エンジニアリング組織の未来 - 不確実性との向き合い方
デジタル時代の幕開けとともに、私たちの働き方は大きく変わろうとしていた。かつて、仕事とは決められたタスクをこなすことだと考えられていた時代がある。しかし、テクノロジーの進化とともに、その定義は徐々に変化を見せ始めていた。
広木は、この変化の波を最前線で経験してきた一人だった。ミクシィでアーキテクトとして技術戦略と組織構築に携わり、その後、技術と経営をつなぐアドバイザリーとして多くの企業の変革を支援してきた彼は、ある重要な気づきを得ていた。それは、現代の仕事の本質が「不確実性との戦い」だということだった。
仕事は常に曖昧な状態から始まる。プロジェクトの初期段階では、何も決まっていない。ただモヤモヤとした状態から、徐々に方針が定まり、具体的な形になっていく。この過程こそが「エンジニアリング」の本質だと広木は考えた。それは、単なるプログラミングやシステム構築以上の意味を持つものだった。
不確実性には大きく分けて二つの源がある。一つは「未来」に関する不確実性。誰も明日何が起こるかを正確に予測することはできない。もう一つは「他人」に関する不確実性。私たちは他人の考えを完全に理解することはできない。この二つの不確実性は、あらゆるプロジェクトや組織の課題の根源となっていた。
しかし、人は本能的に不確実性を避けようとする。それは、不確実性が脳にストレスを与えるからだ。体重計に乗るのを避けたり、テストを先延ばしにしたりする行動は、まさにこの不確実性への忌避反応の表れだった。
では、この不確実性にどう向き合えばいいのか。広木は三つの方法を提示する。
第一に、心理的安全性の確保だ。チームメンバーが失敗を恐れずに意見を言え、助けを求められる環境を作ることが重要だ。ただし、これは単に「仲が良い」状態とは異なる。お互いを高め合える関係性こそが求められる。
第二に、リアルオプション戦略と仮説検証の導入。小さな実験を重ね、早期に失敗から学ぶことで、リスクを最小化する。「フェイルファスト(早く失敗する)」の原則は、ここから生まれた。
第三に、経験主義的なプロセスの採用。机上の計算だけでなく、実際の経験から学び、改善を重ねていく方法だ。
さらに、組織のあり方そのものも変化を求められていた。かつての官僚的な組織構造は、急速に変化する環境には適応できなくなっていた。代わりに求められたのは、フラットで柔軟な「ユニット型組織」だった。
特に注目すべきは、組織の「エマルション(溶け合い)」という現象だ。技術部門とビジネス部門の境界が曖昧になり、両者が融合していく。この変化は、単なる組織改編以上の意味を持っていた。それは、仕事の本質的な変化を示唆していたのだ。
実際、労働の形態も大きく変わりつつある。単純な作業は徐々にコンピュータに移管され、人間には本質的なコミュニケーション能力や創造性が求められるようになってきた。これは、一見すると脅威に見えるかもしれない。しかし実際は、人間がより人間らしい仕事に集中できる機会でもあった。
興味深いのは、この変化が経営学とソフトウェア工学の融合をもたらしているという点だ。かつては別々の分野として考えられていた両者が、デジタル時代においては不可分な関係になりつつある。
最後に広木が強調するのは、この変化が決して終わりではないという点だ。むしろ、これは始まりに過ぎない。社会のソフトウェア化が進むにつれ、不確実性との付き合い方はますます重要になっていく。そして、それに適応できる組織だけが生き残っていくだろう。
未来の組織は、不確実性を恐れるのではなく、それを成長の機会として捉える必要がある。そのためには、従来の常識や慣習にとらわれない柔軟な思考と、失敗を恐れない勇気が必要だ。そして何より、組織のメンバー一人一人が、この変化を自分事として捉え、積極的に適応していく姿勢が求められる。
エンジニアリング組織の未来は、不確実性との共存にある。それは決して楽な道のりではないかもしれない。しかし、この変化を受け入れ、適切に対応できた組織こそが、次の時代を切り開いていけるのだ。これは、デジタル時代における組織の生存戦略であり、同時に、より人間らしい働き方への進化の過程でもある。
変化は既に始まっている。問題は、私たちがそれにどう向き合うかだ。不確実性を恐れるのではなく、それを受け入れ、活用する。それこそが、現代のエンジニアリング組織に求められる本質的な能力なのかもしれない。