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Wittgensteinの思想の深化に即した「情報I, II」の差異の分析

Wittgensteinの思想の深化に即した「情報I, II」の差異の分析

共通教科「情報」では,必履修科目「情報I」と選択科目「情報II」が設置されたが,科目間の差異が明確でないため,特に「情報II」は,必要以上に高度なものとして解釈されたり,共通テスト対策に矮小化されたりする懸念がある.本稿では,Wittgensteinの前期・後期の思想と生徒の発達段階を考慮して,各科目で扱うべき範囲を整理し,共通教科「情報」の各科目の位置付けを明瞭にすることを目的とする.

saireya

July 06, 2024
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Transcript

  1. 背景 学習指導要領に必ずしも即していないものである 教員研修用教材や教科書の内容から、 「情報II」は非常に高度だとするイメージが流布 • ITmedia「高校生が学ぶ「情報II」が“本気すぎ る” 研修にも使える教材のポイントを紹介」 https://www.itmedia.co.jp/enterprise/ articles/2402/20/news048.html

    • Togetter「文科省が無料公開している高校の 「情報」の教員用教材が質もレベルも高くて驚く 「Rとか出ていて面くらいました」」 https://togetter.com/li/2315493 ⇒ 「情報II」を学ぶ・設置する敷居を上げている? 3
  2. 目的 「情報I」と「情報II」の差異を明らかにし、 授業を設計する上での指針を示す • 「情報I, II」は情報学を扱う科目であるので、 「科目内容の差異」=「学問分野の構成の問題」 • 情報学の学問分野自体の構成は、情報学という 学問分野の内部の問題ではなく、メタ的な問題

    • メタサイエンスのうちでも、特に哲学を参照すべき • 哲学のうちでも、分析哲学・言語哲学・科学哲学 などが参照すべき分野 • 本発表では特に、20世紀最高の哲学者の一人と されるWittgensteinの前期・後期の思想に焦点 を当てて検討する 5
  3. 学習指導要領における「情報I」の目標 情報に関する科学的な見方・考え方を働かせ、情報技術を活 用して問題の発見・解決を行う学習活動を通して、問題の発 見・解決に向けて情報と情報技術を適切かつ効果的に活用 し、情報社会に主体的に参画するための資質・能力を次のと おり育成することを目指す。 (1) 効果的なコミュニケーションの実現、コンピュータやデータの活用に ついて理解を深め技能を習得するとともに、情報社会と人との関わり について理解を深めるようにする。

    (2) 様々な事象を情報とその結び付きとして捉え、問題の発見・解決に 向けて情報と情報技術を適切かつ効果的に活用する力を養う。 (3) 情報と情報技術を適切に活用するとともに、情報社会に主体的に参 画する態度を養う。 (青字: 「情報I」の目標にのみある文言) 6 (出典) 文科省「高等学校学習指導要領」 (2018) p.190-195 https://www.mext.go.jp/content/1384661_6_1_3.pdf
  4. 学習指導要領における「情報II」の目標 情報に関する科学的な見方・考え方を働かせ、情報技術を活 用して問題の発見・解決を行う学習活動を通して、問題の発 見・解決に向けて情報と情報技術を適切かつ効果的、創造的 に活用し、情報社会に主体的に参画し、その発展に寄与する ための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。 (1) 多様なコミュニケーションの実現、情報システムや多様なデータの活 用について理解を深め技能を習得するとともに、情報技術の発展と 社会の変化について理解を深めるようにする。

    (2) 様々な事象を情報とその結び付きとして捉え、問題の発見・解決に 向けて情報と情報技術を適切かつ効果的、創造的に活用する力を 養う。 (3) 情報と情報技術を適切に活用するとともに、新たな価値の創造を目 指し、情報社会に主体的に参画し、その発展に寄与する態度を養う。 (赤字: 「情報II」の目標にのみある文言) 7 (出典) 文科省「高等学校学習指導要領」 (2018) p.190-195 https://www.mext.go.jp/content/1384661_6_1_3.pdf
  5. 学習指導要領における科目目標の文言比較 No 情報I 情報II (冒頭部分の文言) 1 情報と情報技術を適切かつ 効果的に活用 情報と情報技術を適切か つ効果的、創造的に活用

    2 情報社会に主体的に参画す る 情報社会に主体的に参画 し、その発展に寄与する (箇条書きの文言) 3 効果的なコミュニケーション 多様なコミュニケーション 4 コンピュータ 情報システム 5 データの活用 多様なデータの活用 6 情報社会と人との関わり 情報技術の発展と社会の 変化 7 (なし) 新たな価値の創造を目指 し 8 (出典) 文科省「高等学校学習指導要領」 (2018) p.190-195 https://www.mext.go.jp/content/1384661_6_1_3.pdf
  6. 科目目標の差異からみる「情報II」の特徴 A) 新たな価値の創造による情報社会の発展 ➢ 情報と情報技術を「創造的」(No.1)に活用して「新たな 価値の創造を目指し」(No.7)、情報社会の「発展に寄 与」(No.2)する。 B) 現時点だけでない世界の経時的な俯瞰 ➢

    現在という一時点における「情報社会と人との関わり」だ けでなく、過去から未来までの経時的な変化を視野に入 れた「情報技術の発展と社会の変化」(No.6)を理解する。 C) 単一でない多様な対象の理解と活用 ➢ 単一の視点に即して「効果的」かどうかを検討するのでは なく、「多様」(No.3,5)なコミュニケーション・データを扱う ことで、複数の見方・考え方があることを理解し、これらを 活用する技能を習得する。 D) 単体でない大規模な対象の協働による構築 ➢ 単一の「コンピュータ」よりも大規模な「情報システム」 (No.4)を理解し、他者との協働により構築する技能を習 得する。 9
  7. Ludwig Wittgenstein: 哲学者として • 大学では航空工学・ 機械工学を専攻し、 プロペラの設計に 関する特許を取得 • 数学基礎論を経て

    言語哲学に進む • 前期の代表作 『論理哲学論考』 (『論考』) • 後期の代表作 『哲学探究』 (『探究』) 10 (出典) ÖNB Digital「Wittgenstein, Ludwig」https://onb.digital/result/BAG_13887013 古田(2020)『はじめてのウィトゲンシュタイン』 NHK出版, ISBN: 4140912669.
  8. Ludwig Wittgenstein: 教育者として • 『論考』『探究』の 特徴的な記述形式に、 読者を導く工夫あり • 第一次大戦に従軍し て『論考』を著した後、

    教員養成所に入り、 農村の小学校で勤務 • ただし、大学以外での 教育的な活動は必ず しも成功していない 11 (出典) ÖNB Digital「Wittgenstein, Ludwig」https://onb.digital/result/BAG_13887013 古田(2020)『はじめてのウィトゲンシュタイン』 NHK出版, ISBN: 4140912669.
  9. Ludwig Wittgenstein: 年表と主著 12 (出典) 古田(2020)『はじめてのウィトゲンシュタイン』 NHK出版, ISBN: 4140912669. 鬼界(2020)「『哲学探究』を読むためのガイド――訳者解説」,

    『哲学探究』所収, 講談社. 年 事項 1889 出生。 前期 1913 『論考』の構想を描き始める。 1914 第一次大戦に志願兵として従軍。『論考』の執筆を行う。 1918 『論考』が完成。捕虜となる。 1919 収容所から釈放。教員を志す。 1920 小学校教員として勤務。 1921 『論考』が掲載される。 1923 小学校教員の職を辞す。 後期 1929 ケンブリッジ大学に復帰。 1936 『探究』の執筆を開始。 1945 『探究』の序文を執筆。 1947 『探究』第二部の執筆を開始。 1949 『探究』第二部が完成。 1951 死去。 1953 『探究』が出版される。
  10. 前期思想: 『論考』の7つの命題 1 世界は成立していることがらの総体である。 2 成立していることがら、すなわち事実とは、諸事態 の成立である。 3 事実の論理像が思考である。 4

    思考とは有意味な命題である。 5 命題は要素命題の真理関数である。 (要素命題は自分自身の真理関数である。) 6 真理関数の一般形式はこうである。 [ ҧ 𝑝, ҧ 𝜉, 𝑁( ҧ 𝜉)] これは命題の一般形式である。 7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。 13 (出典) Wittgenstein(2003)『論理哲学論考』岩波書店, ISBN: 4003368916, 野矢茂樹訳.
  11. 前期思想: 『論考』の冒頭 1 世界は成立していることがらの総体である。 1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではな い。 1.11 世界は諸事実によって、そしてそれが事実の すべてであることによって、規定されている。

    1.12 なぜなら、事実の総体は、何が成立しているの かを規定すると同時に、何が成立していない のかをも規定するからである。 1.13 論理空間の中にある諸事実、それが世界で ある。 1.2 世界は諸事実へと分解される。 14 (出典) Wittgenstein(2003)『論理哲学論考』岩波書店, ISBN: 4003368916, 野矢茂樹訳.
  12. 前期思想: 『論考』における「永遠の相の投棄」 • 『論考』の到達点である命題7は、 「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」 • 「永遠の相」における論理体系において、 「言い表しえぬものは存在する」(命題6.522) • そのような「語りえぬもの」(成立・不成立以前に、

    言語では表現できないことがら)を論じることは、 この「永遠の相」では不可能なので、 「沈黙せねばならない」 • つまり、『論考』で示された「永遠の相」という 静的モデルで考えられることがらには限界がある ことを示している ⇒ このようなモデルを「越境」する必要がある 16 (出典) 古田(2019)『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』 KADOKAWA, ISBN: 4047036315.
  13. 前期思想: 『論考』における「永遠の相の投棄」 命題6.54 私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その 上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセ ンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解 明を行なう。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子 を投げ棄てねばならない。) 私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく 見るだろう。

    17 (出典) Wittgenstein(2003)『論理哲学論考』岩波書店, ISBN: 4003368916, 野矢茂樹訳. 『論考』を通して「永遠の相」を理解した後には、 「永遠の相」の限界に気づき、投げ棄てて葬りさる ことで、世界をより正しく見ることができるようになる ⇒ 静的モデルの意義と限界を認識することが重要
  14. 前期思想: 『論考』における「対話的方法」 命題6.53 誰か形而上学的なことを語ろうとするひとがいれ ば、そのたびに、あなたはその命題のこれこれの記号 にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、 本来の正しい哲学の方法にほかならない。(中略)こ れこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。 18 (出典)

    Wittgenstein(2003)『論理哲学論考』岩波書店, ISBN: 4003368916, 野矢茂樹訳. 大谷(2022)『入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』』, 筑摩書房, ISBN:4480017577. 正しい結論を導くには、「永遠の相」のような 単一のモデルに依拠するのではなく、 それぞれの場面に応じて相手と対話するしかない ⇒ 本質的な対話の必要性を認識することが重要
  15. 後期思想: 『探究』の冒頭 1 アウグスティヌス『告白』第一巻、第八章。「(引用 略)」アウグスティヌスのこの言葉は、人間の言語 の本質についての、あるはっきりとした像を与えて いるように私には思われる。すなわち、言語に含ま れる語とは対象の名であり―文とはそれらの語の 結合だ、という像である。――言語についてのこう した像の中に、すべての語には意味がある、という

    考えの根源を見いだせる。(後略) 2 意味についてのあの哲学的観念は、言語の働き 方についての原始的な想像を棲家にしている。そ れはまた我々のものよりも原初的な言語について の想像だ、とも言える。(後略) 19 (出典) Wittgenstein(2020)『哲学探究』講談社, ISBN: 4062199440, 鬼界彰夫訳. 鬼界(2020)「『哲学探究』を読むためのガイド――訳者解説」, 『哲学探究』所収, 講談社. ダーシで立場が切り替わる
  16. 後期思想: 『探究』の疑似対話 • プラトンの対話篇と似た構成だが、対話篇では ソクラテスという主導的な役割を持つ存在がいる のに対し、『探究』には主導的な人物はいない (そもそも、誰と誰の対話かもはっきりしない) • 「過去(前期)のWittgenstein」と 「現在(後期)のWittgenstein」による

    「擬似対話」だとされる(ダーシで切り替わる) 20 (出典)鬼界(2020)「『哲学探究』を読むためのガイド――訳者解説」, 『哲学探究』所収, 講談社. Platoの対話篇 『探究』の疑似対話 ソクラテス (=永遠の相) ゴルギアス パイドロス ︙ 対等関係 前期(過去)の Wittgenstein 後期(現在)の Wittgenstein 上下関係
  17. 後期思想: 『探究』の「考察」 • 『探究』は、693の「考察」という断章からなる • 『論考』のように特定の理論体系(「永遠の相」) を示すのではなく、様々な事例を臨床的に取り上 げながら進んでいく(cf. 『論考』命題6.53) 他の人々が私の書物によって自分で考えずに済ま

    せることを私は望まない。私が望むのは、それが可能 だとして、人が自身で思考するよう私の書物が励ま すことである(『探究』序文) 21 (出典) Wittgenstein(2020)『哲学探究』講談社, ISBN: 4062199440, 鬼界彰夫訳. 多様な事例を扱う疑似対話を通して、 『論考』で示した「正しい方法」を演示
  18. 後期思想: 『探究』における「言語ゲーム」 • 「言葉と、それと織り合わされている活動の総体」 (考察7) • 語にそれぞれ固有の意味があるのではなく、語の 意味は前後の対話など、その語が現れる文脈で 定まると考える •

    語の意味についての動的(dynamic)なモデル • 「言語ゲーム」は新たな「永遠の相」ではない 言語の使用規則の体系を、これまでに聞いたこと もないようなやり方で精密にしたり、完全にしたりす ることを欲しているのではない(考察133) 22 (出典) Wittgenstein(2020)『哲学探究』講談社, ISBN: 4062199440, 鬼界彰夫訳. 変化を意識した動的なモデルで捉えることが重要
  19. 後期思想: 『探究』における「アスペクトの転換」 • アスペクト: ある個人がもつモノの見方・考え方 • アスペクトの転換: 直前まであるアスペクトで見て いたものが別のアスペクトで見えるようになること •

    「永遠の相」や「言語ゲーム」のモデルをメタ的に 俯瞰し、モデルの選択について論じている 23 (出典) Wittgenstein(2020)『哲学探究』講談社, ISBN: 4062199440, 鬼界彰夫訳. 鬼界(2020)「『哲学探究』を読むためのガイド――訳者解説」, 『哲学探究』所収, 講談社. 言語ゲーム (後期『探究』) 永遠の相 (前期『論考』) アスペクト の転換 (『探究』第二部) モデル自体も柔軟に自在に切り替えることが重要
  20. 科目目標の差異からみる「情報II」の特徴 A) 新たな価値の創造による情報社会の発展 ➢ 情報と情報技術を「創造的」(No.1)に活用して「新たな 価値の創造を目指し」(No.7)、情報社会の「発展に寄 与」(No.2)する。 B) 現時点だけでない世界の経時的な俯瞰 ➢

    現在という一時点における「情報社会と人との関わり」だ けでなく、過去から未来までの経時的な変化を視野に入 れた「情報技術の発展と社会の変化」(No.6)を理解する。 C) 単一でない多様な対象の理解と活用 ➢ 単一の視点に即して「効果的」かどうかを検討するのでは なく、「多様」(No.3,5)なコミュニケーション・データを扱う ことで、複数の見方・考え方があることを理解し、これらを 活用する技能を習得する。 D) 単体でない大規模な対象の協働による構築 ➢ 単一の「コンピュータ」よりも大規模な「情報システム」 (No.4)を理解し、他者との協働により構築する技能を習 得する。 24
  21. 科目目標の差異からみる「情報II」の特徴 A) 新たな価値の創造による情報社会の発展 ➢ 情報と情報技術を「創造的」(No.1)に活用して「新たな 価値の創造を目指し」(No.7)、情報社会の「発展に寄 与」(No.2)する。 B) 現時点だけでない世界の経時的な俯瞰 ➢

    現在という一時点における「情報社会と人との関わり」だ けでなく、過去から未来までの経時的な変化を視野に入 れた「情報技術の発展と社会の変化」(No.6)を理解する。 C) 単一でない多様な対象の理解と活用 ➢ 単一の視点に即して「効果的」かどうかを検討するのでは なく、「多様」(No.3,5)なコミュニケーション・データを扱う ことで、複数の見方・考え方があることを理解し、これらを 活用する技能を習得する。 D) 単体でない大規模な対象の協働による構築 ➢ 単一の「コンピュータ」よりも大規模な「情報システム」 (No.4)を理解し、他者との協働により構築する技能を習 得する。 25 モデルの転換やひらめきにより「新たな価値」へ 動的なモデルで捉えて「変化」に対応していく 臨床的な事例を通して「多様」な対象と関わる 対話による協働を通して「システム」を構築する