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高畑鬼界ヶ島と重文・称名寺本薬師如来像の来歴を追って/kikaigashima
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Code for History
August 30, 2025
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高畑鬼界ヶ島と重文・称名寺本薬師如来像の来歴を追って/kikaigashima
「高畑の歴史と風土を語る集い」2025/08/30
Code for History
August 30, 2025
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Transcript
高畑鬼界ヶ島と 重文・称名寺本薬師如来像の 来歴を追って 高畑の歴史と風土を語る集い 2025年8月30日 大塚恒平 1
はじめに 2
謎の地名との出会い • 2017年12月頃、私は高畑町 本薬師東町に居住 • 家の近くの古地図を見ていると、 不思議な記述を発見 『きかいがしま』 • 他の寺社旧跡は現存するが、
「きかいがしま」にあたるもの は現存しない • 『しばつじやくしへひける」と いう意味不明の記述 3 当時のFacebookより 元資料: 奈良県立図書情報館・まほろばライブラリー 南都山村和泉開板『和州南都之図』より 1709年 左方が北
謎の地名を徹底調査: 判明したこと • 奈良の絵図、地誌、日記などの史料をたどり調査 • 奈良教育大構内に、「鬼界ヶ島」と呼ばれた一角が あった • そこに本薬師と呼ばれる薬師堂があった •
頼朝が勧修坊聖弘に下賜したと伝わる薬師如来像と十二神将が 据えられていた • その薬師如来像は、興福寺勝南院が関わって室町時代に奥芝辻 町に売られ、勧修坊を中継して奥芝辻薬師堂に伝わった • 幕末ごろ、薬師如来像は菖蒲池町称名寺に移り、現在は重文指 定されて奈良国立博物館に寄託されている 4 重文称名寺薬師如来立像 仏像集成5日本の仏像 <奈良Ⅰ>引用
高畑鬼界ヶ島本薬師 5
絵図による確認 (1) • 1709年から1879年までの絵図を確認 • 絵図屋庄八の歴代絵図 • 春日大宮若宮御祭礼図中 6 元資料:
国土地理院・古地図コレクション 絵図屋庄八『和州奈良之図』より 1844年 左方が北 元資料: 古典籍総合データベース 藤原仲倫『春日大宮若宮御祭礼図』より 1742年 上方が北 元資料: 国土地理院・古地図コレクション 絵図屋庄八『和州奈良之図』より 1844年 左方が北
絵図による確認 (2) • 確認結果を集計 • わかったこと • 鬼界ヶ島は江戸中期(18 世紀初頭)から明治以降(19 世紀後半)まで170
年にわたり奈良の絵図に記述され続けてきた • 「奥芝辻へひける」「しばつじやくしへひける」などの但し書き • 「舊薬師寺跡」などの但し書きも 7 ID 絵図名 年代 発行者 鬼界ヶ島表記 但し書き表記 1 和州南都之図 1709 (宝永6) 南都山村和泉開板 き𛀙𛀙い𛀙𛀙゛しま 志𛂦𛂦゛つじやくしへひける 2 春日大宮若宮御祭礼図 1742 (寛保2) 藤原仲倫 鬼界嶋 舊薬師寺跡 3 和州南都之図 1778 (安永7) 出版社不明 き𛀙𛀙い𛀙𛀙゛しま 志𛂦𛂦゛つじやくしへひけ(?) 4 和州奈良之図 1844 (天保15) 絵図屋庄八 き𛀙𛀙い𛀙𛀙゛嶋 奥芝辻へひける 5 和州奈良之絵図 1864 (元治1) ゑづ屋庄八 き𛀙𛀙い𛀙𛀙゛嶋 奥芝辻へひける 6 和州奈良之絵図 1879 (明治12) 筒井庄治郎 き𛀙𛀙い𛀙𛀙゛嶋 奥芝辻へひける
地誌による確認 (1) • 『奈良坊目拙解』巻第七閼伽井町の条 • 薩摩鬼界嶋への配流で有名な俊寛僧都が、配流地を抜け出して高畑界隈に潜伏した伝説が存在 • それゆえ鬼界島と呼ばれていた • かつてここに興福寺塔頭勧修坊支配の薬師堂があり、薬師立像と十二神将像が祀られた
• 廃亡時、これらは勧修坊に運ばれ、今は奥芝辻町の薬師堂に件の薬師如来立像が存在 • 街の古老は寛永年間に薬師如来立像が車に載せられ運ばれるのを自身の目で見た 8 里人傳云、當郷南邊ノ田野謂二 之ヲ鬼界島ト 一 、往古有二 寺院一 、而僧都俊寛潜カニ出二 配 所鬼界嶋ヲ 一 来二 住于此ノ地ニ 一 、仍後人謂二 此ノ所ヲ 一 曰二 鬼界嶋ト 一 也云 云 、… …其後及二 廢寺一 漸存二 艸堂一宇一 而安二 置藥師像十二神將一 、于レ 時興福寺勸修坊為二 末寺一 、寛永年及二 堂宇破壊一 、於レ 是本尊藥師十二神其餘影像石佛等悉運二 納于勸修 坊内一 、自レ 是本藥師寺古跡滅亡、為二 田野一 矣、而後件本尊藥師像並ニ俊寛僧都ノ真 像石躰石面彫二 刻之一 移二 安於奥芝辻町藥師堂ニ 一 、今現ニ存ス是也、…寛永年此ノ本尊 藥師積レ 車引二 移于奥芝辻町ニ 一 、古老眼前視レ 之無二 疑論一 云 云 、…
地誌による確認 (2) • 『奈良坊目拙解』巻奥芝辻町の条 (薬師像の宛先) • 奥芝辻薬師堂の薬師如来立像の記録が残る • 鬼界島の薬師堂から勧修坊を経て奥芝辻の薬師堂に移送された •
源頼朝から勧修坊周防得業に下賜されたものと伝えられていた • 本薬師と呼ばれた立像 • 像高は五尺であった 9 〇藥師堂 東正面二間、四面葺瓦、…立像藥師佛一軀 長五尺許木地、不レ 知二 作者 一 、縁起云、當初右大将頼朝公賜下 於二 鎌倉一 南都勧修坊周防得業聖佛ニ 上 靈像而、後 安二 置於高畠郷之傍鬼界島艸堂一 矣、蓋堂宇廃壊之後移下 安本尊佛具等ヲ於勧修坊内上 矣、尓レ 時万治年比引二 移本藥師像於當所奥芝町ニ 一 、安二 置于此堂一 焉、号二 本藥師ト 一 也、…
地誌による確認 (3) • その他の地誌も確認し、記述を集計 10 ID 地誌名 成立年代 鬼界ヶ島を含む条名 鬼界ヶ島表記
説明 1 奈良名所八重桜 1678 (延宝6) 寛俊坊 鬼界ヶ島 勝手明神祠 鬼界ヶ島 • 勧修坊を寛俊坊として記述 • 俊寛流刑地から逃れ潜伏した伝説 • 本薬師記述あり、薬師像の頼朝下 賜伝説、勧修坊から奥芝辻薬師堂 への売却に言及 • 売却に勝南院が関わっている記述 2 中野友山文庫 奈良地誌 江戸中期? 閼伽井町 奥芝辻町 鬼界 • 俊寛流刑地から逃れ潜伏した伝説 • 奥芝辻薬師堂薬師像がかつて高畑 にあり、頼朝下賜の伝説に言及 3 奈良坊目拙解 1730 (享保15) 閼伽井町 奥芝辻町 鬼界島 • 俊寛流刑地から逃れ潜伏した伝説 • 本薬師記述あり、薬師像の頼朝下 賜伝説、勧修坊から奥芝辻薬師堂 への売却に言及 4 大和名所図会 1791 (寛政3) 鬼界 鬼界 • 俊寛流刑地から逃れ潜伏した伝説
地誌による確認 (4) 11 ID 地誌名 成立年代 鬼界ヶ島を含む条名 鬼界ヶ島表記 説明 5
平城坊目考 1795 (寛政7) 閼伽井町 奥芝辻町 鬼界が島 • 俊寛流刑地から逃れ潜伏した伝説 • 本薬師記述あり、薬師像の頼朝下 賜伝説、勧修坊から奥芝辻薬師堂 への売却に言及 6 平城坊目遺考 1890 (明治23) 下高畠町 奥芝辻町 鬼界 • 俊寛流刑地から逃れ潜伏した伝説 • 奥芝辻薬師堂薬師像の頼朝下賜伝 説、菖蒲池町称名寺への移動に言 及 7 奈良市寺院明細帳 1898 (明治31) 菖蒲池町称名寺 本薬師 • 薬師堂の薬師如来が本薬師と呼ば れ、元奥芝町にあったことを記録 • 1878(明治11)年9月に奥芝町か ら称名寺に移動 8 大和志料 1914 (大正3) 閼伽井 鬼界カ島 • 地名の存在のみ言及 9 奈良町風土記 1976 (昭和51) 本薬師町 鬼界ヶ島 • 古老の話として、鬼界ヶ島が奈良 教育大学校舎内にあったという聞 き取りに言及 ※太字は明治以降の去就情報
論点に関する考察 12
鬼界ヶ島及び本薬師薬師堂の実在検証 • 薬師如来立像の高畑本薬師から勧修坊を経て奥芝辻薬師堂への移動は、当時の古老が自 身の目で見た記録(準同時代史) • いつ頃から存在したか? • 頼朝の下賜は今のところまだ伝説に過ぎない • 高畑本薬師から芝辻への売却は、安土桃山時代に発生?
• 『多聞院日記』の天正 6 (1578) 年 8 月 15 日条 • 勝南院と本薬師の関係は『奈良名所八重桜』勝手明神祠の条に記録 • 残る疑問: • なぜ移動まで時間 (46~95年) がかかったのか • 六方衆が処罰されたのか • 仮説: • 勝南院が了解済みと虚偽の売買を行った六方衆が処罰された? • 売買成立を主張する芝辻との間で長年もめた挙句、最終的に受け渡された? 13 勝南院存知トテ、本薬師堂芝辻ヘ沽却、曲事トテ従六方被加罪科了 …本薬師といへり。かくて年月おくり、時代押しうつり、いかなるゆゑにや、この仏を興福寺の内、勝南院 の支配となりてより、この芝辻にうり奉るといふ。
称名寺移転後の薬師如来立像について • 奥芝辻薬師堂から菖蒲池称名寺への移動 • 『平城坊目遺考』『奈良市寺院明細帳』に 記載あり • 称名寺での安置場所は山門脇 • 称名寺の現存文化物との比較
• 木造薬師如来立像 (重文、奈良国立博物館 寄託) • 本薬師薬師像との類似点が多い • 本薬師薬師像と称名寺重文薬師 像は同一である可能性が高い • 従来語られていた来歴は、不明と しながらも称名寺創建以来の伝来 とみられていたよう 14 現存しない薬師堂 比較項目 本薬師薬師像 称名寺重文 像高 五尺 (151.5cm程度) 164.5cm 安置場所 称名寺山門脇 称名寺山門外の西側に あった薬師堂 製作時期 頼朝下賜伝説に従うと 鎌倉時代 12~13世紀 (鎌倉時代) 元資料: 古絵葉書、書誌不明
関係地点の比定: 鬼界ヶ島本薬師薬師堂 • 絵図: おおむね鏡神社の南、吉備塚の東 • 地誌: • 『平城坊目考』で閼伽井町の南辺『大和名所図会』では紀寺町の東辺 『奈良名所八重桜』では新薬師寺の下
• 『奈良町風土記』では教育大学構内にあったとする聞き取り結果 15 元資料: まほろばライブラリー『大和國添上郡高畑村地引繪圖』 吉備塚 もしかしてここ? 吉備塚 このへん? OpenStreetMap
関係地点の比定: 勧修坊 • 寛政3 (1791) 年頃の興福寺境内図に描かれている • おおよそ現在の高畑町字山之上町付近、鷺池西南の三叉路の西側一角 • 『奈良坊目拙解』の奥芝辻町の条では「山之上勧修坊」
16 勧修坊 元資料はまほろばライブラリー 『興福寺境内図(甲)』より 1791年ごろ 上方が北 このへん OpenStreetMap
関係地点の比定: 奥芝辻薬師堂 • 1778 年の『和州南都之図』に描かれている • 芝辻町 (志𛂦𛂦゛つし) の南の鉤状の辻子に奥芝辻 (おくし𛂦𛂦つし)の記
述がみえ,辻子の西南に薬師 (やくし) の記述がみえる(図 • 『奈良坊目拙解』奥芝辻町の条「薬師堂は当町の南西隅」に整合 17 元資料はまほろばライブラリー 『和州南都之図』より 1778年ごろ 左方が北 このへん? OpenStreetMap 薬師堂
関係地点の比定: 奥芝辻薬師堂 • 1778 年の『和州南都之図』に描かれている • 芝辻町 (志𛂦𛂦゛つし) の南の鉤状の辻子に奥芝辻 (おくし𛂦𛂦つし)の記
述がみえ,辻子の西南に薬師 (やくし) の記述がみえる • 『奈良坊目拙解』奥芝辻町の条「薬師堂は当町の南西隅」に整合 18 元資料はまほろばライブラリー 『和州南都之図』より 1778年ごろ 左方が北 このへん? OpenStreetMap 薬師堂
本薬師薬師如来像の移動来歴 19
高畑町の字本薬師の由来について • 『奈良町風土記』では鬼界ヶ島伝承地は 奈良教育大学構内の、高畑町字本薬師 • 字本薬師の来歴 • 近世の地誌には表れない字名 • 明治23年
(1890年) の地籍更生図 『奈良町実測全図』が初出 • 字本薬師の由来は? • 新薬師寺の当初の中心が字本薬師にあったためとされる場合が多い • しかし、絵図への鬼界ヶ島表記や、寺院明細帳での本薬師表記が明治 まで残っていたことを考慮すると、本薬師薬師堂があったことが由来 なのではないか? 20
十二神将像の行方について • 鬼界ヶ島から勧修坊への移動には、十二神将像も付随 • 勧修坊から奥芝辻への移動: 『奈良坊目拙解』奥芝辻町の条 • 薬師如来像は町人に結縁のために曳かせて移動 • 十二神将は住僧が運送費の支出を厭って勧修坊に留め置いた
• そのまま行方知れずに • 十二神将はどこに消えたのか? • 奈良はその後大きな災害、戦災などに遭遇していない • 個別に破却焼却などされていない限り現存する可能性 • 「本尊と同作」との情報: 素材、製作時期、像高などの分析で今後見つかる かも? 21 村老云、此藥師自二 山之上勧修坊一 還二 來于奥芝町ニ 一 、時其ノ途中奉レ 載レ 車而為シム 下二 結縁一 令シテ 二 諸人一 曳中 其繩ヲ 上 、又云、件本尊同作十二神靈在二 于同寺一 、時ノ之住僧厭テ 二 運送之費ヲ 一 残二 止於勧修坊一 、可レ 惜、今不レ 留二 於勧修坊一 、不レ 知二 其行所一 、寔ニ可レ 惜矣、
源頼朝による下賜伝説について • 本薬師薬師堂の薬師如来及び十二神将像は、頼朝から勧修坊周 防得業に下賜されたものとされる • 勧修坊周防得業 • 義経を勧修坊にかくまい、謀反加担として鎌倉へ召し出された • 頼朝の前で堂々と頼朝の非情を咎め自身の立場の申し開きを行った
• 頼朝の歓心を買い、頼朝に請われ鎌倉勝長寿院の別当を勤めた • 義経が討ち取られた後には京都に戻って生涯を終えた • 本薬師薬師如来は頼朝により下賜されたものか? • 製作時期は一致しており、外形的には否定されない • 同時代記録には存在せず、現状は伝説として扱うのが妥当 • しかし、「伝説が存在したこと」は事実 22
なぜ近年まで判明しなかったか? • 称名寺の薬師如来立像が元、高畑の本薬師であった事実 • 長い江戸期を経て明治初期までは断片でも伝わっていた • しかし明治以降、あっという間に伝承が途絶え、来歴不明となった • 移動が複数の段階に分かれ、特定の地誌だけでは重要性が不明 •
『奈良坊目拙解』: • 薬師像の移動は高畑鬼界ヶ島から奥芝辻町までのみ • 重要文化財来歴につながる重要記述だと注視されず • 『平城坊目遺考』や『奈良市寺院明細帳』: • 奥芝町から称名寺という、隣町程度の移動で注視されず • 結果、注視すべき重要事項と認識されず • 『多聞院日記』からの関連記述発見もなかった • もう一度、様々な地誌や資料を横断して調査する必要性 23
ご清聴ありがとうございました 24