠点としている。広 い廊下、大きな窓、交流を生みやすい開か れた建物の構造が、元・学校であることの 利点に見えた。 BABAME BASEの1階の元給食室だったとこ ろに、 「ポコポコキッチン」というカフェ がある。“食べること” を通じて交流でき るスペースとして運営されていて、固定メ ニューはなく、ポコポコファームで育てた 野菜や、ご近所からお裾分けしていただい たものなどを中心に日常食として提供して いる、ほっこりなカフェ。ここでは、日本 と、お店の方々との交流も楽しい。地元の おばちゃん同士の会話を盗み聞きしてみて も、方言が強くて、まったくわからないの も面白い。朝市通りには、大人も子どもも のびのびと遊べる、遊休不動産をリノベー ションして作った 「ただのあそび場ゴジョー メ」もある。その隣には、ゆったりとした 時間の流れる「いちカフェ」もある。少し 歩くと、一白水成という日本酒で有名な福 五城目の恵まれた自然の中に佇む 「三温窯」 さんの工房 「ポコポコキッチン」でいただいたカレーはポコポコファームで採れた野菜をふんだんに使って彩り豊か 廊下にある大きな窓から部屋の様子が見える 「BABAME BASE」 ࣨொ࣌୅΋ࠓ΋ɺ ொͷத৺͸ ʮேࢢ௨Γʯ 葉っぱの形をした ポコポコ通貨 ޒ৓໨ொᴷ஍Ҭͱͯ͠ͷಛ௃ɾ໘ന͞ 地域のシンボルである森山は、昔から林業が盛 んでもあった。木材は地域の産業を支え、肥沃 な土壌は農作物を育て、湧き出た水が、五城目 の米を育て、美味しい酒を造る。森山の恵みが 暮らしの礎になっている。 ๛͔ͳ৿ࢁͷܙΈ 2015年秋から、地域の暮らしを楽しみながらア ドベンチャーする人たちが、ともに学び、挑戦を 支え合うためのプログラム「ドチャベン」を実施 している。 自治体の支援もあり、起業しやすい仕組みを持つ。 ʮυνϟϕϯʯ = ౔ணϕϯνϟʔ ͕͋Δ ޒ৓໨ொᴷ஍Ҭͱͯ͠ͷಛ௃ɾ໘ന͞ 室町時代から続く朝市。 その形態は残しつつ、 新 たに朝市の未来を拓く場として開催されている、 ごじょうめ朝市plus+。 新旧2つの朝市が開かれることによって、新た な歴史が紡がれている。 ேࢢͱேࢢ plus+ 130 131 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
  52. 禄寿酒造さんが経営する、 「下タ町醸し室 HIKOBE」というカフェも。ここでは、日 本酒を仕込むのと同じ地下水を使ってコー ヒーを淹れたり、 麹を使ったデザートがあっ たりと、お酒が好きな人もお酒が飲めない 人も、五城目の日本酒を楽しむことができ る。 五城目の歴史については、朝市通りにある

    「小川古書店」の小川さんに、お話を聞いて みるのもいいけれど、 「五城目森林資料館」 に行くのもいい。山の上にある資料館から は、五城目一帯がよく見渡せる。森から来 る川が合流する地点に栄えた町であること が見て取れるし、資料館で説明されている 林業の発展コーナーも興味深い。 田 舎 ら し い 田 舎 を 体 験 し た い の な ら、 SHARE VILLAGE 町村を覗いてみるのもい い。茅葺屋根の古民家を、多くの人で維持 する仕組みを作り「村づくり」に見立て、 “年貢” という年会費を納めた” 村民” が 自分の第2・第3の故郷として里帰りでき る。築100年超えの貫禄ある古民家に宿泊 するのも、そこで家の仕事を手伝うのもい い。都会では味わえない五城目ならではの 自然との共存、共同生活の極意を感じさせ てくれる。 五城目町を車で走っていると、本当に田ん ぼが多い。そんな米どころで脈々と培われ ていた朝市のような文化と、新しさの溢れ る「ドチャベン」的新規事業が混じり合う 雰囲気が面白い。いろいろな新しい試みが 常にいろんな規模で起こっていて、仕掛け ている人たちのワクワクした笑顔が印象に 残る。雪に包まれる厳しい冬には、どんな 仕掛けをしているのかも見てみたい気がす る場所だった。 茅葺屋根の古民家の前に置かれた素敵な看板が 「SHARE VILLAGE町村」の目印 五城目の稲田 地域文化を発信する場所としても、町内外の老若男女 が自由に集う「下タ町醸し室HIKOBE」 ޒ৓໨ொᴷ஍Ҭͱͯ͠ͷಛ௃ɾ໘ന͞ 五城目町を流れる馬場目川上流にはヤマメやイ ワナがたくさんすんでいる。週末だけでなく、 仕 事の合間でもちょっと足を延ばせば森の中での 渓流釣りが楽しめる。 അ৔໨઒ͷܙΈ お米の生産量全国2位の秋田県にある五城目町 では、耕地面積の90%以上が水田である。車で 走っていても、車窓から見える田んぼが印象的 な町。 300年以上続く福禄寿酒造では地元のお米と湧 き水で、こだわりの日本酒を造っている。 ஍ञ΋ඒຯ͍͠ɺ ถͲ͜Ζ 132 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘ 133
  53. ޒ৓໨ொݟͲ͜Ζ SHARE VILLAGE ொଜ 取り壊し予定だった茅葺屋根の古民家を再 生したゲストハウス。間取りは8LDK。家を “村” に、来訪者を “村民” に見立て、みん

    なのイメージする「何処にでもありそうで 何処にもない田舎」を提供している。“年貢” (年会費)を納めれば誰でも宿泊できる。 ͨͩͷ͋ͦͼ৔ ΰδϣʔϝ 街の遊休不動産を地元の人々でリノベーショ ンして、 地域の誰もが 「ただで」 遊びに来れる 自由空間としてゆるく運営している。子ども も大人も誰でも使えるこの場所では、時には 一緒に遊んだり、時には相談してみたり。何 かが生まれるきっかけになっている。 BABAME BASE 五城目町地域活性化支援センターのこと。廃 校になった小学校校舎を活用したシェアオ フィス。複数あるオフィススペースの廊下に 面した壁はガラス張りで、廊下から中の様子 がよく見える。事業内容や作業風景が共有さ れることによって会話が生まれやすい。 ࡾԹ༼ 佐藤秀樹さんが立ち上げた窯元。五城目の土 地の土を使い、地元の植物の灰から釉薬を作 り、佐藤さん自ら作った登り窯で器を焼く。 工房内のショップでは、食器や茶器などを中 心に販売も行っている。自然釉ならではの一 つひとつ色の異なる器から、好みの色を発見 する楽しみも。 Լ༦ொৢࣨ͠ HIKOBE 福禄寿酒造の酒蔵に隣接する交流型カフェ。 朝市や森山の眺望などの観光情報を求めて訪 れる観光客とコーヒーを飲みにくる地元の方 で賑わう。 ϙίϙίΩονϯ 「BABAME BASE」の一角にある元給食室を 使った「食べること」を通じて交流できる紹 介制カフェ。ポコポコファームで育てた野菜 を中心に日常食にした “今週のまかない” が 週替わりである。 ޒ৓໨ேࢢ ʢேࢢ௨ΓͰ։࠵ʣ 毎月2、 5、 7、 0のつく日の午前中に開かれ る朝市。五城目町下タ町通り(通称:朝市通 り)に、地元の人も観光客もやってくる。決 まった時間に決まった場所で開催することに よって、人の密度が小さい地域でも、人との 遭遇率を上げて、会話が生まれる場所になる。 1ɹ 5ɹ 6 2ɹ 3ɹ 4ɹ 7 136 137 PART 5 ᴹ฻Β͠Λݟ͚ͭʹߦཱྀ͘
  54. 幸運にも、今年もデザインスタジオKOELとし て行う未来洞察型リサーチを行えることになっ た。2年目の今年は、地域創生を意識したテー マを選んだ。前年の「みらいのしごと」では、 人口減少・高齢化時代の「働き方」に目を向 けたので、今回は、人口減少・高齢化時代の 「暮らし方」を見てみたいと思った。 大量生産・大量消費をベースにしてきた社会 が限界を迎えている今、価値観が多様化して いることを、自分自身の暮らしの周辺で感じ

    ることも多い。 「豊かさ」の要素がお金的なも のと離れてきているという実感もある。この 変化がもっと進んだ先の社会では、どんなこ とが「豊かさ」として共通認識されるのだろ う、人々はどのような「豊かさ」を目指してい くのだろう。そんな漠然とした疑問を持って、 今回のリサーチに取り組んだところがある。 本リサーチのフィールドワークのタイトルを、 「生きるためのキャピタル」としていたのも、 そうした背景がある。 実際にフィールドに出てみると、 「豊かさ」と いうものが、 地域内での価値観だけに閉じてい るものではないことが見えた部分もある。 「地 域性」や「ご当地の」概念なども、考えてみ ると、外と比べてみて初めて見えてくる、他 地域との差分から生み出されていることも多 い。この差分である、地域ならではの特徴に 「豊かさ」を感じると、その土地がぐっと豊か に見えてくる。地域創生の営みに大事なとこ ろは、そうした視点を持つことや、豊かさを 帯びた特徴を、地域の人と一緒に見つけるこ と、それ自体にあるような気がした。 もうひとつ思うのは、豊かさ発見のミラクル が、必ずしも、場所に紐づいていないことであ る。よほど過酷な自然環境だったり僻地だっ たりしない限り、地域の人々と、自分自身の 人々との関わり方で享受できる豊かさは大き く変わってくる。場所そのものが、暮らしの 豊かさに直結しない実感は、移住を繰り返し た自分の人生の中でも実感する場面が多かっ た。どんな人たちと、何を体験するのか。そ れによって、暮らしの「豊かさ」は大きくす ることも小さくすることもできる。 「豊かさ」は時に、羨望を生む。価値観の多様 化が進んで、こうした羨ましさをお金の物差 しで測るものでなくなった今、人との距離感 が近い地域にこそ、地方にこそ、 「豊かさ」に おいて勝ち目があるように思う。 私たちが考えた「豊かな町のはじめかた」が、 この本を読んでくださった皆さまに、これか らの日本、これからの社会で、どのように幸 せを感じて生きていけるのか、を考えるきっ かけになると嬉しいです。 最後に、リサーチのまとめを二人三脚で走っ てくれた山本さん、ありがとうございました。 いつも視点を引っ張り上げてくれる、田村さ ん、市川さん、ありがとうございました。 ワークショップ時間外でも、 小浜と雲仙の素晴 らしさを余すところなく紹介してくれた、古 庄さんとのふれあいなしには、ここまで解像 度の高い地域の視点を得られなかったと思い ます。感謝の気持ちでいっぱいです。 フィールドワークの実施、その後のいろいろ でお世話になったチームメンバーの、細谷さ ん、廣瀬さん、阿部さん、ありがとうござい ました。 フィールドワークの実施は、今村さんのお陰 だと思っています。地理学という観点で現場 を見せてくれた児玉さん、現地の記録でもお 世話になった奕屏さん、あおいさん、ありが とうございました。 ビジョンデザインやリサーチの営みを支えてく ださる、KOELの福田さん、土岐さん、金さん はじめ、メンバーの皆さま、いつもありがと うございます。今年のプロジェクトにも、素 敵なビジュアルで花を添えてくれた小田中さ ん、稲生さん、ありがとうございました。 ワークショップに参加してくださった、九州大 学・長崎大学・高知大学・国際教養大学・秋 田公立美術大学の皆さまをはじめ、地域の魅 力を紹介しフィールドワークの運営にもご協 力いただいた、小浜の皆さま、このほしさん をはじめとする五城目の皆さま、ありがとう ございました。その他、ここに書き切れない ほどの多くの皆さまからご教示いただき、支 えられて、今年のリサーチをまとめることが できました。皆さまの支えに、心から感謝し ています。 2023年 田中 友美子 ͋ͱ͕͖ 148 149
  55. ڞ࠵ऀϓϩϑΟʔϧ ాଜ େᴹͨΉΒ ɾ ͻΖ͠ ాத ༑ඒࢠᴹͨͳ͔ ɾ ΏΈ͜ ࢢ઒

    จࢠᴹ͍͔ͪΘ ɾ ;Έ͜ ࢁຊ ݈ޗᴹ΍·΋ͱ ɾ ͚Μ͝ 神奈川県出身。株式会社リ・パブリック共同代表。 東京大学文学部心理学科卒業、同大学院学際情 報学府博士課程単位取得退学。1994年博報堂 に 入社。以降、デジタルメディアの研究・事業開 発等を経て、イノベーションラボに参加。同ラ ボ上席研究員を経て2013年に退職、 株式会社リ・ パブリックを設立。2009年、東京大学工学系研 究科の堀井秀之教授とともに、イノベーション リーダーを育成する学際教育プログラム・ 東京大 学i.school(アイ・スクール)を発足。2013 年 4月に、i.schoolエグゼクティブ・フェローに就 任。現在、九州大学と北陸先端科学技術大学院 大学にて客員教授を兼任。著書に『東大式 世界 を変えるイノベーションのつくりかた』 (2010, 早川書房)等、多数。 東京都出身。英国 ロイヤル・カレッジ・オブ・ アート インタラクション・デザイン科修了。ロ ンドンとサンフランシスコを拠点に、Hasbro、 Nokia、Sonyなどの企業でデバイス・サービス・ デジタルプロダクトのデザインに携わり、デザ インファーム Methodでデザイン戦略を経験し た後、NTTコミュニケーションズのデザイン部 門「KOEL」のHead of Experience Designとして、 愛される社会インフラをデザインしている。 広島県出身。株式会社リ・パブリック共同代 表。慶應義塾大学大学院修士課程修了。当時ま だ珍しかった人間中心デザインの職を求め、通 信系メーカーのノキアに入社。以後10年にわた り、世界80カ国をまたぐデザインリサーチを行 うなど、さまざまな製品やサービスの開発に従事。 2010年、博報堂イノベーションラボ研究員を経 て、2013年、株式会社リ・パブリックを創設。監 訳に『シリアルイノベーター〜非シリコンバレー 型イノベーションの流儀』 。2019年よりサーキュ ラーデザインカンパニーfog取締役を兼務。 宮崎県出身。筑波大学第三学群情報学類卒業。 2003年OA機器メーカーのリコーに入社。複数の 新規事業開発プロジェクトに携わり、 さまざまな 製品やサービスの開発に従事。ワークスペースや 工場、教育現場など多くのフィールドでリサー チを行う。ベンチャー企業でのUXデザイナーを 経て、2020年よりNTTコミュニケーションズの デザイン部門「KOEL」にデザインリサーチャー として参画。 150 151