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西田幾多郎と場の哲学

 西田幾多郎と場の哲学

人工知能のための哲学塾 第四期 ニューロフィロソフィ編 第四夜(2026/6/1)
https://www.igda.jp/2026/04/30/16616/
の講演資料です。全六夜(第零夜~第五夜)を予定しています。

第壱夜は 2026年1月21日に開催しました
https://www.igda.jp/2025/12/27/16224/
第二夜は 2026年3月2日に開催しました。
https://www.igda.jp/2026/02/12/16342/
第三夜は2026年4月17日に開催しました
https://www.igda.jp/2026/03/18/16474/
第四夜は2026年6月1日に開催しました
https://www.igda.jp/2026/04/30/16616/

第一期~第三期については書籍として発売しています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802510179/
https://www.amazon.co.jp/dp/4802510802
https://www.amazon.co.jp/dp/480251185X

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miyayou

June 12, 2026

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Transcript

  1. 人工知能のための哲学塾 ニューロフィロソフィ篇 第四夜 「西田幾多郎と場の哲学」 三宅 陽一郎 三宅 陽一郎 @miyayou (三宅ラボ)

    2026.6.1 @渋谷ファブカフェ https://www.facebook.com/youichiro.miyake [email protected] 人工知能のための哲学塾 https://www.facebook.com/groups/1056157734399814/
  2. ニューロフィロソフィ編 全6回の予定 • 0. 唯識とニューラルネットワーク(全体俯瞰) • 1. 無著、世親と唯識 • 2.

    ノーバート・ウィナーとニューラルネット • 3. 河合隼雄と中空構造 • 4. 西田幾多郎と場の哲学 • 5. 鈴木大拙と禅
  3. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  4. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  5. 世界で何が存在するか • ✓世界 (…は存在しないかもしれない) • ✓物 (…は存在しないかもしれない) • ✓身体 (…は存在しないかもしれない)

    • ✓判断 (…は存在しないかもしれない) • ✓意識 (…は存在しないかもしれない) • ✓時間 (…は存在しないかもしれない) • ✓経験 (…は存在しないかもしれない) • 〇純粋経験 は存在する
  6. 世界で何が存在するか • ✓世界 ( …は純粋経験の上に説明できる) • ✓物 ( …は純粋経験の上に説明できる) •

    ✓身体 ( …は純粋経験の上に説明できる) • ✓判断 ( …は純粋経験の上に説明できる) • ✓意識 ( …は純粋経験の上に説明できる) • ✓時間 ( …は純粋経験の上に説明できる) • ✓経験 (…は純粋経験の上に説明できる) • 〇純粋経験 は存在する すべてを純粋経験の上に説明しようとすること
  7. 唯識論 世界は識から成り立つとする理論。 眼識 耳識 鼻識 舌識 身識 意識 阿頼耶識 (一切種子識)

    末那識 感覚 (五識) 思考 自我執着心 根本心 表層心 深層心 言葉なしで対象を直接 に把握する。それぞれ 固有の対象を持つ。 五識と共に働いて感覚を 鮮明にする。五識の後に 言葉を用いて対象を概念的 に把握する 常に阿頼耶識を対象として 「我」と執する。 眼識ないし末那識を生じる。 身体を生じて生理的に維持している。 自然をつくり出し、それを維持し続けている。 一切を生じる種子を有する。 (横山紘一 「唯識の思想」、講談社学術文庫、P.60 )
  8. 善の研究(純粋意識の哲学) 第一編 純粋経験 第一章 純粋経験 第二章 思 惟 第三章 意

    志 第四章 知的直観 第二編 実 在 第一章 考究の出立点 第二章 意識現象が唯一の実在である 第三章 実在の真景 第四章 真実在は常に同一の形式を有って居る 第五章 真実在の根本的方式 第六章 唯一実在 第七章 実在の分化発展 第八章 自 然 第九章 精 神 第十章 実在としての神 第三編 善 第一章 行 為 上 第二章 行 為 下 第三章 意志の自由 第四章 価値的研究 第五章 倫理学の諸説 その一 第六章 倫理学の諸説 その二 第七章 倫理学の諸説 その三 第八章 倫理学の諸説 その四 第九章 善(活動説) 第十章 人格的善 第十一章 善行為の動機(善の形式) 第十二章 善行為の目的(善の内容) 第十三章 完全なる善行 第四編 宗 教 第一章 宗教的要求 第二章 宗教の本質 第三章 神 第四章 神と世界 第五章 知と愛
  9. 善の研究=純粋経験による人間の統一理論 • もともとは「純粋経験と実在」という原題であった。出版社の意向 により改名。ベストセラーに • 西田哲学の出発点(最初の本) • 「純粋経験」からすべて(意識、意思、存在、善、宗教)を説明し ようとする理論(試論と言っても良い) •

    本文の中でもややぶれているところがある。純粋経験を意識現象、 と呼ぶところもある。 • 難しい本ではない。立場がわかれば明解な本 • そもそもなぜ「純粋経験」からすべてを説明しようとするのか、を 理解することが難しい
  10. 唯識論 世界は識から成り立つとする理論。 眼識 耳識 鼻識 舌識 身識 意識 阿頼耶識 (一切種子識)

    末那識 感覚 (五識) 思考 自我執着心 根本心 表層心 深層心 言葉なしで対象を直接 に把握する。それぞれ 固有の対象を持つ。 五識と共に働いて感覚を 鮮明にする。五識の後に 言葉を用いて対象を概念的 に把握する 常に阿頼耶識を対象として 「我」と執する。 眼識ないし末那識を生じる。 身体を生じて生理的に維持している。 自然をつくり出し、それを維持し続けている。 一切を生じる種子を有する。 (横山紘一 「唯識の思想」、講談社学術文庫、P.60 ) 純粋経験
  11. 知能の世界 環境世界 認識の 形成 記憶 意思の 決定 身体 制御 エフェクター・

    身体 運動の 構成 センサー・ 身体 意思決定 モジュール 意思決定 モジュール 意思決定 モジュール 記憶体 情報処理過程 運動創出過程 身体部分 情報 統合 運動 統合
  12. 唯識論 世界は識から成り立つとする理論。 眼識 耳識 鼻識 舌識 身識 意識 阿頼耶識 (一切種子識)

    末那識 感覚 (五識) 思考 自我執着心 根本心 表層心 深層心 言葉なしで対象を直接 に把握する。それぞれ 固有の対象を持つ。 五識と共に働いて感覚を 鮮明にする。五識の後に 言葉を用いて対象を概念的 に把握する 常に阿頼耶識を対象として 「我」と執する。 眼識ないし末那識を生じる。 身体を生じて生理的に維持している。 自然をつくり出し、それを維持し続けている。 一切を生じる種子を有する。 (横山紘一 「唯識の思想」、講談社学術文庫、P.60 ) フィヒテの 事行
  13. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  14. 善の研究(純粋意識の哲学) 第一編 純粋経験 第一章 純粋経験 第二章 思 惟 第三章 意

    志 第四章 知的直観 第二編 実 在 第一章 考究の出立点 第二章 意識現象が唯一の実在である 第三章 実在の真景 第四章 真実在は常に同一の形式を有って居る 第五章 真実在の根本的方式 第六章 唯一実在 第七章 実在の分化発展 第八章 自 然 第九章 精 神 第十章 実在としての神 第三編 善 第一章 行 為 上 第二章 行 為 下 第三章 意志の自由 第四章 価値的研究 第五章 倫理学の諸説 その一 第六章 倫理学の諸説 その二 第七章 倫理学の諸説 その三 第八章 倫理学の諸説 その四 第九章 善(活動説) 第十章 人格的善 第十一章 善行為の動機(善の形式) 第十二章 善行為の目的(善の内容) 第十三章 完全なる善行 第四編 宗 教 第一章 宗教的要求 第二章 宗教の本質 第三章 神 第四章 神と世界 第五章 知と愛
  15. 思惟=純粋経験の一種 「思惟というのは心理学から見れば、表象間の関係を定めこれを統一する作用で ある。その最も単一なる形は判断であって、即ち二つの表象の関係を定め、これ を結合するのである。しかし我々は判断において二つの独立なる表象を結合する のではなく、かえって或る一つの全き表象を分析するのである。例えば「馬が走 る」という判断は、「走る馬」という一表象を分析して生ずるのである*。それ で、判断の背後にはいつでも純粋経験の事実がある。判断において主客両表象の 結合は、実にこれに由りてできるのである。勿論いつでも全き表象が先ず現われ て、これより分析が始まるというのではない。先ず主語表象があって、これより 一定の方向において種々の聯想を起し、選択の後その一に決定する場合もある。

    しかしこの場合でも、いよいよこれを決定する時には、先ず主客両表象を含む全 き表象が現われて来なければならぬ。つまりこの表象が始から含蓄的に働いて居 たのが、現実となる所において判断を得るのである。かく判断の本には純粋経験 がなければならぬということは、啻に事実に対する判断の場合のみではなく、純 理的判断という様な者においても同様である。例えば幾何学の公理の如き者でも 皆一種の直覚に基づいて居る。」—『善の研究 (岩波文庫)』西田 幾多郎著
  16. 意識とは、時間とは 時間もまた純粋経験が生み出す 「意識現象は時々刻々に移りゆくもので、同一の意識が再び起ることはない*。 昨日の意識と今日の意識とは、よしその内容において同一なるにせよ、全然異 なった意識であるという考は、直接経験の立脚地より見たのではなくて、かえっ て時間という者を仮定し、意識現象はその上に顕われる者として推論した結果で ある。意識現象が時間という形式に由って成立する者とすれば、時間の性質上一 たび過ぎ去った意識現象は再び還ることはできぬ。時間はただ一つの方向を有す るのみである。たとい全く同一の内容を有する意識であっても、時間の形式上已 に同一とはいわれないこととなる。しかし今直接経験の本に立ち還って見ると、

    これらの関係は全く反対とならねばならぬ。時間というのは我々の経験の内容を 整頓する形式にすぎないので、時間という考の起るには先ず意識内容が結合せら れ統一せられて一となることができねばならぬ。しからざれば前後を連合配列し て時間的に考えることはできない。されば意識の統一作用は時間の支配を受ける のではなく、かえって時間はこの統一作用に由って成立するのである。意識の根 柢には時間の外に超越せる不変的或る者があるといわねばならぬことになる。」 —『善の研究 (岩波文庫)』西田 幾多郎著
  17. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  18. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  19. 場と認識 しかし氏自身も認めている如く、知るということも体験の一つでなければならぬ。 体験内容を非論理的質料というもいわゆる感覚的質料と同一ではない。体験の内 容は非論理的というよりも超論理的である、超論理的というよりもむしろ包論理 的といわねばならぬ。芸術や道徳の体験についても 斯 か くいうことができるの である。認識の立場というのも体験が自己の中に自己を映す態度の一でなければ ならぬ。認識するというのは体験が自己の中に自己を形成することにほかならな

    い。体験の場所において、形式と質料の対立関係が成立するのである。斯く自己 の中に無限に自己を映し行くもの、自己自身は無にして無限の有を含むものが、 真の我としてこれにおいていわゆる主客の対立が成立するのである。此者は同と いうこともできない、異ということもできない、有とも無ともいえない、いわゆ る論理的形式によって限定することのできない、かえって論理形式をも成立せし める場所である。 - 西田幾多郎「場」
  20. 映す、ということ 場所というものを以上述べた如く考えるならば、作用というのは、映された対象 と映す場所との間において現れ来る関係と思う。単に映されたるもののみが考え られた時、それは何らの働きなき単なる対象に過ぎない。しかしかかる対象の背 後にも、これを映す鏡がなければならぬ、対象の存立する場所というものがなけ ればならぬ。勿論、この場所が単に映す鏡であって、唯対象がこれに於てあると いうのみならば、働く対象を見ることはできない。全然 己 おのれ を

    空 むなし うして、すべてのものを映す意識一般の野ともいうべきものにおいて、すべてが 単なる認識対象として全然作用を超越したものと考えられるのもこれによるので ある。しかし意識と対象とが全然無関係であるならば、これを映すということも いわれない、これに於てあるということすら不可能である。この故にこの間を 繋 つな ぐものとして判断作用というものが考えられるのである。一方に対象が作用 を超越すると考えられるのみならず、一方に意識の野も作用を超越してこれ別を 内に包むものと考えられねばならぬ。 - 西田幾多郎「場」
  21. 真の場所(しかしこれは人間ではない) 赤は色であるという判断において、 繋辞 けいじ は客観的には一般的なるものに おいて特殊なるものがあり、一般なるものが特殊なるものの場所となるというこ とを意味する。真に一般的なるものは、自己自身に同一なるものであり、種差を 内に包むものでなければならぬ。而して対象が意識を超越すると考えるだけなら ば、単に特殊なるものが一般なるものに於てあるというのほかないが、更にこの 場所の意味を深くして、いわゆる意識もこれに於てあると考えるならば、真の場

    所は自己の中に自己の影を映すもの、自己自身を照らす鏡という如きものとなる。 有が有に於てある時、後者が前者を 有 も つということができ、 顕 あらわ れた 有が顕れない有に於てある時、前者は後者の顕現であり後者が働くということが できるが、有が真の無に於てある時、後者が前者を映すというのほかはない。映 すということは物の形を 歪 ゆが めないで、そのままに成り立たしめることであ る、そのままに受け入れることである。映すものは物を内に成り立たしめるが、 これに対して働くものではない。我々は鏡が物を映すと考えるのも、 斯 か く考 えるのである。 - 西田幾多郎「場」
  22. 具体的なものを構成する かかる世界は作られたものから作るものへと動き行く世界でなければならない。それ は従来の物理学においてのように、不変的原子の相互作用によって成立する、即ち多 の一として考えられる世界ではない。爾しか考えるならば、世界は同じ世界の繰返し に過ぎない。またそれを合目的的世界として全体的一の発展と考えることもできない。 もし然らば、個物と個物とが相働くということはない。それは多の一としても、一の 多としても考えられない世界でなければならない。何処までも与えられたものは作ら れたものとして、即ち弁証法的に与えられたものとして、自己否定的に作られたもの から作るものへと動いて行く世界でなければならない。基体としてその底に全体的一 というものを考えることもできない、また個物的多というものを考えることもできな

    い。現象即実在として真に自己自身によって動き行く創造的世界は、右の如き世界で なければならない。現実にあるものは何処までも決定せられたものとして有でありな がら、それはまた何処までも作られたものとして、変じ行くものであり、亡び行くも のである、有即無ということができる。故にこれを絶対無の世界といい、また無限な る動の世界として限定するものなき限定の世界ともいったのである。 - 西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」
  23. 場と認識 形式を 何処 どこ まで押し進めて行っても、いわゆる形式以上に出ることはでき ない。真の形式の形式は形式の場所でなければならぬ。アリストテレスの「デ・ アニマ」の中にも、アカデミケルに 傚 なろ うて精神を「形相の場所」と考えて

    いる。 此 かく の如き自己自身を照らす鏡ともいうべきものは、単に知識成立の 場所たるのみならず、感情も意志もこれにおいて成立するのである。我々が体験 の内容という時、多くの場合既にこれを知識化しているのである、この故に非論 理的な質料とも考えられるのである。真の体験は全き無の立場でなければならぬ、 知識を離れた自由の立場でなければならぬ、この場所においては情意の内容も映 されるのである。知情意共に意識現象と考えられるのはこれによるのである。 - 西田幾多郎「場」
  24. A M 私 対象 • …記号は事物のそのものの代わり、すなわち現前する 事物の代わりとなる。…記号は現前者を、当の現前者 が不在のところで代理する(再現前させる)。記号は現 前者の代わりとなる。われわれが当の事物を、つまり 当の現前者、現前的-存在者を取ったり示したりするこ

    とができないとき、現前者がみずからを現前させない とき、わらわれは記号作用を行い、記号の迂回を経由 する。わらわれは記号を取ったり与えたりする。われ われは記号をなす。したがって記号とは差延された現 前性=現在性だということになる。 • (哲学の余白、法政大学出版局、P.44) デリダ「哲学の余白」 (原著:1972年、翻訳:2007年、高橋 允昭 (翻訳), 藤本 一勇 (翻訳))
  25. 過去の自己/現在の自分/未来の自分 St=k-1 St=k St=k+1 ロゴス t=k-2 ロゴス t=k-1 ロゴス t=k

    ロゴスは差延する。 記号によって今を乗り越える。 語る 語る
  26. A M 私 対象 • …生ける現在の<自己への現前>を構成するこの純粋な差異 は、そこから排除しうると考えられていた一切の不純性を、根 源的に再びそこへ導入するのである。行ける現在は、自己との 非-同一性と過去把持的痕跡の可能性とから湧出する。生け る現在は、つねにひとつの痕跡である。この痕跡は、自己に内

    的であるような生をもつといった類の現在の単純性から出発し ては、考えられない。生ける現在の自己は、根源的に一つの痕 跡である。(声と現象、理想社、P.159) • …現前を根源的な分裂と遅延に同時に服させることによって、 現前に亀裂を生じさせると同時に遅らせもする遅延作業 [l’opearation du differer]である。このような差延は、遅延として の differer [延期する]と差異の積極的な働きとしての differer[異なる] とへの分離以前のところで考えられねばならな い。(声と現象、理想社、P.167) デリダ「声と現象」 (原著:1967年、翻訳:1970年、高橋 允昭訳)
  27. 意識を作る=自身を語る St=k-1 St=k St=k+1 ロゴス t=k-2 ロゴス t=k-1 ロゴス t=k

    意識を作る=自らを「語る、表 現する、表明する、表現する」 ことが必要である 亀裂 亀裂 亀裂 語る 語る
  28. 意識を作る=自身を語る St=k-1 St=k St=k+1 ロゴス t=k-2 ロゴス t=k-1 ロゴス t=k

    差延によって作り出された差異は もう一度、統合される。 しかし、新しい差異が生まれる 語る 語る
  29. 意識を作る=自身を語る St=k-1 St=k St=k+1 ロゴス t=k-2 ロゴス t=k-1 ロゴス t=k

    知能は差延、差異、統合、反復の システムである。
  30. 意識を作る=自身を語る St=k-1 St=k St=k+1 ロゴス t=k-2 ロゴス t=k-1 ロゴス t=k

    知能は差延、差異、統合、反復の システムである。 逸脱(差異化,差延) 統合(引き戻し) 語る 語る
  31. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  32. 第参夜目次 • 第一章 西田哲学の立場 • 第二章 純粋経験から人間を探求する • 第三章 純粋経験の構成

    • 第四章 自己の構成 • 第五章 自己の構成(続き) • 第六章 具体的なものを構成する
  33. 具体的な経験を構成する • 西欧哲学 具象→一般 • 西田哲学 一般→具象 • 人工知能の開発方針と合致している •

    なぜなら人工知能は、それぞれの人工知能に個別の経験を、そ の場、その時に与えることが目標だからだ。 • 人工知能は一般思考マシンではなく、固有のそれぞれユニーク な知性になるべきだ
  34. 人工知能のための哲学塾 ニューロフィロソフィ篇 第四夜 「西田幾多郎と場の哲学」 三宅 陽一郎 三宅 陽一郎 @miyayou (三宅ラボ)

    2026.6.1 @渋谷ファブカフェ https://www.facebook.com/youichiro.miyake [email protected] 人工知能のための哲学塾 https://www.facebook.com/groups/1056157734399814/