2022/01/29 OSC OSAKA 2022資料 https://event.ospn.jp/osc2022-online-osaka/session/514336
1 / 20なぜ私が OpenStreetMap を描くようになったのかOpenStreetMap Foundation Japan 坂ノ下 勝幸Facebook: K.Sakanoshita Twitter: @K_Sakanoshita
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2 / 20自己紹介 - 坂ノ下 勝幸●主な所属コミュニティ・団体– OpenStreetMap Foundation Japan– 諸国・浪漫 /Code for OSAKA&Kusatsu&Harima●主な活動内容– オープンデータの充実( Wikipedia&OpenStreetMap )– オープンソース / データの活用(各種アプリ開発など)●目指していること– 地元の情報は、自分たちで発信する文化を作る– 現場こそ最強のツールとデータが使えるように
3 / 20今日は自分語りをしてみようかと●普段、あまり自分のことを中心に話すことはしません●ただ、いつもの OpenStreetMap 概要説明を中心としたものと少し違う個人的な視点の話があっても良いのかなと考えました●そこで、私自身の経験や説明することで、みなさんのきっかけとして頂けたらと思い、今回はあえて自分語りをしてみます●少し記憶が曖昧だったり忘れたこともありますが、OpenStreetMap を別の見方をする参考になれば幸いです
4 / 20OpenStreetMap ってご存知ですか?●知らない。 OSC でたまたま見つけたから冷やかしで見てる●名前ぐらいは知ってる。でも、何がなんだか分からない●そうそう、あれあれ。ウィキペディアの地図版でしょ?●知ってる。 GIS 使いな人が使うデータのことでしょ?●知ってる。地図を描くのが好きな人たちが、好きでやってる活動でしょ?
5 / 20OpenStreetMap とは…●と書くと、いつもの概要説明になるので止めておく●私が「 OpenStreetMap 」の単語をを知ったのは、2010 年の冬あたり●LILO と言う Linux ユーザー会で紹介されました– https://lilo.linux.or.jp/●「ふーん。 GPS を使って地図を描いていくのかー」と興味を持つ●当時、 GPS の機械(今ならスマホ一択)を持ってなかったので、敷居が高いと感じたこと、そして本当に「地図が真っ白」なことに怖気づいて、アカウントを作った程度で一旦終了– https://hdyc.neis-one.org/?K_Sakanoshita– ↑ を見ると、 2010/12/30 にアカウント作成をしている
6 / 202011 年~ 2014 年まで●一切全くマッピングせず(というか、存在を忘れてた)●職場が変わった(転職じゃ無く、社内で役割が変化した)ことで、新プロジェクトの立ち上げや立て直し、各種支援・指導で忙しく、コミュニティ活動といえば、 LILO や KOF 辺りが主なものだった– 後は LibreOffice 程度。あ、大航海時代 Online やってた!●2014 年 12 月に京都でオープンデータソンがあると紹介されたので、ウィキペディアを書いてみようと申し込む– オープンデータソンとは、オープンデータを 2 種類以上作る活動名に良く使われる– Wikipedia と OpenStreetMap ( OSM )の組み合わせが多い
7 / 202014 年~ 2015 年●京都のオープンデータソンではパソコンを持ってくるのを忘れた– 貧弱なスマホで Wikipedia を編集しようと試みる始末– その場でパソコンを借りて軽く編集してイベント終了●Wikipedia の編集は楽しく&学びがあったが、同時開催していたOpenStreetMap ( OSM )は関われなかった(そもそも選択制)– 次は 2015 年 2 月。 OSM と Wikipedia のどちらで参加したかは正直忘れた。多分、 OSM だった気がする(曖昧)– その後、その主催団体の運営に関わるが、同じタイミングで、OSM 講師のマッパーは、独自活動を開始することになる(色々あった)
8 / 202015 年に驚いた●2010 年の地図と比べて見ると非常に地図が進化して驚いた●そして、 2010 年~ 2015 年でマッピングした方たちの努力と比べて、何もしなかった自分を恥じるような気持ちになった– 恥じる理由はないんだけど●そして、 2015 年にはスマホのGPS で現在位置を取得するのが当たり前になっていた– 「マッピングが出来る環境になったやん」と思ったhttp://openstreetmap.blogspot.com/2021/12/blog-post.html
9 / 20マッピングパーティが毎月開催される●2015 年 3 月から京都で毎月マッピングパーティが開かれる– マッピングパーティとは、何人かで集まって神社などの地図に描けるものが多い場所へ行き、現地調査を行って得た情報を地図に描いていくイベント&懇親会のこと– 自宅は京都よりの大阪なので、だいたい毎回参加していた●正直、毎月参加のペースでも、マッピングはイベントの時のみ– 家に帰ってマッピングするだけのやる気までは無かった– 流石に毎月開催なので、描き方を忘れることは無かった– 忘れないことでスキルが蓄積され、底上げになったと思う– 最終的に、京都では 2016 年 8 月まで定期開催されている
10 / 20最初は単純に楽しかった●正直、 OpenStreetMap そのものより、コミュニティに参加してその中で活動し、その成果を称え合うこと自体が楽しかった– 知らない場所(主に寺社仏閣)の現地調査も楽しかった– マッピング毎に新しい知識( OSM に限らず)を得られる●2016 年 8 月に State of The Map Japan (シンポジウム)が開催され、関西メンバーが参加して発表するのも楽しかった– 日本中から集まった初めての方たち、全く知らない領域の話– 何より、たくさんのマッパーが周囲にいることへの驚き
11 / 20色んな知識を得ていくうちに…●コミュニティが楽しくて参加していたが、知識を得ていく内にOpenStreetMap が様々なことに役立っていることを知っていく– 防災・防犯、 Wikipedia での利用、ゲームでの利用など– ただし、日本国内ではまだまだ事例が少ないことも知る●同時に OpenStreetMap 単体では難しいことがあると気づく– 地図が色んなことの役に立つとしても、そんな地図を作るにはGIS を学ぶ必要がある(誰でも出来るほど簡単では無い)●そして、そもそも OpenStreetMap は「地図を描く」だけで無く、「みんなで共有する」ことも主たる目的の活動であることを知る– みんなで共有するために、地図を描いているとも言える
12 / 20京都のマッピングパーティで得たもの●ざっくり言えば「地図を描くことが習慣化」したこと– 個々のスキルや知識は、慣れていくことで頭に入りやすくなる●「何を地図に描くか」についての理解が、より深まったこと– 地図と言えば、「道路、建物、店舗・施設」程度のイメージ– 京都のマッピングパーティでは、神社やお寺の中にあるもっと詳細なことを地図に描けることと、どう描くかを学べた●石碑、案内板、小道、階段、庭、生垣、壁・擁壁、フェンス●池、小川、樹木、入口、自販機、トイレ、監視カメラなど●マッピングしたデータをどう活用すれば良いかという課題も– 詳細に描いても、 OSM 標準地図には表示しない情報も多い– せっかく灯籠や鳥居を描いても、誰にも見られない状態
13 / 20詳細に描いた地図がもったいない●2016 年 8 月で京都でのマッピングパーティが一旦途絶える– 主催していたマッパーさんが転勤することになったため– その後、活動を引き継いで 2016 年 10 月から再開する※西国街道シリーズ、幕末京都シリーズを開催するが別の話●京都の寺社仏閣については、これまでの数年間で様々な方たちがマッピングした結果、かなり詳細に描かれている状態となる– これらのデータを集計・分析したり、詳細に表現する地図があれば、その場所・地域のことをもっと知る機会が得られる– 一度詳細に描いても、時間が経てば徐々に古くなっていく– マッパーの母数と地図を活用する機会を増やす必要を感じる●地域コミュニティに参加して、活用を模索するようになる
14 / 20大阪十三の方たちとマッピングパーティ
15 / 20みんなで描いた地図で防災マップを作成●高度な GIS を使わなくても地図を簡単に画像として書き出すツールを開発●まち歩きマップメーカーhttps://armd-02.github.io/mapmaker/●自分たちでマッピングして自分たちで活用していく●「自分たち」は誰でも良い防災目的でマッピングしてランチマップにも使われる●「非同期」「疎結合」での活動が出来るのが魅力– オープンの本領発揮
16 / 20地域と繋がる手段として使える●OpenStreetMap に +α を加えることで地域と繋がれる●ただし、「場所」と「現存する」ことが必須。万能では無い– 既に失われたもの、文化・歴史、写真は記録が出来ない●その +α として、以下の要素が必要だと考えがまとめる– 文化・歴史、写真は Wikipedia/Wikimedia に残していく– それらのデータを簡単に取り扱えるアプリを提供していく地域を記録し、個々の活動が連携していくためにOpenStreetMap は接着剤として使えるのではないか「オープンデータソン」の開催が必要との考えに至る
17 / 20活動が止まっても自然と引き継がれる●仮に何かの団体がクラウドファンディングを開始する– 例えば、「観光地のバリアフリーマップを作る」など– 団体が元気な内は、バリアフリーマップは更新される●何年か過ぎ、団体の活動が終了すると、バリアフリーマップを作るための元情報(施設や注意点など)も同時に失われる– 大抵の場合、元情報は非公開なので第三者は勝手に使えない– 誰かが引き継ぐ覚悟を持ち、その団体と交渉する必要がある●また何年か過ぎ、別の団体が新しいバリアフリーマップを作るために、クラウドファンディングを開始する(以下ループ)OpenStreetMap なら、活動終了後も元情報はオープンのまま新しい団体は、以前の成果を自然と引き継ぐことが出来る
18 / 20「自分だけが自由に出来る地図」からの脱却●コロナ禍によりテイクアウトマップが大量発生– 今でも更新しているテイクアウトマップは一体いくつ残っているのだろうか– コロナ禍直後の「何かしたい」の受け皿としてテイクアウトマップは消費されている●ただ、その「何かしたい」気持ちは大事– 一時的なものでも、その思いが後々まで引き継がれる仕組みがあれば良い– OSM は変更記録が残るので、その時点の情報が残るのは将来的な価値がある●「みんなでテイクアウトマップ」を開発– OSM を受け皿として活用&今でも使える
19 / 20ビジネス面までは時間が無かった●「週刊 OSM 」にビジネス面の情報もあるのでオススメ!– https://weeklyosm.eu/ja/– 毎週日本語訳を作っている方たちに感謝!(ボランティア)●ざっくり言えば、 GAFA と呼ばれる巨大企業のうち– G 以外は OpenStreetMap を積極的に利用している– 例えば、 Instagram や facebook の地図にも利用– 実は G 配下の Niantic も「ポケモン Go 」も OSM を利用– Google Maps Platform が終了。乗り換え先の候補にも●https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1359618.html
20 / 20Mappy Hour のご紹介(毎週開催)https://bit.ly/OSM_Japan